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【インタビュー】ハッタリも言い続けてれば事実になる──デビューから10年、百山月花が抱える「辞めない」決意

Byすなくじら

シンガーソングライターとしてだけでなく、映像作品から舞台まで幅広いフィールドで女優やタレントとしても活躍する実力派アーティスト・百山月花。主題歌の制作や他アーティストへの楽曲提供など、パフォーマーの枠を超えて新たな音楽を生み出し続けている一方、 数々のアニメ作品や映画に出演する役者の顔を持つなどジャンルレスな活躍を見せている。

今年2月に行われた活動8周年記念ライブではファン待望の「ももやまばんど」を復活させ、共演者やファンと共に特別な夜を作り上げた百山。今回のインタビューでは、百山の仕事に向き合う姿勢や生き方を振り返りながら、アイドル時代を含めると10年を迎えるこれまでのキャリアについて、縦横に語ってもらった。

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自分を削いで、身から落ちたものが音楽。残って見える側がお芝居

──百山さんのプロフィールを事前に拝見させていただきまして、特技に「ヌンチャク」と書かれていたのが印象的だったのですが…。笑

以前、アクション映画に出演させていただいた時に、「ヌンチャクで戦うかもしれない」って言われて。一応、見よう見真似で練習はして…。笑 結局使わなかったんですけどね。

──声の出演を含めた役者の活動、さらに音楽活動と様々な場面で活躍されている百山さんですが、それぞれの活動のきっかけや原点を教えてください。

私、実は記憶力がかなり良い方なんですよ。物心がついた頃どころか、人生で一番最初の記憶もはっきり覚えていて。最初の記憶は1歳半ぐらいのまだ歩けない頃に、家族と家族の友人たちと皆で花火を見ていた記憶です。

音楽活動に繋がる部分で言えば、幼い頃からよく家族にカラオケに連れて行ってもらってたかな。子供だから童謡とかを歌うんですけど、その度に大人たちが「月ちゃん歌上手いね!」って褒めてくれるから、その気になっちゃって。笑 それからは、「大人を喜ばせるために歌おう」って、勝手に意気込んでました。

──可愛らしいエピソードですね。楽器との出会いはいつでしたか?

楽器は高校生になってからです。軽音楽部に入ったんですけど、高校って新入生用の部活紹介みたいなイベントが体育館であるじゃないですか。そこで、軽音楽部の人たちが何も説明しないでライブだけして(発表を)終えたんです。それがとにかくカッコよくて、軽音に入りました。

──めちゃくちゃカッコいいですね。

そうなんですよ! カラオケだと数人規模にしか届かない歌を、全校生徒に届けられるのも感動しました。でも入った頃は何の楽器もできなかったので、担当はとりあえずボーカル。当時、周りのメンバーがYUIさんのファンで、コピーしようってなったんですけど…私は最初全然好きになれなくて。

──どうして好きになれなかったんですか?

売れている同世代のアーティストの方に対して、単純に嫉妬を感じていて。今振り返るとひどい考え方だなって思うんですけど、「若い女がギターを持って歌っていれば売れるんだ」って。笑 でも、実際に歌うんだったら、カヴァーする曲以外の曲もちゃんと聴こうと思って、アルバムを1枚借りたんですよ。そしたら全部の曲が良くて! 楽器で自分を表現する素晴らしさを知って、ギターを始めました。

──若手のシンガーソングライターという存在に対して大きくイメージが変わった経験だったんですね。YUIさん以外にはどんなアーティストのコピーをしましたか?

本当はチャットモンチーさんとか、椎名林檎さんとか…あとは当時『けいおん!』も流行ってたんで、可愛い曲をやりたかったんですけど、実際にはメタルバンドのコピーをする機会が多くて。笑

──なぜメタル…?笑

「音楽で売れたい」って周りにずっと話してたら、同世代ではなく、音楽を生業にしたい先輩たちの輪の中でバンドを組むことになったんですよ。そしたらその人たちがかなりのメタラーだった。だから、筋肉少女帯とかやってましたね。チャットモンチーとか『けいおん!』の楽曲をやる夢は、カラオケでしか叶いませんでした。笑

──それも貴重な経験です。笑 お芝居はいつからですか?

