時代に蔓延る苦悩を破壊するダダイスト──ELLEGARDEN『The End of Yesterday』

時代に蔓延る苦悩を破壊するダダイスト──ELLEGARDEN『The End of Yesterday』

ELLEGARDENのニュー・アルバム『The End of Yesterday』が12月21日にリリースされた。前作『ELEVEN FIRE CRACKERS』(2006)から16年振りのアルバムとなる。

ELLEGARDENは1998年に結成され、2008年に新木場STUDIO COASTでのライブをもって活動休止。2018年に行われた3都市でのツアー(『ELLEGARDEN THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018』)を起点に復活を果たす。活動休止の間にもメンバー個々の活動は旺盛で、細美はthe HIATUSやMONOEYES、生形はNothing’s Carved In Stone、高田はMAYKIDZ、高橋はPAMとそれぞれが様々な形態で音楽活動を継続していた。しかし、それでもELLEGARDENは終わらなかった。彼らは新作を提げて帰ってきたのだ。今作は先行配信曲「Mountain Top」(M1)、「Strawberry Margarita」(M4)を含む全11曲。レコーディングは全てアメリカのロサンゼルスにて行われ、最先端のUSロック・サウンドを手掛けるプロデューサー/エンジニアのZakk Cervini、Robbie Hiserと共に制作された。新鮮な息吹が吹き荒れる傑作アルバムとなっている。

酷い時代に生きる我々の抱く虚無を打ち砕く 

ELLEGARDENはダダイストだと思っていた。「私」のこれまでの音楽的経験の全てを否定し、これまで蓄積してきた全ての音楽的感動を壊して、音楽の有り様を無意味なものした。そのおかげで音楽そのものが彼らになった。つまり誰もが彼らの虜になったのだ。私的なことを言えば、16年前に出たアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』は、新宿駅南口すぐそばのタワーレコードで、その当時、付き合っていた彼女の誕生日プレゼントとして買った。2006年には彼女とASIAN KUNG-FU GENERATION主催の『NANO-MUGEN FES.』にだって行ったことも覚えている。その時披露された『RIOT ON THE GRILL』(2005)収録の「Marry Me」(M4)をバンドと一緒に歌って(別に結婚してくださいという意味の歌ではないけれど)、2人で笑い合ってこのままどこかへ行けると信じていた。遠い惑星の彼方まで。

 

しかし全ては違った。信用や愛なんて嘘だと思った。私は知っている。彼女が高田馬場にあるカラオケ館の8階のトイレ(!)で学校の友達とキスしていたことを。そんなことで罵り合ったからギスギスした別れになってしまったんだろうか? もし彼女と再び会うことがあったなら、今だったら私たちはあの時のように笑い合うことができるかもしれない。「そんなこともあったね」なんて言い合って。あるいは、彼女はすごく立派な母親になっているかもしれない。16年というのはそういう位相にしてしまう磁場を生むわけだ。時代は移り変わり、時は巡り、季節は変わり続ける。趣味嗜好は変質し、元号だって変わったのだ。けれど、どこにでもある喪失と、そこにしかない喪失と、ここにもある喪失は時代に流されず現代に根付いているし、だからこそ彼らはいつだって目の前にいた。作品も彼らの存在も時代に刻印されていたのだ。

私の頭をぶっ飛ばした『BRING YOUR BOARD!!』(2003)収録の「金星」(M10)のような曲も、ひょっとしたら彼らの存在さえ知らない彼女の子供にだって受け継がれているかもしれない。だからこそ、彼らがさらなる重力を獲得して「ここ」に帰ってきたのは必然だと思う。相変わらず時代は沈殿している。ひょっとしたらもっと暗くて絶望的かもしれない。そんな酷い時代に生きる我々の抱く虚無を打ち砕く。今だって彼らはダダイストとして確かな存在感を音楽シーンに残しているのだ。

今にしか鳴らされない曲群

このアルバムは今にしか鳴らされない曲群で成立しているし、前作にあった刺々しい感じや切迫感のある音は、現代のアメリカのモダンなロック・サウンドに変貌を遂げた。SZAが先日リリースした5年半振りとなるアルバム『SOS』の「F2F」(M13)みたいな、最高にご機嫌な曲とピッタリ重なり合う程の音の定位や声の質感にも通じている。

