『Coda コーダ あいのうた』共依存と心の闇を超える家族愛

『Coda コーダ あいのうた』共依存と心の闇を超える家族愛

「コーダ」──聞き馴染みのない言葉だ。

「Children of Deaf Adult(s)」の略称で、「聞こえない親を持つ聞こえる子ども」を指す言葉が「CODA(コーダ)」。だが、それを知っている者は少ないだろう。

そんなコーダを取り上げた作品として、2021年にApple TV+で配信、2022年1月より日本でも劇場公開された映画『Coda コーダ あいのうた』。本作はコーダと聴覚障害(編集者注:記事末尾にて)の家族が、最も縁がないと思われる「音楽」をきっかけに心を1つにする物語だ。

この映画は、実際に耳の聞こえない俳優が起用されている。父親のフランク役を演じたトロイ・コッツァーは、本作で男性聾(ろう)者として初めてアカデミー賞・助演男優賞にノミネートされた。他にも作品賞、脚色賞と計3部門にノミネートされ、早くも2022年のベスト映画の1つとなっている。

聴覚障害についての映画は多く存在するが、この映画はコーダという言葉を世界的に広めるきっかけとなった。そんな『Coda コーダ あいのうた』は、いかにして人々の心を掴んだのか。監督であり脚本家でもあるシアン・ヘダーがこの作品に懸けた想いを、キャストや制作秘話に触れながら読み解いていきたい。

※以下、若干のネタバレを含むが、核心を突くような記述はあえて避けている。映画を観てから記事を読むのはもちろん、観る前でも映画を楽しめるので是非読んでいただきたい。

音楽映画ではなくヒューマン・ドラマ──物語を彩るキャスト

あらすじ

“豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で1人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき・・・。”
──映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイトより一部抜粋

『Coda コーダ あいのうた』ポスター・ヴィジュアル

音楽を題材にした映画だが、これは「音楽映画」ではない。音楽はきっかけとエッセンスであり、全体を通したテーマはあくまで「家族」だ。そのため、主人公のルビーが1曲を通して歌を歌い切るシーンはほとんどない。聴覚障害の家族と歌が好きなコーダという、相反する家族の物語なのだ。こういった音楽を軸にしたヒューマン・ドラマは、イギリスの映画監督、ジョン・カーニーが得意としている。

耳の聞こえないキャストたち

作中で主人公の家族を演じるのは、実際に耳の聞こえない役者たちだった。母親のジャッキー役であるマーリー・マトリンは、幼少期から左耳は20%ほど、右耳は全く聞こえない聴覚障害者だ。そんな中で役者を志し、1986年の映画『愛は静けさの中に』でアカデミー賞・主演女優賞を獲得している。

ジャッキー・ロッシ役:マーリー・マトリン

また、父親のフランクと兄レオ役は、聴覚障害者の演劇コミュニティから本作に抜擢された。フランク役のトロイ・コッツァーは、17歳の時に『愛は静けさの中に』のマーリー・マトリンを観て、「耳の聞こえない自分でも役者になれるのではないか」と希望を与えられたという。この配役はなるべくしてなった、本当の家族のような関係と言えるのだ。

フランク・ロッシ役:トロイ・コッツァー

コーダを演じる少女

物心ついた時から家族に対する責任を感じていた主人公・ルビー役には、イギリスの女優エミリア・ジョーンズが抜擢された。

ルビー・ロッシ役:エミリア・ジョーンズ

父親が歌手だったこともあってか、彼女の歌声は美しく伸びやかで、ルビー役にぴったりだろう。また、初めて習った手話にも慣れ親しみ、すぐに覚えたという。彼女は気も強く、実際の年齢よりも大人びており、家族の代表として常に気を張らなくてはならないコーダの少女として、これ以上ない配役となった。

なお、恋人・マイルズ役のフェルディア・ウォルシュ=ピーロは、先述したジョン・カーニーが監督を務めた映画『シング・ストリート』で主役を演じているので、気になった方はそちらもチェックしていただきたい。

マイルズ役:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

心の闇を超えて繋がる家族の絆

さて、ここからは映画のテーマである「家族」、そして本作の見所について触れていきたい。

先述した通り、この映画は「音楽映画」ではない。音楽はあくまで物語のきっかけであり、大切なのは「コーダと耳の聞こえない家族」だ。彼らはお互いに助け合い、傷つけ合い、そして愛し合っている。お互いが存在しなくては生きていけないとすら感じている。共依存とすら言える彼らの心の闇こそが、この映画の主軸となっているのだ。

誰よりも大人びた主人公、ルビー

主人公のルビーは、毎日学校に行き、歌が好きで気になる男の子がいる、ごく普通の女の子だ。ただ一点、自分以外の3人の家族は耳が全く聞こえない、ということを除けば。

彼女は毎日朝の3時に起き、家族を起こし、共に漁に出て、代わりに魚を売る。それから学校に行くので、服には魚の臭いが付いてしまい、クラスメイトにからかわれる。それでも彼女は毎日家族のために起きて漁に行く。さらに、学校と漁の合間を縫って放課後と週末には歌のレッスンにも通う。どんなに魚が臭かろうと漁を嫌がりもせず、家族のために通訳をこなす。からかってくるクラスメイトに言い返すこともない。漁のせいでレッスンに遅刻して教師に叱られても言い訳をしない。彼女は作中のどの人物よりも大人なのだ。

