選ばれし者たちによる「ソフトヴィジュアル系」座談会【前編】
近年、90年代のヴィジュアル系が再注目されている。BUCK-TICKが今年デビュー35周年を迎え、書籍『ヴィジュアル系解体新書「帝王切開」』の発売が告知され、さらには『マツコの知らない世界』をはじめとした様々なバラエティー番組でも取り上げられているのだ。
しかし、その中でもいまだに「好きって正直には言いづらいかも…」という空気がある、いわゆる「ソフトヴィジュアル系」とカテゴライズされるバンドたちが存在する。今回は世代の異なる3名のミュージシャンをコメンテーターに招き、各自のおすすめのCDや当時読み耽った雑誌などを持ち寄って、ソフトヴィジュアル系の聴きどころや思い出などを伺い、再評価へと繋げる──はずだったのだが。
曲者揃いのコメンテーターは以下の3名。

ishikawa/Shinpei Mörishige/小森まなこ
【ishikawa】ノイズ・ポップ/シューゲイザー・バンド、死んだ僕の彼女のヴォーカル/ギター、サディスティカル・パンク・バンド、LAURA PALMERSのギター。中学時代からギターを始め、90年代終盤には既に高校生ながら大人に混じってライブハウスに立っていた。当時のライブハウスの空気をミュージシャンとして体感した「リアルタイムバンドマン代表」として参加。
【Shinpei Mörishige】ロック・バンド、Palastlebenのギタリスト。練馬区が産んだ実力派ミュージシャンであり、罪深き貴族。musitのインタビューでもLUNA SEAをはじめとした日本のバンドからの多大なる影響を語っていた。今回は「リアルタイムリスナー代表」として参加。
【小森まなこ】東京を拠点に活動するノイズ・ロック・バンド、killmilkyのヴォーカル/ギター。「ミスiD2021」応募時の自己紹介PRでも好きな音楽に「90年代V系」「SIAM SHADE」を挙げるほどガチ勢。今回は時代が過ぎ去ってから聴き始めた「後追い世代リスナー代表」として参加。
それぞれ独自の美意識を追求するミュージシャンによる座談会は、当初の予定から逸れて90年代後半のバンド好きキッズたちの恥部を擽る内容に(しかも、結局ソフトヴィジュアル系の再評価になるような言動はほとんど出てきてない気が…)。貴方はこのページを読み終えた後、選ばれし者となれるのか!?
<全2回/前編>
※注意:各コメンテーターのファンとしてのテンションを伝えるため、ミュージシャン名が一部敬称略や愛称となっている箇所がありますので、あらかじめご了承ください。また、頻繁に「選民意識」という単語が出てきますが、少年期特有の屈折した孤独感の誇張表現であり、差別・区別意識を助長する意図はございません。
進行/文=仲川ドイツ(重度のSOPHIAフリーク)
写真/編集=對馬拓(ヴィジュアル系はPlastic Treeのみ)
ソフトヴィジュアル系の定義──お茶の間への意識と非キャラクター性
──まずはじめに、今回の座談会を進める上で、どこからどこまでを「ソフトヴィジュアル系」と定義するのか、みなさんの意見を聞かせてください。
ishikawa:俺の中では、狭義ではSOPHIA、Dear、REDIEAN;MODE。あとはBreak Out系(※1)のCLOUDだな。見た目的にも共通点があるよね。(出自はヴィジュアル系でも)デビューした時点でお茶の間を意識してたバンドがソフトヴィジュアル系じゃないかな。
※1:Break Out = 1996年に放送を開始したテレビ朝日系の音楽番組。特に90年代はヴィジュアル系のバンドを多数取り上げ、ブーム形成の一端を担ったとされる。詳しくは本記事の後編も参照されたい。