音楽をきっかけに事務所に入って、アイドル活動をしてる時に初出演映画のお話をいただいて。その募集項目の詳細が「音楽ができる人でお芝居に興味のある人」っていう内容だったんです。当時はアイドルだったけど、シンガーソングライターとして自分の曲をやりたいってずっと思ってたから、お仕事の合間にギターの弾き語りで路上ライブをしてて。そしたら、その動画をファンの人がYouTubeに上げて、それを見た監督が声を掛けてくださって。トントン拍子でファンの方に引き寄せてもらって、感謝しかないですね。それで、撮影中にスタッフの方から今度は舞台まで声掛けていただくことになって…お芝居に目覚めたのはその辺りかな。

──百山さんは、舞台と映像作品の両方への出演経験がおありですよね。その二つには自分の中で明確な違いはあったりしますか?

そうですね…客席の反応を知ることができるタイミングかな? 映像だと、試写会とかも含めて公開されてからレビューや感想をもらえるじゃないですか。でも舞台は、芝居してる瞬間から客席が動くんです。過去の舞台のある役で、客席の注目を集めるセリフをいただいたことがあるんですけど、その会場にいたお客さんが全員こっちを振り向いたような気がしたんです。お笑いでも「客席が揺れる」って表現したりしますよね。客席の風が聞こえたような気がして。五感を支配する芝居の凄さを感じました。

──お仕事によって、声の使い方も異なると思います。お芝居については監督からディレクションがあると思いますが、声の使い方について感じていることはありますか?

お芝居では、私は台本書いてる訳ではないので、演出や監督の方の指示に対して自分の声をチューニングする…みたいな感覚が大きいです。指導してくれる人と解像度を合わせる作業ですね。自分が良いと思ったベストの声が求められているものではなかったり、その逆もあったりします。求められる声を生み出す意味ではお芝居って本当に難しいなと思います。

──では、歌う時はどうでしょう?

自分の曲に関しては私が歌詞を書いてるので、「私の声のキーの中で聴く人にどう届くか?」を常に考えて探っています。私が歌うからには、よりこの単語や熟語をどう聴かせるかとか、歌詞が聴き手に効果的に伝わる声にするためにどうするかっていうのはいつも考えてるんですよね。

私の声の中で、ある程度低いところから高いところまでのアレンジができるとして「ここ以上のキーの声を出すと、聴き手には悲しい声に聞こえるんだな」っていう客観的な検証に近い作業をしてる…と言えば伝わりますかね?

──歌詞に合わせた声色にしているということ?

そうです。ちょっとキツい言い方になるかもしれないんですけど、声っていくらでも嘘をつけるものでもあると思うんです。「これが効果的に聴こえるかな」って思うものって、本当に効果的に聴こえるんですよ。実際に私の曲で泣いてくれる人とかもいるし、それは心から嬉しい。でもそれって、私が作品として計算して出してる声であることが前提でもあるんです。もちろん、歌詞を書いてる時点で100%私の感情ではあるんですけど…それをより効果的に、且つ確実に届けるために声がある。

悲しい歌でも、あえて声色は明るくして歌うこともできる訳じゃないですか。そうなると、本質的には嘘をつくことになる。でも、そうすることで聴き手の心により確実に訴求できるんです。この辺りはお芝居にも通じることですけどね。

──百山さんの中では舞台、映像演技、音楽活動、三つともどれも等分の軸として大切にされているように感じます。

三権分立みたいですね。笑「お芝居と音楽、どっちがメインなの?」ってよく聞かれるんですけど、どっちもやりたいし、私の中では分かれてる感覚はなくて。自分が書くものを歌うのか、他人が書くものを私が演じるかというだけ。「自分を殺す」という作業工程は一緒だなと思っています。

自分を殺すっていうのは、私という存在を物理的に削ぎ落とすイメージをしてもらえると分かりやすいかもしれません。「私」という質量のあるものを、刀でバッサリ削いだとします。削いで、身から落ちたものが音楽。削いで、残って見える側がお芝居だったんですよ。作業工程は一緒なんですけど自分から出たものを提供するのか、削がれて残った側を「他者に」見せていくのか。どっちも私自身ではあるんです。

ハッタリも言い続けていれば事実になると思うんです

──百山さんのお話からは「見られる」ことに対して徹底したプロ意識を感じます。原体験はどこにあるのでしょうか?

他人に見られることを強く意識し始めたのは16歳くらいの時だったかな。初めてライブハウスで演奏をすることになって、学校の外を1歩出た環境でライブすることがプロとしての活動のスタート地点だって思ってたんです。とにかく見た目から入りたかったから、一丁前に楽屋にメイクさんを連れて行きました。笑 売れてると思われたいし、思ってもらえるパフォーマンスをすることはもちろん、ライブ以外の部分でも完璧に(プロとして)仕上げていたいと思ったんですよね。

──他人に見られることに対してのこだわりをさらに突き詰めて考えると、百山さんの原動力になっている感情は何だと思いますか?

