【映画公開記念】フィッシュマンズが紡いだ季節/後編:LONG SEASON

【映画公開記念】フィッシュマンズが紡いだ季節/後編:LONG SEASON

フィッシュマンズというバンドの辿った道のりは決して平坦なものではなかった。しかし彼らは短いなりにも歴史あるキャリアの中で、数々の色褪せない作品を世に残した。そんなバンドの集大成であり、彼らの送ったキャリアを体現するような作品がある。後編では『LONG SEASON』について徹底的に語っていこうと思う。

「SEASON」は『LONG SEASON』へ

1996年、シングル「SEASON」のリリースからちょうど1ヶ月後の10月25日、フィッシュマンズは6枚目のアルバム『LONG SEASON』をリリースする。『LONG SEASON』は35分のアルバムで、彼らのキャリアで最も短いアルバムだ。しかし、そこに収録されるのはタイトルと同名のトラックのみで、当然キャリア最長の1曲となっている。フィッシュマンズ自身はこれを「ワントラック・アルバム」と称した。『LONG SEASON』というタイトル通り、ここで展開するのはシングル「SEASON」の拡大版。そして、このアルバムこそがフィッシュマンズの全てを物語る作品だ。

1枚で1曲のようなアルバム『空中キャンプ』を作ったのち、真に1曲で1枚のアルバムを作ってみよう、と話が進んだという。およそ25年も昔の話だが、当時のファンは、シングル曲「SEASON」が1ヶ月後そのままアルバムになってリリースされていくのをどのように受け入れたのか気になって仕方がない。

リリースされた『LONG SEASON』を聴くや否や、その全能性を痛感する。「SEASON」でこれでもかと巡った永遠の季節の旅すらちっぽけに感じられる。「SEASON」はその美しさと儚さで僕を打ちのめしたが、『LONG SEASON』は美しいでも儚いでもなく、感情の全ての側面を余さず組み上げた<ケルン>だ。

時間なり空間なりを多く費やせばその分描けるものの総量も変わるだろう、だからここまで多面的に感情を揺さぶるものを書くことができるのだ。しかし、ここまで膨大なキャンバスを持て余さずに伝えるだけのものを誰が持っているだろうか。

海外のAll MusicやYouTubeなどのコメントを見ていくと、この大作をピンク・フロイドと比較する声が多い。確かに実験的かつ先進的であるところをプログレッシヴ・ロックに重ねるのは理解がしやすいし、テクニックより構築美、というところでプログレの中でもピンク・フロイドを引き合いに出すのは絶妙だ。

ちなみに僕は、トーク・トークの作りあげた大作アルバムに近い趣があると思っている。80年代、ニューウェーブ・シーンで一際リズミカルだったポップ・バンドから徐々に音響的で荘厳なサウンドへ変遷していったトーク・トークと、バンドブームでダブを武器に飛び出し、音響的な方向へ開花していったフィッシュマンズはキャリアの面でも通ずるところがある。何にせよ、この『LONG SEASON』がこれらの歴史的音楽と同列に語って何の遜色のないアルバムだと明言しておきたい。

起:長い季節を巡るマインド・トリップの始まり

“シーズン”という呟きと水音で『LONG SEASON』は幕を開ける。冒頭の4分強がイントロというと、いたくつまらなさそうに感じるかもしれないが、音楽やら論文やら小説やら、何でも長いもののイントロは全貌を見渡すために設けられた見晴らしの良い丘なので、この眺望を忘れてはいけない。過去そのものにのめり込んでいく思考のように、ゆっくりと旅が始まる。

やがて耳を裂くような鋭いギター・リフが、主人公の心に立ちふさがる陽炎じみたヒロインのように強烈に現れる。そしてミニマルなピアノ・ループ(02:26)が繰り返され始めると、曲はみるみるうちに動き出す。このピアノ・ループは楽曲全体を通じて大きなテーマとなって響き続ける。例えば『エヴァンゲリオン』で言うところの、1話から最後まで続いていく「エヴァに乗れ でなければ帰れ」という葛藤と同じだ。この「乗る/乗らない」の戦いを彷彿とさせるように、鋭いギター・リフとヴァイオリンの旋律が音楽を後押しするのだ。

