【スクリーンで君が観たい Vol.12】映画の中で揺るがぬ「愛」を語り紡ぐ──ベン・ウィショー

【スクリーンで君が観たい Vol.12】映画の中で揺るがぬ「愛」を語り紡ぐ──ベン・ウィショー

愛とは何だろう、と考えながら、いつも映画を観ている。複雑で難しく、時に人を狂わせ時に苦しみを与える──そんな愛の正体を探るため、私は映画を観て、そして文章を書いている。

先日観た『追憶と、踊りながら』(2015)が、ずっと忘れられない。恋人を亡くしたゲイの青年と、その恋人の母親が互いの確執と向き合い、今はもういない息子(恋人)を共通言語に対話を試みる。静謐で文学作品のような余白のある物語の中で、ひときわ目を引く俳優がいた。それがベン・ウィショーだ。

ベンは恋人・カイを亡くし、哀しみに喘ぎながらカイの愛した母親・ジュンの境遇を思い、自分ができることを模索し、彼女に働きかけようと努力する青年・リチャードを演じた。彼がなぜ稀有な俳優なのかは、この映画を観るだけで十二分に理解できる。最愛の人を亡くした圧倒的な悲痛を、一瞬の表情や眼差しで表現しきってしまう。そしてカイと過ごした過去の日々にいるリチャードは、このうえないほど幸せそうに見えるのだ。

ベッドの上で裸になり、互いの肌に触れて会話をする。頬杖をつきながらカイを見つめるリチャードの瞳(め)。私はこの瞳に、揺るがぬ「愛」を見た。これこそが愛なのだと、雷に打たれたように思ったのだ。

本作を観たコメンテーターが、リチャードを演じるベンについてこう言っていた。

「ベン・ウィショーは親密さの表現に長けている」

まさにそうだと思った。言葉にせずとも、演技から立ち上ってくるのだ。カイをどれだけ愛していたか、彼を失い、どれだけ苦しく、心を痛めつけられているか。特にそれを感じたのは人を見る時の視線と、泣く前の逡巡だった。今でも思い出すと胸が締め付けられそうになる。『追憶と、踊りながら』で魅せられたベンの至高の演技を何度も反芻し、愛について考えることの歓びを感じるのだった。

ベンは2013年に自身がゲイであることを告白しているオープンリー・ゲイであり、そして過去数年間自身の私生活や人生について語ることを拒んでいた時期があった俳優でもある。

「俳優として、プライバシー、どんなことをしているにせよ、セクシャリティの神秘性に対する完全な権利を持っている。」

とインタビューで話している通り、プライバシー守秘を貫いていた期間があった。そんな彼だからこそ、自身の人生、それに付加されるかけがえのない経験──それは「愛」にまつわる様々なことも含む──を人一倍に重要視し、大切に感じているのだと思うし、そうしたものを表出する演技に長ける理由となっているのだと感じる。

多くを語らない人だからこそ、言葉でなく、表現で「愛」を語る。ベンはそんな俳優であり、そしてその「愛」によって人々を魅了し、映画の奥ゆかしさを体現している人物と言える。

私に、「愛」の可能性を教えてくれてありがとう、素晴らしい「愛」を見せてくれてありがとう──絹のように繊細で、愛されることに柔軟で、そして自身も愛を持って生きている素晴らしい俳優であるベンにはこう伝えたい。

私はこれからも、「愛」を探す旅路を映画と共に歩んでいく。その轍に、ベン・ウィショーという俳優が残したものが確かにあり、私の心を揺さぶったことを、生涯忘れはしないだろう。

安藤エヌ