監督のヘダーは、ルビーの人物像を形作るために何人ものコーダと会話をした。そこで浮かび上がったコーダの共通点は、みんな実際の年齢よりも大人びていた、ということだ。コーダたちは親に伝達係を強要される中で、あっという間に人一倍多くの大人の事情に身を置いてしまうそうだ。ルビーもそのうちの1人である。家族たちの通訳をしているうちに、彼女は文句の言えない大人のような少女になってしまったのだ。

陽気な両親と、ルビーとの共依存

ルビーの両親は、2人とも耳が聞こえない。しかし、それを感じさせない陽気さと力強さがある。時々それが空回ってしまいルビーに怒られるが、それをものともしない。

父親のフランクは祖父の代から漁師をしており、耳が聞こえないというハンデを克服し、周りの漁師仲間にも信頼されている。しかし、耳が聞こえないというコンプレックスを人一倍抱えており、レオやルビーが新しいことを始めようとすると「失敗するから」という理由で引き留めてしまう弱さもある。母親のジャッキーもまた、ルビーの歌唱力の高さを信じられず、耳の聞こえない自分への反抗心だと勘違いしてしまう。

2人は通訳としてルビーに頼り切り、いつまでも一緒に漁をするものだと信じ切っていたのだが、ルビー自身もまた「家族を助けられるのは自分しかいない」と思い込み、それ以外の可能性を摘んでしまう。お互いに依存してしまっているのだ。

そんな両親だが、ルビーの歌う姿を目撃し心境が変わっていく。最終的な決断はぜひ劇場で目撃してほしい。

反発する兄妹と兄心

兄のレオは既に学校を卒業しており、父を継ぐために漁を手伝っている。短気で口が悪く(会話はもちろん手話だが)、暇さえあればマッチングアプリを開いているろくでもない兄貴、という印象だ。

家族で唯一耳が聞こえるルビーが家族の中心にいるのが気に入らないか、彼女に反発し衝突する。「お前が生まれてくるまではこの家族は平和だった」──そう吐き捨てるように言い放った彼だが、本心は違った。レオは誰よりもルビーの才能を認めていたのだ。

レオ・ロッシ役:ダニエル・デュラント

耳が聞こえ、歌が好きで評価されているのにも関わらず家族のために自分を犠牲にして夢を諦めようとするルビーを、彼は叱った。不器用な彼は目が合えば悪態を吐くが、ルビーの合唱の発表会にはしっかりと足を運び、聞こえない耳で彼女の歌声を聞こうとした。周りの観客の反応でルビーの才能を確信したレオは、満面の笑みで自分のことのように喜び両手をヒラヒラと激しく振った。それが手話で拍手を表すということは説明がなくても誰の目にも明らかだ。

作中で常にルビーに反発していたのは、彼女に家族の犠牲になってほしくないというレオの兄心だったと気付いた時、私は涙を堪えることができなかった。

監督が伝えたかったメッセージとは

『Coda コーダ あいのうた』はフランス映画『エール!』が原作となっている。同じく聴覚障害の家族を持つ主人公が歌手を目指す物語を、なぜタイトルを変えて新たに制作したのだろうか。そこには、監督であるシアン・ヘダーの熱意が込められていた。

『エール!』ポスター・ヴィジュアル

コーダを知るために

脚本家であり監督でもあるヘダーはまず、聴覚障がいそのものを知ることから始めたという。

アメリカ式の手話の中でも「ASL」(American Sign Languageの略称)は感情表現を表すのに長けており、アメリカ英語の単なる置き換えではなく、創造的で生き生きとした流麗な手話だ。ヘダーはASLを学んで、聴覚に障害があり、俳優でダンサー、監督、教育者でもあるアレクサンドリア・ウェイルズを、本作のASL監督(DASL)として迎え入れた。

さらに、ヘダーは先述したようにコーダの子供たちへのインタビューを行った。家族と同じ言語が話せない子供たちと、子供に頼ることを余儀なくされる親たちのジレンマや葛藤を目の当たりにし、ヘダーは『エール!』というタイトルを使うのをやめた。家族の感動物語ではなく、家族の共依存と、それを超える深い愛をメッセージとして込めたのだ。

タイトル、ましてやサブタイトルからは、どんな物語なのか初めは想像もつかなかったが、映画が終わり、タイトルの意味を調べた時、自分の無知を恥じた。コーダと呼ばれる子供たちが存在すること自体、考えたこともなかったのだ。多くの人がそうだろう。しかし、シアン・ヘダーはそんな我々に、コーダという存在を知るきっかけをくれた。

コーダとその家族にとって、我々にできることは決して多くはないかもしれない。だが、この映画をきっかけに彼らを知り、助け合える日が来る──そういう意味で『Coda コーダ あいのうた』という映画は、これからのバリアフリー社会を考えるための指標とも言えるのだろう。

(写真=映画.comより引用)

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【編集者注】「障害」の表記については「障害」「障碍」「障がい」など、メディアや自治体によって様々な表記がなされているが、musitでは「障害」の表記を採用した。理由については以下の通り。

①musitでは主に常用漢字表記に基づいて漢字を表記している(固有名詞など例外は除く)。
②「障がい」と表記することを快く思わない当事者への配慮。
③「障害」は障害者自身にあるのではなく、社会が障害を作ってしまっており、それを取り除くべきだという考え方への支持。

なお、下記の記事も是非参照されたい。

参考記事

障害、障碍、障がい その表記の違いはいつから?
「障害」「障がい」「障碍」って表記の違いはどうしてあるのかな?
「障害者、障碍者、障がい者」の違いは?漢字を分ける理由と経緯

Goseki