“夕暮れ時を二人で走っていく”と佐藤の声が響き(04:32)、ヴァイオリンの甘美なメロディー(05:35)と追い合うようにBメロへと進んでいく。HONZIの演奏するこのヴァイオリンのフレーズは、終盤にかけて展開していく曲の中でも変わらず道標として姿を現すことになる。歌メロの構成に違いはほとんどないが、「SEASON」でほのめかされた混沌と狂気が『LONG SEASON』においては角を磨かれた犀のように猛然と包み隠さず迫ってくる。

シングルでは“くちずさむ歌はなんだい?”からサビに向かっていくが(07:22)、『LONG SEASON』ではこのフレーズ自体が前半の歌パートの山場になっている。この詩とシンプルなギターが絡み合いそこに子供のような声のコーラスが押し入ってくる様は、残響を手繰り寄せようとする人のような虚しい美しさがある。ここまでが、旅を出た時点での主人公を現す章と僕は捉えている。

承:不気味に美しく展開する序盤の山

ヴァイオリンのフレーズと共に、旅に出たばかりの主人公を提示する場面は終わる。そしてオルガニートの間奏を挟みながら曲はひとたびスローダウンしながら、これから精神的に変わっていくであろう展開を予感させる。イントロからミニマルなピアノ・ループは変わらず常に続いている。それと共にギター・リフが再び繰り返され(09:24)、物語が動き始めるのは“Get round in the season, Get round in the season”(季節の中をぐるぐると回る)というフレーズからだ。ピアノ・ループに突然オルガニートの音が重なるのだ。そして永遠にしつこく繰り返されるソリッドなギター・リフに不安感が起こる。

やがて16ビートのピアノ・ループは4ビートのものに取って代わられ(11:08)、佐藤の高音のシャウトと共にメロディアスになりつつ序盤の山場を迎える。しかし、ここまで続いていたピアノ・ループはゆっくり記憶の中へ沈み込むよう消えていく(13:34)。

転:いやに孤独的、現実世界の不在

めまぐるしい展開から一変し曲は静かに沈んでいく。踏切や救急車、雨だれ、水滴など、どこか現実世界に実際に存在するものを彷彿とさせるような音で埋め尽くされた3分間が続く(16:07)。しかしこのサンプリングのような(?)音も、このように変質して散りばめられると途端に現実離れした、どこか怖いような景色にもなっていく。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に登場する「第3村」の周囲に漂っていた鉄塔や列車--ではないが、記憶の断片が無意識に積み上げられた不思議な場所になっている。

ここに救いのような恍惚とさせるウィンド・チャイムの音色が響き、物想いに耽っていた旅人は立ち上がるのだろう。ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティス生前最後のシングル「Atmosphere」同様、ぼんやりとした不安の中でハッと気付くような希望に似たウィンド・チャイムの効果は僕の好みだ。そして静かな淵から這い出した時、より力強くなって「SEASON」が奏でられる(16:50)。ウィンド・チャイムの音色に呼応しながらパーカッションのパートに入り、海底的静寂から勢いよく突き上げるように浮上していく。

結:終わりの季節と日常への帰還

力強いドラム・フィル(20:32)から再出発する最後のロング・シーズンは、どこかより有機的で人間味が溢れたものである。風が吹き荒れるようなノイジーな音像の中でギターがコードを奏で、佐藤のスキャットが始まる(21:35)。このスキャットと共に吹かれる口笛は他でもないシングル「SEASON」のサビのメロディだ。ファジーな音像の中で口笛だけが澄んでいる様は感動的だ(22:40)。ローファイな佐藤のヴォーカルが響くと、この時点での『LONG SEASON』が前半までとは全く別種の存在になっていることが分かる。

ヴァイオリンがノイズを響かせ、感情の高まりと共に冒頭から長く続いたピアノ・ループが再び鳴り響き始める(26:25)。ローファイで有機的な印象の音像は減退し、前半部のクリアで緻密なサウンドに戻る。物語の解決部らしく、ここは主人公の日常への帰還を意味しており、主人公は当然『LONG SEASON』の旅に出る以前から比べると一回り大きくなっているのだ。前半部のバックで鳴っていたピアノ・ループは打って変わり、ヘッドホンの中心でくっきりと強い意思を持って叫んでいる。

“僕ら半分 夢の中”という詩(27:52)から一気に柏原のベースと茂木のドラムが呼び覚まされたように響きだす。ここからが本当のクライマックスで、幽玄とした暗い世界を抜け出て、曲は等身大の人間の歩みのように実体を持ち始める。佐藤のギターが歌い始める(29:00)、HONZIのヴァイオリンが再び響き(29:21)、孤独感が次々に払拭されていく。

