ミュージカルアニメ映画『犬王』で薔薇園アヴが示したロック・スターの真骨頂
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞などを受賞した『マインド・ゲーム』(2004)、森見登美彦の小説をTVアニメ化した『四畳半神話大系』(2010)など数多くの話題作を手掛けてきた鬼才・湯浅政明監督によるミュージカルアニメ映画『犬王』。
本作は古川日出男の2017年の小説『平家物語 犬王の巻』を原作とし、室町時代に人々を魅了した実在の能楽師・犬王をポップスターとして描いている。また犬王のボイスキャストに今や国内外問わず注目を集めるロック・バンド、女王蜂の薔薇園アヴ(以下アヴ)を起用、松本大洋がキャラクター原案を作成するなど、錚々たるキャストとクリエイターが制作に参画したことでも話題となった。
今回はアヴ演じる犬王のキャラクター性を紐解くとともに、女王蜂のヴォーカルとしての彼女とロック・スターである犬王の共通点、及び本作が音楽映画として視聴者に何を訴え掛けたかったのかを、女王蜂がこれまでにリリースした楽曲や劇中歌を挙げながら探っていく。
※できるだけネタバレには配慮しているが、一部あらすじにも触れるため、どうしても気になってしまう方は映画の鑑賞後に再び本記事を訪れてほしい。
「犬王とアヴ」鏡合わせの2人
『犬王』の舞台は平家の時代から約200年後の室町時代。琵琶法師・友一は猿楽能の一派・比叡座の棟梁の息子である犬王に出会う。犬王は能楽師として天才的な才能を持っていたが、異形の姿を理由に正当な能楽師として本家には受け入れられておらず、オリジナルの舞を舞う。目の見えない友一は犬王の異形の姿に怯えることもなく、彼を1人の友人として受け入れる。友一の奏でる音と犬王の舞いはあっという間に世間で話題となり、時代を揺がす新しいパフォーマンスとして民から支持されるようになる。

まだ映画を観ていない方にはなかなかイメージがつきにくいかもしれないが、「犬王」は異形の化物である。顔のパーツの配置や手の長さも普通の人間とは大きく異なる。パフォーマンスを人前でする時には必ず面を着用しており、人気が集まるにつれて「面の下の素顔」を見たがる民も増えてくるのが、現代のインターネット・カルチャーにおける歌い手文化に重なる部分もあって面白い。
女王蜂のフロントマン・アヴといえば、ジェンダーレスな存在感と音域を問わない圧倒的な歌唱力が印象的だが、ボイスキャストとしても犬王の子供時代から大人になるまでの音域を完璧にカヴァーしている。
ミステリアスなロック・スターとしてリスナーを惹きつけるアヴと未知の呪いに苛まれながらも唯一無二の音楽性を模索する犬王のあまりのシンクロ率については、湯浅監督が『犬王』のパンフレットで「逆にキャラクターを演者の方に寄せて考えるとしっくりくる感じになった」と述べているのを踏まえ、アヴありきでの犬王の完成と考えると納得できるだろう。
ちなみに『犬王』の製作に合わせて、バンドとしてはシングル「犬姫」を配信リリースした女王蜂であるが、アヴ本人曰く「犬王が好きすぎてタトゥーを掘りたかったけれど、彫らない代わりに曲を書いた」とのことだ。実は「犬姫」は劇中歌「腕塚」とリズムがシンメトリーになっており、聴く者が無意識的に『犬王』のテーマを思い出してしまうような仕掛けが施されている。琵琶の音色を思い起こすような『犬王』の和のグルーヴを孕んだイントロから始まり、ハッピーエンドに対するアンチテーゼのような要素が色濃く受け継がれている。
また「腕塚」を含めた劇中のミュージカル曲の一部は、歌詞の原型を基にアヴ自身が歌詞を手掛けていることにも注目したい。アヴの持つ音楽の独自性については詳しく後述するが、ミュージカルとしての物語の進行の役割を果たしつつ、薔薇園アヴとしての爪痕が残る楽曲のテイストに心が踊ったファンも多いのではないか。
人気バンド・女王蜂のヴォーカルとしての薔薇園アヴ
女王蜂の楽曲は、ヘヴィなロック・サウンドから1970年代のディスコカルチャーを意識したダンス・チューンまで幅広い音楽性で観客を魅了するが、バンドのアイコンとしてもインパクトを放つアヴが歌い上げるのは「アウトサイダーの孤独」であると筆者は考える。実際のライブでもド派手で煌びやかなパフォーマンスにこそ目が奪われるものの、その光の本質は太陽のように温かく皆を包む類ではなく、暗闇のどん底に届くピンスポットライトのような、強くもか細い光なのだ。
ただ、個人的に感じるのは近年特に女王蜂が注目されるきっかけとなった「売春」以降の曲に関しては、孤独というよりも「秘密の共有」に楽曲のニュアンスに寄っているようにも思える、という点だ。5枚目のアルバムとなる『Q』の頃にはそのスタンスは既に確立されていて「告げ口」「失楽園」「DANCE DANCE DANCE」を筆頭にその傾向は強くなっていく。初の日本武道館での2daysワンマンライブ『HYPER BLACK LOVE』の初日公演において、メイン曲として披露された「BL」も、次第に堕ちていく男女の黒い愛を描いたものだった。
