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【前編】石田ショーキチが語るデビュー30年──UK小僧、メタル、衝撃のBOØWY

Bymusit編集部

1993年9月にSPIRAL LIFEとしてデビュー。その後、Scudelia Electro、MOTORWORKSなどのグループで多くの音楽リスナーを魅了しつつ、プロデューサーとしてもスピッツ『ハヤブサ』など、数々の名作を手掛けてきた音楽家、石田ショーキチ。SPIRAL LIFEでは同時代のUKバンドとも共鳴するオルタナティヴ・ロック・サウンドを主体にしながら、ツイン・ヴォーカルによる美しいハーモニーを生かした緻密なソングライティング・センス、良質なポップスが持つ普遍的な親しみやすさ、レトロ・ポップなアートワークなど「あえての懐古趣味」をフィーチャーしたひねくれたオシャレさで、ロック・ファンだけでなくお茶の間にも人気を浸透させた。

本インタビューは、2023年にデビュー30周年を迎えた石田ショーキチのキャリアを振り返るべく敢行。まちだガールズ・クワイアのサウンド・プロデュースなど、現在の彼の活動にも繋がる音楽的ルーツを探る充実の内容となった。インタビュアーは、石田プロデュースによる作品をリリースしているシューゲイズ・バンド、死んだ僕の彼女のishikawa。そして、石田公認の石田ショーキチ作品マニアであるギタリスト、U-1。そして進行は、石田ショーキチをデビュー時代から知るライター、伊藤亜希が担当した。

これまでも彼の音楽的ルーツに迫ったインタビューはあったと思うが、今回は世代の違うミュージシャンとのトークということもあって、これまでとは違う切り口で話を聞けたと思う。その場にいた全員の想いが溢れ出して、トータル5時間(!)にも及んだインタビュー。【前・中・後編】の3回に分けて掲載。

ishikawa
シューゲイズ/ノイズ・ポップ・バンド、死んだ僕の彼女のヴォーカル/ギター。中学時代に出会ったSPIRAL LIFEにオルタナティヴ・ロックの洗礼を受けて今に至る。1stフル・アルバム『hades (the nine stages of change at the deceased remains)』など、3作で石田がプロデュースやエンジニアリングを担当。

U-1
徳島県徳島市出身。Boyish、For Tracy Hydeなどのバンドにギタリストとして在籍。中学時代にScudelia Electroによる『王ドロボウJING』の主題歌「Shout it loud」を聴いたことにより、ポップ・ミュージックに興味を持ち、オルタナ・ギタリストの道を歩み始める。一番好きな食べ物はマクドナルドのポテト。

石田少年、ラジカセ2台で音を重ねて

──まずは、SPIRAL LIFEを始めた時の話から聞きましょうか。

石田ショーキチ 車谷(浩司)君がやってたバンド(1992年解散)が終わって、「新しいことをやりたい」と。で、その相棒を探してた。知り合いの伝手で僕が紹介されて、それまでやってきた自分のバンドや、作りためていた音源のデモテープを聴かせたら「すごくいいね」って言ってくれて。「じゃあ一緒にやろう」って流れでしたね。10代の頃から宅録で音楽を作っていたので、曲は結構あったんですよ。

ishikawa ショーキチさんが10代の頃って、どういう機材で宅録をやられたんですか?

──石田くんが10代の頃っていったら、80年代半ば~後半ですよね。今みたいに宅録ソフトなんて、ほぼなかった頃ですね。

石田 そうそう。だから、カセットですよ。

ishikawa MTR(マルチ・トラック・レコーダー)の4トラックとか?

石田 そう、4トラックのカセットMTRが主流でしたね。僕らが20歳ぐらいになった頃ぐらいにカセットテープで8トラックのものが出てきてさ。そりゃあやっぱ、買うよね~!

 買うよね! (一同笑)

石田 当時、20万ぐらいしたんだよね。

──年齢を考えれば大きな買い物。

ishikawa 4トラックと8トラックって結構値段が違いましたもんね! 4トラックはFostexとかであったりして。ピンポン録音して3つを1個にまとめると、音がどんどんモコッとしてきて。

石田 そうそう、録音すればするほど、音が悪くなるじゃないですか。だから試行錯誤。なるべくカセットで音の良いもの作りたいと思うと、倍速で回せるものだったり、DBXっていうノイズ除去の技術が入ってたりとか、各社がいろんな技術で頑張ってたよね。そんな時代でした。

ishikawa ショーキチさんのこれまでの色々なインタビュー記事を見ると、小6の時におじさんにアコースティック・ギターをもらったのがプレイヤーとしての音楽人生のスタートだと、僕は認識してるんですけど。そこからMTRを買って自分で宅録を始めて、以降はどのような経歴を?

