暗がりを彷徨う「迷子のソウル」たちへ──ピクサーが送る愛に満ちた人間讃歌『ソウルフル・ワールド』

暗がりを彷徨う「迷子のソウル」たちへ──ピクサーが送る愛に満ちた人間讃歌『ソウルフル・ワールド』

ピクサーの映画『ソウルフル・ワールド』が心に刺さって忘れられない。

彼らが創る作品は良い意味で常軌を逸していて、凡人が思いつく範疇を超えたあっと言わせるストーリーテリングと確かな映像技術で毎回観客を楽しませてくれる。本作が配信のみであることは残念だと思いながらも、家のテレビでじっくりと鑑賞した所……結論は「なんだ、これ」だった。もちろん、良い意味でだ。これは、もしかするととんでもない名作なのではないか。『ソウルフル・ワールド』という作品が観られた人生に感謝したいと本気で思った。

というのも、私はうつ病(正確には別の病名だが)になってもうすぐ10年が経とうとしている。10年ともなると、この病気とはもはや旧来の友達のような気がしてくる。この映画で言う所の「ソウル」──魂が突如として病み、過去にはどす黒く濁って死ぬことも考えていたくらいの──「うつ」との付き合いはもはや経年のおかげで手慣れたものになってきている。

本稿を通して伝えたいのは、もし私と同じように苦しんでいる人がいたなら、その全てを取り払うことの保証はできないけれど、この映画を観てみると何か気付きが得られるかもしれない、ということだ。無理強いはしないけれど、できれば騙されたと思って観てみてほしい。心からそう伝えたくてたまらなくなったから、今この文章を書いている。

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まず映画の軽いあらすじを紹介する。主人公のジョーはジャズ・ピアニスト志望だが、現実は中学校の音楽教諭という、どことなく冴えない人物。元教え子からの誘いで、ジャズ・カルテットにピアノで参加できることになり、夢が叶ったと喜ぶ。しかし、有頂天になっていた所を道路にあったマンホールに落下し、思いがけず死後の世界へと行ってしまう。

魂(ソウル)が生まれる前の世界へと迷い込んだジョーは、ソウルを地上へ導く役割としてこれまで地上に行くのを何度も拒んできた問題児、22番と出会う。22番に必要な「生まれる前に見つけるきらめき」を探し、地上への通行証を使って元の世界に戻ろうと企むジョーだが、22番は想像以上に厄介で、事態は思わぬ方向に転がりだす。果たしてジョーは元の世界に、22番は無事地上に生まれることができるのか──。

現実とスピリチュアルな世界が交錯する世界観が目を引くのはもちろん、2つの世界を軸に訴えかけてくるメッセージ(これについては後述する)に、観客は今一度自分の生きている世界を見つめ直し、生きている意味について考えるきっかけを与えられる。

本作において、私がうつ病持ちの人間として目を見張ったシーンがある。それは「迷子のソウル」という概念が登場した時だ。

地上で生きる意味を見失ってしまい広大な砂漠で、黒い物体「迷子のソウル」があてもなく暗闇を彷徨うシーンを観て、「私も何度か迷子のソウルになったことがある」と思った。ダイレクトに「これは昔の私だ」と思ったのだ。

地上という世界で心を病み、あてもなくただ下を向いて歩く姿は、寸分なく過去の私と一致した。そして彼らを救うのは、大きな船に乗った瞑想でスピリチュアルな世界へと魂を飛ばした人間たち。ボンゴを歌い、迷子のソウルの周りで踊り、彼らを闇から解き放ち救い出す。「病んだ人間を救済する」という展開をアニメ映画に落とし込む脚本のテクニックにも驚きを隠さざるをえないのだが、やはり「迷子のソウル」というモチーフ自体、ピクサーでしか描けないユーモアと真面目さの完璧なる融合だと感じた。

ピクサーは正真正銘、冗談抜きに、大真面目に、病める人間の心の内を描こうとしている。その気概をカートゥーン的なコミカルさの溢れるアニメーション映画として表現できるのは、おそらくピクサーだけだ。そういう意味で、私はこのスタジオを心から尊敬しているのである。

ぜひ実際に本作を観てもらいたいので詳しくは書かないが、この「救済」というポイントについて、ピクサーは見事なまでのシナリオをもう1つ用意している。22番とジョーに関わるそのシーンで、私は「そう来たか!」と思わず膝を叩いてしまった。心を傷を負ったことがある人間が観るうえで、これほどまでに納得のいく描写を盛り込んできたか、という驚きと共感に心が揺さぶられた。そして、映画全体が伝えようとしているメッセージ──生きる意味とは、何かを成し遂げることではない──という考えに、全てが納得のいく形で収束していくラストは虚飾抜きに素晴らしい、と拍手を送りたくなる。

この映画で私は「生きる意味に明確な目標や意味を見出す必要はない。ただ生きているだけで、世界は輝いて見える」ということに改めて気付き、長年そうやって生きてこられなかった自分の後ろ姿を見ているような気持ちになり、もう少し楽に、力を抜いて生きてもいいんだ、とその背中に語りかけることができたのだ。

何ら小難しいことや教訓めいたことを言わずして作品の真髄に到達しているという点で、私は今もどこかで苦しんでいる沢山の「迷子のソウル」に本作を観てほしいと願いたくなった。難しい言葉で形容せずとも、こんなにも優しく人を導くことが可能なのだと、ピクサーはまたしてもアニメーションの新たな可能性を見せてくれた。

映画を1本観るのも辛く、何を言われても響かない人はもちろんいると思う。ただ『ソウルフル・ワールド』が、心に乗っていた重たい石を退けてくれたと思う人間も確かに存在するのだということを、本稿をもって伝えたい。

見落としていた世界の美しさに気付くということ──それは、きっと人生において素晴らしい経験になるはずだ。

安藤エヌ