そう考えると、今回の『犬王』は圧倒的な才能とその姿故に孤高に生きる犬王のキャラクター性も相まって、比較的初期の女王蜂の楽曲に近い雰囲気を醸しており、特に2012年にリリースされた女王蜂の楽曲「歌姫」はこの映画以前に作られた楽曲であるにも関わらず、不思議とシンクロニシティーを感じるほどだ。
‘‘生きて行くうえで仮面を被り鬼を演じ息絶え絶えてまで
やっとの思いでとったこの席は譲らない
さあ歌姫よ 今蘇れさあ歌姫よ 全てを癒せ
遮るものなど何もない此処で全てを全てをなくせ
名を捨てた歌姫よ’’──女王蜂「歌姫」
呪縛をかけられた主人公が解き放たれて自分の命運に立ち向かう。犬王の容姿が自分の理想とするパフォーマンスに近づくごとに異形から抜け出していくように、アヴの生み出した曲中の‘‘歌姫’’も凄惨な過去を経て自分の本当の居場所をようやく見つけた。そしてこの歌姫は、アヴ自身の投影なのかもしれないと言う想像を掻き立てるとともに、女王蜂を愛する「仄暗い秘密や孤独を抱えながら日常を生きる」ファンへのメッセージであるとも捉えられる。
サブスク文化が普及した現代で生演奏の持つ価値とは
音楽には様々な聴き方がある。近年は配信サービスが充実したことにより手軽に好きなアーティストの楽曲をはじめ、自分の好みから派生して似たような特徴を持つ楽曲やアーティストを見つけることも容易くなった。
そんな中で『犬王』がこだわりを見せるのは、ライブ・パフォーマンスのパートである。観客を惹きつける犬王のパフォーマンスは、機材環境の整っていない時代背景を踏まえると技術的にもフィクショナルに感じられる場面もあるだろう。しかしこの演出について、湯浅監督がTBSラジオ『アフター6ジャンクション』で「本当に静かなところで聞いたら(アンプによる拡声機能なしでも音が)響くのではないか」と語っていることは興味深い。

確かにライブというのは、前提としてその日のアーティストのコンディションはもちろん、照明や機材の当日の具合、そして何よりその日の観客の心理状態によっても響き方が変わる不安定なものである。自分が悲しい時や辛い時に足を運んだライブが、特別心に刺さった経験のある方も多いのではないか。
一見「劇中の時代にロック?」と現代のカルチャーを無理やり当て込んだような違和感を感じるも、我々は犬王のパフォーマンスに引き込まれてしまう。しかしそれは、当時の人々の瞳に映る景色がそうであったと考えれば納得できるような生演奏が持つ魅力を、我々がかつて自己のライブ体験の中で肌で感じたことがあるからなのかもしれない。
そして何より、女王蜂の曲とアヴの存在はライブステージと非常に相性が良い。女王蜂のライブには筆者自身、何度も足を運んでいるが、中でも筆者が好きなのは毎年クリスマスに行われるアヴの聖誕ライブである。ちなみに、「生誕」ではなく「聖誕」なのは彼女がクリスマス生まれだからだ。
このヴィジュアルのインパクトと歌唱力で12月25日生まれは設定にしても完璧すぎると思いながらも、そこに集まるファンによってヒートアップしていくフロアと(彼らは貴重な聖なる夜をアヴに捧げている)その熱に応える教祖のような女王蜂のメンバーの姿にはやはり「生演奏の魅力」を毎年のことながら刻みつけられる。
女王蜂のライブは、実はメディアで饒舌に語るアヴのイメージに反してMCの尺が少ない。その代わりにセットリストや衣装を含めた小道具へのこだわりも含め、ギラギラと輝くミラーボールの下で一つの演劇を観ているかのような世界観の構築を強みに、性別も国境も超えて心に語りかけてくるのが女王蜂のライブスタイルだ。
女王蜂のライブに行ったことのある方の中には『犬王』の劇中歌でもある、観客を煽り、コール&レスポンスを巻き起こす「鯨」を聴けば、プロジェクションマッピングのような演出から女王蜂の得意とするコンセプト・ライブをイメージしたファンもいるだろう。このような舞台芸術としてのライブの根底を作り上げた人物こそが、この時代の犬王だったのかもしれない。
アヴだからこそ完成した「犬王」というキャラクターではあるが、私たちはそこに自分の中の圧倒的なヒーロー、またはヒロインとなったアーティストを重ねて思い起こすだろう。どんな時代であっても音楽はときに暗い気持ちを照らす光になり、背中を押す大きな掌となる。『犬王』は音楽が本来持つ強いエネルギーとファンがアーティストと作り上げるライブ本来の楽しみ方を、思い起こさせてくれる。我々は本作を通して、アヴと犬王、その両者に手を引かれ音楽の持つ本当の意味での癒しの力に触れることになるだろう。日常を乗り越えていくための小さな煌めきが詰まった宝箱のようなステージを、是非劇場で見届けて欲しい。
すなくじら