石田 一番最初は、中学生の頃にラジカセを2台使って……。

一同 はははははは!!(一同大爆笑)

ishikawa ……ごめんなさい、いいエピソードで。笑

石田 ラジカセに向かってギターを弾くじゃない? そのラジカセを再生して、もう1台のラジカセを置いといて。ラインじゃなくてエアマイクですよ。それで重ねていくみたいなことはやったかな。それが中学2、3年だと思います。

ishikawa ギターを始めて1、2年で曲作りをするようになって、すぐ録音みたいな。

石田 そうね。ギターを始めて弾いたのが12歳で、中2で初めて曲を作ったと思います。

ishikawa それはどんな感じの曲だったんですか?

石田 ど・フォークです!

ishikawa ルーツって話になると、4歳の時からフォーリーブスを聴いてたって聞いてるんですけど。笑

石田 中学生の頃、仲良かったクラスメイトに面白い子がいたんですよ。ムーミンとか童話が好きで、ストーリーを書いてたの。そのストーリーの歌詞で曲を作ってくれって言われたのが14歳の時。

ishikawa その方が作った歌詞に曲を?

石田 そうそう、だから詞先!笑 ……で、SPIRAL LIFEに話を戻すと、車谷君とやることになって「どんな音楽をやろう」って話をしていて、当時UKのギター・ポップが盛り上がり始めてた頃で「じゃあ歌モノのUKっぽいヤツやろうぜ」ってことになったんだよね。僕は元々、子供の頃からコテコテのUK小僧だったので、心の中で「任せとけ!」みたいな感じでしたね。

──UK小僧時代について。その音楽ルーツについて詳細を教えてください。

石田 要は「ブリティッシュ・インヴェイジョン」。1965年前後に、英国のバンドが米国にロックンロールを逆輸入した頃のこと、そのムーブメントを指すんですけど。だから、マージービート以降ですね。The Beatles、The Rolling Stones、The Who、The Holliesとか。僕自身は子供の頃からその辺がずっと根っこにあって、ずっと自分の中心だったから。で、車谷君といろいろやり取りを始めたのが1991年頃。その頃ってTeenage Fanclubとか出てきたり、もう少し前だと、The Stone Rosesとか。その辺のイギリスっぽい歌モノいいよね、みたいな。

ishikawa クリエイション・レコーズ系とか。

U-1 Rideとか。

石田 Rideは影響受けましたねー!

ishikawa そうなんですか!?

U-1 カバーもしてましたよね?

ishikawa ええ! 知らなかった!

U-1 Rideの「Dreams Burn Down」を。

石田 その曲、SPIRAL LIFEのライブでもやってましたね。

U-1 それこそ、僕が今日着てきたTシャツはThe Byrdsですけど、タイトルがThe Byrdsと同じ「Turn! Turn! Turn!」って曲、SPIRAL LIFEにもありましたね。

石田 さすが、よくご存じです。笑

──嬉しいよね。それだけ聴き込んでくれているってことでしょう?

石田 本当にそう、ありがたい。

上手くはないけど感動的──メタルからUKロックへ

ishikawa UKが好きだったショーキチさん、そして音楽リスナーとしてのショーキチさんがいるじゃないですか。最初に作ったのがフォークだった、と仰ってましたけど、そこは音楽リスナーとしてのショーキチさんとは違うと思うんですね。リスナーとして好きだった音楽が、曲作りだったりプレイヤーとして結びついたのはいつだったんですか?

石田 それ、面白い質問だなぁ。自分でも考えたことなかった。ブリティッシュ・インヴェイジョンの時代の音楽が大好きだった自分の根っこと楽曲としての表現が繋がったのは、もしかしたらSPIRAL LIFEかもしれないです。

ishikawa えぇ! 本当ですか!

