2011年、夏、札幌
9年前、僕はしがない浪人生だった。
中学時代は学校よりも通っていた塾の方が好きで、とにかく勉強ばかりしていた。その甲斐もあって、地元である札幌の進学校への合格を見事に決めた訳だが、根詰めた勉強三昧の毎日から一気に解放された反動もあって、僕はすっかり満足してしまった。高校生活最初の2年間はまともに勉強した記憶がない。初めてできた彼女と遊び呆け、振り回し、振り回され、全てのやる気を失い、ぐんぐん落ちぶれた。熱意を持ってやっていたことと言えば、くだらないショートショートを自分のホームページに投稿することぐらいだった。
ようやく勉強への意欲(あるいは焦り)が戻ってきたのは3年生の後半。それまでの遅れを半年間で挽回できるはずもなく、大学受験は当然のように失敗。両親に骨の髄まで説教された後、彼女と別れることと携帯電話(当時はガラケー)を解約することを条件に、1年間予備校へ通うことが決まった。2011年の出来事である。
3月11日、忘れもしない、東日本大震災が僕らを襲った。あの年、社会は陰鬱な空気に包まれていたように思うが、不謹慎ながらも僕は完全にそれどころではなかった。もう後がない、ラストチャンスの1年間なのだ。そもそも携帯電話を解約しており、自分専用のパソコンやテレビも持っていなかったため、自発的に外部の情報を得るということをあまりしていなかったというのも大きい。自由な連絡手段が失われたことで人間関係は淘汰され、数人の親友と時々会ったり文通したりする程度にまで縮小した。予備校でも新しく友達を作ることなく孤独を貫いた。ある意味、僕は<分断>の中で生きていた。
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そんな僕の唯一の楽しみは、予備校の行き帰りにCDショップへ立ち寄ることだった。特にHMV札幌ステラプレイス店には随分とお世話になった。あの場所は、インターネットから隔絶された僕にとって貴重な新譜の情報源であり、また旧譜との出会いの場でもあった。XTCの『Black Sea』やレディオヘッドの『Kid A』を買ったのもあの場所だ。
中でも、ナンバーガールとの邂逅は最高に電撃的な出来事だった。
なんとなく名前を知っている程度で、それまで全く楽曲を聴いたことはなかったナンバーガール。あれも確か暑い夏の日、偶然手にしたベスト盤『OMOIDE IN MY HEAD 1 ~BEST & B-SIDES~』を買って帰ったのが全ての始まりだったと記憶している。

気づいた頃には、赤いテレキャスターをかき鳴らしながら狂い叫ぶ眼鏡野郎の向井秀徳に、うだつの上がらない自分を勝手に重ね合わせるようになった。しまいには、汗だくになって予備校まで自転車をかっ飛ばしながら透明少女の幻影を追いかけるようになってしまった。
僕は覚醒したのだ。
僕の浪人生活はナンバーガールと共にあったと言っても決して過言ではない。<分断>の中で生きていた僕にとって、彼らから放たれるロック・バンドとしての圧倒的な衝動は、ひたすら僕を前へ前へと突き動かした。結局、第1志望の大学にあと少しの所で手が届かずに終わってしまったが、なんとか第2志望の大学へ滑り込むことができた。もし2011年にナンバーガールと出会っていなければ、僕は全く別の道を歩むことになっていたかもしれない。
それほど僕の人生に決定的な変化をもたらしたバンドが、2019年、まさかの再結成。その知らせを聞いた時、身体中の血液が沸き上がるような感覚に襲われた。ナンバーガールがリアルタイムで存在する夏がついに始まったのだ--。
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2020年、あの時感じていた熱量はどこかへ行ってしまった。決してナンバーガールへの想いが失われてしまった訳ではない。ただ、未知のウイルスは僕の精神をも蝕んでいく気がしているのだ。今の僕は別の意味で<分断>の中にいる。マスク、ソーシャル・ディスタンス、飛沫防止シート--。9年前とは違い、インターネットで繋がれるという点が大きく異なるが、SNSが得意ではない僕にとっては辛い部分も多い。
今年も夏が終わる。あまりに呆気なく。苦しいのは呼吸だけではない。9年前、追いつきかけていた透明少女は姿をくらまし、行方知れずだ。
對馬拓

