『ディア・エヴァン・ハンセン』現代を生きる全ての若者へ贈る、等身大の自分を許すための劇伴

『ディア・エヴァン・ハンセン』現代を生きる全ての若者へ贈る、等身大の自分を許すための劇伴

第64回グラミー賞最優秀サウンドトラック・アルバムに、『ラ・ラ・ランド』(2017)、『グレイテスト・ショーマン』(2017)の音楽チーム、​​ベンジ・パセックとジャスティン・ポールが担当が製作に参加しているミュージカル映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(2021)のオリジナル・サウンドトラックがノミネートされた。サウンドトラックには、劇中を彩る楽曲全11曲に加え、サム・スミス、サマー・ウォーカー、シザ、キャリー・アンダーウッドなど豪華アーティストが劇中歌をカバーしたバージョンの計5曲が収録されている。

今回は、映画音楽界を牽引する最強のチームが手掛けたナンバーの魅力に迫ると共に『ディア・エヴァン・ハンセン』のサウンドトラックから、作品世界の理解を深めていきたい。

※なお、本稿では物語結末に触れる描写を含むことをご理解頂いた上で読み進めてほしい。気になる方は映画鑑賞後にお読みいただくことをおすすめする。

現代の若者の苦悩を写す鏡としての『ディア・エヴァン・ハンセン』

ブロードウェイで初めてSNSを題材に扱い、これまでにない構成を取り入れたミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』。ブロードウェイ版の初代エヴァン役、ベン・プラットが映画化にあたり主演を務めたことも話題を呼んだ。

エヴァン・ハンセンは学校に、また家族に心を開けず、友人と呼べる存在もいない。ある日彼は、カウンセリングの課題として自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、悪評高い同級生のコナーに持ち去られてしまう。それは自分の心のセンシティブな部分を曝け出した、エヴァンの「心の声」が書かれた手紙だった。後日、校長とコナーの親族から呼び出されたエヴァンは、コナーが自ら命を絶った事を知らされる。

思いやりの嘘を隠すために嘘を重ねることで、虚構の幸せを手にしたエヴァン。本作で彼の人生を大きく変えるきっかけになるのがSNSの存在だ。

本作の登場人物たちは孤独や葛藤を抱え、人間関係への不安を始め、時にはメンタルヘルスに関して抱える問題について語る。劇中、エヴァンが学校では派手で活発な同級生・アラナが実はうつ病を抱えていて、薬を飲みながら登校していることを知る場面では「The Anonymous Ones」が流れる。匿名の人々を象徴するタイトルのこの曲は、SZAによるカバーバージョンが配信されたことでも話題になった。

‘‘Keep on keepin’ secrets that they think they have to hide
What if everybody’s secret is they have that secret side?
And to know, to know we’re not alone
Is all we’re hopin’ for

後ろめたい秘密をずっと心に隠し持っている
でも誰にだってそんな秘密があるとしたら?
孤独じゃないって知ること
願っているのはそれだけ’’

歌唱シーンの撮影では、信憑性を重視してライブ音源にこだわったという話もある本作。舞台版から引き続き、映画を彩る楽曲を担当するジャスティン・ポールは

「僕たちはキャラクターの会話の延長として曲を作った。映画版では、観客にいかにリアルに感じてもらえるかが重要だった」──引用:サウンドトラックが第64回グラミー賞にノミネート! 映画『ディア・エヴァン・ハンセン』最強音楽チームが追求した“楽曲の製作秘話”とは?

と語っている。『ディア・エヴァン・ハンセン』 はSNSという仮想空間における匿名の世界の形を浮き彫りにする物語であるとともに、現代の若者が現実で抱える社会への不安や心の問題を、音楽という1つの橋を渡って訴えかける作品であると言えよう。

ミュージカル映画としての役割と「You Will Be Found」

映画の幕開けを飾る曲であり、『ディア・エヴァン・ハンセン』 の中でも人気高いナンバーが「Waving Through A Window」だ。この曲は、初夏を思わせるほど爽やかなピアノの清々しいメロディとはアンバランスな、日々の現実の重みをそのまま投影したかのような歌詞が特徴的である。やり場のない葛藤が、心情はそのままにポップで耳馴染みの良い曲に形を変えているのは、さすがはミュージカル映画界の最強チームだからこそなせる技であろう。

‘‘On the outside, always looking in
Will I ever be more than I’ve always been?
‘Cause I’m tap, tap, tapping on the glass
I’m waving through a window

僕はいつも外側にいて、中を覗き込んでいる
いつの日か、今よりましな人間になれるかな
ガラスをひたすら叩いては窓の向こうに手を振り続ける’’

輪の外側にいること、誰の心にも留まることのできない、エヴァンの悲しみと疎外感を歌い上げたこの曲と対となるのが「You Will Be Found」だ。

‘‘Even when the dark comes crashing through

When you need a friend to carry youAnd when you’re broken on the ground
You will be found


暗闇に襲われ挫けそうなときは
僕が君のこと
見つけよう
’’

誰もが心の奥に秘めている孤独に対するエヴァンの力強いメッセージは、コナーとの架空のメモリーを通して強く世界と繋がっていく。輪の外からいつも見ていた「何者でもない」人間が、1人の青年との出会いによって変わっていく姿は、SNSにより拡散されて人々の心を波紋のように動かしていく。

エヴァンの動画や寄せられたコメントに感動した人々は「コナーに会ったこともないけど、みんなの言葉を読んで彼を感じます」と口々に彼を称賛するようになる。この「間接的な刺激によって心がに感化される」という体験は、従来のミュージカルでは表現し難いものであったことだろう。そもそもミュージカルという表現形式そのものが、歌や踊りをはじめとした不可逆的なパフォーマンスによって人々の心に届けられるものだからだ。しかし本作は「ミュージカル映画」の強みを活かし、公式が掲載する本編映像をはじめとした映画のワンシーンを動画としてそのまま拡散することによって、物語を現実世界の日常として落とし込むことを可能にした。だからこそ本作品は、映画の外の世界でも物語同様に我々の心を揺さぶりかけてくる。

誰かに見つけてもらうことへの切望をミュージカル映画の最高の形として落とし込んだ「You Will Be Found」は、この映画を代表とするアンセムとも言えるだろう。

ハッピーエンドを待ち詫びる日々の中で

深くは映画の結末の核に触れる部分になるため言及を控えるが、実は映画『ディア・エヴァン・ハンセン』はオリジナルのブロードウェイ版とは微妙に分岐したラストを迎える。オリジナル・ブロードウェイ版にはなかった映画版のために書き下ろされた楽曲が「A Little Closer」だ。アコギの音色が悲しくも優しい子守歌のような響きを携えて、観客をフィナーレへと誘う。

完璧なハッピーエンドなど、端から存在しないのだ。それでも「今日は少しだけ近くなった気がする」と歌うこの曲が示すのは、人と人との距離であり、自分への夢への道のりであり、自分が目指す形の幸せにたどり着くまでのカウントダウンなのかも知れない。

エヴァンの迎える結末は、人にってはなかなか受け入れがたいかも知れない。しかし、エンドをどう受け取るかはエヴァン次第、ひいては観客である我々の感性によって変化する。『ディア・エヴァン・ハンセン』は主人公による主人公のための手紙だ。そしてエヴァンという繊細な主人公を媒介して我々が目にするのは、この世界に生まれ落ち、外界に傷つけられながらも1人では生きていけない、自分自身の姿である。「Dear」に始まる宛先はエヴァンだけではない。心の機微に寄り添う音の海に彩られたこの映画は、誰でもない、あなたによる、あなたのための映画でもあるのだ。

musit編集部