そして佐藤による怒涛のギター、確かにこれはピンク・フロイドと形容したくもなる、思わず仰け反るような泣きのギター・ソロだ(29:43)。やがて曲はヴァイオリンの音とギター・リフを同時に鳴らしながらまとまり始める。ここから最後まで続くコーラスは、前半のように子供の声ではなく大人の声になっており、その対比から曲の中での時間経過を思わせられる。また、悲鳴ではなく力強く叫ぶ佐藤のシャウトにも頼もしさを感じる(32:00)。

ベース、ドラムの順に演奏が終わり、遂に楽器はギターとヴァイオリン、そしてピアノの3つになってしまう。ついにはギターとヴァイオリンがフェードアウトし、叫び声のようになったコーラスとピアノだけが寂しげに鳴り響く中、『LONG SEASON』は幕を下ろす。

フィッシュマンズは在り続ける

僕にとってのフィッシュマンズは夢そのものだ。今回は僕にとっての『LONG SEASON』を語らせてもらった、僕にとって「SEASON」と『LONG SEASON』は記憶の中にある季節に深く落ちていく物語だ。きっと聴く人によって異なる情景を移す心の鏡のような音楽だから普遍性があるのだろう。極めて限定的な、個人の心という場所へ落ちていき、その中で波紋のように遠くまで広がるからうっとりするし、悲しい気持ちを許してくれる。

フィッシュマンズの物語は『LONG SEASON』以降も続いていく。リリースの翌年の1997年に最後のアルバムとなる『宇宙 日本 世田谷』を発表し、その後も精力的にライブ活動を続ける。1998年12月のツアー《男たちの別れ》はベースの柏原がフィッシュマンズを離れることに対して題されたものだったが、その翌年3月に佐藤が急逝したため実質最後のツアーとなってしまった。だが、そのラストライブは映像化、音源化され、現在インターネットを介して世界中で人気を集め、一躍マスターピースとなっている。

1999年にバンドは活動休止を余儀なくされたが、2000年代から最後のメンバーとなったドラムの茂木によって、フィッシュマンズは再結成された。現在では断続的にサポートメンバーを呼び入れライブ活動を行い、未発表のライブ音源などもリリースしている。こうして今も、故人となった佐藤の言葉や、かけがえのないバンドが世に送った数々の作品は広がっていく、海外を中心としたフィッシュマンズのブームも茂木の行動なしには起こらなかったのかもしれない。

2021年7月9日、デビュー30周年を迎えたフィッシュマンズのドキュメンタリー映画が公開された。彼らの険しい道のりと眩しい音楽の数々が、現在と過去の映像、関係者の証言で繋ぎ合わされ蘇る。どうしても当時を知らない世代がリアルタイムでは感じられなかった感動も多いに違いないので、ぜひ劇場へ足を運びたい。そして、フィッシュマンズがここまで繋いできた旅を、素晴らしい作品の数々と共に僕たちの心の中で続くべきだ。音楽はマジックを呼ぶ、どんなに暗いときでも部屋に差し込む日のような希望なのだから。

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MOVIE

『映画:フィッシュマンズ』
2021年7月9日より、バルト9他全国順次ロードショー

90年代の東京に、ただ純粋に音楽を追い求めた青年たちがいた。彼らの名前は、フィッシュマンズ。プライベートスタジオで制作された世田谷三部作、ライブ盤「98.12.28 男達の別れ」をはじめ、その作品は今も国内外で高く評価されている。
だが、その道のりは平坦ではなかった。セールスの不調。レコード会社移籍。相次ぐメンバー脱退。1999年、ボーカリスト佐藤伸治の突然の死……。
ひとり残された茂木欣一は、バンドを解散せずに佐藤の楽曲を鳴らし続ける道を選ぶ。その想いに仲間たちが共鳴し、活動再開。そして 2019年、佐藤が世を去ってから 20年目の春、フィッシュマンズはある特別な覚悟を持ってステージへと向かう——。過去の映像と現在のライブ映像、佐藤が遺した言葉とメンバー・関係者の証言をつなぎ、デビュー30周年を迎えたフィッシュマンズの軌跡をたどる。(公式サイトより)

鈴木レイヤ