SOPHIA「little cloud」ジャケット
Mörishige:このあたりのバンドって、まずヴォーカルが短髪だよね。それが絶対条件。それまでもRYUICHI(河村隆一/LUNA SEA)さんみたいに、デビューからしばらくして髪を切る人はいたけど、ソフトヴィジュアル系周辺はデビュー時から短髪なのが特徴。
──Romance For~なんかもそうですね。
ishikawa:Romance For~って久々に聞いたよ! 今聞かなかったら一生思い出すこともなかったかも…。ソフトヴィジュアル系ってバンド名も爽やかで、「ルナティック」な感じがしない。
──当時、世間的にヴィジュアル系にカテゴライズされてたGLAY、L’Arc~en~Ciel(以下ラルク)についてはどうですか?
Mörishige:ラルクに関しては、ご本人たちが「ヴィジュアル系ではない」と仰ってるのだから、僕はそれ以外の答えを求めるのはナンセンスだと思うな。
ishikawa:POP JAMっちゃう(※2)からね。
※2:POP JAM事件 = NHK総合テレビで2007年まで放送されていた音楽番組『POP JAM』にラルクが出演した際、収録中に帰ってしまった事件。トークパートの収録時に、ラルク側がNGワードとしてNHKに伝えていた「ヴィジュアル系」という単語を、司会の爆笑問題 ・太田が発したため、tetsu(現在はtetsuya)がキレて帰ったとされる。
Mörishige:僕はソフトヴィジュアル系の概念は、歌詞や提示する世界観で決めてるな。例えば「刹那」とか「君の血が…」みたいな歌詞は耽美だから、ソフトヴィジュアル系ではないよね。ソフトヴィジュアル系はもっと日常的な内容が多くて、「シャワー」ってワードなんかが出てきたり。シャワーを浴びてWow Wo Wow…(と歌い出し、しばし貴族タイム…†)

Mörishige:その日常的な内容が歌詞に出てくる最たるバンドがGLAYだと思うんだけど、同時期に流行ってた小室ファミリーを好きな人たちが遜色なく聴ける世界観だったと思うんだよね。そもそも僕はヴィジュアル系って言葉自体が好きじゃないんだけど。
──GLAYを代表とした場合に、音楽的要素としてBOØWYやビート・ロックからの影響も挙げられると思います。
ishikawa:僕はGLAYをソフトヴィジュアル系には入れたくないんだよね。BOØWYはヴィジュアル系に入れないじゃん。GLAYは《EXTASY RECORDS》(※3)出身だけどヴィジュアル系ではない、という意見だな。
※3:EXTASY RECORDS = X JAPAN(当時はX)のYOSHIKIが1986年に設立したインディーズのレーベル。ZI:KILLやLUNA SEA、GLAYなどを輩出し、ヴィジュアル系バンドがメジャー・デビューするための登竜門的存在となった。
小森:私は時代背景とかよく分からないので、あくまで感覚での意見なんですけど、キャラクターっぽいのがヴィジュアル系、キャラクター先行ではないのがソフトヴィジュアル系、という考えですね。だからGLAYはソフトヴィジュアル系なのかなと思ってます。JIROくんはちょっとキャラクターっぽいですけど。
ishikawa:ラルクって、初期のhydeはソバージュだったし、tetsu(tetsuya)もめちゃくちゃメイクしてたのに、その出自で「ヴィジュアル系じゃない」って自ら言うってすごい根性だよね。しかも、後々加入したyukihiroなんてZI:KILLだよ? DIE IN CRIESだよ!? それでヴィジュアル系って言われてキレるって、すごいなって。笑
Mörishige:僕はヴィジュアル系って言葉自体が差別用語だと思ってるけどね。
ishikawa:確かに96年とか、その当時は差別用語として使われてたよね。見た目だけで中身がない、みたいな言われようで。
Mörishige:だってサウンドを表した言葉じゃないでしょ。どんなジャンルのミュージシャンでもルックスは気にしてるし、ヴィジュアルを気にしてないジャンルの音楽ってあるのかよ、っていう。
小森:確かにそうですね。
ishikawa:名言出た!
Mörishige:どんなバンドだってサウンドを邪魔しないルックスにするし、むしろ世界観をブーストするルックスであれば化粧だってするでしょ? 耽美な音楽なのにジャージでやってたらねぇ…。
ishikawa:今井寿(BUCK-TICK)はジャージでライブしてたこともあるけど、それもヴィジュアル系のカウンター的な意味だよね。そもそも、今日ここにある雑誌の中でヴィジュアル系なんて言葉は出てきてなくて、後付けだからね。「お化粧系」とか「黒服系」とは言われてたけど、ヴィジュアル系とは言われてなかった。
小森:名前をつけてパッケージ化した方が売りやすかった、ってことなんですかね?
──言葉としては、音楽雑誌以外のメディアから出てきたものですよね(※記事末尾の筆者注にて補足あり)。
ishikawa:ジャンル化した方が売りやすかったってことなんだろうね。Mörishigeくんが言うように、そもそもヴィジュアル系って音楽を表してる言葉じゃなくて、ジャンルで言ったらただの「日本のロック」「J-ROCK」だからね。今ではヴィジュアル系ってジャンルで一括りにされてるけど。
Mörishige:サウンドの類型は、名前からは掴めないよね。
ishikawa:まぁ、Sleep My Dearみたいなのがサウンドの類型なのかもしれないけど。彼らのデビュー・シングル「Ask for Eyes」がヴィジュアル系サウンドのテンプレートみたいな。
Mörishige:確かにイントロの単音ギターの感じは、いろんなバンドでよく使われるよね。
ishikawa:黒夢「for dear」とか、D’ERLANGER「DARLIN’」とか、あの感じもある。

