「ゲスの極み乙女。」の初期が好きだ

「ゲスの極み乙女。」の初期が好きだ

ゲスの極み乙女。が好きだと言うと、たいてい「あ~はいはい川谷絵音ね」というような、なんともぬるい温度感のレスポンスをされる。

…いや、川谷絵音だからなんなんだよ。

不倫騒動?エゴではなく、割とどうでもいい。
何故なら私が今ここで話しているのは、「人間性」ではなく「音楽性」だから。

2010年に結成し、現在も活動を続けている、彼のもうひとつのバンド・Indigo la Endも好きだ。緑の少女、渚にて、sweet spider、私はどうも初期の頃の曲にお気に入りを見出す癖があるらしい。が
、どれも心底素晴らしい作品だと思っている。

しかし、ゲスの極み乙女。は、どのバンドやジャンルにも属さない、突出した色の表現力を持っている。

今から6年前、当時高校1年生の私は、軽音楽部の先輩と共通の音楽の話で度々盛り上がっていた。
「もしかしたら、せきねちゃんこういうのが好きだと思うよ」
先輩がそう言って白地に黒いイラストが描かれたジャケットのCDをバックから取り出し、部室のテーブルに置く。

それがゲスの極み乙女。の歴史が始まる合図となった、1stミニアルバム「ドレスの脱ぎ方」だった。


私は先輩から借りたそのCDを自宅に持ち帰り、すぐに聴いた。
あまり人から勧められたものでコレだと嵌った経験の少ない私だが、ゲスの極み乙女。に関しては、「ドレスの脱ぎ方」の1曲目に収録されている「ぶらっくパレード」を聴いた瞬間から鳥肌が立つような、不穏なざわめきが自分の中で起こっていた。

少し狂った、歪な音。
白でもグレーでも間に合わない、黒々とした渦を巻く感情の吐露。
“本当なら あんたら最悪ですね と目と目で言い合いたい”
このワンフレーズが、捻くれ者の当時の私に酷く突き刺さった。

「ドレスの脱ぎ方」は最後「ドレスを脱げ」という曲で締めくくる。


この曲は最後、メンバーがそれぞれのキャラを演じながら、互いに会話をする様子が音源の中に残っている。簡潔に言うと、ドレスを脱ぐとか脱がないとか、早く脱げとか、そういう下世話な会話だ。

しかし、一息ついて、ドレスを脱ぐことを命じられているドラムのほな・いこかがこう言う。

“「でも、今、自分で脱ぐときが来たのよ。」”

これは想定内か、それとも想定外か。
この歌詞を書いた人は、どれ程この世の中に一種の気持ち悪さを感じているのだろう。
どうしてこんな歌詞を、赤裸々な感情の告白を、流暢に歌うことができるのだろう。

そしてこの「ドレスを脱ぐ」という宣言。
「自分の殻を破る」でも「壁を取り壊す」でもないのは、ゲスの極み乙女。がそれまで素性を明かさずに「ぶらっくパレード」を作り、最後の最後で「脱いでやるから覚悟しなさいよ」という戦闘態勢に入った、ということではないのか。

その予想が的中したのか、ゲスの極み乙女。はこの作品を皮切りにして間髪入れずに作品を発表し続ける。

「ドレスを脱げ」と同じ年に発表された2ndミニアルバム「踊れないなら、ゲスになってしまえよ」。


「ぶらっくパレード」でもはや何者かも分からない、白と黒のジャケットも相まって一種の怖ろしささえ感じていた摩訶不思議なバンドが、それまで身に纏っていた「ドレス」を脱いでその全貌が明らかになった。

「ドレスを脱げ」から約10ヶ月。ここまでクオリティを上げた作品を発表するバンドに、6年経った今でも私は出会った経験がない。

一曲目の「キラーボール」。約5分間の楽曲の中に、これでもかというほど言葉が散りばめられている楽曲だが、その淡々とした語り口調の歌い方の割に、ギャップのないサビの切り替えが心地好い。

“そう何回でも言ってやるよ 君の中で踊る黒いもの”

ほら出た。やはり彼らには、人間の持つ黒い感情に狙いを定めてどっぷりと浸かり、引き出したい欲がある。

かと思えば「餅ガール」「jajaumasan」ではクレイジーでユーモアのある楽曲で聴く者の耳を楽しませ、「スレッドダンス」「ハツミ」は反対に、スローで美しい旋律に思わず聴き惚れてしまう。

そして翌年の3ndミニアルバム「みんなノーマル」でついにその才能は爆発。楽曲、歌詞、歌ともに、ゲスの極み乙女。というひとつのジャンルを確立させることになる。


複雑な感情がひとつの楽曲内に混在する「パラレルスペック」はCMのタイアップに抜擢。


中途半端に届いてくれない感情を歌った「サカナの心」、誰もが同じ方向を向くことに嫌気が差したことを嘆く「ノーマルアタマ」。

「ドレスを脱げ」からは明らかな成長が見られることは確かなのに、
何故だか「ドレスを脱げ」から変わらない一貫性を感じる。

黒の中に生まれた初期衝動の軸はブレない、揺るがない。そういうことなのだろうか。

これ以降も、ゲスの極み乙女。という名を一躍世に知らしめた「私以外私じゃないの」「ロマンスがありあまる」等の名曲を生み出すことになるが、本記事ではゲスの極み乙女。と出会うことで受けた衝撃にフォーカスを当てたいので割愛する。

また、これまで紹介した作品の中には
“あんた”“お前”“アイツ”
“言ってやる”“気に入らない”“踊れ”
といった、愛嬌のない表現の歌詞が圧倒的に多い。

私はこの部分も初期・ゲスの極み乙女。の魅力のひとつだと感じており、
あえて「お邪魔します」を言わず「ちょっとごめんな」と初対面の相手の前で失礼に胡坐をかくことで、「俺がこうしてるんだからお前も好き勝手したらいいだろ」という解放を与えているのだと感じている。

そして「あ~、そういう感じ?」とゲスの極み乙女。を理解した私たちは一斉に交差点で胡坐をかき、雑魚寝をし、時に踊り、時に泣く。

そのような生きる上での自由をもたらしてくれるバンドだからこそ、当時高校生の私はゲスの極み乙女。に惹かれたのだと思う。

ゲスの極み乙女。に偏見のある人は、偏見が生まれる前の楽曲を中心に聴いてみてはいかがだろうか。
今でこそ国内のトップアーティストとして活躍を続ける彼らだが、まるでブラックホールに投げ込まれるかのような初期の楽曲は一度聴いてみる価値があることを断言する。

せきね