カネコアヤノ『よすが』──素顔で寄り添う優しさの先に

カネコアヤノ『よすが』──素顔で寄り添う優しさの先に

カネコアヤノというシンガーソングライターがいる。

少女のように繊細でありながら、誰にも物怖じしないたくましさも持ち合わせている彼女は、多くのリスナーの心を惹き付けてきた。

「弾き語り」と「バンド」の2形態で活動し、時にはライブハウス、時には美術館のような施設など、場所を選ばないスタイルでライブ活動を展開し、2021年のFUJI ROCK FESTIVALでは圧巻のパフォーマンスを披露した。

名実共に日本のインディーズ・シーンの中枢を担うカネコアヤノとは、何者なのだろうか。音楽シーンに突如現れた新星なのか、それとも──。筆者は、最新アルバム『よすが』に彼女の素顔を垣間見た。

これまでのカネコアヤノ

1993年、1月生まれ。平成初期、全盛期から少し外れながらもまだまだCDで音楽を聴くことが当たり前だった時代に、カネコアヤノは生まれた。

周りがCDで音楽を聴く中、彼女はカセットテープを愛用していたという。そんな懐古主義的な一面の影響か、彼女の歌う歌詞はどこか懐かしいような温かさがあり、鳴らすコードは松任谷由実やスピッツを彷彿とさせる。

ニュー・フォークSSWとしての台頭

近年、70年代以降のリバイバルが盛んに行われ、シティポップ、フォーク、歌謡曲などが再び注目されている。特にフォークは現代の情勢やブームが混ぜ込まれ、新しいジャンルへと変化していった。筆者はそれを「ニュー・フォーク」と呼んでいるのだが、カネコアヤノ、折坂悠太、柴田聡子など新時代のシンガーソングライターは、そのムーブメントの先駆者と言えるだろう。

そのため、カネコアヤノは若い頃にフォークを好んで聴いていた30代、40代からの支持も厚く、フィジカルはCDのみでなく、アナログレコードやカセットテープなど様々な媒体で展開している。そこも彼女が持つ大きな魅力の1つだ。

フィジカルへのこだわり

ストリーミング全盛期と言われている昨今だが、一方でアナログブームも起きている。CDだけではなく、レコードやカセットなどをリリースするアーティストも少なくない。配信/ダウンロードが主流になってきた現代で、改めて形に残る媒体を持っていたいというコレクター意欲と、わざわざ針を落として盤面を変える不自由な環境がかえって新鮮味があるという感覚が要因だ。

カネコアヤノも、2017年にアナログ限定(2018年にCD化)のアルバム『群れたち』をリリース後、CDとは別にシングル曲は7インチレコード、アルバムはLPレコードでのリリースもしている。また、弾き語りの「ひとりでに」シリーズは必ずカセットでもリリースされ、CDとは少し違うジャケットデザインとなっていたりと、コレクター意欲を掻き立てる仕様となっている。

CDとは違いアナログ盤は出荷数も少なく、すぐに売り切れてしまう。残念なことに転売目的で手に入れようとする者もいる。しかし、カネコアヤノのレコードは公式オンラインショップ「カネコ商店」にて受注販売する場合もあるので、諦めて転売ヤーから買うのではなく、是非公式のアナウンスを待ってほしい。

弾き語りとバンドの両立

2018年リリースの3rdアルバム『祝祭』以降は、バンド形式の通常盤とは別にアコースティックの弾き語りのみで構成された「ひとりでに」シリーズがある。弾き語りとバンドの2形態で活動するシンガーソングライターは少なくない。しかし、全く同じアルバムをその2つのアプローチでリリースするアーティストは珍しいのではないだろうか。

カネコアヤノの歌は弾き語りとバンドでは全く違う顔を見せる。弾き語りの彼女はろうそくの火のようだ。時には消え入りそうに揺らめきながらも芯は確かに熱く、絶対に消えない。その不安定さが彼女の最大の魅力であり、性別や世代を問わずに愛されている理由なのだろう。

バンドで歌うカネコアヤノはさらに大きく燃え上がる。林宏敏(Gt.)、本村拓磨(Ba.)、Bob(Dr.)から成るバック・バンドは1本のろうそくだった彼女の歌を包み込み、燃え上がらせる。まさに焚き火をする際に焼べる薪のような存在だ。バンドでのカネコアヤノは誰が見ても無敵に見え、漢らしいその様にバンドファンは魅了される。

