一周回って米津玄師の「diorama」を思い出して欲しい

一周回って米津玄師の「diorama」を思い出して欲しい

先に断言しておこう。

私は、このアルバムがとても好きだ。

米津玄師が今まで世に産み落としたアルバムの中で最も好きなディスクであることはもちろん、今までの人生の中でベスト盤を選出するとしたら、間違いなく5本指に入る作品だ。

だが、そんな私の「diorama」に対する愛情とは裏腹に、米津玄師という男は世界中のファンの期待に応え、作品が発表される度に自身をアップグレードしてしまう。

私は今の米津玄師が嫌いという訳ではないし、むしろ彼の声や感性は今でも変わらず好きだ。
しかし、過去の作品がおざなりになるのは、少なくとも私にとってフェアではない。いわゆる「初期厨」のエゴだろうと思われても別にいい。

今回は、兎に角私の「diorama」に寄せる思いを聞いて欲しい。

そもそも米津玄師はなぜ売れたのか

現代の日本のアーティストを語る上で、もはや外すに外せない存在となった米津玄師。
映画やCM、ドラマまで、新曲を出す度にタイアップがなされているんじゃないか?と思うほど立て続けにリリースされているせいで、最近ではもう、わざわざCDやYoutubeで聴かなくても、勝手に耳に入り込んでくる。し、繰り返されるフレーズが多いせいで、嫌でも覚えてしまう。

現在まで米津玄師がリリースした作品の中で、タイアップされている作品がこちら。

(引用:Wikipedia)
アルバム曲の「シンデレラグレイ」(2015年発売「Bremen」収録)までタイアップに抜擢されているのは、それだけ彼の才能と妥協しない姿勢があることを実感させられる。

米津玄師は世間一般から見ると、いきなりメディアに進出してきてドバ―――ン!!!と売れた印象がある。

しかし、実際の「米津玄師」は、元を辿れば顔出しを一切しないボーカロイドPの「ハチ」であり、当時から「マトリョシカ」「パンダヒーロー」「clock lock works」などの刺激的かつ自由な発想の名曲をニコニコ動画内で生み出した、ミリオンヒットキラーだったのだ。

そんな彼がメディアに進出して、自身の曲を自分で歌ってリリースし、瞬く間に日本の音楽シーンの第一線を行くことになるのは、なんら不自然なことではないだろう。

「ハチ」の頃からの古参ファンを引き連れたまま、「米津玄師」として性別や年齢層・さらには国籍までも超えて新しいファンを獲得していくその姿は、まさに鬼才、それ以外に表現の仕様がないのだ。

それでも「diorama」は埋もれてしまう

「米津玄師」名義として2012年にリリースされた1stアルバム、「diorama」は、米津が単独で作詞・作曲、歌や演奏、アートワークを施した素晴らしい作品だ。

かつてハチの名で歴史的再生数を記録した存在を、世に知らせるのに相応しい、名刺ともいうべきアルバムである。

私はこの「diorama」という作品を、心から愛している。
このアルバムは、終始「愛されたい」という少女の叫びを楽曲で表現している。それをこのアルバム内における主人公と捉えてもいいが、この「少女」とは、これから世に進出しようとしている「米津玄師」本人であり、そんな彼の自己顕示欲や承認欲求を爆発させた作品とも捉えることができるだろう。

一曲目の「街」は物語の“序章”のような雰囲気。
次ぐ「ゴーゴー幽霊船」では早速、米津が作る楽曲の特徴ともいうべき複数の音が絡み合い、言葉がそこかしこに散らばり、良い意味での“歪さ”が全面に押し出されている。

“いつも最低な気分さ 君に愛されたいと願っていたい”(「ゴーゴー幽霊船」)

それはこのアルバム内「駄菓子屋商売」「首なし閑古鳥」「心臓放映」にも共通することで、たびたび歌詞中に登場する「あたし(私)」が持つ、幼い故の不安定さと絶妙にマッチしている。

“「いらね」って投げ出して 愛なんかとっくに売れちまって”(「駄菓子屋商売」)
“愛されたいのは悲しくなるから 見つめていたくはないけれど”(「首なし閑古鳥」)

かと思えば、「vivi」や「恋と病熱」「乾涸びたバスひとつ」は、上記の楽曲とは正反対の切ないバラード。

“愛してるよ、ビビ 明日になれば今日の僕らは死んでしまうさ”(「vivi」)
“愛していたいこと 愛されたいこと 棄てられないまま赦しを請う”(「恋と病熱」)

恋に溺れ、自分を見失う少女。そんな背景まで容易に彷彿させるほど、米津の歌詞は儚げで美しく、また、歌詞の世界観を阻害しない、繊細な音作りも印象的だ。

そして最後は「抄本」という曲で締め括る。これは一曲目の「街」が序章やイントロなら、エピローグやアウトロに当たる。

“愛されたい そこらじゅうに散らばった夢のように 細やかな日常だけが残る”(「抄本」)

これを聴き終えた頃、私たちは一本の映画を観たかのような後味が残る。良い映画や小説を観た後の「もう一回再生したい」という“良い意味での消化不良”に陥るのだ。

この頃の米津の楽曲は、時に奇妙で、時に暴力的で、時に胸が詰まる。何も不平不満はないのに逃げ出したくなったり、傘を差さずにわざと雨に打たれて、泣き出したくなったりする。
当時彼がずっと胸に秘めていた複雑で乱雑に散らばった世界を、まるでARのように映し出したのが、この「diorama」という作品なのだ。

「diorama」に米津玄師が託したもの

2012年にリリースされたこの「diorama」という作品は、「ハチ」の余韻を残した状態の「米津玄師」を知ることができる作品だ。

米津玄師は現在、爆発的な人気を誇っており、“どの作品に惹かれたか”は人によってバラバラだ。私のように「diorama」の初期衝動が好きだという人もいれば、2年前にリリースされ、タイアップのついた楽曲が非常に多い「BOOTLEG」が好きな人もいる。

しかし、私個人の意見とすれば、BOOTLEGから好きになった人、現在の米津玄師の楽曲が好きな人にも是非「diorama」を聴いて欲しい。
彼が本名である「米津玄師」としてデビューした当時、どれだけ捻くれた世界観を楽曲に取り込んでいたのかが一番良く分かる作品だからだ。

音と歌詞が繊細かつ複雑に絡み合い、アルバム全体に一貫性を保ちながらも、場面ごとに思い浮かぶ情景が変わり、ユニークで飽きの来ない傑作。まだ聴いたことがない人は、この機会にいかがだろうか。

せきね