プロダクションは時代の最先端で、全ての楽器の音が平等に鳴らされている。まさに2022年の音だけれど、彼らの特質である、もうあの時に戻れない悲しみの感覚と、あと数センチ先に進めるような胸が湧く感覚はずっと変わらないと思う。細美の声は伸びやかだし、歌詞に内在する思想はクリアな音に押し出されていて、彼らにしか成し得ない高みに達していてブレない。彼らは就職氷河期世代のデスパレートな感覚と、それ以降は何も得られないというアパシーを鳴らし続けてきた。それらは更に若い世代にも受け継がれているはずだ。「Mountain Top」(M1)で〈皆もうどこかへ行ってしまったみたいだ〉という歌詞には、この時代になっても誰もがずっと1人ぼっちだという感覚を伝えている。彼らは混迷する時代に放り投げられて戸惑う私たちに「大丈夫」と背中を押して励ます宣教師でもあり続けている。

「Mountain Top」(M1)は、ギターのノイズが鳴り響いた瞬間に、「今、ここにいる」という感覚に襲われる。幻想ではない現実の共同体の中にいるような高揚感を味わえる。「私」だけではない「あなた」がいる。疾走感を抑えながら、淡々と綴っていく日記のような構成は、〈Get back〉と歌われる所からガラリと変わって、心の純粋な昂りを自身の内に感じられるようになる。「Breathing」(M2)は、短いギター・リフとタメの効いた手数の多いドラムが絡む曲だが、フックの所で腹の底に沈んだようなギターが鳴っているのが彼ららしいと思う。ロックやパンクやエモだけでは測れない何か、ELLEGARDENでしか鳴らせない音や心の疼きが蠢いている。〈元々持ってなかったものを捨てるのは悪くないぜ〉という歌詞の最終行におけるメタファーは、バンドの存在基盤を指し示しているように感じられる。

「ダークファンタジー」(M3)は、軽快なアコギのストロークからダークになっていく日本語詞の曲で、細美が日本語で歌う時は、シュルレアリスム的な自身の無意識から引っ張ってきたような抒情的な感性の言葉と、日本語的なリズムを壊した独特な発語手法に特徴がある気がするけれど、それ以上に〈素敵な夢を見よう/また目が覚めるまで〉という詩句には心を慰撫する感覚があって新鮮だった。まるで父親が子供をあやすような曲でもある。その曲のタイトルが「ダークファンタジー」という所が絶妙な皮肉が効いてスパイスにもなっている。「Strawberry Margarita」(M4)は、疾走感はあるけれど、重さよりもある種の浮力を感じさせる。出だしに〈この夏が楽しくなるような刺激が何もない/新しいおもちゃを探しに別の街に向かおうとしてる〉とあって、「どこかに行かなくちゃ」というロック的な思想が内省をくぐり抜けて感性豊かな具体性を帯びて歌詞の物語に厚みを加えている。

「Bonnie and Clyde」(M5)は、とてもポップな曲で爽やかさがあって、前の曲からの続編のような趣がある。今作は夏をテーマにした曲が多いけれど、暑い日差しの中で踠いては消えていく人間の心の有り様がカラフルな輪郭を持って浮かび上がる。「瓶に入れた手紙」(M6)も日本語の歌詞で、〈半世紀ぶりに窓を開ける〉という極めて私的な歌詞が、世界の本質を覆っていく様は、彼らならではの表現だと思う。甘くて切ないメロディはどの曲にも通底しているけれど、ゴリゴリと前面に出ることはなく、リスナーの感覚を浮遊させながら、曲全体の主張が可能な限りリアリズムの地平に落ち着いて地面の役割を果たしてくれる。いわば、私たちの心の行き場所がきちんと明示されて破綻がない。更に、これまでにあった彼らが楽曲に投影しようとする宇宙的な拡大は主張を超えて、リスナーを抱合する優しさに変質している気がする。

