【クロスレビュー】BUMP OF CHICKENが歌う「宇宙」--過去と未来、そして現在の狭間で

【クロスレビュー】BUMP OF CHICKENが歌う「宇宙」--過去と未来、そして現在の狭間で

今年2月、メジャー25周年を迎えたBUMP OF CHICKEN。2001年にリリースされた2ndシングル「天体観測」が累計55万枚を売り上げる異例のスマッシュヒットとなったことから瞬く間にその名を広め、現在も比較的コンスタントにリリースやライブツアーを行うなど、積極的な活動姿勢を見せている。

そんな彼らの楽曲を今回musitで取り上げるにあたり、まず注目したのはフロントマン・藤原基央が描く歌詞だ。
藤原はデビュー当初から長く「宇宙」をモチーフにした楽曲を作り、リスナーの耳へ届けている。「天体観測」「シリウス」「Spica」「Aurora」、またアルバムにおいても『jupiter』『orbital period』『COSMONAUT』--作品名を上げれば枚挙に暇がない。

藤原にとって、またバンドにとって「宇宙」とは一体どのような存在なのだろうか? 彼らの描く宇宙観から我々が今生きている「世界」を覗くため、今回は宇宙をテーマに歌われた楽曲の中から3曲をセレクトし、執筆陣の中でも特に彼らの楽曲を聴き込んでいるmusit編集部・翳目とライター・安藤エヌの2名によるクロスレビューを実施するに至った。

「supernova」(5th AL『orbital period』収録)

BUMP OF CHICKENがモチーフとして扱う「宇宙」とは、いうなれば彼らが音楽という絵を描くためのキャンバスだ。まっさらで、無限の可能性を秘めている。そこでは日々様々な星が生まれては死んでいき、それぞれ人の一生に似通ったドラマがある。

「supernova」は、BUMP OF CHICKENの楽曲にしばしば見られる主人公の内省的な思考を歌った曲だ。タイトルのスーパーノヴァとは超新星のことを指す。星は一生を終えると同時に大爆発を起こし、放出されるエネルギーによって一際輝きを増す。

自分を省みるときとはいつだろうかと問われれば、人生は限りないと無邪気に信じて自由奔放に生きていた時代より、一生には限りがあると気付いた後だと答える人は多いだろう。命は有限だと知った時、人は自分にとって大切なものの姿かたち、肉体の内なるエネルギーを実感する。

‘‘歳を数えてみると 気付くんだ 些細でも歴史を持っていた事’’

ともすればこの曲の主人公は既に老いていて、死を身近に感じているのかもしれないとも考えられる。過去になった<君>と過ごした時間。美しくも切ない記憶のリフレインはBUMP OF CHICKENに特有の筆致にほかならず、回顧という1つの光、そして宇宙という二重の主線で描かれた本作は実に彼ららしい音楽と言えるだろう。(安藤エヌ

藤原は「生」と「死」、その両方を5線譜の上で対峙する人間である。デビュー・シングルとしてリリースした「ダイヤモンド」では‘‘「君は生きている」’’と生への賛美を歌い、今年2月に結成25周年を記念して発表された「Flare」では生命を‘‘いつか終わる小さな灯火’’と喩え、消えゆくことのない1粒であることを歌った。そして本楽曲では、「君」と「僕」が生身の人間として巡り合っていることの奇跡を、アコースティック主体の刹那的なメロディに乗せて我々リスナーの耳へ送り届けた。

歌詞についてもう少し言及すると、本作は「メロディーフラッグ」と類似する部分が見られる。両作品においても、定められた時間の中で「君」と「僕」が生きる「今」を軸に展開される楽曲である。唯一異なる点を挙げるとすれば、「メロディーフラッグ」では「僕」から見た時間を、「supernova」では広大な宇宙という視点から見た時間を歌っていること、だろうか。

「supernova」は藤原曰く「サラッと書いた」曲だと語っている。しかしその数年後に起きた東日本大震災、また現在もコロナ禍においてこの楽曲に縋る人々が多くいることを鑑みても、この曲は暗澹とした宇宙にただ投げられたものではなく、確かな温度感を持ってリスナーの耳へ響く曲であることに、藤原基央という1人のアーティスト性を垣間見るのだ。(翳目)

「宇宙飛行士への手紙」(6th AL『COSMONAUT』収録)

「宇宙っていうのは、僕たちの中では一種の面白ツールなんです」

これは彼らが過去のインタビューで「なぜ宇宙をモチーフにした楽曲を多く制作するのか」と聞かれた際に答えた台詞である。「天体観測」「プラネタリウム」「銀河鉄道」「流星群」--デビュー25周年を迎えてもなお彼らの楽曲に色濃く「宇宙」を感じさせるフレーズが並んでいる点を踏まえて見ると、なるほど確かに、彼らが作品ごとに大きく制作スタイルを変化させるバンドではなく、あくまで小さな星の欠片を指差しながら少しずつ形の異なる星座を作るように制作活動を行っているということから、彼の言うことには合点がいく。

