詩が題材の『パターソン』ほか、「読む」映画で触れる印象的な言葉たち
ライターという仕事をしていると、人一倍に「言葉」というものに対して敏感になる。言葉は良くも悪くも力を持ったものであり、その力は人が思う以上に大きく、偉大である。そして、時に映画をはじめとした芸術に込められた真の意味を担うことにもなる。 本稿では、そんな映画作品たちの劇中に登場した印象的な言葉をピックアップし、作品への考えを深める試みをしてみたい。
作品の真髄に迫る「詩」──『ジョジョ・ラビット』(2020)
まずは2020年に公開され、こちらの記事でもその素晴らしさを力説した映画『ジョジョ・ラビット』から。
本作は第二次世界大戦下でナチスが台頭していた時代に生きる少年を主人公にした物語だ。少年・ジョジョはイマジネーション・フレンドであるヒトラーに勇気づけられ、弱気な性格を乗り越えようとする。しかし、ある日家に匿われていたユダヤ人の少女・エルサに出会い、ヒトラーの言うような「人間ならざる悪魔」だと思っていたユダヤ人に対しての意識が次第に変わっていく。

戦況が悪化するにつれ周囲が変化していく中、ジョジョがどう戦争やヒトラーと向き合っていくのかを、コミカル且つハートフルに描いた作品である。
本作における「言葉」の役割を担っているのは、オーストリア出身の詩人・リルケだ。ジョジョがエルサに恋人からの手紙を捏造するシーンにも登場し、またエンドロールの前に映し出される詩を編んだ人物でもある。
〈すべてを経験せよ 美も恐怖も
生き続けよ 絶望が最後ではない〉
リルケは生前、手紙を多く書いたことでも知られている。劇中の手紙に彼の言葉が使われるシーンも、リルケのこういった逸話を元に編み出されたのではないだろうか。
エンドロールの前後に詩や台詞を登場させる映画はほかにもある。2017年公開の映画『グレイテスト・ショーマン』でも、主人公P.T.バーナムの遺した言葉が暗転後のスクリーンに記されるが、それと同じく『ジョジョ・ラビット』のリルケの言葉は、映画全体で伝えるテーマに通じたとても大きな意味を持つものとして使われている。

戦争下という厳しく残酷な世界の中でも、エルサとの出会いで生まれた絆、そして母親ロージーや青少年団の教官クレンツェンドルフなどから与えられた愛を抱えて生きていくことを決意したジョジョ。世界は汚れているがされど美しい、美も恐怖も共存しているのだ、という本作の真髄を表したスローガン的な言葉であることが分かる。
作品が持つ美と醜、恐怖と安らぎというような鏡面で向き合う要素が見事に織り込まれているのを感じてエンドロールを見届けるからこそ、この言葉はなお重みをもって観客の心に響くのだ。
「詩」を通して知る生の尊さ──『パターソン』(2017)
2017年公開の映画『パターソン』も、言葉という題材が深く関わっている作品だ。
日々のルーチンを粛々とこなす1人のバス運転手を主人公としながら、単調な毎日を生きるうえでの輝きを描き出している本作。主人公のパターソンは、バス運転手として働きながら毎日1編ずつ詩を書いている。実在する詩人の作品を引用しているシーンもあり、またタイトルにもなっている「パターソン」はウィリアム・カーロス・ウィリアムという詩人の著作からその名を取っている。

パターソン演じるアダム・ドライバーが詩を朗読するシーンが多くあり、静かな世界観の中で訥々と響く言葉が印象的ともいえる、まさに「読む」映画といえる作品だ。フランク・オハラやエミリー・ディキンソンなど、著名な詩人が大勢関わっている作品なので、今まで詩にあまり興味がなかった観客も、本作を観れば関心が湧いてくることと思う。
一見、変わり映えのないように思える毎日でも、少しずつ何かが変わっていて、その繰り返しの中に私たちは生きている──『パターソン』に登場する言葉たちは、さりげない存在感であるが確かな重みを持ち、私たちに些細な変化の尊さを気づかせてくれるのだ。

長尺で朗読される「詩」に込められた感情──『ビューティフル・ボーイ』(2018)
2018年公開の『ビューティフル・ボーイ』は、スティーブ・カレルとティモシー・シャラメが親子役として主演を務めた映画で、薬物依存症に陥った息子を支え、更生させるために尽くす父親の姿を描いた作品だ。
聡明だった息子が次第に薬物で身も心も崩れていき、暗い影が落ちる表情になっていく様をティモシーが、そんな息子を最後まで信じ、手放さまいとする父親の愛をスティーブ・カレルが熱演し、高い評価を得た。

本作のエンドロールでは、ティモシーが5分15秒にわたり1編の詩を朗読している。作者はチャールズ・ブコウスキーで、「Let It Enfold You」と名付けられた詩だ。
劇中では、大学の講義中にティモシー演じるニックが同じ詩を読み上げるシーンもあり、文壇界の一匹狼とも評されたブコウスキーの生き様に彼が惹きつけられていたことが分かる。「純粋さが愚かだと感じた」と謳う、無骨で荒っぽい言葉は、薬物に手を染めてしまったニックの決して埋まらない心の奥の淋しさと哀しさを表しているといえよう。
先に挙げた『ジョジョ・ラビット』同様、物語が終わりを告げた後に観客に差し出される言葉として、この『ビューティフル・ボーイ』に使われた詩も物語の重要なキーワードとして存在していることは間違いない。愛に包まれながらも過ちを繰り返してしまったニックを演じたティモシーが淡々と、しかし生身の声で読み上げる「Let It Enfold You」に、今までの彼の姿を重ねて心動かされざるをえない、珠玉のエンドロールだ。

映像や音楽だけでなく、言葉がもたらす映画の余韻というのはまた格別なもの。ぜひ、「観る」に加え「読む」という視点を変えた鑑賞体験のお供に、本レビューを活用いただけたらと思う。
安藤エヌ
