【前編】『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が暗闇に宿す、耳で観る極彩色の映画世界【4K公開記念】

【前編】『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が暗闇に宿す、耳で観る極彩色の映画世界【4K公開記念】

2000年のカンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールと主演女優賞を獲得した『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。ビョーク(Björk)を主演に抜擢し、監督は『メランコリア』『ニンフォマニアック』などで数々の賛否両論を巻き起こした鬼才、ラース・フォン・トリアー。その徹底的なまでに救いのない物語性から「トラウマ映画」の異名を持ち、映画史に残る絶大な衝撃を与えた本作品が、21年の時を経て4Kデジタルリマスター版として蘇った。

そこで、musitでは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサウンドトラックと、翌年リリースされ本作品と関わり深いビョークのアルバム『Vespertine(ヴェスパタイン)』について、前編/後編に分けてお送りする。

まず前編となる本稿では、サウンドトラック『Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark』から、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』における重要な物語の構造、そしてセルマの結末に至るまでをひもといていきたい。

※なお、本稿では物語結末に触れる描写を含むことをご理解頂いた上で読み進めてほしい。気になる方は映画鑑賞後にお読みいただくことをおすすめする。

物語の二重性とビョーク

四方を暗澹とした闇に包まれた箱の中を己の「視力」以外の感覚を使い、手探りで彷徨い歩く。終焉へ向かう107歩の物語、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が我々にもたらすのは救済か、はたまた絶望か──。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』4Kデジタルリマスター版
ポスター・ヴィジュアル

過酷な運命に翻弄されながらも、息子のためにすべてを投げ打つ主人公セルマ。セルマは先天性の病によって次第に視力を失いつつあるが、彼女にとって唯一の希望の光は、いつだって息子のジーンだった。決して華美で裕福な暮らしではないものの、彼女は愛に囲まれ満ち足りた生活を送っていた。

しかし、かのラースが我々とセルマを穏やかなハッピーエンドへとやすやす見送るはずがなく、ここから彼女を襲う悲劇の数々こそが後世に語り継がれる名作と言われる所以だ。

ミュージカルとドキュメンタリーの二重構造

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を語るにあたって、まずその特徴としてあげられるのは、ミュージカルとドキュメンタリーの融合形式である。そもそも「ダンサー・イン・ザ・ダーク」というタイトルそのものがヴィンセント・ミネリ監督の『パンド・ワゴン』の劇中歌「ダンシング・イン・ザ・ダーク」を下敷きにしたものであることからも、ラースのミュージカルへの愛情を見てとれる。また、牢獄の中に閉じ込められたセルマが『サウンド・オブ・ミュージック』の「My Favorite Things」を口ずさむ場面も作中に登場する。

セルマの目の高さに合わせられた手持ちカメラによるドキュメンタリー映像は無慈悲な現実世界を、デジタルカメラによる俯瞰や仰角を用いた完璧なミュージカル映像は空想の世界を表現しているわけだが、現実世界が虚構に対してセピア色に映るのは彼女の視力の低下した世界を映し出しているようにも考えられるだろう。

また、この現実と虚構の二重性はカメラの画角だけでなく、音楽によっても区別される。ミュージカルという音楽の魔法の中でのセルマの世界は、いつも彩り豊かだ。周囲の人々も生き生きとした表情で歌い出し、周囲の風景は彼女を引き立たせるための小道具となる。ちなみに、このミュージカル・シーンでは100台のデジタルカメラをランダムに配置して撮影するという、なんとも気合の入った撮影手法が採用されていることも念頭に置いておきたい。

共鳴するセルマとビョーク

『Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark』には全部で7曲の音楽が収録されているが、カトリーヌ・ドヌーヴとのデュエットが印象的な「Cvalda」や、ビョークがゴールデングローブ賞主題歌賞にノミネートされるきっかけとなった「I’ve Seen It All」をはじめ、周囲の音がトリガーとなってセルマは空想の世界に引き込まれていく。実際にこれらの曲は、工場の機械音や橋の上を走る汽笛の音などの大量の日常音のサンプリングを使用して作成されたものだ。

しかし、この日常音に音楽を生み出す才能と深く盲目な精神性を持つセルマの存在は、映画を彩る音楽を選ぶにあたってますますラースを苦悩させる。ラースは実際に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の劇中歌について以下のように語っている。

“今回の最大の課題は、どんな音楽を使用するかということだったが、私にはそれに関するアイデアが全くなかった。そこにビョークが入ってきて、私は彼女が想像した音楽がとても気に入った。それは映画の重要な位置を占める。セルマ役には彼女しかいないと思った ”
──『ダンサー・イン・ザ・ダーク』公式パンフレットより引用