うーん…根底にあるのは「親に恥かかせない」っていう想いかな。映像のお仕事の時に、めちゃくちゃ怖い監督と一緒に仕事をしたことがあって。もちろん作品への熱量が高いがゆえに、という部分はあるんですけど。声も大きいし、もう毎日とにかく怒られる現場で、かなり精神的に辛かったんです。

そんな中で久々に家族と電話をする機会があって。そういうのって大体「最近どうなの?」っていう話になるじゃないですか。でも、こっちとしては毎日絞られてるし、何なら電話をかける10分前までめっちゃ怒られたし…「本当はやめたい」と。

──ついに言ったんですね。

……って言いたかったけど、言えなかったんです。笑 頑張ってるって思われたいから、「すごく厳しい監督だけど、目をかけられてて、多分この作品で売れる」って言いました。ハッタリに聞こえるかもしれないけれど、ハッタリも言い続けてれば事実になると思うんです。親も喜んでくれたし、そういうところが自分にはあると思います。

──本当にカッコいいです。自分のコントロールが利かないくらいに嫌なことがあった時、百山さんはどうしていますか?

難しいですね…そういう時は、落ちたまま仕事に行ってるからなあ。お客さんの前だったら、例え同じように撮影では絞られてたとしても、「本当に楽しみにしててね!」って言っちゃうし。多分「すごいね」って言われ続けていたいんだと思います。自分が「すごいな」と思った方に影響されて、音楽もお芝居もやってるので。見せる側であることを忘れると崩れちゃう。

──ちなみに百山さんが「すごいな」と思った方とは…?

音楽で言えばやっぱりYUIさん。演技は松山ケンイチさんと山田孝之さんを尊敬しています。声のトーンや表現力の幅も、擬態しすぎて主役であることすら忘れるくらい没入させてくれるところが魅力です。これはYUIさんで言う「曲中の主人公が見えるかどうか」、松山ケンイチさんや山田孝之さんで言う「原作や台本、キャスティングを忘れさせてくれるかどうか」みたいなことです。

──確かにそうですね。憧れの方に近付くための、普段のインプットはどうされてますか?

本は何でも読むようにしてます。もう本当に何でもって感じで。私落語が好きなんですけど、落語の速記本とか…小説に留まらずなんでも読んでますね。小学校の時から言葉をいっぱい知りたくて、国語辞典もよく読んでました。最近面白かったのは『「売り言葉」と「買い言葉」 心を動かすコピーの発想』(著:岡本欣也)っていうコピーライトの本。あとは歌詞を書く時とかは、知恵袋の恋愛相談みたいな、本気で悩んでる人の記事を読みます。笑

──知恵袋…! よくその発想に至りましたね。

歌詞を書き始めた頃、「この表現ってありきたりだな」って思った時は類語辞典を開くようにしてて。それが時が経つにつれて、紙の辞書じゃなくて携帯で調べるようになった時に、予測変換で携帯に作詞を任せてみたことがあったんです。

例えば「好き」って単語をベースに進めたとして、次の予測変換が「好きです」だったらそこで完結だし、「好きだけど」ってなったらこの人何考えてるんだろう?っていう考えを巡らせてみる。そういうやり方をしてるうちに、実際にインターネットで他人頭の中を覗きたくなってしまって、知恵袋に辿り着いた感じですね。

音楽について、私は作詞ではなくて国語の問題を皆に出してる感じがしてて。「この時の主人公、どう思ってると感じる?」って。いつも問い掛けてはいるんですよ。

──百山さんは言葉がお好きなんですね。周囲の方の影響でしょうか?

言葉をすごく好きだった人がいた訳ではないかもしれません。でも辞書を読む面白さを教えてくれたのは母でした。うちの母はすごく頭が良い人なんですけど、馬鹿に見えるんですよ。どちらかというと、馬鹿をやってるというか。馬鹿なふりして、知ってることを「知らない」って言って相手に委ねることができる人。小さい頃の母はずっと台所にいて、とにかくいつも何かを作ってくれるような温かい人でしたね。

──素敵なお母様です。言葉に想いを乗せる創作活動という意味で、作詞作曲を始めたのはいつ頃ですか?

弟が生まれた時、「なんてかわいい生き物がいるんだろう!」と思って、5歳の時に「壱星くんはかわいいね」っていう曲を作ったんですよ。笑 それが初めての作曲経験でした。あとは、いわゆる学校で流行りの曲とかってあるじゃないですか。小学校の中学年から高学年ぐらいだったと思うんですけど、遊びの延長でその曲の3番を作るっていうのもやってましたね。

──1曲目のオリジナル楽曲を生み出した時のことは覚えていますか?

