青春の全てを捧げたバンド・「キュウソネコカミ」について

青春の全てを捧げたバンド・「キュウソネコカミ」について

高校時代の三年間、私は「キュウソネコカミ」というバンドがとても好きだった。

「キュウソネコカミ」とは、「窮鼠猫を噛む」という諺が語源となって付けられたバンド名だ。関西大学の冴えない軽音部員たちが”現代の音楽シーンに噛み付いてやる!”というパンクロック精神で始めた、という結成秘話が何とも馬鹿で愛おしく感じ、当時15歳の私はいつの間にか彼らに心奪われていったのだ。

キュウソネコカミ(以下:キュウソ)を初めて生で観たのは、忘れもしない2014年1月25日、今から約6年前の渋谷クラブクアトロ。

その時はちょうど「サブカル女子」のMVがツイッターでバズり始めていた頃で、”ブログはお菓子祭り””細美武士好き””黒髪ボブヘア伊達メガネ”などのいわゆる『サブカル女子あるある』に当時誰もが頷き、また私も自分の身なりや行動を省みて「これ私じゃん!」などと勝手に自分で自分にサブカル女子認定をして自己陶酔したものだ。

高校時代の私は、根暗ながらも見た目だけはライブキッズのそれで、当日は誕生日に買ってもらった赤いディッキーズパンツ、黒いコンバースのスニーカー、それから先行物販で購入したTシャツといった格好をして会場に足を運んだ。
今でこそ10代の女子が多い印象だが、当時のキュウソのライブは、屈強そうなガタイの良い男性が多かった。その中をくぐり抜けてなんとか前の方のスペースを確保したのだけど、ライブが始まった直後、すぐに私はその位置まで来てしまったことを後悔した。
Vo.ヤマサキセイヤの「渋谷クアトロ、かなり床が揺れるらしなあ。いきなり揺らしてみてもいいですかァ!?」という掛け声と同時に始まった”ネコ踊る”で、私は男たちのモッシュの波に揉まれて潰され、初めて”キュウソネコカミ”というバンドの洗礼を受けたのだ。

文字通り「ボロボロになって」終えた初の生キュウソ。正直、自分の身長ではメンバーはほとんど見えなかったし、身を守ることに必死で”楽しい”よりも”怖い”という気持ちの方が強かった。
でも、(今もやっているのか分からないけれど)「社会のしがらみ」という、ヤマサキセイヤが社会に対する日頃の鬱憤を油性マジックで段ボールに書いて、それを読み上げたのちに段ボールを観客側に投げ、自身の身を使って飛び込み破壊するというパフォーマンスがあった。そのとき、ヤマサキセイヤによって引き裂かれた段ボールの一片を運良く受け取れたことが、その日唯一の思い出になった。

ちなみにそのときの「しがらみ」は、『居酒屋でバイトしてた頃は、ライブのMCで「生ビール190円で売って出してやるから代わりにライブに来てくれや!」とか言ってたのに、今はそんなことを言わなくても沢山のお客さんがライブに来てくれて、居酒屋のバイトも辞められる状況にいる。正直こんなに有名になれると思ってなかった!』というような、「しがらみ」よりも「感動秘話」に近い内容だった。
「しがらみ」を破壊するヤマサキセイヤが客側に向かってきて、すぐに私はモッシュで倒れて靴紐がほどけ、両膝に大きなアザを作ってしまった。しかし、それでもこの感動秘話が込められた「しがらみ」の一部を回収できたことが嬉しく、今でも大事に実家の引き出しの中に保管している。

クアトロ公演から間もない2014年4月、キュウソネコカミが一気にその名を世に知らしめるきっかけとなった曲「ビビった」が発表された。


「ビビった」のリリースと同時に、キュウソはそれまでに所属していたエキセントリックレコーズを離れ、メジャーレーベルであるビクターエンターテイメントへの移籍が発表された。ーーそれはすなわち、拠点を東京に移し、メジャーバンドとして活動していくということだ。

