雨が伝える繊細な心の機微と映像美──新海誠『言の葉の庭』

雨が伝える繊細な心の機微と映像美──新海誠『言の葉の庭』

来る11月11日、『君の名は。』が日本中で大ヒットし、続く『天気の子』でもSF要素と少年少女のエモーショナルな出会いを融合させた物語で観客の心を掴んだ新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』が公開される。本稿では新作発表に先立ち、2013年5月31日に公開された同監督作『言の葉の庭』について、劇中で登場するモチーフや描写から読み解く考察を展開していきたいと思う。

※なお、本稿では物語結末に触れる描写を含むことをご理解頂いた上で読み進めてほしい。気になる方は鑑賞後にお読みいただくことをおすすめする。

「逃避」をテーマに描かれるモラトリアムを抱えた2人

『言の葉の庭』は6月の梅雨という、新海監督の作品にしばしば登場する「天気」及び「雨」に関連した季節の物語である。主人公のタカオは雨が降ると公園へ行き、熱心に靴のスケッチを描く。そこに、訳ありな様子で缶ビールを片手に寛ぐ謎めいた女性・ユキノがやってくる。都会の片隅で身を寄せ合い思いの内をさらけ出すうちに親密な関係になっていく2人だったが、現実は残酷ながらも時を刻み、やがて決定的な瞬間が訪れる──。

物語が進んでいくにつれ、一見他人同士に見える2人の背景に共通する複雑な経緯が明らかになっていく。精神的な問題で社会復帰ができなくなったユキノは、「雨の日の公園」という静かで誰も自分のことを気に止めない場所を選んで過ごしている。タカオは将来の夢と窮屈な学校生活との板挟みにより焦燥感を抱き、模範的な社会へのささやかな反抗として雨の日には学校に行かない、という自分で決めたルールに従い、行動している。

両者に共通しているのはある種の「生きづらさ」であり、そして雨の日というのは、互いが本来いるべき場所から逃避(エスケープ)できる日──つまり、モラトリアムが許された時間なのだ。

降りしきる雨とリンクする、揺れ動く互いの心情

劇中で梅雨明けに差し掛かる頃、ユキノは雨の日に重ねたタカオとの時間を惜しむように、「本当は梅雨が明けてほしくなかった」と呟くシーンがある。これは、自分がいつか社会へと再び戻り、生きていかなければならないことを心の奥底では理解しながらも、なかなか前へと進めない彼女の心情を語ったものである。

多くの人が「うっとうしい、憂鬱だ」と感じる雨の日。そんな日を本作では2人が出会う口実とすることで、社会の枠からはみ出た2人だけが息を潜めながら存在できる唯一の世界を描こうとしているのではないだろうか。

雨の降る描写に注目してみると、ユキノの足の型を取るタカオのシーンでは穏やかに降り、ラストに差し掛かりタカオが自分の思いをユキノにぶつけるシーンでは激しく降りしきったのち一気に晴れ間が差し、2人のいる場所を照らす演出が施されている。それぞれのシーンが描き出している雨の役割からも見て取れるように、本作において「雨」とは2人が寄り添い、生きる場所を提示するものでもあり、互いの存在を知ったが故に揺れ動く心情をも暗喩している非常に重要な要素なのだ。

また劇中ではしばしば、タカオとユキノの足がクローズアップされて映される。これは「(社会というレールの上を)上手く歩けない」という生き辛さを感じているユキノ、そして「少しずつでしか前に進めない、青年期特有の焦りと不安を抱いた」タカオそれぞれの心情を歩く姿に焦点を当てることで表現しているからではないだろうかと考察する。

さらに、学校生活を二の次にして靴を作ることに熱中し、「あの人がたくさん歩きたくなる靴を作ろう」と決めユキノの足に合う靴を作るタカオは、彼女にとって「次の一歩を踏み出せない、この足に合った靴を作ってくれる」=「新たな一歩を踏み出させてくれる」救いとしての存在を担っている。

「記憶に残り続ける」エンドロールのその先へ

物語の後半、 雨に濡れた2人がユキノの部屋に転がり込み、そこで過ごした永遠に続いてほしいとも思える幸福なひとときを過ごしたあと、ユキノが四国へ行くことを告げられたタカオは落胆したままに部屋をあとにする。タカオが通っている高校で古典教師をしていたユキノは、彼に出会った際に教えた短歌に返される返歌の意味を思い起こし、彼の行った先を裸足で追いかけるのだが、今まで自分の足に合った靴がないと立ち止まってしまい上手く歩けなかった彼女が、裸足で彼の元へと駆け寄ったのはユキノがタカオとの出会いにより確かに変わったことを示唆している。タカオはユキノに自分の正直な思いをぶつけ、ユキノは彼を抱きしめ、晴れ間が差し込んだ空を映し映画はエンドロールへと向かっていく。

エンドロールのあと、冬を迎えた公園で、いつもユキノと話をしていた東屋に赴き、彼女のために作った靴を完成させたタカオがそっと誰もいない場所に靴を置く。そこに彼女がもういないのは分かっていても、彼は彼女のためだけに靴を作り、自分の夢に向き合う決心がついたのだった。 2人の間に芽生えた関係は、互いを変えた大切な存在として季節が巡っても記憶に残り続ける。決定的な関係に収束させず、まるでこの先も物語が続いていくかのような終わり方は『君の名は。』『天気の子』にも通じる新海監督得意のアプローチだ。彼の紡ぐ物語が小説のようと評価される理由は、そういったあえてストーリーを完結させない部分にあるのかもしれない。


雨や靴、といったモチーフで心の微細な機微を描いた『言の葉の庭』は、新海監督の描く世界の解像度の高さや、人が抱く想いの微妙なグラデーションが彩る美しさを感じることのできる名作だ。

新作の『すずめの戸締まり』は、災いを呼び起こすという世界各地に存在する扉を「閉じていく」役割を担った少女の物語。今作でも印象的な天気の描写は登場するのか、そして気になるキャラクター同士の心情の交差は? 期待に胸を躍らせながら、新たな新海ワールドに浸れる日を待ちたいと思う。

安藤エヌ