『Vicious(月刊ヴィシャス)』1997年2月号(シンコー・ミュージック)
──ヴィジュアル系という言葉自体の是非は一旦置かせてもらいますが、僕はソフトヴィジュアル系が出てくるきっかけを作ったのは黒夢だと思ってるんですよ。彼らはデビュー後に極端なぐらいにメイクを落として、それまでのフェティッシュなコスチュームからストリート系のカジュアルなファッションになって。それと、ヴィジュアル系の中で1番最初に音楽と関係のないCMに出たのは清春なんじゃないかな(※4)。
※4:それまでオーディオやカセットテープなど、音楽関連商品のCMにヴィジュアル系バンドが出演することはあった。
ishikawa:ファンタだっけ?
──スプライトですね。
Mörishige:あー、あったね! 懐かしい!
──その後ハードコア・パンクに接近していくので、お茶の間を意識した時期はキャリアの中では一瞬だった気がしますが、その一瞬でソフトヴィジュアル系の雛形になるものを作ったと思うんですよ。そして、そのフォロワーとして出てきたのがSOPHIAじゃないかと。
Mörishige:清春さんとまっちゃん(松岡充/SOPHIA)はスタイリストが同じだったらしいしね。
──そうなんだ!? それはすごい情報! 例えば、SOPHIAの前にやってたRose Noirではこんな感じの格好で、もろヴィジュアル系だったんですよ。名前も松岡充じゃなくて神已だったし。

『EMERGENCY EXPRESS 1994』ジャケット
写真提供:仲川

『EMERGENCY EXPRESS 1994』ライナーより
写真提供:仲川
ishikawa:えっ? それ、松岡さん?
Mörishige:あ、「松岡さん」じゃなくて「まっちゃん」って言ってもらって良いかな?
一同:笑
ishikawa:ゴメン、俺そんなにSOPHIA好きじゃないから他人行儀なんだよね。「御社」ぐらいの感じで「松岡さん」みたいな…。
──ちなみに、こっちはSIAM SHADEです。

『EMERGENCY EXPRESS 1994』ライナーより
写真提供:仲川
小森:誰1人分からないくらい、今と見た目が違いますね。
ishikawa:まだドラマーが淳士さんじゃない頃かな?
──淳士さんはまだNERVEにいる頃ですね。
Mörishige:淳士さんはLUNA SEAの真矢さんのローディーだったんだよね。ライブハウスも同じ町田PLAY HOUSE出身だし。
小森:めっちゃ師弟関係らしいですよね。
ishikawa:そうみたいだね。全然関係ない話なんだけど、全盛期のKAZUMA(SIAM SHADE)とMörishigeくんのキャラが被る瞬間が時々あるんだよね。ライブで楽器持ったまま踊ったりとかさ。
Mörishige:MERRY GO ROUNDのKAZUMAさんじゃなくて?笑 SIAM SHADEのKAZUMAさんは後にビビアン・スーと共に『ガンダムSEED』の主題歌をやってるけど、俺もそのポジションになりたいよねぇ。
あと、ソフトヴィジュアル系とそれ以前だとMCの雰囲気も違うよね。まっちゃんは「今日はホンマにありがとなー!」みたいな感じだけど、LUNA SEAだと「今日はここに集いしSLAVE(LUNA SEAのファン、及びファンクラブの呼称)たちに…」とか、「かかってこい! かかってこい!」みたいな体育会系の煽りが入ったりね!(からの「ROSIER」を歌い出し、しばし貴族タイム…†)
究極の2択!『SEXY STREAM LINER』or『悪の華』
──では、それぞれがヴィジュアル系にハマったきっかけを教えてください。まずは小森さん。musitTV(YouTube)に出演いただいた際にも90年代のヴィジュアル系を聴くようになった経緯を伺いましたが、今回はもっと詳しく聞かせてほしいです。