当時の私はまだ、キュウソネコカミというバンドを知ってから一年も経っていなかった。
しかし、自分が生まれて初めて心奪われたバンドがメジャーデビューするという貴重な体験に、私の全細胞が「キュウソネコカミを好きでいて良かった!」と叫んだ。まさにこちらが”ビビッた”だ。親も神様も信じられなかったけど、このバンドなら信じられる、キュウソネコカミに自分の青春すべてを捧げたい、と心の底から思ったのだ。

「ビビった」はMVのエキストラを、ファンの中から抽選形式で募った。この抽選に運良く当選した私は、キュウソのファン界隈の友達数人と参加し、都内某所にてメンバーと至近距離の空間の中で数時間過ごした。メンバーの方が何倍もテイクを撮って、疲れているのにも関わらず、ヤマサキは何度も冗談を言って和ませたり、Ba.卓郎が「暑くない?大丈夫?」とファンを気遣ったりしていて、改めてこのバンドの温かさを実感した思い出がある。

初めてキュウソを観た渋谷クアトロ公演から、私は取り憑かれたようにキュウソのライブへ足を運んだ。


クアトロの悲惨な思い出に限らず、キュウソのライブでは何度も何度も負傷した。踏まれて蹴られて大きなアザを作っては学校で友達に笑われ、人よりも多く靴を買い換えた。キュウソのライブに行くため・グッズを買うためにバイトをしたし、新譜の発売日にタワレコを回る通称”ドサ回り”に遭遇するために学校をサボったりして、ヤマサキセイヤに「学校サボるのはあかんよ!笑」と怒られたりもした。

DMCC(DMCCとはDespair makes cowards courageous(絶望は臆病者を勇敢にさせる=窮鼠猫を噛むの諺ver.)の略である)”裏”ツアーファイナル・赤坂公演、もう解散してしまったガールズバンド「ねごと」との”タイマン”、バレンタインデーに開催された、豊洲PITでのワンマンライブ。

まだライブ経験が浅かった高校生の私に、キュウソネコカミはロックバンドという存在がこんなにも沢山の景色を観させてくれるバンドであることを教えてくれた。し、神戸市西宮出身の彼らはいつもナチュラルで親しみやすく、愛おしいキャラクターで私を笑顔にさせてくれた。
キュウソのライブに行かなくなるまで、ケガの回数は減らなかった。でも、”キュウソが好き”という人たちとツイッターを介して出会えたこともあり、学校にほとんど友達がおらず根暗だった私は、ライブハウスという場所で『本当の自分』を見つけ、周囲にさらけ出すことができた。

しかも、キュウソは非常に音楽センスが良い。
当時「同期」と言われていたのはゲスの極み乙女。やSHISHAMO、04 Limited Sazabysなどが名を連ね、数々のライブやフェスで被っては記念写真を撮ってSNSに挙げていた。しかし、キュウソ側が主催する対バンツアーになると、彼らはgroup_inouや撃鉄、POLYSICS、SAKANAMON、モーモールルギャバンといったいわゆる「先輩バンド」を多く呼んだのだ。
それに対して彼らの音楽ルーツが垣間見れることを当時の私はとても嬉しく思ったし、POLYSICSやSAKANAMONはキュウソに出会えなければ好きになることすらなかったバンドだ。大好きなバンドであるキュウソを通して、キュウソ以外のバンドと出会えること以上に嬉しいものはきっとない。

また、2015年の豊洲PIT公演では、ヤマサキが敬愛するフジファブリックの「銀河」をアンコールでカバーしたり、VIVA LA ROCK!のスペシャルバンドとしてボーカルを務めた際はBUMP OF CHICKENの「天体観測」を披露したりもしていた。
彼らは常に、自分たちを築き上げた音楽を心底愛していた。だからこそ、私も彼らを、そして離れてしまった今もまた違うバンドを同じ熱量で愛することができているのだろう。彼らなしでは知り得なかったものは、もはや音楽に限った話ではないことは明白だ。

