16歳の私が見た景色(andymori「16」によせて)

16歳の私が見た景色(andymori「16」によせて)

16歳、私たちは何をしていただろうか。
人によっては、全く覚えていない、若しくは「思い出したくない」という人もいるかもしれない。まだ目の前に広がる景色が今よりも青く澄んで見え、狭い世界の中で葛藤を繰り返し、大人になろうとつま先立ちで立っていた、あの日のことを。

andymoriの「16」という曲を聴くと、私は自分が「16歳」という年齢だったときのことを強く思い出す。

高校1年生。今よりもうんと引っ込み思案で口下手な私は、置かれた環境にうまく溶け込めず、ひっそりと佇むように息をしながら、それでも何かを表現したくて足掻いていた、ような気がする。

“なんでもない日を繰り返し
歌い続けてから幾年が過ぎ
約束ばかりが増えていく
空っぽの空の向こうに”

過保護な家庭に育ち、鬱屈とした感情の遣り場が見つからず、押し黙らせてしまっていたばかりに、私は表面上の「なんでもない」平凡な毎日を過ごしていたのだ。

“どこにも行けない彼女たち
駅の改札を出たり入ったり
変われない明日を許しながら
なんとなく嘘をつくのさ”

「あなたは頭の良い人だから」と言われると、実際そんなことはなくても、なんだかその気になってしまう。真似をすることだけが昔から得意で、時には優等生のお面を被り、時には女子グループの一員のお面を被り、私は半ば染まり切れてない自分を必至に演じていた。そんなもの、すぐに剥がされてしまうことを知りながら。

“16のリズムで空を行く
可愛くなれない性格で
全然違うことを考えながら
優しいんだねって嘘をつくのさ”

16歳は、私の忘れられない親友に出会った年だ。
彼女も私と同じように、環境に合わせて自分を着飾ることに不憫さを感じていて、『顔で笑って心で泣く』という言葉通りの人だった。

16歳は、「周囲と波長を合わせなさい」という教育が義務化されている時期だ。つまり、私や彼女のような少数派の人間にとっては小さな地獄。高い塀を乗り越えて逃げ出そうとするも、あっけなく大人の圧に身を捕らえられてしまう。席順通りの座席に座って、評価は挙手制。やりたいことも見つからず、なんとなく22時の門限だけは守っていた。

“空がこんなにも青すぎると
何もかも捨ててしまいたくなる
空がこんなにも青すぎると
このまま眠ってしまいたい”

自分だけ取り残されているような気分を誘う、晴れの日が嫌だった。

*   *   *

そんな16歳の葛藤も、気付いた頃にはどこかへ流されてしまった。
これから行く先を決めるために必死だった。
私は「優等生」と書かれたお面をまた着けて、黙って自分の道と思しき道に進んだのだ。

大人になり、16歳の頃の親友と久々に会い、盃を交わした。
帰り際、16歳当時はいなかった男の腕に包まりながら「また会おうね」と言い改札に入っていく親友の顔を、私は今でも覚えている。

なぜなら彼女は、この世ではもう会えなくなってしまったのだから。

“16のリズムで空ををいく
昔の誰かに電話して
もらった花をまた枯らしながら
「今度飲もうね」と嘘をつくのさ”

16歳。あの頃私たちはまだ箱の中にいて、届かない青天井に思いを馳せていたのだ。
無理と無茶の違いも分からずに這いつくばって、右と言われればどうしてでも左に行きたかった。
世の中のルール通りに生きることを「ダサい」と勝手な偏見を持って決めつけていた。

私は今22歳で、あの頃想像していたような大人には生憎なれていない。
それが嬉しい誤算なのか、はたまたこれで良かったのかも分からない。でも、16歳というひとつの季節がなければ、今「大人」として生きる私はきっといなかったのだろう。お面は道の途中ですべて置いてきてしまった。あまり好きな言葉ではないが、「自分らしさ」を今の私は獲得しているから。

“祈りを込めて歌うように
神様に会いにいくように
16のリズムで空をいく
明日もずっと空をいくのさ”

私は明日も、その先もずっと生きていく。16歳の私の手に引っ張られながら。

せきね