小森:私は、元々小学校の頃にポルノグラフィティが好きだったんです。既に私の世代だとポルノを聴いてる人も少なくて、同級生はみんな嵐なんかを聴いてたんですけど…なので、選民意識があって。
Mörishige:選ばれし者…だね…†
一同:大爆笑
小森:私、好きになると何もかも知りたくなって、めっちゃ深堀りしちゃうんですよ。だから、当時ポルノがやってた『オールナイトニッポン』も眠い目を擦りながら聴いてました。彼らは事務所がアミューズなんですけど、ある時「アミューズの先輩で、トイレで挨拶をしたことがある」っていう話からSIAM SHADEを流したんです。それが「1/3の純情な感情」(1997)だったんですけど、ホントに忘れられなくて、頭から離れなくなって。でも歌詞は覚えてないし、タイトルも分数が入ってたことくらいしか覚えてない。笑
小森:それで、お父さんに「分数が入っためっちゃ良い曲聴いたんだけど何か分からない」って相談したんです。私はすっごい田舎に住んでたので近所に大きなCD屋さんもなかったんですけど、お父さんがお店で1枚1枚CDの裏を見て、分数が入ってないか確認して。
Mörishige:そうすると川本真琴「1/2」が出てくる可能性もある訳だ。お父さん大変だな!
ishikawa:どっちも『るろうに剣心』の主題歌じゃん。にしても、めっちゃ良い話だね。笑

小森氏のコレクションは実家にあるとのことで、この日は急遽ブックオフへ寄って偶然見つけた『SIAM SHADE Ⅳ・Zero』(1998)を持参。
小森:それで、捜索作業がめっちゃ難航して。ようやく「S」の棚まできた時にSIAM SHADEの分厚いコンプリート・ベストがあって、お父さんが「これじゃない!?」って。「絶対これだ!」ってなって、そのまま買って帰りました。そこからSIAM SHADEってバンドがいるんだ、って聴き始めたんです。
ishikawa:それっていつ頃の話?
小森:2010年くらいですかね。
ishikawa:『るろうに剣心』で好きになったのかな、って思ってたら全然最近じゃん!?
Mörishige:それは俺ら世代だよ。笑
── 一度再結成した後くらいでしょうか?
小森:多分そうだと思います。トリビュート・アルバムが出たくらいの時期なので、今考えるとそのプロモーションの関係でポルノグラフィティがラジオで流してたのかもしれないです。あと、その当時はポルノを軸に、THE YELLOW MONKEYやJUDY AND MARYとか既に解散してたバンドも聴いてました。
ishikawa:それも全部『るろ剣』じゃん!笑
小森:そのあと、ラルクも『るろ剣』だったんだ、って知りました。笑 その頃はブックオフに行くのが好きで、週1くらいのペースで通ってたんですけど、ある時『uv』っていう雑誌のSIAM SHADEの過去記事だけを集めた特集号を買ったんです。そこに河村隆一やCASCADEなんかも載ってて「なるほど、そういう世界なんだ!」って知って。そこから『uv』のバックナンバーも集め始めました。

写真提供:小森
小森:それと、また別の文脈で小学校の頃から丸尾末広が好きだったんですよ。でもそういうのを知られたらあんまり良くないだろうなと思って、親に隠れてインターネットでこそこそ見てて。
Mörishige:その背徳感が良いんだよね。
小森:やっぱり選民意識がすごかったんです。笑
ishikawa:同級生のこと「一般人」って呼んでたタイプだよね。
一同:笑
小森:そうですね。笑 それで、ニコニコ動画で丸尾末広で検索してMAD動画とか観てたんですけど、その動画の曲がBUCK-TICKの「DIABOLO」(2005/アルバム『十三階は月光』収録)で、「これはすごいものを知った気がする!」って感動したんです。でも動画のタイトルや説明にバンド名も曲名も入ってなくて、コメントで流れてた「DIABOLO」って言葉をネットで調べて、「BUCK-TICKってバンドなのかな?」って。またそこでブックオフに行くんです。笑
──ブックオフをフル活用してますね。笑
小森:でも、お店に行ってBUCK-TICKの棚を見たんですけど、田舎だから品揃えが悪くて2枚のアルバムしかありませんでした。『SEXY STREAM LINER』(1997)と『悪の華』(1990)だったんですけど、「どっち買えば良いんだろう?」って。
一同:爆笑