「Firestarter Song」(M7)は、彼らしいパンキッシュな曲だけどBPMは速くないし重くない。幾分ダンサブルでもある。今作の彼らは人間に内在している軽さや弱さを正直に見つめている。それを断罪するわけでもない。そこにあるのは人間存在そのもののほのかな肯定だ。「チーズケーキ・ファクトリー」(M8)は、彼ららしい食べ物を媒介にした「私」と「あなた」の関係性を歌う曲で、食べ物というメディウムがなければ人間の関係なんてあっという間に壊れてしまうという比喩だと思うけれど、それがポジティブでも、ネガティブでもなく、「それが人間の本質」というライトでポップな意識に溢れていることもこれまでにない特質だと思う。肩の力を抜いた軽やかな脱力感が全編に流れている。この曲でのギター・ソロがその象徴だろう。

ELLEGARDENは否定の肯定を揚言する

「10am」(M9)は、彼ららしいロック・ナンバーで、彼らの得意な「時間」を主題にしているけれど、時間の流れを閉ざされた空間に固定化することで、時を止めてしまう──ダリやマグリットの絵画のような静かな佇まいのシュールな曲にもなっている。彼ら世代は、訳もなく奪いさられた大切な感覚や感情を無味乾燥な時代に固定化させられることで、空っぽのまま生きることを余儀なく強いられた世代だった(いわゆるロスト・ジェネレーション)。そこから抜け出そうとする動きと、それを諦めてしまうムーブメントが同時に起こることのカオティックな悲しみや怒りを音と言葉で、我々に何らの解釈を求めることなく伝えているのが彼らの魅力だと思う。それは今でも変わらないし、この曲では、その魅力はむしろ強固になっている。

「Perfect Summer」(M10)は、打ち込みを使ったような曲で、彼らには珍しいと思う。細美の声は澱みなくて、ギターはリズミカルで、ベースがボトムを支えるポップ・ソングだ。〈ねえ、この歌は夏の歌みたいに歌いたい/永遠の歌にしたいんだ〉とここでも繰り返される夏という言葉は、永遠という概念に仮託された瞬間に彼らでしか醸し出せない詩情となって解き放たれ、誰もが抱く夏の淡い記憶に結び付いて人間の存在を余すことなく炙り出す素晴らしい曲になっている。「Goodbye Los Angeles」(M11)は、おそらくレコーディングをしていた時のことを歌ったと思しきボトムのしっかりしたサウンドの曲だ。〈僕がまた昨日の終わりに戻ってくるまで〉という歌詞にある、昨日の終わりという瞬間には二度と巡り会えないのに、そこに戻ってきたいという切ない願望が、自己の本質を揺るがしながら、新たな「私」に組み替えさせるパワーを生み出している。「私」という存在を見つめ直すという意味で、このアルバムは彼ら自身をパッケージした私小説に近いと思う。 

かつて詩人の鮎川信夫が綴った「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」という詩句に通じるように、ELLEGARDENは否定の肯定を揚言する。彼らが長い年月をかけてたどり着いた場所は、私たちに内在している極めて私的な場所であり、同時にそれは人間誰しもに分有されるはずの無限に広がる内的な宇宙でもある。「私」の居場所を探すというのは、彼らのテーゼだと思うけれど、それが長い年月をかけて研ぎ澄まされて結晶化した時、それは一つの現実に見える惑星となって夏空に輝き続けている。そうである限り、昨日の終わりは永遠に消えないというイノセントな確信が炸裂している。いわば揺蕩う時間と空間に無我の境地で浮遊しながら新しい世界に巡り合う感覚をもたらしてくれる。

そうして私たちにこれまでの自分への「さよなら」と同時に新たな世界にいる私に対しての「こんにちは」を促してくれる。彼らのこれまでに作ったアルバムは、ダダイスト特有の自身が生きていた時代や社会や文明に対する深刻な疑念と不信を感じさせたけれど、今回はその先にある「何もかもが壊れた故に生じる喪失を受け止める心の強さ」を描いた希望を感じさせる傑作となっているのだ。

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RELEASE INFO

ELLEGARDEN『The End of Yesterday』

トラックリスト:

01.Mountain Top
02.Breathing
03.ダークファンタジー
04.Strawberry Margarita
05.Bonnie and Clyde
06.瓶に入れた手紙
07.Firestarter Song
08.チーズケーキ・ファクトリー
09.10am
10.Perfect Summer
11.Goodbye Los Angeles

竹下 力