石田 それまではやっぱりこう……自分で言うのもおこがましいけど(笑)、器用な方だと思うんですよ。SPIRAL LIFEをやる前に、バンドだったり、ソロだったり、色々やってきていて。その時、その時に求められた音楽──それはバンドを一緒にやっていたメンバーの嗜好もあって、そういう中で求められる曲を作っていったから。本当に色々作ったんですよね。だから石川くんに質問されて改めて考えると、60年代UKっぽいサウンドは、SPIRAL LIFEまでやってなかったかもしれないですね。

U-1 80年代後半〜90年代初頭は、音楽シーン的にもさっき言ったようなUKのギターポップが盛り上がってきてましたよね。当時のUKのバンドでも「The Beatlesが好きで」って発言するバンドが多かった。例えば、僕の中では石田さんのルーツと重なるんじゃないかなって思っているRevolverってバンドも「The Beatlesみたいに皆に愛されるような楽曲作って聴いてもらいたい」ってインタビューで言ってて。やっぱ時代性と石田さんのルーツがそこで合致したんだなって、今話をしていて思いました。

ishikawa ショーキチさんのUKっぽさ、本当の一番根っこの部分を表現するようになったのがSPIRAL LIFEなんだなってことを今日初めて知って、ちょっと感慨深いです。

──SPIRAL LIFE以前、つまり第一次バンドブームの時は踊らされなかったの?

石田 踊らされるって(一同爆笑)。どういうこと?

──その時にやってたバンドメンバーの意向を汲みながら曲を作ったら、それこそビート・パンクとかさ、そういう風にはならなかったのかな、と。

石田 ははははは。笑 それはね、正直、今言ったバンドブームに限らず、時代時代の時流の曲を書きがちな場合もあるんだけど、根っこにあるThe Beatles──そこから出てくるメロディックなものを、そことは別のベクトルで変わらずずっと作っていたんです。ポリスターの武田さんという方がいて……この方はSPIRAL LIFEの直接のディレクターではなくて、デビュー前の僕に「面白い曲を書くね」って直接声をかけてくれた、言うなれば最初に僕の曲を見つけてくれた人なんですけど。で、その人が「君はこういうものを聴いた方がいい」っていうレコードをいろいろ紹介してくれてね。Rideもその人が「聴いた方がいい」って言ったんだ。その時、既にRideの「Dreams Burn Down」の12インチは持ってたんだけど、あまり聴いてなくて。「あ、そういえばRide持ってたわ」と思って聴いたら「超いいじゃん!」ってなった。ギターとか下手なのに、すごい感動的なんだよ! やっぱ高校生くらいって、めちゃくちゃギターとか練習するわけじゃないですか。

U-1 だって、昔メタルやられてましたもんね。

石田 どんだけ早く正確に弾けるかとかね。笑 そのためにものすごく練習するという。 44MAGNUMとか、大好きだったんですよ。

ishikawa その当時、洋楽のヘヴィメタル、ハード・ロックとかは好きだったんですか?

石田 好きっていうか、普通に聴いてはいたけどそんなにハマらなかったかも。例えば、クラシックピアノの人とかもめちゃくちゃ練習するじゃないですか。コンクールって、ある側面では「いかにマシンのように誰よりも速く正確にショパンを弾けるか」っていう競技でもある。もちろん賞を取るような人っていうのは、決して技巧だけではないんだけど。だからメタルを知って、どれだけ速く正確にギターを弾けるかってことに情熱をかけてきた人間からすると、Rideはその逆というか。繰り返すけど、もう衝撃でしかなかった。重い! 遅い! みたいな(一同大爆笑)。で、ギターのフィードバックが「ヴィィィィィ」って引っ張りっぱなしとかさ。音楽としての秩序ってもんがあるとしたら、それが全て崩壊してるような(一同爆笑)。それにものすごい衝撃を受けた。「こいつら、どういう環境で育ってきたらこんなことできるんだろう」って。My Bloody Valentineとかもそうだよね。サウンドの方向性は違うけど、The Stone Rosesもかっこいいけど演奏は上手くなかった。それまでの自分と目指してるところがまったく違ってたんだよ。

U-1 クリエイション・レコーズには、そういう系が多かったですよね。もちろんそうじゃないサウンドでいいものもいっぱいありましたけど。

石田 例えばね、週に2回バンド練習に入るわけですよ。で、ちゃんと合わせるとかさ。ドラムのやつなんかはメトロノーム聞きながらリズムを正確に叩いたり。でもさっき言ったイギリスのバンドの人たちは、そんなこと何も考えていない。それなのにこんなに感動的な音楽作るんだって思って。あとは、The Soup Dragonsとかね。

一同 懐かしい!

U-1 あれもマンチェ(マッドチェスター)ですよね。

──マンチェでもちょっとミクスチャー要素が入ってるサウンドで。だったらThe La’sとかも好きだったのでは?