『悪の華』(1990)/『SEXY STREAM LINER』(1997)
写真提供:仲川
Mörishige:それは大きな分かれ道だよね!! どっち買ったんだ!?
ishikawa:『SEXY STREAM LINER』は異色だし、『悪の華』はマスターピースだし…。
小森:『SEXY STREAM LINER』を買いました。で、家に帰って聴いたら「違うバンドじゃん!?」って。笑
ishikawa & Mörishige:そうなるよねーーーーーー!!!!!!
一同:大爆笑
──『SEXY STREAM LINER』、小森さん的にはアリでした?
小森:アリでした! iPod nanoに入れてずっと聴いてて。「MY FUCKIN’ VALENTINE」をひたすら聴いてました。
Mörishige:ホントかっこいいよね!! あの曲で初めて「スカ*ロ」って言葉を知った。笑 知らないワードの羅列だよね。何の話をしてるのか全く分からないっていう。
小森:それで「めちゃくちゃかっこいい!」ってなって、厨二病が加速しました。
Mörishige:BUCK-TICKもあのアルバムでリスナーを篩(ふるい)に掛けたんだと思うよ。そこで良いって思えたんだったら、間違いなく選ばれし者だね…†
ishikawa:そこでダメだったらBUCK-TICKを聴かなくなっちゃう人もいるだろうから、好きになってくれて本当に良かった!『SEXY STREAM LINER』を手に取ったけど好きになったって、運命的で良い話だな。
小森:ジャケットがかっこいい方にしようって。

Mörishige:僕も初めてBUCK-TICKを聴いたのは『SEXY STREAM LINER』で、今でもベスト3に入るくらい好きなアルバムなんだよね。初めてあっちゃん(櫻井敦司)を見た時に「自分以外にこんなに美しい人がいるんだ…†」と思って。
ishikawa:自分が最初にリアルタイムで聴いたBUCK-TICKは『Six/Nine』(1995)だな。1番聴いたのは『Six/Nine』と次に出た『COSMOS』(1996)なんだけど、今聴いてもその2枚はサウンドがすごく良いよね。あと、今井(寿)さんのファッションが好きだったな。当時、BUCK-TICKが「Ash-ra」(『COSMOS』収録)で『POP JAM』に出た時に、今井さんが左右で違う色のスニーカーを履いてるのがすごくかっこよくて痺れたよね。それで、俺も真似して学校に左右で違うスニーカーを履いて行って。ただ、色違いならかっこいいんだけど、俺は左右で違う種類を履いてるっていう。笑
Mörishige:…あれ? これって「BUCK-TICKの話をする会」だったっけ?笑
ishikawa:BUCK-TICKは櫻井さんが髪を短く切った時期もあったし、ファッションがスッキリしてることもあったけど、絶対にソフトヴィジュアル系ではないからね。
小森:なんならヴィジュアル系の枠に入れない人もいますよね。
Mörishige:僕は入れない派ですね。
ishikawa:それも分かるけど、自分はポジティブな意味でヴィジュアル系に入れるんだよな。
──BOØWYなどのビート・ロックとヴィジュアル系を繋いだ存在、とも言えますね。
Mörishige:そうだね。旧約聖書はBOØWY、新約聖書がBUCK-TICKだよね。
ishikawa:両方とも群馬出身ってのが良いよね。俺も今、群馬に住んでるんだけど。
Mörishige:そうなの!? 良いね、聖地じゃん!イェルサレムに住んでるんだね!BUCK-TICKの話をしてると永遠に終われないよね。
カウンター・カルチャーとしてのソフトヴィジュアル系
──では次に、ishikawaさんがヴィジュアル系を聴き始めたきっかけを教えてください。
ishikawa:自分が小学校6年生の時(94年)に、クラスの友達が『BANDやろうぜ』(94年1月号)を学校に持ってきて、その中のLUNA SEAのページを見て好きになって。それで中学に入って「楽器買おうぜ」ってなったんだよね。LUNA SEAの「精神異常」的な世界観が好きで、ヴィジュアル系にどっぷりハマった。その頃に観た『Sin After Sin』(LUNA SEA初の武道館公演を収録した映像作品)のビデオも好きだったな。
Mörishige:あのビデオは内容もかなりサイケデリックだよね。
ishikawa:そうだね。当時はサイケデリックって言葉は知らなかったけれど、とにかく「精神異常」っていうイメージが良かった。笑 94年っていうと、黒夢がデビューした年だからそういったバンドの全盛期だよね。

『GiGS(月刊ギグス)』1994年5月号(シンコー・ミュージック)
ishikawa:(持ち寄った雑誌のページをめくりながら)この室姫深(当時はDIE IN CRIES)の感じとか、このZI:KILLのKENさんの感じとか…! それまではB’zしか聴いてなかったんだけど、(サウンドだけでなく)歌詞も見た目もまるで違って、全てがかっこよく感じたね。

