私を構成する9枚【安藤エヌ編】

私を構成する9枚【安藤エヌ編】

#私を構成する9枚──その文言通り自身の音楽遍歴を語る上では決して切り離せない音楽作品を9枚選ぶハッシュタグ。musitでは書き手自身を掘り下げるべく個人の音楽的嗜好に迫る企画としてお送りする。弊メディアのライターたちがどのような遍歴を辿ってきたのか覗いてみてほしい。

今回は、「生きづらさと愛を書く」をモットーに執筆活動を展開するフリーライター、安藤エヌの9枚を紹介する。

①米津玄師『STRAY SHEEP』(2020)

私の知っている彼は、長らくハチという名前だった。人工音声に言葉を乗せ、電子の海を自由自在に泳いでいた彼が、今や日本のみならず世界のヒットチャートにのぼるほどの人物になった。その類稀なる才能が余すことなく顕現されたアルバムこそが、この『STRAY SHEEP』だ。

死生観の織り交ざった、彼の頭の中に展開されている唯一無二の世界観がオムニバスで交差し、リスナーはタイトル通りの<迷える羊>となる。強烈なイントロを孕んだ「カムパネルラ」、俗っぽくもあり、それでいて洗練された印象を持つ「Flamingo」と続き、キラーチューン「感電」、美しい喪失についてのレクイエム「Lemon」へ。

米津玄師の世界観は、おぞましい。決して持ち得ない隔絶された世界から鳴る音楽はどこか他人事のようでいて、心揺さぶられる情動と一続きになっている。自分にとって馴染みのない世界を覗けることの驚きとともに、彼の音楽に触れられることは、この時代を生きる上でのリアルタイムの幸福だ。

②あいみょん『おいしいパスタがあると聞いて』(2020)

あいみょんという人は「時の人」だと思う。その容姿も歌声も、次世代の若者像をはっきりと映し出していて、彼女に憧れ、中には恋をする人が五万といる。かくいう私も、その群衆の中の1人である。

渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしながら、『おいしいパスタがあると聞いて』を聴く。掻き鳴らされたギターが痛々しいほど「今、この瞬間」を歌う「さよならの今日に」。メロウなアップテンポに乗せられた「飾らない私」に自己の承認欲求を重ねてみる「朝陽」。剥き身の果物になってガラステーブルに横たわってみたくなる「裸の心」。

彼女のように、何もまとわず、防御も武装もしない人になりたいと願う。ネイキッドであることは、時に全てを凌駕する美しさになり得る。

③ヨルシカ『盗作』(2020)

物語性を帯びた音楽と、アイロニックでもあり、同時に傷ついた現代人の心を癒す抒情的な歌詞で、今や時代の寵児となったヨルシカ。彼らが2020年に放ったコンセプトアルバム『盗作』は、音楽を盗む、という行為が全編に渡り描かれている作品だ。

ドビュッシー「月の光」の旋律を<盗んだ>インストゥルメンタルや、盗作をしているときの荒々しい心境を細やかな歌声の機微で表現した「昼鳶」「春ひさぎ」など、タイトルの言葉遊びも相まって彼らの独創的な音楽性が際立つ本作を聴いて、新たな音楽表現の領域をそこに見た。鈍器で殴られたような衝撃を覚えるのは、音楽を聴くうえで1種の快感でもあることを再確認した。これからも彼らの創り出す音楽によって切り開かれていく未知の可能性に殴られ続け、かつて「夜行」を聴いた時のように涙を流したい。

④坂本真綾『You Can’t Catch Me』(2011)

学生時代、様々な軋轢に押し潰されて精神が不安定になっていた頃、よく坂本真綾の歌を聴いていた。彼女の歌声はいつも、何にも邪魔されることなく私の耳まですっと届き、こんがらがっていた私の心を解きほぐしてくれた。いわば、私にとって彼女の歌はお守りのようなものだった。

中でも穏やかで羽毛に包まれたような心地を覚える「ゼロとイチ」「みずうみ」「ムーンライト(または“きみが眠るための音楽”)」は特にお気に入りで、何度も繰り返し聴いた記憶がある。

彼女の歌声には確かに、強く生きるためのエッセンスがちゃんとあるのだけれど、それを他者に伝える時、どんな風に伝えればいいか、どんな言葉で語りかければいいかを真摯に考えている丁寧さが伝わってきて、だからこそ私は傷ついた心を彼女の歌で癒そうとしていたのだと思う。今でも心がささめいたときには、このアルバムを聴くようにしている。