石田 The La’sは言わずもがなですよ。「There She Goes」、ヒットしたよね。

全ての裏をかくオシャレさ──BOØWYの衝撃

──メタルの後のルーツ変遷について伺いましょう。

石田 2~3年、メタルにのめり込んだ後、子供のきまぐれみたいに「メタルダセェ!」ってなるんです。

──若気の至りあるある。笑

石田 まったくその通り(一同笑)。18歳ぐらいで「ダセェ!」ってなって。ただ、その少し前のBOØWYの登場は大きかったですね。

ishikawa BOØWYを初めて聴いたのは何歳ぐらいでした?

石田 17歳。3枚目の『BOØWY』ってアルバムが、リアルタイムで衝撃だったな。

ishikawa どういう意味で衝撃だったんですか?

石田 いろんな角度から衝撃だったんだけど。最初に見たのはテレビで、NHKのライブイベントだったんですよ。イベントのタイトルとかは忘れちゃったんだけど、BOØWYとSANDII & THE SUNSETSとPINKとMELON……日本のニューウェイヴのバンドを集めたイベントライブだったんですよね。

ishikawa 『NHK MUSIC WAVE ’85』ですか?

石田 それだ! その番組が自分をすごく大きく動かしましたね。海外のニューウェイヴにはあんまり影響受けなかったんですけど、そこに出たバンドには全部脳天を打たれた感じで。特にBOØWYでびっくりしたのが、メタルじゃないのにドラムがツーバスだったんですよ。しかもタムが全部ロート・タム。それで布袋さんのギターがテレキャスター。しかもアンプがグヤトーンで、コンボじゃなくてセパレートのやつね。当時の我々メタル文化圏だと、一番かっこいいのはマーシャルを3段積むこと。でもそれが2段で、しかもグヤトーン。「何これ!?」ってなるよね。すごく大雑把に言えば、やってることはロックンロールだけど、その全ての裏をかくようなオシャレさ。ファッションとかも含めてだけど、「あえて常識とは真逆をやる賢さ」みたいなのを感じて。

──今言ったロックンロールについて、もう少しイメージを具体的に教えてもらえますか?

石田 わかりやすいところで、ファッションで言うと、髪型。リーゼントの進化系というかさぁ……。

──あぁ、横はタイトなんだけど、髪を立てたりってことか。それから、後ろの一部だけ髪が長かったりね。

石田 そう、全てが裏をかいているというか。好きな曲は何曲もあったんだけど、やっぱ「DREAMIN’」と「BABY ACTION」。それから「BAD FEELING」とか「もう何この曲、信じられない!」って。

──ギターのカッティングとか、信じられないって感じでした?

石田 そうですね。僕も当時そうだったけど、日本人が経験してきたロックって海外からのものばかりじゃないですか。こういう形で日本のロックを昇華して出すっていうことが「どういう発想してるんだろう!?」っていう。で、ちゃんとギターソロもあってすごく上手い。当時ハード・ロック以外でギターソロを華麗に弾くギタリストって布袋さん以外にいなかったんです。いろんなロックンロールバンドはいたけど、ギターソロってなんかもう……パターン化してたから。

──BOØWY、SANDII & THE SUNSETS、PINK、MELONと、今思ってもかなり個性的なバンドばかり出演した中で、石田少年はどうしてBOØWYが響いたんだと思います?

石田 ギターヒーローってことだと思う。ギターヒーローって、メタルやハード・ロック以外に存在してなかったから。僕がハマったメタルやハード・ロックって、ギターというものを中心に考えられた様式美じゃないですか。やっぱりギターソロなんですよ。エドワード・ヴァン・ヘイレンの弾く「You Really Got Me」のミュージッククリップをみて「えぇ!? 右手出すの?」みたいなさ(笑)。そこからギターヒーローってものを中心に作られる音楽っていう様式美にハマって。そういう自分の目から見ても「BOØWYってメタルじゃないのに、なんでこんなにかっこいいんだろう」っていう。

ishikawa メタルじゃないけどギターが立ってますしね。

石田 そう。それから、やっぱり作曲が全部綺麗だった。氷室さんの歌もすごく渋く感じましたよね。それまであった歌唱法とかを全部自分(=氷室)のスタイルで塗り替えてしまうような。センスで根性とか様式美を受け流して、オシャレに変えている感じ。目の鱗が全て落ちました(一同笑)。

ishikawa ショーキチさんがセンス的なところで目から鱗を落とされた、っていうことがすごい。笑

石田 『NHK MUSIC WAVE ’85』が放送された、1985年12月31日の大晦日は「運命の日」と言ってもいい。

<中編に続く>

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musitが運営するショップ&カフェバー『ヨムキクノム』店長。燗酒と缶詰にはうるさい。趣味は釣具を中心とした古物収集。Bruce Gilbertアイシテル。

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