『BANDやろうぜ』1994年1月号(宝島社)
写真提供:ishikawa
──小森さん、この人(一番右)分かります?
小森:分からないです…え、Yukihiro?! このバンドは知らなかったです。
Mörishige:こっち(左から2番目)がkyoちゃんでD’ERLANGERのヴォーカル。DIE IN CRIESはD’ERLANGERの次に始めたバンド。
小森:D’ERLANGERは分かります!
ishikawa:俺はこういう世界観でバンドにハマったから、今回ソフトヴィジュアル系ってテーマで呼んでもらったけど、そもそもソフトヴィジュアル系は忌み嫌ってるから!
──そういう部分も含めて、当時のリアルな意見を聞きたかったので全然問題ないですよ。笑 僕がそういったバンドを意識した頃にはもうLUNA SEAもメイクが薄くなってたから、個人的にはソフトヴィジュアル系ってカテゴライズされるバンドにもそれほど違和感がなかったんですよね。
Mörishige:RYUICHIさんは『成田離婚』とかドラマにも出てたよね。
ishikawa:冷凍食品のCMにも出てたね! その頃のRYUICHIさんは髪も短いし、雰囲気もソフトだったね。
Mörishige:RYUICHIさん(河村隆一名義)の1stアルバム『LOVE』(1997)は、男性ソロシンガーではアルバムセールス日本一ってのもすごいよね。最高だよね…。い〜つまでぇ〜も…はぁ〜んなさなぁ〜い…(と、またもや貴族タイム…†)
ishikawa:LUNA SEAが活動休止してRYUICHIさんがソロデビューした頃(97年)って、ソフトヴィジュアル系がかなり勃興してたよね。その前の93〜95年ってコテコテのヴィジュアル系の人気があって、お茶の間にもかなり進出してて。93年にLUNA SEAは「TRUE BLUE」、94年には黒夢も「for dear〜」で『ミュージックステーション』に出てる。
…これは俺の考えなんだけど、コテコテのヴィジュアル系がお茶の間に出てきて流行って、でもしばらく経って世の中の空気が「コテコテのヴィジュアル系はダサい」ってなって、それに対しての「脱ヴィジュアル系」みたいな流れで、ソフトヴィジュアル系が出てきた印象なんだよな。そういう意味では、ソフトヴィジュアル系はそれまでのヴィジュアル系に対してのカウンター・カルチャーだよね。だからこそ俺は忌み嫌ってるんだけど。
Mörishige:結構ishikawaくんって原理主義者なんだね。

この日、ishikawa氏は市川哲史著『さよなら「ヴィジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ〜』を持参。
ishikawa:あと、その当時ってミスチルとかスピッツ、小室ファミリーがめちゃくちゃ売れてたけど、俺の中では売れてるってだけで嫌だった。だからこそ、ヴィジュアル系にはもっとアングラでいて欲しかったんだよね。でもヴィジュアル系も売れちゃってお茶の間化、ソフトヴィジュアル系化してきちゃったから。それじゃあ俺の選民意識が薄れちゃうじゃん!
Mörishige:自我を保てなくなっちゃう。笑 歌詞の中で日常の話をしちゃダメなんだよね。シャワーなんて浴びてる場合じゃないんだよ!月の光か血を浴びろ!
ishikawa:ソフトヴィジュアル系ってシャワー浴びたり、ベランダに立ったりするけど、それじゃダメなんだよね。唯一好きなソフトヴィジュアル系を挙げるなら、REDIEAN;MODEのデビュー・アルバム『飴と鞭』(1994)だな。1曲目「世界が終わる瞬間(とき)」のイントロのギターがすごくかっこいいんだよね。

REDIEAN;MODE『飴と鞭』(1994)ジャケット
──REDIEAN;MODEは1曲だけすごくヒットした曲がありましたよね。
ishikawa:『ガンバリスト!駿』っていうアニメの主題歌の「キラキラ キセキ」(1996)ね。彼らはインディーズ時代の見た目がD’ERLANGERみたいで、「93年、黒夢とL’Arc~en Cielの次に売れたバンド」って売り文句で出てきたんだけど、初めて聴いた時に「こう来たか!」って驚いたな。メジャー・デビュー・シングル「目の前の絶望を愛して」(1994/『飴と鞭』収録)のイントロの入り方も好きだった。見た目はソフトだけどジャケットのデザインも含めて、少し狂気を感じるところがすごく好き。
小森:「目の前の絶望を愛して」ってタイトルもめっちゃ良いですね。
「本当に実在するんだ!」という感覚/愛憎入り混じる選民意識
──みなさんにお聞きしますが、当時行ったライブの思い出などはありますか?
Mörishige:僕はねぇ、これに行きました…。

──うわっ!《獅子に翼》(※5)のCDだっ!!
※5:獅子に翼 = 1999年8月、東京都立川市の昭和記念公園で行われたSOPHIA単独の野外ライブ。3万人を動員。
Mörishige:当時のSOPHIAのフィーバーっぷりを物語るには充分すぎるライブですよ。
──僕も行きました。当時、高校1年だったんだけど、ファンクラブのバスツアーで新潟から…。
Mörishige:そんなにSOPHIA好きだったの!?
──そうだね。笑 小森さんは最近になると思うんですけど、90年代から活動しているヴィジュアル系バンドのライブに行ったことはありますか?