⑤King Gnu『CEREMONY』(2020)

なんといっても「白日」の衝撃が大きかった。この曲から、彼らの描く「諦観」が好きになった。人生をある程度生きていると、どこかで人々や自分自身を俯瞰する瞬間というのが訪れて、その時に感じる浮遊感に似たものが、「白日」には音となって立ち現れていた。

人生を劇に例え、自分だけに1点のスポットライトが当たる美しさ。舞台袖に放置された大道具たちの虚しさ。全ての感情をこのアルバムごと抱きしめたくなる。人間は寂しくて、だからこそ1人では生きられない。

「壇上」で歌われる独白と、寂寥感を彷彿とさせるストリングスが沁みる夜を愛せるようになりたい。人生の舞台に立つのは怖いけれど、それでも生きていかなければならないから、言い聞かせるように何度も『CEREMONY』を聴く。

⑥鬼束ちひろ『Tiny Screams』(2017)

音楽を聴くという行為は、自分自身を晒け出して、音楽を生きさせることだと、このライブアルバムを聴く度に思う。鬼束ちひろという1人の人間から揮発していく魂の色を、匂いを、熱を、このライブバージョンの「月光」から全身全霊で感じる時、私は確かにライブ会場で彼女が身をかがめながらえずくように歌う姿を観ている。声の掠れも、ビブラートも、わずかな音程のブレも許さない完全なピッチも、全てが鼓膜を通して私の心臓を貫いていく。そこに残るのは感情が燃えたあとの残滓だ。

それを見つめながら、月の光のみに照らされる密やかなものたちを思う時間に耽る。そういう時間が、生きていくうえでは必要不可欠だ。コロナ禍が静まったら、またライブに行きたいと強く思わせた作品。

⑦菅田将暉『PLAY』(2018)

菅田将暉という俳優が好きだ。彼はいつでも自然体で、さまざまな人間の人生をなぞることを生業にしながら、限りなく自分の人生そのものを真ん中に据え置いて生きている。

『PLAY』を聴くと、おかしな話ではあるが、風呂に入る前に脱衣所で不器用に下着を脱いでいる時の彼を想像してしまう。それほど彼のプライベートな、取るに足らない瞬間ばかりを細切れにショートフィルムにしたような映像作品を観ている気持ちになる。

本作はそれだけ彼のパーソナルな部分に根差した作品であり、このアルバムこそが人間・菅田将暉なのだ、という気がしている。特に好きなのは「台詞」という曲だ。女に振られた男が主人公なのだが、‘‘でもすぐに帰って自慰なんて 俺は人間失格さ ’’という部分が、まさにその「脱衣所シーン」なのだ。

⑧中川翔子『Big☆Bang!!!』(2008)

高校時代の限りある青春を、私は中川翔子というアイドルに捧げていた。やりたいことはあってもどこか不完全燃焼のまま終わり、自分というアイデンティティを上手く確立できなかった私にとって、「貪欲」という言葉を人生のスローガンに掲げて生きる彼女の生き様はあまりにも眩しくて、どんな時も好きなものに対して全力で、瞳を星のように輝かせて生きる彼女が大好きだった。

そんな彼女の1stアルバムである本作は擦り傷だらけになるまで聴き込んだし、他のシングルも全て揃えた。ライブにも足を運び、人生初の握手会にも参加した。彼女にまつわる思い出は、到底ここには書ききれないほどあり、多感な時期にここまで誰かに夢中になれたということは、これからの私の人生においても大きな出来事だったように思う。

⑨supercell『Today Is A Beautiful Day』(2011)

前述の『Big☆Bang!!!』同様、高校時代に聴き込んでいたアルバムのうちの1つ。「メルト」「ワールドイズマイン」などで伝説的ヒットを飛ばしたsupercellの作り出す音楽はキャッチーかつエモーショナルで、当時のボカロ界に大きな功績を残した。学校の帰りに寄ったカラオケでは、ドリンクバーで作った特製ミックスジュースを飲みながら「ロックンロールなんですの」を熱唱していた。

有限の中で乱反射する、絵に描いたような青春時代を送れたのはまごうことなくsupercellがいてくれたからだと、大人になった今、当時を思い出してしみじみと感じ入っている。あの頃何よりも大切だったのは、音楽とともにあった青春だった。

安藤エヌ