BUMP OF CHICKENは神様なんかじゃない

BUMP OF CHICKENは神様なんかじゃない

BUMP OF CHICKENが好きだ。

ぶっきらぼうで、優しくて、温かい。
私が音楽を聴くようになったのは、まだ小学校に上がってすぐの頃、6個上の兄が自室で「Jupiter」を毎夜流していたのを聴いていたからだ。

あれから約16年もの月日が経ち、兄はとっくにバンプを聴かなくなった。現在はもう、ZAZEN BOYSだか、oasisだかを聴いていたような気がする。

そしてまた私も、バンプを聴かなくなった兄のCDラックからアルバムを勝手に引き抜いた頃から大人になり、その間で沢山の音楽に触れた。

オルタナティブ、ボーカロイド、シューゲイザー、テクノポップ…
バンプを聴かされて育った影響なのか、日本語詞に拘りを持つようになった。周囲の同級生が聴かないようなジャンルやアーティストを聴き漁り、いわゆる「音楽が好きな人」になったし、バンプ以上に応援したいと思える音楽にも出会った。

決してバンプが嫌いになった訳ではない。最初に聴き始めた音楽がバンプだったからこそ、それ以上の音楽に出会えたのだと実感している。
私にとってバンプは“原点”として在るべき音楽だ。だからこそ、私はバンプを自分の中で一番に置くことはしなくなった。

バンプのライブが魅せる景色

相反することを言うようだが、それでも私はまあまあの頻度でバンプのライブに足を運ぶ。
2012年に開催された「GOLD GLIDER TOUR」、次ぐ翌年2013年のQVCマリンフィールドで開催されたベストアルバムリリースライブ、2014年の「WILLPOLIS」、少し間が空いて2017年開催の「PATHFINDER」、そして、今年7月12日にメットライフドームで行われたツアー「aurora ark」にも参加した。

バンプのライブは、毎回その熱量に終始圧倒されてしまうせいで、正直あまり覚えていない。
あの頃、まだ幼いながら「かっこいい」と感じていた歌を唄う人が目の前にいて、こんな私に対して「ありがとう」「愛してるよ」と言っている。
もちろん、バンプのメンバーは私の存在なんて知る由もないのだが、それでも彼らは「お前に向けて歌っているんだよ!」と言ってくれる。

そんな彼らの不器用な優しさに触れ、私はバンプのライブに行くと必ず泣いてしまうのだ。

「どれが好き」とは言えないけど

“いろんな世界を覗く度に いろんなことが恥ずかしくなった
子どものままじゃみっともないからと 爪先で立つ本当のガキだ”
(真っ赤な空を見ただろうか)

これは私のように長年彼らの音楽に救われてきた人なら“あるある話”かもしれないが、バンプの曲で何が好きかを聞かれて、すぐにこれが好きだと答えるのは不可能だ。

しかし、この「真っ赤な空を見ただろうか」は、私自身のことを指差して言われているようで、また正しい位置に軌道修正されているような気分になる。

“美しくなんかなくて 優しくもできなくて
それでも呼吸が続くことは 許されるだろうか”(ギルド)

音楽家として名を馳せたバンプが、「美しくなんかなくて」「優しくもできなくて」と歌っている。もはや違和感さえ感じるだろう。
しかも、誰も彼らの存在を否定しないのに「呼吸が続くことは許されるだろうか」と訴えている。

“失うものはないとかかっこいいこと言えたらいいよな
本気で迷って必死にヘラヘラしてる”(望遠のマーチ)

同じ“人間”としての悩みや苦しみ、生きることへの恐怖心を、ここまで赤裸々に歌うアーティストが他にいるのだろうか。

また「ハンマーソングと痛みの塔」という楽曲では、
“そうかこれでもまだ足りないのか” とそれまで積み上げていたものを“下から順にダルマ落とし”していく。
“皆アンタと話したいんだ” と言われ、“同じ高さまで降りて”くる。

この曲は私が思うに、彼ら自身を表しているのだと思う。
上に上にと登っていくばかりでは、心細さや寂しさが募る上に、周りに誰もいない状況で誰かを救える訳がない。

そのことに気付いた彼らは地上に降り、私たちと同じ目線で言葉を紡ぐ。
その方が彼らにとって心地良く、ライブの度にvo.藤原が口にする「俺たちは繋がっているから」「いつでもそばにいることを忘れないで欲しい」という言葉の証拠であり理由なのではないだろうか。

「いつでもそばにいる」ということ

バンプは私たちの弱い部分を励まし、癒してくれるメシアのような存在だ。
でもそれ以前に、彼ら自身も同じように感情を持ち、幾度となく苦しんできた人間だということを忘れてはいけない。

だって、彼らは“へなちょこバンド”だから。
“僕らを結ぶリボンは 解けない訳じゃない 結んできたんだ”(リボン)と藤原が歌う通り、彼らは神様でもなんでもない、ごく近いところで私たちと繋がり、これからも一緒に歩んでいくのだ。

せきね