彼女にとって弾き語りとバンドは全く違う表現であり、「ひとりでに」シリーズも単なる弾き語りバージョンではなく、全く違う作品なのだ。

『よすが』に至るまで

カネコ三部作

カネコアヤノの音楽性は3rdアルバム『祝祭』から明確に定まっていく。それはロック・バンド、HAPPYでも活躍するドラマー、Bobの加入によりバンドメンバーが固まったこと、事務所が変わり楽曲の方向性について意見を言われなくなったことなどが理由に挙げられる。

実際に『祝祭』から弾き語りシリーズ「ひとりでに」が作られ、それまで少なからずあった「アイドルのような売られ方」もなくなり、彼女が望んだ音楽への向き合い方ができるようになったように思える。

ちなみに、心身共に新体制となったカネコアヤノの作品『祝祭』『燦々』『よすが』を、筆者は「カネコ三部作」と称している。

『祝祭』と『燦々』

『祝祭』にはカネコアヤノの溢れ出る若さを感じる。愛というよりは恋について話す乙女のような、一直線な気持ちを素直に歌っている。2曲目「恋しい日々」は恋愛でもなく、ソーダと家事のあれこれについて歌っているのだが、ドタバタと慌ただしく生活するその様を愛おしく思う歌は平和そのものだ。

3曲目「エメラルド」や5曲目「ジェットコースター」では特定の異性について歌っているようだが、歌詞から察するにその「異性」は恋人ではない。友達以上恋人未満の関係にモヤモヤしつつも楽しんでいる様子がよく表現されている。『祝祭』は彼女の中にある少女の部分が色濃く現れた作品と言えるだろう。

『祝祭』のテーマが「恋と少女」だとすれば、『燦々』のテーマは「等身大の自分」だろうか。前作にあった甘酸っぱさは身を潜めつつ、彼女のイメージとも言える純真さはさらに洗練され、カネコアヤノというアーティストを代表する作品になった。

『燦々』には、周りの流行やルールなどに流されまいと抵抗する、不器用な少女が等身大に振舞う姿が詰まっている。4曲目「明け方」では、好きな格好でいたらいい、不自然な日常もいつか終わるのだから好きなようにふざけていたい、という思いを綴り、ラストナンバーの「燦々」でも、生きづらい日常に嫌気が差しながらも自分の道は自分で決める、という強い意思表示を歌っている。大人になりきれない、しかし子供でもない少女の焦燥感や倦怠感を「それで良いのだ」と肯定する彼女の歌は、多くのリスナーの胸に刺さった。

『よすが』に見るカネコアヤノの素顔

さて、そんな『祝祭』『燦々』を経て、2021年4月、カネコアヤノの5枚目のアルバム『よすが』がリリースされた。コロナ禍で作られたこのアルバムは、彼女がこれまでに発表した作品の中で最もセンシティブな作品となった。

世界の情勢、自身の身の回り、すべてを一変してしまった未曾有のウイルスは彼女自身をも蝕んだ。目標にしていた2020年の中野サンプラザでのライブも延期になったことで意気消沈し(2度の延期後、2021年に無事開催)、活動も休止に追い込まれ、時には音楽をやめることすら考えたほどだったという(※1)。

そんな彼女を救ったのが『よすが』のレコーディングだった。彼女は全てがどうでも良くなってしまっていたので、レコーディングがなければどうなっていたか分からない、とインタビューでも話している(※2)。そこまで切実な気持ちで臨んだアルバム『よすが』は、本当の意味で彼女の心の拠り所になったのだ。

(※1:カネコアヤノの選択。嘘のない歌は、信じる人を抱きしめるために
(※2:カネコアヤノ、初めてバンドメンバー全員で語り合う、4人の出会いから最新アルバム『よすが』まで

「抱擁」で見せる涙

アルバムの先行シングル「抱擁」。リード曲でもありながら寂しさや切なさが詰め込まれたこの曲は『よすが』の顔にもなっている。雪の中でカネコアヤノが涙を流すMVも印象的だ。

この曲は彼女にとって母体回帰のような曲なのだろう。人と人が対面することすら憚られる時代の中、面と向かうよりも携帯の画面を見ることが増えた現代人を“二十二世紀の愛のかたち ”と捉えながら、自身は人の温もりを求めている。幼い子供が母親の抱擁を望むように、彼女もまた支えのような存在を求めているのかもしれない。

MVで涙を流す彼女は少女のようだが、わがままを言い泣きじゃくる赤子とは違い、どこかでその支えがないことを察し諦めているように見える。それでも記憶の中にある温かい記憶を噛み締め、自分の中の少女と決別しているようだ。アウトロで歌われる壮大なコーラスは、少女から大人になる彼女を称えた讃美歌のようにも聴こえる。