ラースがビョークのスクリーンテスト(俳優や女優が映画や特定の役割を演じるのに適しているかどうかを判断するためのテスト)をしていなかったことに気がついたのは撮影の前日だった。しかし、ビョークは見事にセルマを演じあげ、完璧なまでにセルマに共鳴する。ビョークはセルマであり、セルマもまたビョークであった。セルマに代わりビョークが曲に込めた悲痛な叫びは、時に幻想の世界を揺蕩いながらも、残酷な程にその温度を損なうことなく観る者の心へと届いたことであろう。

「Overture」から「New World」へ──最後から2番目の歌の意味とは

『Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark』はインストゥルメンタル・ナンバーの「Overture」から幕を開ける。派手な演出がある訳でもなく、謎の幻想的な模様を前にストリングスの音楽が流れ続ける3分間に戸惑った方もいるだろう。

Overtureとは日本語で「序章」を意味する言葉であるが、どこまでも続く幽庵に閉ざされた物語の始まりにはぴったりのタイトルである。壮麗かつ美しい音楽に目を閉じゆったりと身を任せていると、この映像が視力を失ったセルマが見ている世界であるとも考えられる。しかしこの「Overture」において注目したい部分は、エンドロールに「Overture」のソング・バージョン「New World」が流れる点である。本編最後のカットでカーテンが閉まり、セルマを追っていたカメラはセルマの魂を追うように上へと登っていく。このセルマによる「新しい世界」は彼女が幻想世界の女優として舞台を華々しく降りたことを意味するのか、あるいは息子を盲信的に愛した殺人犯としての終わりと解放を意味するものなのか。

そして、興味深いのは「New World」への橋渡しとなるように絞首台でセルマが歌う「最後から2番目の歌」だ。この場面に至ってはミュージカル=セルマの空想世界という作品内での暗黙のルールが崩れ、幻想が現実世界に流れ出すという特異な現象が起きる。

“They say it’s the last song
They don’t know us, you see
It’s only the last song
If we let it be”

(これは最後の歌じゃない
分かるでしょう?
私たちがそうさせない限り
最後の歌にはならないの)

見方によってはセルマが必死にミュージカルの終わりを拒んだように、後に続く「New World」すらも彼女の描いた空想の続きであるとも考えられる。磔となったキリストの復活の如く、観る人々の祈りを経たセルマの「New World」は最後の歌にはならず、セルマはようやく受動的に音楽に耳を傾けるだけの「Overture」を脱し、自らの願いを未来に紡ぐ「声」をようやく得たのかもしれない。

光を求めた暗闇の踊り子が辿り着く先は「107 Steps」

軋む列車の音を皮切りに始まる「I’ve Seen It All」は映画本編ではジェフ役のピーター・ストーメアが叙情的に歌いあげるが、サントラ版ではレディオヘッドのトム・ヨークがその代わりを務めたことで話題になった。そしてビョークがセルマと精神的に符号を感じさせたように、トム・ヨーク自身も片方の目に障害を抱えていたこともなんとも奇遇である。

“I’ve seen it all, I’ve seen the dark
I’ve seen the brightness in one little spark.
I’ve seen what I chose and I’ve seen what I need,
And that is enough, to want more would be greed.”

(私は全てを見てきたの
光ひとつない
暗闇も
小さな閃光の中の
光りも
私は見てきたの
私の選択
私の必要なもの
もう十分だわ
これ以上望んだら
欲張りよ)

ただの強がりではなく、自分自身の現状を肯定し強い意志を持って「暗闇すらも見える世界」を信じて歩み抜こうというこの曲は、絶望の闇の中で歌い踊り抜くという本作のテーマに相応しい。

そして、この温かな希望に背を向けるように彼女を真の暗闇へと死神が誘う「107 Steps」では、監獄を響く無機質な数字が我々の心を締め付ける。どんな時も諦念ではなく息子に託した生への希望に溢れていたセルマも、この時ばかりは生々しい死への絶対的な恐怖の中を一歩ずつ踏みしめていく。そしていよいよ絞首台にたどり着いたセルマは、その短くも愛と音楽に満ちた生に幕を閉じるのだ。

この世のあらゆる理不尽を詰め込んだかのような破滅へ向かう壮絶なラストは、一度観てしまうとなかなか脳裏から離れてくれない。ラースが我々にかけた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の呪いは、他のどんな映画の魅力を持ってしても、なかなか中和することはできないだろう。

しかし、この物語は悲劇ではない。それはセルマがどんなに苦しい状況でも音楽による自分自身への救済を諦めなかったからだ。セルマの視覚に「映らなかった」風景こそが、彼女の聴覚を通して幻想世界を作り上げ、夜闇を照らす一筋の月明かりとして導いた。

そして、セルマがこの漆黒の闇の中で守り抜いた居場所を誰よりも理解していたのは、おそらくセルマと魂の深いところで高い親和性を抱いていたビョーク自身だった。

すなくじら