「普通」で「つまらない」人たちを背に、鈴木実貴子ズは歌い続ける

「普通」で「つまらない」人たちを背に、鈴木実貴子ズは歌い続ける

「なんか、つまんない感じになったんやね」

こちらの表情が曇ったことに気付いたのだろうか。こちらから「つまんない、とは?」と尋ねる前に、彼は「普通の感じというか。」と言い換えた。断言するように語尾に句読点を付けたのにもちゃんと気付いた。20代半ば、仕事と子育てに追われる中で、音楽やファッションへの興味を一気に失くしていた頃だった。

言った人の名前も言われた場所も思い出せるのは、私が人1倍根に持つタイプだからなのだろう。
数年経った今、Clubhouseに表示されたローマ字表記のフルネームのせいで、唯一あやふやだった下の名前の漢字の読みまでハッキリと分かってしまった。

彼が今どこで何をしているのかは分からないが、私よりもよっぽど「つまらなくない」、「普通じゃない」人生を歩んでいるのだと思うと憂鬱な気持ちになる。
と同時に、彼が一生口ずさむこともないであろう、あのバンドの音楽も耳元で蘇るのだった。

* * *

女性2ピース・ハードコア・バンド、鈴木実貴子ズの1stアルバム『現実みてうたえよばか』。容赦なく人を突き刺すようなそのタイトルは、誰が誰に向けたものなのか。

この作品に込められているのは、現実のもどかしさへの叫びである。

‘‘売れない芸術に価値はあるのかい 買い手のない私はただの塊かい”
‘‘悔しくもならない音楽を探している でもそんなの音楽じゃないと思っている’’

‘‘生活にへばりついて疲れた私は夢のカスを食べてそれを吐いて繋いで日々を誤魔化しているみたい’’

「本物」が売れること、「偽物」が売れないこと。子供の頃はそれが世の中の摂理であると信じていたけれど、どうもそうではないのだと大人になってから知った。
強運な「偽物」は「本物」然りといった顔で売れていくし、見付からずに埋もれていく「本物」は、悲しいことに数多く存在するのだ。だから、後者である鈴木実貴子ズがそう歌い叫ぶのは、何ら不思議なことではなかった。

* * *

地元の居酒屋で「なんかつまんない感じになったんやね」と言われた時、まだ私は鈴木実貴子ズの音楽に出会っていなかった。その台詞は私の中に長くこびりついた。「結婚をして出産をして落ち着いた私は、他人の目につまらなく映る」。頭のどこかで理解していたつもりでも、いざ言葉として受けると胸に深く突き刺さってしまった。

「なんか、もっと破天荒なイメージだった。笑」

あの日、そう続けた君に私が意地でも笑い返さなかったのは、無邪気さで人を傷つけていることに一刻も早く気付いてほしかったからだった。

数年後、少しずつ生活に余裕ができて、音楽を好きだと思う感覚も徐々に取り戻してきた。
何がきっかけだったのかは覚えていないが、ある時『現実みてうたえよばか』を手にした私は、車の中でそれを聴いた。

ギターサウンドに乗った凸凹の歌詞が、頭でなく胸に直接飛び込んでくる。
決してなめらかではないそのメッセージに感化されて、私の中にふつふつと湧き上がってきたのは「感動」や「称賛」ではなく‘‘怒り’’だった。

こんな素晴らしい音楽を作る人たちでも現実に抗わなければならない不条理。平凡なりにも必死で生きているのに「つまんない感じ」と笑われる理不尽さ。
それらが私の中で不意に重なった。「怒り」が、収まらなかった。

気付けば心が叫んでいた。
ふざけんな。「普通の感じ」で生きることがどれだけ大変か、お前に分かるんか。

20代での結婚も「普通」だった。子育てで苦しんだのもごく「普通」のこと。男の同期の方がことごとく先に出世していくのも「普通」。
「普通」は、見た目よりも、くるしい。体の不調から目を逸らして掃除機をかけることも、来月の生活費を考えながら生きていることも。

みんな、必死こいて「普通」をやっている。本当は全て投げ出したい、そう思っている人なんて腐るほどいるのだと知っている。それを「つまんない感じ」と言ってしまえるのは一体なんなんだ。

音楽の力によって呼び起こされた、胸の底の「怒り」。
そして、怒って怒って怒った先に、すっきりとした自分がいた。ちゃんと怒れたことで、あの日の答え合わせができたような気がした。

私はずっと「普通の何が悪い」と、真正面から睨みつけて叫びたかったのだ。

* * *

「つまんない感じ」の毎日が続いている。相変わらず仕事と家事に追われる日々だ。
休日は子供の習い事の送迎で予定が終わることもあるし、うっかり昼寝して自己嫌悪に陥ることもある。誰もが羨むような生活には程遠い。

けれど、この生活を守りたいと強く願っている。必死で「普通」を営む自分を尊重できれば、同じようにそうしている他人のことも尊重できるから。
『現実みてうたえよばか』といくら言われようと、それでも歌い続けてくれる人のその苦労を想像できる人間でいたい。

相も変わらず不条理がまかり通る音楽シーンの片隅で、それでも鈴木実貴子ズは歌い続ける。
「本物」が諦めず歌い続けてくれている限り、私の生活で音楽は止まない。

そしてその「本物」を既に見つけている自分自身を、今日もこっそりと鼻を高くして、私は肯定できている。

* * *

みくりや佐代子