コロナによる楽曲への影響

彼女はアルバムの曲でコロナに対する歌はないと言う。しかし、それと同時にコロナによって変わった環境の影響は少なからず受けているとも話している(※3)。それは一見矛盾しているようにも思えるがそうではない。カネコアヤノの歌は自身のことや周辺の環境についての曲が多い。目一杯の等身大を歌う彼女にとって、コロナという世界規模の事件は専門外なのだ。

代わりに彼女はコロナで変化した心境や環境の変化について赤裸々に歌う。5曲目「栄えた街の」はそれを代表する曲だ。「緊急事態宣言」「自粛」など聞き慣れない単語が次々にニュース番組を覆い、時が止まってしまった街とそれに逆らって生きたいと願う彼女の心境が現れており、『よすが』を代表する曲と言えるだろう。

また、10曲目「爛漫」は2020年に「星占いと朝」と共にシングルとしてリリースされた曲だが、アルバムへ収録するにあたって再録されている。アレンジ自体はほとんど変わっていないが、曲は確かに進化している。

というのも、シングル収録の「爛漫」はコロナ禍以前に収録されており、現在の彼女とは心境がかなり異なっている。そのため、ほとんどの曲がコロナ禍でレコーディングされている『よすが』の中にこの曲を入れようとすると、どうしても浮いてしまうのだ。それは彼女にとっての成長でもあり、喪失でもあるのかもしれない。シングルとアルバム、どちらのバージョンも聴いてみると、その違いがよく分かる。

(※3:カネコアヤノ『よすが』全曲解説 いま「誰も悪くない」と歌うのは

『よすが』における「ひとりでに」

「ひとりでに」シリーズにも触れておきたい。今回の弾き語りアルバム『よすが ひとりでに』は、様々な環境でレコーディングされている。スタジオであったり、部屋の一室であったり、中には屋外で録音されている曲もある。曲によってイメージする空間が違い、そのイメージを最も具現化できる場所でレコーディングが行われているのだ。しかも全てが生演奏の一発録りであり、耳を澄ませるとその空間の環境音まで聴こえてくる。

さらに、今作では初めてピアノでの弾き語り曲「窓辺」が収録されている。アレンジと演奏にピアニストの藤川大晃が参加。静かに滴るようなピアノとカネコアヤノの声が歌詞を紡ぎ、バンドとは全く違う顔を見せている。カネコアヤノが持つ可能性をさらに見出した名演となった。

圧巻のフジロック

混沌極まりない状況で開催されたFUJI ROCK FESTIVAL 2021。全てのアーティストが出演か辞退か悩み、観客もまた、正解がない問題に悩み苦しんだ。カネコアヤノの盟友、折坂悠太は悩んだ末に出演辞退を決め、彼を含め出演するアーティストの多くはファンに向けて声明文を出す中で、彼女は出演を選び、声明文などは特に発表しなかった。

そして迎えた本番。彼女が最初に歌ったのは『よすが』の1曲目「抱擁」。この曲こそが、彼女なりのフジロックへの回答だったのかもしれない。

“きっとこれは誰も悪くはなくて ただ ただ 抱擁を待っていた ”──彼女の歌声は震えているように聴こえた。

そこからは、堰き止めていたダムが決壊したような怒涛のライブだった。不要なMCは一切せずに淡々と、しかし一言一言にずっしりとした厚みを感じた。7曲目の「祝日」では涙を流しているようにも見えた。

彼女は今までずっと戦っていたのだろう。出るも出ないも地獄のようなライブで、どうすべきか悩み、苦しみ、そして出した答えに「歌」以外の言葉は必要なかったのだ。それは会場にいた者、配信を見ていた者全てに伝わったのではないだろうか。

* * *

ステージ上の彼女は誰よりも輝いて見える。誰よりも勇ましく、誰よりも可憐な彼女の光は1度消えかけた。コロナ、そして昨今の日本を覆う自粛の闇は、それほどまでに巨大だったのだ。もがき苦しみ、それでも魂を注いで作ったアルバム『よすが』は、今までで最もセンシティブであり、そして最も優しいアルバムとなった。

このアルバムはきっと誰かの心の拠り所のような存在になるだろう。アルバムと向き合い続けた彼女のように。

カネコアヤノとは何者なのか。それは不器用ながらも強くあろうともがく、本物のアーティストだった。

* * *

RELEASE

カネコアヤノ『よすが』

Label – 1994 Co.,Ltd.
Release – 2021/04/14

Goseki