<特別掲載>MY HOME TOWN【まっつ編】

<特別掲載>MY HOME TOWN【まっつ編】

土岐麻子のカバーアルバム『HOME TOWN 〜Cover Songs〜』に触発され、プレイリストを組んで“空想のロケ地”を語る連載企画【MY HOME TOWN】。

第八回目は、本企画に熱く共感を寄せてくれた読者による番外編。Webサイト『peedog』主宰、音楽/映画/特撮など、多岐にわたってカルチャーを掘り下げるライター、まっつによる5曲をお届けします。

前書き

まず断っておくが、ここに語るに足る物語はない。私がしたためるのはただの、本当にただの個人的な思い出と、そこに分かちがたく結びついた音楽の話だ。それはほとんどがおぼろげで、仔細を語るには時間が経ちすぎている。だから誇張もあるだろう。きっと美化もしているだろう。

そんな風に、半ば風化した状態でこびりついた記憶を掘り起こすのは、ある意味禊に近い。書き記すことで自らを清め、これまでを棚卸しする。

ことほどさように、今からする話は過去の塵芥に過ぎない。だから有益なものではないし、見る人がどれほどいるかもわからない。だが、覗いていってくれたら少し嬉しい。これからするのは全て、私が愛したものたちの話だから。

UVERworldEMPTY96

【ロケ地】東京都足立区 西新井大師前

あまりに定型化された言い回しが嫌いだ。希望や絶望に全振りしたリリックもまた然り。内実は一言で括れるほど単純じゃないハズだろ、と思う。

中学生の時分、いじめと呼ぶにはささやかな、しかし生気を削り取るには十分なちょっかいを受けていた私がなんとかその日その日を生き延びることができたのは、間違いなくUVERworldのおかげだ。父からのお下がりでもらったCDウォークマンに彼らのアルバムを突っ込み、実家に程近い西新井大師の前を、ウエストバッグを揺らしながら自転車で駆けたことは一度や二度ではない。

“この世界に平等なんて何処にも無かった”

“全てのすばらしい事だって初めは一人からだった”

彼らは絶望と希望を同時に歌う。誰かの色に無理に染まらずとも、スタンドアローンなまま生きていても良いのだと、一言に括らず訴える彼らのことを、私は今でも信頼している。

Led ZeppelinAchilles Last Stand

【ロケ地】東京都荒川区 日暮里・舎人ライナー 日暮里駅のホーム

高校は区外に進学した。あいつらと学校が変わってからも付き合うのはごめんだと思ったからだ。そのおかげ、というワケでもないだろうが、高校生活は(色々ありつつ)全体としては楽しかった。自らの容姿や趣味に表立って非難の目を向けられないことが、こんなにも嬉しいものだとは。

この頃から海外の音楽に少しずつ触れ始める。中でもLed Zeppelinのこの曲は強烈だった。展開そのものは単調、ボーカルの高音は素っ頓狂、何より10分以上の長尺。それなのに声を含めた各楽器のフレーズがいちいちかっこ良く、60分ほどある通学時間でこの1曲だけをリピートして聴くこともしばしばあった。

“Oh, the fun to have / To live the dreams we always had”

当時はリリックの意味なんて知らずに聴いていたが、今となっては「本当にそんな三年間だったな」と思う。

0.8秒と衝撃。『馬、馬、馬、』

【ロケ地】東京都渋谷区 恵比寿LIQUIDROOM

大学受験には失敗した。ロクな勉強をしていなかったから、当然の結果だ。なんなら受験勉強をナメていたな、とすら思っている。そんな私は高校卒業後、約一年間フリーターをしながら進路を探し、イラストを学ぶために専門学校へ入学する。0.8秒と衝撃。のライブを観に行ったのはその直前。彼らのことは数年前、とあるラジオ番組のコーナーでマンスリーMCをしていたときから知っていたが、ライブへ足を運んだのはこの日が初めてだった

最前列近くでぎゅう詰めになりながら、細かく刻まれるビートやハモってんだかハモってないんだかわからないツインボーカル、手を取り合っては離れを繰り返すトラックと歌メロを浴び続ける様は、はたから見れば珍妙な光景だろう。しかしアリーナでのライブ鑑賞が多かった私は、このとき初めて、理論をぶっ飛ばして蓮っ葉に転げ回ることの快感を知った。

“僕らは走るよ 誰求めずとも”

高校卒業後ストレートで大学進学、という順風満帆なレールを外れたそのときの私に、この言葉が励みになったことは言うまでもない。

amazarashi『タクシードライバー』

【ロケ地】東京都足立区 北千住駅 東京メトロ千代田線から東武伊勢崎線への乗り換え途中

結局、専門学校も一年で中退。再びフリーターに戻り、入学金を貯めてから四年制の大学に進学した。我ながら歳を経るたび、人生のハンドリング操作が下手になっているのを感じる。

蛇行運転を繰り返してばかりの私にとって、amazarashi『世界収束二一一六』は聴き流すことのできない作品となった。特に、冒頭に収録されたこの曲の密度たるや。単なる厭世でも呪詛でもない、しかし強い怒り。多様性のお題目から弾かれてしまう視点を切り取るリリック。脚韻で無理やり帳尻を合わせた言葉数の多さが表象する、いっぱいいっぱいなフィーリング。しばらく他の作品はおろか、本作の2曲目以降に進むことすらできなかった。

“排他主義反対と疎外する人間が居て 暴力反対という暴力には無自覚な奴が居て”

ダイバーシティを掲げる企業の面接に落ちるたびに、オンライン上に溢れる思想対立を目にするたびに、このフレーズが頭をよぎった。あちこち寄り道しながら生きてきた私は、ひとつの場所に辿り着けるのだろうか。就職活動の帰り道に、よくそんなことを考えていた気がする。

Panorama Panama TownSO YOUNG

【ロケ地】東京都豊島区

かつて私にはヒーローが二人いて、それは真島誠と石ノ森章太郎だった。大学卒業と同時に池袋から程近い場所で一人暮らしを始めたのは、彼らが息づく街だったからだ。そして今、ウエストゲートパークやトキワ荘ミュージアムの横を散歩する道すがら、iPhoneにBluetoothイヤホンを接続して新たなヒーローの楽曲を反芻する。

“SO YOUNG 噛み締めろ 不揃いなままでステップを刻もう”

もう若いとはえない年齢になった。そのくせ、ひとつの場所に辿り着いた気もしない。相も変わらずいろんな意見に首を傾げてばかりだし、やりたいことも三日坊主で飽きては、その残骸を撒き散らしている。可能性の死屍累々の上に立ってもなお、そんな生き方をやめられない。優柔不断。支離滅裂。確かにそうだろう。

 

それでも、きっとそのまま進んでいく。真島誠のような人助けもできないし、石ノ森章太郎が残した多くの名作に値する何かも作れていない。だけど、今はそれでいいと思える。「これは自分が選んだもの」「これは自分の手で作ったもの」と言える何かさえあればなんとかなると、この曲に教えてもらったから。

 

 

 

(執筆、写真提供:まっつTwitterpeedog

 

musit編集部