本作に限らず、宇宙と同等に藤原が作品のテーマに置いているのが「時間」だ。加えて、本作は藤原のリスナーに対する率直な思いさえも含まれた楽曲である。‘‘お揃いの記憶を集めよう’’‘‘生きている君に僕は こうして出会えたんだから’’などのフレーズは、藤原がステージの上から「君に向けて歌っている」と度々呼びかけていることとリンクする。

本作リリースの約2ヶ月後、彼らは「宇宙飛行士」という意味が名付けられたアルバム『COSMONAUT』を発売する。ストリングスやアルペジオ奏法がふんだんに盛り込まれたアルバム構成であること、また手紙の中に収まり切らなかった宇宙への馳せる想いがアルバムを通して描かれている点においても、本楽曲は『COSMONAUT』の大きな布石と言えるだろう。(翳目)

伝えたいことが伝わらない、会いたいのに会えない。

BUMP OF CHICKENは音楽の中で「距離」を歌うことがある。それは物理的な距離というより、心象風景的な距離に近い。「宇宙飛行士への手紙」と題された本作では、こんな歌詞が登場する。

‘‘出来るだけ離れないでいたいと願うのは 出会う前の君に僕は絶対出会えないから 今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから’’

これはまさに「距離」の物語だ。出会う前と後、過去と今。宇宙飛行士に手紙を書くように、少しためらいながら、届かないかもしれないと思いながら綴る言葉にはわずかに諦めがある。しかしそれでも、希望や願いは捨てない。どうやっても縮まらない距離を愛おしいと思う気持ちが、そこにはある。

BUMP OF CHICKENの歌う「距離」が、こんなにも胸を締めつけるのはなぜか。それは彼らの歌が、知らず知らずのうちに感じていた寂しさの傍にある光を見つけ出してくれるからだと感じる。今を生きる「僕」と「君」は、例え離れていても同じ場所にいる。

ままならない「距離」を乗り越え、心と心が寄り添う瞬間を差し出してくれる。BUMP OF CHICKENの音楽にある無数の優しさとは、こういった部分にも感じられるのかもしれない。(安藤エヌ)

「Aurora」(9th AL『aurora arc』収録)

突如、空一面に燦然と輝くオーロラが現れるような美しいイントロのサウンドから、8thアルバム『Butterflies』からの飛躍的な成長がうかがえる。『Butterflies』を起点にシンセサイザーとバンド・サウンドを融合させた楽曲を次々リリースしていた彼らだが、本作をもって彼らは「実験段階」だったそれを確かなバンドの音として取り込むことができたと思わせる仕上がりになっている。

また、本作のレビューを執筆するにあたっては藤原のヴォーカリストとしての変化にも触れたい。キャリア初期〜中期で印象的だった、荒々しさと静謐さの両方を使い分ける厚みを持った歌い方は本作以降でほとんど見られない。本作以降はむしろ、余計なものを1枚1枚剥がしたように丸みを帯びたヴォーカルが特徴的だ。

‘‘もう一度 クレヨンで好きなように この世界に’’--。リリース当時は既に40歳を迎えていたメンバーだが、藤原の創作意欲は止まることを知らない。本作収録のアルバム『aurora arc(=オーロラの弧)』のリリースツアーを『aurora ark(=オーロラの方舟)』と名付けたように、藤原はいつまでも雄々しく旗を掲げ、広い海で終わりのない大航海を続けながら、波を掻き分けて「君」へ歌を届ける少年なのだ。(翳目)

幼い子供が画用紙に虹を描くように、BUMP OF CHICKENは真っ白なキャンバスにオーロラを描く。彼らは世界観を創出する時、未来ある子供たちに向けて差し出すような優しさをもって取り組む。その表れが、「Aurora」の歌詞に登場する‘‘クレヨン”というワードだ。

子供が1枚の絵を描き出そうとしている時、同時に彼、彼女らは未来のビジョンをも創造しようとしている。これから先の世界に必要なきらめきを、少年少女たちが描くために必要な道具は何か--それが‘‘クレヨン”なのだ。

‘‘お日様がない時は クレヨンで世界に創り出したでしょう’’

BUMP OF CHICKENという大人たちは、音楽を通して子どもに未来を託している。描かれるものを見てみたいと切望している。そういった姿勢を保ち、音楽を創り出し続けることで、未来はより良いものになると信じている。

彼らは「幼稚」という言葉を持たない。常に子供と同じ目線に立ち、少年のような瞳で世界を見ている。(安藤エヌ)

musit編集部