映画音楽は、登場人物の感情を表すだけでなく、その場の雰囲気や空気を創り出す役割を果たす。そして、音楽そのものが雰囲気や空気を演出する役割に専念するほど、「優れた映画音楽」と称されることがある。
10月6日に公開された映画『アンダーカレント』では、「登場人物の感情をあえて詠わない」映画音楽が作中に漂っている。主人公のかなえは夫の悟と一緒に家業の銭湯を切り盛りしていたが、ある日、悟が突然行方不明に。途方に暮れたかなえは、一時的に銭湯の運営を中断する。しかし、営業を再開すると、銭湯組合から紹介された堀という男性が、働き口を求めて訪れる。堀とかなえは共同生活を始めることになるが、その生活は奇妙な展開を見せる。
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この映画の内容と現代の映画音楽の潮流を結びつけ、独自のアプローチで音楽を制作したのは、 1970年代から日本の音楽シーンを牽引してきた細野晴臣。監督の今泉力哉と役者陣が丁寧に作り上げた演技にそっと寄り添う細野の音楽は、まさに海面下を流れる暗流──アンダーカレントそのものでもある。
細野はこれまでにも多くの映画音楽を手がけてきた。代表作を挙げるなら、『銀河鉄道の夜』（1985）／『パラダイスビュー』（1985）／『メゾン・ド・ヒミコ』（2005）／『グーグーだって猫である』（2008）など、国内外問わず愛される作品ばかりである。今回、今泉監督と細野の音楽制作の中で軸となったのは、登場人物の感情を音楽で表現するのではなく、少ない曲数で映画の雰囲気や環境を演出することだった。これは細野が過去に制作してきた作品とも共通する要素だ。
細野がこれまでに担当した映画音楽の中で、特に多くの観客の目に留まった作品といえば、是枝監督とのコラボレーションによって実現した『万引き家族』の楽曲だろう。『万引き家族』に流れる驚くほど自然な劇伴は、どの楽曲も明確なメロディを持っていない。
例えば、同映画内で流れる「Living Sketch」という曲は、治が工事現場へ向かい、信代がクリーニング店で働く日常が描かれるシーンで使われている様子が映し出される。細やかなピアノの旋律は、美しく繊細に治と信代の「いつもの風景」を縁取っていく。しかし次第にその音程は下降し、どこか仄暗い雰囲気を醸し出す楽曲へと変化していく。さらに、若干の異質さを伴うパーカッションの歪みが、彼らの忙しい日常が「普通」とは異なることを巧妙に表現していた。
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細野の音楽は、感情を過剰に強調せず、登場人物たちの不安な状況を、あくまで自然に反映する。音数を最小限に抑えつつも、物語を際立たせる音の連なり。この細野が持つ映画音楽の真髄は、映画『アンダーカレント』にも受け継がれている。
『アンダーカレント』の公開に先立って実施したインタビューの中で、今泉は「細野晴臣と各楽曲ごとに詳細なメモの交換を行なった」と語っていた。後にこのメモは監督にとって、音楽の制作意図についての重要な手がかりとなる。さらに、映画内で際立つ役割を果たす「鈴の音」は、今泉と共に監督を務めた澤井香織の発想から誕生したそうだ。今泉と彼を取り巻くクリエイターたちが共同で鳴らす「音」は、間違いなくこの作品の大きな魅力の一つだろう。不安、空虚さ、孤独……それらが音として具現化されて、水中にゆっくりと滲み、溶けていく。海の底できらりと光る音の破片を紡いだような楽曲の数々は、叫びでもあり、祈りでもある。中でも特筆すべきは、エンドロールに流れる楽曲だ。
<blockquote><a href="https://musit.net/interview/imaizumi-rikiya-undercurrent" target="_blank" rel="noopener">【インタビュー】映画監督・今泉力哉が細野晴臣と映し出す、『アンダーカレント』に眠る劇伴の美学</a></blockquote>
今泉は、映画『アンダーカレント』の細野晴臣の音楽について次のように述べている。「自分が想像もしなかった曲が上がってきました。エンドロールの曲も、すべてが解決したわけではなく、温かさと寂しさが混在し、不穏さも残っていて、印象的な曲になりました」と。
映画を未見の人にとっては「温かさと寂しさと不穏さが共存する楽曲」と聞いてもイメージが湧かないかもしれない。だが、映画を観た人にとっては、この劇伴をぴたりと表すのにこれ以上ないコメントだろう。内容への言及は避けるが、映画のラストにあったのは、かなえの顛末だけを縁取る音楽ではなく「人間の営み」への賛歌だった。
生活の中に眠る、ほんの少しの温かさを抱えて、私たちは歩き続ける。愛する人が突然いなくなっても、そこに大きな目的がなくても。わだかまりを抱えたまま、日々は続く。そこに分かりやすいメロディなどなくていい。音の海を介して、心の奥底を揺蕩う本音が聞こえる場所があるから。映画『アンダーカレント』は、「そういう場所」なのだ。
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ポストパンクを主に聴いています。毎年苗場で音楽と共に焼死。クラフトビール好きが興じてブルワリー取材を行うこともしばしば。なんでもご用命ください。

星野

映画『アンダーカレント』──暗流に揺蕩う、細野晴臣の映画音楽の真髄

ライブアイドルを観て聴いて推す。余暇はもっぱら映画鑑賞。文章を書いたり編集をしたりしながら、今日も推しアイドルのことを考えています。

すなくじら

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映画『アンダーカレント』──暗流に揺蕩う、細野晴臣の映画音楽の真髄

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