People In The Boxの代表曲冠した芥川賞受賞作『ニムロッド』──塔の頂上へ伸ばしたその手は(『Citizen Soul』発売10周年記念)

People In The Boxの代表曲冠した芥川賞受賞作『ニムロッド』──塔の頂上へ伸ばしたその手は(『Citizen Soul』発売10周年記念)

10年前の1月18日、People In The Boxの4thミニ・アルバム『Citizen Soul』がリリースされた。発売当時、波多野本人が「分水嶺となった」と発言している通り(前年に発生した東日本大震災の混乱が残る中で制作が行われたことも関与し)、温かみのある音の質感、しかしそれでいてストレートなアレンジと歌詞を主体に展開された、当時のバンドとしての明確な意志を受け取れる作品である。

アルバムリリースから6年後の2018年、作家の上田岳弘が小説『ニムロッド』を発表し、第160回芥川賞を受賞した。受賞後の記者会見において上田は初めて本作のタイトルが『Citizen Soul』に収録されている楽曲から名付けたことを明かし、同時に彼らのファンであることも公言した。

そこで本稿では『Citizen Soul』のリリース10周年を記念して、小説『ニムロッド』の簡易的なレビューを掲載する。People In The Boxが作り出す音楽に共鳴して描かれた本作の像を捉えながら、上田が描くSFと現実の折り重なる世界が我々に伝えるメッセージを解き明かしていく。

※なお、本記事では作品のあらすじや伏線についての言及を含むため、気になる方は読了後に再度このページを訪れていただくことをおすすめする。

作家と音楽家、上田と波多野に共通するアーティスト性

上田岳弘は2013年に発表した『太陽』で第45回新潮新人賞を受賞し、デビューを果たした。幼少期から作家になる夢を抱いていた上田は、25歳の頃に1度執筆の手を止め、友人から誘いを受けてITベンチャー企業の役員になる。しかし大学在学中から「作家にならなくてはいけない」と使命感に駆られていた上田は30歳を過ぎた頃から執筆を再開。見事前述した『太陽』でその夢を叶え、また第28回三島由紀夫賞においては同じく芥川賞受賞作家の又吉直樹著『火花』との接戦の末、『私の恋人』が授賞作に選ばれた。

執筆の際、最初からプロットを立てるのではなく頭の中にあるイメージだけで書き進めていく上田の執筆スタイルからは他の作家とは異なる視点を持っていることが窺えるが、内容についてもSFや神話・哲学等を織り交ぜながら展開されることが多く、(読み手によっては虚脱している、極めて抽象的であると捉えられることもあるが)読書回数を重ねる度にその作風がファンタジーやユーモアを与える思想的な文学作品を展開しているものであることが理解できるだろう。芥川賞を受賞した『ニムロッド』においてもベースにある純文学の中から近未来を想起させる描写や、神話としての「ニムロッド」に視点を置いた作中作、その両方から導き出される資本主義の在り方と情報化社会の行く末──と多角的な視点から本作の主題である「個の均一化」に迫っている。

上田は2014年に偶然インターネット上でPeople In The Boxの存在を知った(しかも最初に耳にした楽曲が「ニムロッド」だったと言う)と語っているが、「プロットを立てない、見えない状態から書き進めていく」というスタイルは作詞を手掛ける波多野の‘‘「その曲で何が言いたいか」というようなことをわかって書いてしまうと、全然いい結果にならないんですよ。’’という発言(文芸誌『すばる』2019年9月号)と重なる部分があり、両者が出会うのは何らかの必然性をもってのことだったのではないか、と思わざるを得ない。

『ニムロッド』はIT企業で仮想通貨の採掘をする主人公・中本哲史と、恋人である田久保紀子、元同僚の荷室仁の交流を描きながら、デジタル化する現代社会の在り方を読者に問う作品。荷室から度々送られてくる、NAVERまとめ「駄目な飛行機コレクション」(実際には「ダメな飛行機コレクション」だが現在はサイト閉鎖のため閲覧不可)の記事抜粋は、遥か昔から人々が自由への追求と渇望のために生命を燃やしていたことの儚さと愚かさを同時に見るが、その背景には終始冷静でいて、価値観の押し付けを加担しない著者特有の筆致も関与しているようにも感じる。

