【映画公開記念】フィッシュマンズが紡いだ季節/前編:SEASON

【映画公開記念】フィッシュマンズが紡いだ季節/前編:SEASON

少し前、自分がまだ海外に住んでいた時、いつもヘッドホンをぶら下げて歩いていたので、知らぬ間に音楽が好きな友人が増えていた。大体いつも「日本の良いバンドは?」と聞かれる。どんな時も間違いなく、僕は「フィッシュマンズ」と答えた。彼らは掛け値なしに唯一無二のバンドだった。

ダブのリズムを武器に大海へ飛び出したフィッシュマンズの楽曲は、僕らを知らない世界へ連れ出した。中でも「SEASON」「LONG SEASON」が見せてくれるのは本当に、この世のものではないような景色だ。今更なのは承知、しかし僕はフィッシュマンズについて語らないではいられない。感謝してもしきれないくらい、彼らには救われて来たんだから。

ダブ&バンド・サウンドで手に入れたアイデンティティ

フィッシュマンズは、明治学院大学のサークルでギター/ヴォーカルの佐藤伸治を中心として1987年に結成されたバンドだ。彼らは素晴らしい勢いで90年代を駆け抜けた。ただ、メジャー・レーベルに所属し売れたいと願いつつも、ビッグセールスとは縁遠かった。新しすぎたのだ。彼らが正当に評価されたのは20年近く後、10年代後半になってからだった。

1stアルバムは、91年の『Chappie, Don’t Cry』。バンド・サウンドにダブ/レゲエのリズムを融合させ、独特の浮遊感を手に入れた。ダブというリズムに存在する音の空間に、佐藤の甘ったるく陽気なヴォーカルが絡まりついたフィッシュマンズの音楽性は、人に一種の不安を感じさせた。しかし、その中に含まれる普遍的な共感と些細な優しさは多くの人の胸を打った。

それから着実に進化を重ね、彼らのサウンドは94年の4thアルバム『Orange』で1つの完成形を見せる。あまりにも有名な「いかれたBABY」や切実な歌詞が胸を打つ「感謝(驚)」など、4枚のアルバムはどれも名曲揃いだ。しかし、その後リリースされる『空中キャンプ』『LONG SEASON』『宇宙 日本 世田谷』のいわゆる《世田谷三部作》の仙境っぷりの前に、それ以前のアルバムたちは助走、道程、積み重ねという風に感じられてしまうかもしれない。

《世田谷三部作》――見たことのない景色へ

「SEASON」と「LONG SEASON」は、《世田谷三部作》が発表されたポリドール所属期のシングル作品だ。『Orange』までに推し進めてきたダブ/レゲエ&バンド・サウンド路線の向こうへと彼らは歩み始めていた。メジャーであるポリドールに移籍し、佐藤はより音楽に集中するためにプライベート・スタジオを作るようレーベルに交渉。当時ヒットとは程遠かった彼らに、レーベルはある条件と共にプライベートスタジオを与える。それは「2年間で3枚のアルバムをリリースする」というものだった。

この頃からフィッシュマンズは、鮮やかに色づいた空間をまとったような音楽を作るようになる。プライベート・スタジオの間取りなどの都合で、バンド全員でのレコーディングや生ドラムの使用が制限されたことで音作りが大きく変わったのだ。パートごとに録音されたそれぞれのサウンドを繋ぎ合わせ、かえって重厚で音響にこだわったアルバムが生まれていく。

移籍後1作目である96年発売のアルバム『空中キャンプ』の全貌は、これまでと全く異なる音と詩の集積だ。これまでの武器だったダブ・サウンドは鳴りを潜め、彼らの最大の美徳である浮遊感が力強くなっている。そこに漂う感情を十分に描けば、透明で形のない空気すら表現することができる。