そんな私がキュウソのライブへ行くこと、またキュウソの音楽を聴くことをピタリと止めたのは、高校3年生、18歳になったばかりの頃だった。

進路選択を控え、親から勉強勉強と口煩く言われていたので、そもそもライブに行くために必要なバイトのシフトを思うように入れることができなくなった。それまでライブハウスに充てていた時間は、予備校の自習室で過ごす時間へと変わっていった。
そんな毎日のモチベーションは、もちろんキュウソの音楽を聴いたり、メンバーのSNSをチェックすることだった。が、その度に「会いに行けない」という喪失感を感じてしまうようになり、やがて聴くこと・見ることすらも逃げるように避けていった。そうこうしているうちに、私は大型バンドになってしまったキュウソネコカミよりも、まだライブ頻度が少なく、メディアへの露出もごく僅かしかないようなインディーズバンドを好んで聴くようになった。

2016年、彼らは、もう既にワンマンツアーで各地の大箱を埋められるほどに成長していた。
私が彼らと出会った2013年、ヤマサキセイヤのフォロワーは2万人にも満たなかった。インディーズ時代、”クラブやディスコに怖くて行けぬ”とへっぴり腰で闘っていた5匹のネズミは、少し目を話した隙に”僕は誇れる生き様目指し走るわ”と宣誓し、フォロワー数十万人を抱える存在になっていたのだ。

キュウソネコカミというひとつのバンドに私の青春のすべてを捧げたことは、決して黒歴史などではない。むしろ誇りだ。

彼らはやり抜くことがどんなに美しく、そして楽しいことなのかを、10代の私に身を挺して示してくれた。
メジャーデビュー、CM・アニメタイアップ、Mステ出演。やり抜いた先に見えたものを、ひとつひとつ着実に掴んでいき、また経験値を積んでは得た力で先へ先へと進んだ。

キュウソのライブで私は、ツーステップを踏み、「オーエス!」と叫び、拳を上げ、サークルを作って盆踊りをした。激しいバンドではあったが、メンバーはそのような状況において決して無理強いをしない。ヤマサキが客側に”筋斗雲”を使って降りるときは念入りに周囲をチェックするし、その最中はGt.ヨコタが見守るようにしてサポートする。客側から「この靴誰のですか!?」と声が上がれば、ヤマサキが自分のMCを一度止めて「誰や!あの赤色のニューバランス!」と持ち主に届くまで呼びかける。汗だか涙だかも分からないほど水滴でびっしょりと濡れたTシャツやタオルは、その日の思い出を作っているようで、ああこれが”余韻”なんだなと実感しながら、電車を何度も乗り継ぎ遠い実家まで帰った。

キュウソが一歩ずつ前へ進むたびに、私はキュウソネコカミというバンド自体が大きな背中になっていくのを感じ、今思えばそれが少し「怖かった」のかもしれない。何をやってもダメで、ヘタレで、なのにプライドだけは一丁前に高く持っていて。そんなキュウソと自分を重ねていたからこそ、存在感を増す度に、なんとなく気持ちが離れてしまったのかもしれない。

私はもう、キュウソネコカミのライブに行くことはない、かもしれない。
だが、もちろんバンドを嫌いになった訳ではないし、今でも好きだからこそ、敬愛の意を込めてこの記事を買いている。
キュウソネコカミというバンドが与えてくれた思い出は、きっと一生忘れない。私の高校時代、彼らなりの不恰好なやり方で私の心を奪い、私の青春を見事色鮮やかに彩ってくれた”ロックバンド”なのだから。

P.S.
この記事を書こうと思い立った2020年4月17日。
記憶をたどる為に昔使っていたツイッターアカウントを久々にのぞき、検索窓に「@アカウント名 セイヤさん」で検索すると、偶然ヤマサキセイヤが33回目の誕生日を迎える日であることに気付いた。

キュウソネコカミに出会った6年前、ヤマサキセイヤは逆算して27歳。しばらく見ないうちに、私のヒーローは三十路過ぎのおじさんになってしまったようだ。
私が出会った最初の愛しいスーパーヒーロー、誕生日おめでとう。

せきね