鮮明に覚えてます。例のメイクさんを連れたライブだったので、いつか自分が売れた時に初めての1曲として掘り起こされることを逆算して作ったんですよ。笑 だから曲の内容も「夢に向かって…」みたいなことだったと思います。そのライブは頑張った甲斐あって、覚えてる限り完璧なライブでした。

ただ、2回目のライブは本当に最悪で、その悔しさもちょっとセットで覚えてますね。多分最初が良かったから胡座をかいたっていうのもあると思うんですけど…。「最初は良かった」っていう自分の中での思い出補正がかかっているのもあるかもしれない。

──最初からプロを目指していたからこその苦悩、ですかね。タイアップも含めた、テーマ性がもう決まっている「枠のあるもの」での作詞作曲の場合、何か意識的に変えていることとかありますか?

私が主演の作品であれば、割と等身大というか…役に寄り添ったりとかしてもいいかなと思うんですけど、例えば自分が出てない作品のタイアップだったり、ちょっとした役で出させてもらってるけどメインは音楽で…みたいな関わり方の時は、あまり自分を出さないようにはしています。

出演者が何人もいて、その方の何人もの家族やファンの方たちも観るとなると、作品に対して「誰々ちゃんの作品」としてそれぞれ浮かぶ顔がある訳で。だからその全部をなぞるような…曲というよりは「その作品の一部」として溶け込むような楽曲作りを心掛けています。

──確かに、監督もキャストも含めて観る方によって「誰の作品」として観るかが変わるのが映像や舞台ですよね。

そうなんです。だからこういう場合の楽曲制作では、監督が求めているものや歌う方のことはもちろんリサーチしますけど、例えば「何枚目のシングルなのか」とかも大事にしていますね。「1枚目ってことは最初は元気な感じなのかな」とか。ある種、その人のキャリアをセットリストに例えるみたいなイメージで、今どんな曲が相応しいのかっていうのを考えています。

あとは通りやすいように、楽曲は3パターンは作るかな。1パターンだけ作って「これで」って提出しても、やっぱ高確率で修正が来るんですよね。笑 だけど、全部自分が産み落とした子だからまた作り直すなんて極力したくないじゃないですか。だから、最初から万全の対策を練っていきます。笑

卒業ライブも引退イベントも多分しない。私は一生続けていくから

──女優とシンガーソングライターのお仕事に共通点はありますか?

共通点というよりは、二つで一つなんですよね。

音楽は音楽で自分を切り売りするもの。芝居は監督から言われたことの精度を高くするもの。どっちかしかやらないと、もうそれこそ「百山月花」は死んでいくと思うんです。甘いものしょっぱいものみたいに、どっちも交互に食べておかないとバランスが保てない。そういうものだと思っています。

──百山さんは現在6枚のアルバムを出されています。どれも大事なものかと思いますが、特に思い出のアルバムはありますか。

アルバム単位だと難しいですね。でも。どの曲が一番好きかって聞かれたら、「新曲!」っていつも答えています。自分の人生の引き出しを全部いつも開放しているから、年々毎回良い曲になっているはずなんです。だから現時点での最新曲じゃなくて、さらにその次の曲!っていう意味で、新曲が良いと思っています。

──2月に行われた活動8周年(※編注:アイドル時代からは通算10周年)記念ライブではファン待望の「ももやまばんど」を復活させました。百山さんの、この日を振り返った時の率直な感想を教えてください。

私にとって、いつものアコースティックでの弾き語りライブが「曲」で、バンドセットでのライブが「アルバム」みたいなイメージなんです。だから、この日(8周年記念ライブ)だからっていう大きな感情の動きはないかな。

ただアコースティックだけでは物理的にできない曲ってやっぱりあるので…普段セットリストに組まない曲をバンド編成だからこそ披露できたっていうことは、お互いにとって楽しい時間になったのではないかな、と思います。

──活動8周年記念ライブでの反省点や学びはありましたか?

私、とにかく噛むんですよ。笑 (噛むことに対して)「ライブっぽくていいよ」って言ってくれる人ももちろんいるけど、自分としては「バラエティとか出てるから疎かになるんじゃないの?」って思われたくないじゃないですか。でも、8周年ライブの時は練習した甲斐あって噛むこともなく、一生に一度の8周年ライブを最高の形で終えることができました!

──女優業やアーティスト、加えてラジオのパーソナリティと様々なお仕事に取り組んできた百山さんですが、今後の展望はありますか?