また、ダブ感が薄まったことで、これまでもバンドの原動力であったリズム隊の柏原譲(ベース)と茂木欣一(ドラム)のセンスが見えやすくなっている。ダブ/レゲエ・サウンドの影で隠れていた「ロック・バンド」としてのフィッシュマンズの本質が表に出ることで浮遊感が強調される。そして、ロックらしさを根本から揺るがすリズム隊が目立ち始めるのだから、このバンドの奥行きの深さを痛感させられる。

『空中キャンプ』から「SEASON」へ

『空中キャンプ』で新たな地平に立ったフィッシュマンズだったが、彼らは満足をすることなく新しいものを作り続けた。『空中キャンプ』はある意味、初期4作の延長にあるものだったが、7ヶ月後のシングル「SEASON」で、彼らは単に過去の上に立った男たちではなくなっていた。

この曲に関して佐藤は次のように語っている。

この曲の詞の中にも出てくる「僕ら半分夢の中」、そんな中で、今あったことがもう過去になっていくような、気分を歌にしてみたかったのです。まるで何も見てなかったり、まるで地に足がついてなかったり、過去と未来がなくなったり、フッと逆に感じたり、
--フィッシュマンズ全書 その2 – 本と奇妙な煙より(※フィッシュマンズ関連の書籍や記事のアーカイヴをまとめたブログ)

ある種マジックレアリスティックな物語が発展しているように感じられるが、それは偶然ではないのだ。

「SEASON」で描かれる、現実を超えた景色

「SEASON」は間違いなくポップソングである。しかし何かが欠落している。また、異常に危うい美しさをはらんでいる。盛り上がりに欠け、風に吹かれていくようなサビのせいかもしれないし、ぐるぐると回っているような歌詞のせいかもしれない。

しかし、それでもこの曲にある切実な心情は心に突き刺さる。サビは聴者を置き去りにして飛んでいくが、目の前で手に取るように結末が起こっている。すんなりとまとまるコード進行は奇をてらったようなものでもなく、ごく自然だ。

水のように、流れていく音の中に様々な季節が繰り返されていく。過去と未来が歪む、佐藤の語ったような季節が描かれ、詞は秋へと続いていく。きっと脳裏に結ばれるのは、聴く人の過ごした全ての季節だ。まるで、クライマックスで突然花嫁が空へ浮き上がっていく中南米の小説のように、嘘のような出来事を目の当たりにして過去が洗われていくような感覚がある。

《世田谷三部作》のフィッシュマンズにおいて、もう1人のメンバーといえるプロデューサーのZAKは、「SEASON」を「佐藤伸治の本質が最も出ている曲だ」と評価した。そして、「これが佐藤の曲であり同時にメンバーや関わった人間すべての総意、そして未来だった」とも語っている。6分弱では底の見えないこのシングルを聴けば、フィッシュマンズの含んでいた未来への可能性は十分に感じられるだろう。

<後編へ続く>

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MOVIE

『映画:フィッシュマンズ』
2021年7月9日より、バルト9他全国順次ロードショー

90年代の東京に、ただ純粋に音楽を追い求めた青年たちがいた。彼らの名前は、フィッシュマンズ。プライベートスタジオで制作された世田谷三部作、ライブ盤「98.12.28 男達の別れ」をはじめ、その作品は今も国内外で高く評価されている。
だが、その道のりは平坦ではなかった。セールスの不調。レコード会社移籍。相次ぐメンバー脱退。1999年、ボーカリスト佐藤伸治の突然の死……。
ひとり残された茂木欣一は、バンドを解散せずに佐藤の楽曲を鳴らし続ける道を選ぶ。その想いに仲間たちが共鳴し、活動再開。そして 2019年、佐藤が世を去ってから 20年目の春、フィッシュマンズはある特別な覚悟を持ってステージへと向かう——。過去の映像と現在のライブ映像、佐藤が遺した言葉とメンバー・関係者の証言をつなぎ、デビュー30周年を迎えたフィッシュマンズの軌跡をたどる。(公式サイトより)

鈴木レイヤ