断章的に挟み込まれる「駄目な飛行機コレクション」はどれも未完成で、欠陥がある(いや、だからこそ「駄目な」と呼ばれる所以になっているわけではあるが)。中でも旧日本軍の特攻機「桜花」は操縦士が戻って来られないことを前提に設計されたことから、人間爆弾とも呼ばれた非人道的な兵器として生み出されたが、その発案者である大田正一はのちに消息不明──ところが実際には海上に不時着水、大田正一の名を捨て、横山道雄として晩年まで家族と共に過ごしていたという。

名前を「捨てた」発案者と、匿名性を持ったうえで名前を「広めた」ビットコインの生みの親、サトシ・ナカモト。受賞後に掲載された文春オンラインのインタビューにおいて‘‘もともと両極にあるものが好き’’と語っていたからこその構成であると感じさせるほか、一直線上に全く交わりのない両者を置いては対照的な描写を読者に見せるギミックには著者特有のユーモア溢れる思想に感銘を受けると同時に、やはりこの点においてもそれに加えて無機質さを同居させる姿勢にPeople In The Boxとの妙な類似性を見出してしまうのは、リスナーとしての性だろうか。

「塔」の頂上から見える景色は

仮想通貨をはじめ、SlackやiPhone8など発刊当時の社会背景と重なるモチーフの頻出、また登場人物が個々に体験した過労鬱(リストラ)、中絶、そして「仮想通貨ブーム」に肖る姿を描くリアリティも本作をより読者と近い場所に位置付け、近い未来で起こりうる「個の均一化」に対して警鐘を鳴らすための重要な役割を果たしている。楽曲に対して言えば(おそらくMVの映像が関与しているからだろうが)原風景的な印象を持っていたが、小説については現代あるいは近未来的なイメージが結び付くため、読了後は小説と楽曲との違いを目と耳の両方で追いながら比較することができ、言葉通りの新鮮な読書体験をもたらしてくれる。

また、労働や勉学、セックス、それぞれの対価とは我々が個であるからこそ受け取ることができるものだ。しかし主人公の中本はどこまでも受け身で、加えて欲がない。それぞれに熱心な田久保、荷室の両名との決定的な違いがそこにあり、(彼らが終盤で取った行動も含め)中本が既に均質化する未来を無意識的に受け入れようとしている姿が如実に描かれ、ある種の恐怖心さえ芽生える。

さらに著者の作品全体を通して度々登場する「塔」というモチーフについてだが、本作ではできるだけ塔を高くするために積み上げていくことが至上命題とされ、しかし塔の頂上とはそれぞれによって異なり、そこから「桜花」のように自由を渇望するあまり飛び降りる者もいれば、テクノロジー化する未来のため、社会の内側に潜む人々のようにまた高く積み上げていく者もいる、だけど一貫して言えるのは誰もがそれぞれの「塔」=人間の欲求に縋っているということ──と複雑性を含んだものとして描かれている点(あくまで筆者が本作を読んで感じたことなので、「塔」の正体は個々人で異なるのが自然だと思う)も、著者の作品を並列して読むにあたっては楽しめるポイントではないだろうか。

簡素な文体からは作品を紐解くのには少々難儀するかもしれないが、実際に本作は執拗なまでに生々しく、現代社会の中で生きる自分自身の在り方を問い質すことができ、混沌としたパンデミック禍においても重要な作品である。‘‘愛とスポンサーを迷信にして ルール履き違えたまま’’で選ぶ未来は、本当に正しいと言えるだろうか。是非本著を読み終えた暁には、各々が抱える「塔」のあるべき姿と現代社会を照らし合わせ、自分が「個」のままでいる意義について、今1度足を止め考えてみてほしいと思う。

 

翳目