小森:2016年の10月なんですけど、《VISUAL JAPAN SUMMIT 2016》(※6)に行きました。(それまで雑誌のバックナンバーで見ているだけで)初めて触れるバンドばかりだったので、「本当に実在するんだ!」って。その1週間後にSIAM SHADEの武道館ライブにも行ったんですけど、やっぱり「実在するんだ!」ってなって。さらに、その3日後にGLAYがお台場でやってた「LiB CAFE」の公開収録があって、TERUとTAKUROとDIEが出てきて3人で演奏するっていうのもあって…。だから、その2016年10月の数日間は忘れられない思い出です。
※6:VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 = X JAPAN、LUNA SEA、GLAYを中心として、幕張メッセで開催されたヴィジュアル系音楽フェス。2016年10月14日、15日、16日の3日間に渡って行われ、世代を超えたヴィジュアル系バンドが一堂に会し、10万人以上を動員した。
──「実在するんだ!」って感覚、分かります。僕もソドムとか80年代のバンドの再結成ライブを観た時にそう思いました。
ishikawa:俺が生涯で初めて行ったプロのライブはこれ。1995年12月23日、LUNA SEA初の東京ドーム公演。
Mörishige:うわぁーーーーーー!! マジ?!

ishikawa:今観てもかっこいいんだけどさ。この時感じた空気が忘れられなくて。意味分からないと思うんだけど、この時「俺、絶対一生これでいこう!」って思ったんだよな。笑 当時、中学2年生だったんだけど、今もバンドやってるってことは「これでいっちゃった」ってことなんだろうね。
Mörishige:ライブって形のないものだけど、世の中のライブの中で、このLUNA SEAのライブはベストのものだと思う。
ishikawa:分かる! 少なくともLUNA SEA史上では最高のライブだと俺も思う。これが95年なんだけど、LUNA SEAも東京ドームでライブをやるほど人気があるポジションだった訳だよね。俺が思うに、96年頃からだんだんシーンがおかしくなってきたと思う。
Mörishige:それはどういうこと?
ishikawa:95年辺りからお茶の間でヴィジュアル系の人気が出たことによって、96年辺りからデビューするヴィジュアル系バンドの質も下がってきたし、それに対抗する形でソフトヴィジュアル系が出てきた。その頃のLUNA SEAは96年にアルバム『STYLE』を出してライブ《真冬の野外》をやって順調に見えたんだけど、1年間活動休止するんだよね。あくまで俺の意見だから実際は違うかもしれないけど、96年くらいから本人たちも世の中で求められてるものと、自分たちのやってることのズレを感じ始めてたんじゃないかな。少なくともLUNA SEAが活動休止してた97年って、俺の中ではあまり素敵な1年間ではなくて。RYUICHIが河村隆一としてテレビに出るのとかすげー嫌だった。俺も選民意識があったのかもしれないけど、パンピーが俺のRYUICHIを語ることも許せなかったし。
──僕も選民意識があったから、その「パンピーが…」っていうのは分かります。それまでヴィジュアル系が好きなことをからかってきたクラスメイトも、いざ売れ始めたら、さも自分たちのもののように語り始めたり。
ishikawa:B’zとか米米クラブと同じ土俵で語られるようになっちゃったのかな。それがすごく嫌だったから、俺はそこから加速度的にヴィジュアル系から離れていったんだよね。その頃は音楽やファッションでストリート系が流行ってて、ミクスチャーとかメロコア、スカコアなんかを聴いてたな。でもそこら辺のジャンルも流行ってきたらヴィジュアル系と同じように有象無象の**(編集判断で伏字)みたいなヤツらが出てきて、嫌になっちゃったんだけどね。
Mörishige:ishikawaくんは記事に書きづらいことをいっぱい言うね。笑
ishikawa:ヴィジュアル系とかこの時代の音楽には愛憎入り混じってるんだよ。今回のトーク内容のトピックに「ソフトヴィジュアル系のがっかりした思い出」ってのがあるけど、がっかりした思い出しかないからね。ソフトヴィジュアル系に限らずだけど。でもさ、俺がやってる死んだ僕の彼女のkinoshitaくんはPIERROTが大好きで。仲川くんと同い年(83年生まれ)で俺の2つ下なんだけど、たった2年でもバンドとかシーンの捉え方が全く違ってて、それだけ当時の音楽シーンの移り変わりが早かったってことなんだろうね。だからソフトヴィジュアル系に関してはがっかりだけど、それと同時に捉え方の違いについては面白いな、とは思う。
──そんなishikawaさんも、高校生の頃はメイクをしてライブしていたとのことですが…。
ishikawa:元ラルクのhiroさんは(ラルク脱退後に)Flameってバンドをやってたんだけど、神楽坂ディメンジョンで対バンしたんだよね。その時は「元ラルクと対バンだ!」って燃えたな。あと、とにかく機材が凄かった! エフェクターもラックだし、アンプ持ち込んでたし。
Mörishige:あの時代ってやっぱラックだよね!
──ちなみに、これがその当時のishikawaさんの写真です。