ありがたいことに、ある程度もうやりたいことはやらせていただいた感じはあります。外でライブしたい、曲出してみたい、それをCDにしたい…ラジオもテレビも出させてもらってるし、だから何か新たに挑戦したいっていうものはないかもしれない。

実は昔、国語の先生になりたかったんですよ。先生と芸能、どっちにしようかな?って迷った時もあって…結局芸能の道に進んだんです。でもきっぱり諦めることができた訳じゃなくて、「学校の先生」っていう職業にはずっと後ろ髪引かれてて。だけど、芸能の道に進んでからアイドルの子たちにボイトレ指導をしたり、番組の企画で授業を持って音楽を教える、みたいなこともさせていただいたり…。一応やりたいことは全部できたかな。笑

でも、自分がやってきた全ての規模を大きくしたいとは思っています。タレントも女優業も先生も、もっともっと幅を広げて、繋げていく段階かなって。

──百山さんらしい回答ですね。新しく挑戦していきたいものはない、とのことですが、今の自分の中にあるもので特に磨いていきたいスキルはありますか。

言葉のキャッチボールがもっと上手くなりたいです。1人芝居みたいな自己発信じゃなくて、相手とのキャッチボールとして。

基本的に、私は全く人に興味がないんです。仕事をがむしゃらに頑張ってきたけど、決められた真ん中を狙って投げる手法でしかやってこなかったから、本当の意味でのキャッチボールはできてないなと思ってるんですよ。だからこそ、他人から何かを受けて、キャッチボールに繋げるためのフェーズに入らないといけないな、と。音楽もお芝居もトークも。

楽曲も私の「いつもの慣れてる球」に刺さった人だけが感動してくれてると思っているので、新しい投げ方は今後模索していきたいです。

──最後に、ファンの方にメッセージをお願いします。

百山:まず、辞めないです。音楽もお芝居も。私は一生現役で続けていくから、卒業ライブとか引退イベントとか多分しない。だから逆に、いつも私がファンを見送るんですよね。推し変だったり、家庭の事情で現場に来れなくなっちゃうファンを見送る。

だから「死ぬまで推しててね」っていうと重く聞こえますが…。笑 これ結構冗談ではなくて。私はずっといるから。

変わらないものって安心するじゃないですか。実家とか、地元とか。私が求めてるものなのかもしれないですね。だから人に与えたくなったのかもしれない。両親からしてもらって嬉しかったことを、自分の子供にしてあげたくなるような気持ちで、対人関係で「こうしてほしい」って思うことをファンの方にしてあげたいなと思います。

「完璧な綺麗で可愛い売れてるアーティスト、芸能人であり続ける」っていうのは、自分と約束でもあります。どうか最期まで、見届けてくださいね。

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「ある程度、もうやりたいことはやらせていただいた感じはあります。」

百山に今後の展望を聞くと、力強くもこのインタビューでは初めて聞く回答が返ってきた。ある意味で「やり切った」とも受け取ることのできるこの言葉を耳にした時、一抹の不安が過ったことは否めない。彼女は「百山月花」としての自身の目指すゴールを既に通過し、「終わり」を見据えているのではないか。包み隠さず言うのであれば、まず初めにそう思った。

しかしそんな心配は杞憂に過ぎず、百山はファンへのメッセージで一生現役であることを強く宣言する。ジャンルは違えど、自身も「推し」がいる身としては、永遠を約束してくれる推しの存在は神々しくすら見える。彼女が積み上げてきた長いキャリアは、ファンにとって心安らぐ安全地帯のような居場所へと完成しつつあるのだろう。

「キャリアは積み重ねるもの」とはよく言ったものだと、百山のインタビューを経て改めて思う。価値観を変えてくれた音楽、幼少期の思い出、母との記憶…まさに百山が今まで大切にしてきた全てが階段となって、彼女が今抱える景色へと繋がっているのだろう。百山が手にしている世界は、「職種の枠を超えた仕事」という窮屈な言葉ではとても収まりきらない。彼女にとって、人生の全てが「百山月花」なのである。

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すなくじら

ライブアイドルを観て聴いて推す。余暇はもっぱら映画鑑賞。文章を書いたり編集をしたりしながら、今日も推しアイドルのことを考えています。

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ポストパンクを主に聴いています。毎年苗場で音楽と共に焼死。クラフトビール好きが興じてブルワリー取材を行うこともしばしば。なんでもご用命ください。

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写真家。1993年生まれ。小〜中学時代を中国・北京で過ごす。帰国後はバンドや弾き語りなどの音楽活動を経たのちカメラマンに転向。趣味は読書と釣り、好きなものは自然と生き物。アングラからジャニーズまで幅広く聴いたり観たりする。いつも元気。

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