MY HOME TOWN【鮭いくら編】

MY HOME TOWN【鮭いくら編】

土岐麻子のカバーアルバム『HOME TOWN 〜Cover Songs〜』に触発され、プレイリストを組んで“空想のロケ地”を語る連載企画【MY HOME TOWN】。

第九回は、音楽と寿司をこよなく愛する魚(虎)、鮭いくらによる5曲をお送りします。

前書き

この世に生まれ落ちて20数年、それなりに色々あったな。このプレイリストを作って、文を書いて、まずそう思った。

小学校卒業までを神奈川県で、中学校から高専卒業までを山口県で、そして今は就職して埼玉県に住んでいる。転勤族というほどではないが、ちょこちょこと住まいを変えてきた。それぞれの土地で、友人ができて喧嘩して恋をして敗れ、泣いて笑って怒って悲しんだ。

今回は、そんな記憶と共にある音楽を少しだけ紹介させていただく。これらのエピソードと音楽を通じて、どこかの誰かと共鳴できたらいいな、と思う。

①ゆらゆら帝国『通りすぎただけの夏』

【ロケ地】神戸と東京間の上空

頭がおかしくなるほど好きな男と夏を過ごしたことがある。彼は神戸に住んでいたので、月に一度は新幹線、夜行バス、飛行機を駆使して会いに行った。仕事が夕方からの日は当日の朝に帰って、そのまま職場に向かうこともあった。そうまでしても、少しでも長い時間一緒にいたかった。彼を好きすぎるあまり、私はちょっと狂っていたのだ。理想の二人になりたいと、彼のことを全部知りたいと、そして自分の全部を知って欲しいと、本気で思った。そのくらい好きだった。

“知らない彼と彼女は理想の二人になる”

九月末、仕事の合間を縫って会いに行き、帰りの飛行機で朝焼けを見た。ぎらつきを感じさせない桃色の朝焼け。それを見たとき、夏が終わった気がした。イヤホンからこの曲が流れていたせいかもしれないし、飛行機の中がやたらと寒かったからかもしれない。とにかく、)ひとつの夏があの瞬間、静かに終わった。その日を最後に、彼とは二度と会わなかった。

今でもこの曲を聴くと、あの日見た朝焼けと別れ際に握った手の感触を思い出す。彼の幸せを願えたことはない。

“動機もなく訪れて 動悸もなく消える ガラス箱のふた閉めた 無言で夏が終わる”

②RIP SLYME『太陽とビキニ』

【ロケ地】鵠沼海岸沿い 国道134号線

「サンシャイン輝ける日々に〜」「デイライ〜太陽とビキニ〜」「ムーンライ〜砂浜と君に」「恋焦がれて死んでしまいそうぉう〜」

社会人になって初めての夏。私は幼馴染の車で鵠沼海岸へ向かっていた。

大人になり、生まれ初め海と離れ、気がついたことがある。私はどうやら海が好きらしい。これまで住んだ地はどこも海が近くて、少し高い場所に行けばすぐに水平線を拝むことができた。しかし埼玉県に住んでみると、海がない。高台に登っても山しか見えない。なんてことだ。息苦しささえ覚え、海が見たい、海が見たい、と喘いでいたら、神奈川に住む幼馴染が海へ連れて行ってくれることになったのだった。

幼少期を神奈川県の湘南で過ごしたこともあり、お世辞にも綺麗とはいえない鵠沼海岸が私にとっての海。海沿いに引かれた国道134号線を走って、ビキニや海パン姿で自転車を漕ぐサーファーを追い越し、吐きそうなくらい濃い海の空気を目一杯体内に取り入れる。

‘‘今日も熱い一日になりそうさ’’!

③FLIPPER’S GUITAR『バスルームで髪を切る100の方法』

【ロケ地】実家の風呂場

“髪を切るさ バスルームで一人きり大暴れ

その日私は、単純にシンプルにただ、前髪を切りすぎた。深追いした前髪は眉毛の上でそよそよ揺れている。どう考えても短すぎる。ちくしょう、と、自身に悪態をついたときに流れていたのがこの曲。友人に「聴くと鮭を思い出す曲」というプレイリストを作ってもらい、それを聴きながら前髪を切っていたのだ。

高校生の私は、自由が欲しくて、自力では何もできないのになぜか無敵な気がして、パワーと時間だけを持て余していた。そして、その持て余した二つを斜に構え、世間を貶すことで発散していた。クソッタレな気分を蹴飛ばしたくて仕方がなかったのだ。ピストルならいつでもポケットの中にあるし、と思っていた。言うことや考えることだけが大きくなって、なんでもできる気がして、でも前髪さえうまく切れやしない。

もとより短いまろ眉が丸出しになって、間抜けな顔になった自分が鏡に映る。風呂場で、少し気の抜けた、明るい小山田圭吾の歌声が響いていた。

④ASIAN KUNG-FU GENERATION 『十二進法の夕景』

【ロケ地】夕方の山口県宇部新川駅周辺

高校生の頃にアジカンを知って、なんて夕方の宇部新川駅に合うバンドなんだろう、と思っていた。その感想を学校の先輩にそのまま伝えたら「アジカンはどこで聴いてもいいんだよ」と言われた。就職に伴って山口県を出た今は、先輩の言葉がよく理解できる。でもやはり、最初に抱いた感想は変わらない。

そもそも、宇部新川駅とは。庵野秀明のおかげでやや知名度が上がったような気もするが、山口県に住んでいなければ知ることもないであろう。とはいえ山口県の中では多少大きな駅で、本屋や良い雰囲気のカフェ、学生時代によく利用したライブハウスもその周辺にあった。

放課後、本屋に行った帰り道、覚えたてのアジカンを聴きながら駅周辺を歩いていた。決して明るくはない曲調と、アジカン独特の、荒いような柔らかいような、そして懐かしさを感じさせるサウンドや声が、広い道路と空、少なすぎる人通りにぴったりだと思った。これ以上にこの景色に合う曲はない。それ以来、アジカンは故郷のようなバンドになって、揺るぎなく私の中にいる。

⑤Cymbals 『Highway Star, Speed Star』

【ロケ地】山口県から神奈川県まで 深夜の高速道路

この曲を聴いて思い出すのは、県の通過を知らせる母親の声や、トラックが横切っていく音、こちらが眠っていると思い込んでいるのか、私たちの前では普段話さないような、真面目な会話をしている両親の声、ちかちかと流れていくオレンジ色のライト、赤いテールランプ。

中学生の頃は、母親の実家に車で帰省していた。当時住んでいたのが山口県で、母の実家は神奈川県だった。片道900kmほどの旅になる。車で移動する距離では到底なかった。軽自動車なので、ふかふかの椅子がついているわけでも、満足に眠れるベッドがあるわけでもない。身体的には相当しんどかったはずなのに、どうしてか、記憶に残っているのは楽しかったことだけだ。

一日中車に乗っていて、特に好きな時間帯が深夜だった。大きなトラックが増えてきて、街灯がイルミネーションのように生き生きして、サービスエリアは静かに呼吸している。いつもは眠っている時間、という特別感も相まって、ずっと起きて外を眺めていた。流れるテールランプが美しかった。時折、それら全てが合わさって胸に湧き上がる高揚感を思い出したくなって、この曲を聴く。

 

音楽と共にある記憶を愛している。恥ずかしいけど愛している。言えばいいというものではないけど、愛している。愛を噛み締めて、今日もまた音楽を聴く。

 

鮭いくら