Mörishige & 小森:えーーー! うそーーーー!? かっこいい!!
ishikawa:今もかっこいいよ!笑 やっぱ素肌にジャケットだよね。
小森:後ろのカーテンの「実家感」が良いですね。笑
Mörishige:その頃のステージネームは?
ishikawa:「YUKI」! 当時の源氏名は下の名前をアルファベットにするか、またはLUNA SEA結成当時のRYUICHIみたいにRAYLAとか全く別の名前を付けるのが多かったよね。
小森:どこかのタイミングでフルネームにするパターンもありますよね。
Mörishige:それもひとつのソフトヴィジュアル系化だよね。
──「ソフトヴィジュアル系のがっかりした思い出」ってことなんですが、一例として、僕はラルクの「Caress of Venus」(1996/アルバム『True』収録)を聴いた時、この界隈でダンス・ビートをやってるバンドがいなかったので「凄いな!」と思ったんですよ。でも、後々デリック・メイの「Strings of life」を聴いて「元ネタ、これだったんかい!」ってずっこけたんです。そんな感じの思い出ってありますか?
ishikawa:出自が《EXTASY RECORDS》ってだけでヴィジュアル系じゃないけど、THE HATE HONEYの「僕の目は死に痛みを感じない」(1999)はMarilyn Mansonの「The Beautiful People」まんま、ってのはあるけどね。
Mörishige:僕の場合は元ネタとかリファレンスが分かったとしてもがっかりしないし、むしろ爆上がりするけどね。本人たちはきっと気付いて欲しかっただろうし。それも選民意識に繋がるのかもしれないけど、響くヤツに響いて欲しいって気持ちも本人たちにはあったと思うから。気付いた時は嬉しかったし、そこからどちらのバンドも好きになったよ。
──当時、邦楽は全般的に洋楽よりも下に見られる傾向もあったでしょうから、気付いて欲しいって気持ちはあったと思います。例えば、これは『GIGS』1999年10月号なんですが、LUNA SEAのJの普段聴いている音楽を紹介しています。今はミュージシャン個人の趣味をこんなに紹介するページはないですよね。

『GIGS(月刊ギグス)』1999年10月号(シンコー・ミュージック)
ishikawa:当時はこういうのを読んで洋楽に入っていったよね。
Mörishige:この当時、ミュージシャンもリスナーも音楽の基礎教養は高かったと思うよ。
<後編へ続く>
※筆者注:「(ヴィジュアル系は)言葉としては、音楽雑誌以外のメディアから出てきたものですよね」という発言について、記事公開時にSNS上で反響がありました。文章は修正せず掲載しますが、「ですよね」と断言していることについて、まずはお詫びいたします。今回の座談会で資料として用意したいくつかの音楽雑誌(96〜99年までの『Vicious』『FOOL’S MATE』など。『SHOXX』がないのが残念)を再度細かく見直したところ、頻度は少ないと言えますが、「ヴィジュアル系」という言葉の使用は皆無ではなく、例えば『Visious』96年12月号では“九州でヴィジュアル系バンドの事務所&インディーズレーベルGRADATIONを設立 ”(dea’s;la)、“いわゆるヴィジュアル系という言葉が誕生したヴィジュアル創世記に、シーンの先頭を切って活躍していた、元祖歌謡ロック系のバンドである ”(DECAMERON)、“ヴィジュアル系専門店 ”(CDアンダマンの広告)というように、シーンを指す言葉としては3例ほど使用されておりました。なお、担当ライターは「ヴィジュアル系」という言葉を96年頃にこれらのバンドを扱った女性週刊誌の特集で知ったので、今回の発言に繋がった次第です(オカンからの「アンタの好きなバンド出てるよ」というシチュエーションです)。特殊な事例を一般例として扱ったことにつきましてもお詫び申し上げます。(2022年3月15日追記)
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