musit的マンスリーレコメンド/2021年10月

musit的マンスリーレコメンド/2021年10月

musit所属ライター陣が、月ごとに新譜をそれぞれセレクトしてレビューを行う月末更新連載。2021年10月は、3年ぶりのアルバムをリリースした折坂悠太、アニメのオープニングを飾るKing Gnuの新曲、LUNA SEAのINORANによるソロ作など、シングルを含む計10枚をピックアップした。

折坂悠太『心理』

Label – ORISAKAYUTA / Less+ Project
Release – 2021/10/06

3年ぶりとなるフルアルバム『心理』は、『平成』『朝顔』を経由し、より一層折坂悠太という人間味が溢れる作品となった。

折坂の魅力は、日常に漂う焦燥感や倦怠感を描きつつ、それに満足しているようなどこか陶酔的な歌詞だと「ニューフォーク」の記事で書いたが、今作はそんな折坂の日常の中にある「寂しさ」に対する諦めと満足が散りばめられている。「トーチ」は変わりゆく街で理解者と離れ離れになってしまった孤独感を歌う。一見とても寂しい歌であるはずが、折坂はそれを淡々と歌い、そんな寂しさすら認めてしまっている。

幼少期に様々な国で生活をした経験のあるからこそ、孤独というものに対して慣れがあるのだろう。韓国のSSW、イ・ランと共作した「ユンスル」も、そんな彼だからこそできたコラボではないだろうか。遠く離れた2人が無線で他愛のない話をするようなこの曲もまた、全編を通し寂しさが伝わってくる。後半のイ・ランによるポエトリーリーディングでも終始淡々としながら、おそらく前半の折坂の歌詞に対する返事を述べている。この他愛のないやりとりこそが折坂悠太というアーティストの持つ魅力なのだ。

世界を達観しているかのような彼の楽曲は、どんな歌よりもちょうど良い位置で寄り添ってくれているような心地良さがある。

(Goseki)

ヨルシカ『月に吠える』(Single)

Label – UNIVERSAL J
Release – 2021/10/06

「又三郎」「老人と海」に続く文学オマージュの第3弾として発表された、ヨルシカの「月に吠える」。インスピレーションの元となっているのは、詩人・萩原朔太郎が遺した代表的な詩集である同名作だ。

文学作品のオマージュをコンセプトに掲げ、これまでも楽曲に作家たちの言葉がまとう世界を織り交ぜてきたヨルシカ。月を人間の感情における獰猛な本質としてメタファーした『月に吠える』のデカダンスを漂わせる、鬱屈とした文学性を音楽に昇華させた。なかでも、表現力に長けるヴォーカル・suisの「憑依」は見もの。俯いて囁くように、極力声量の抑えられた歌声は、まるで本当に萩原朔太郎その人が世の闇を謳っているかのよう。

また、コンポーザーであるn-bunaが編み出した音楽は現代的なファンクの潮流を感じさせるが、流れるようなグルーヴが『月に吠える』の持つ世界観と化学反応を起こし、見事に調和している。間奏で流れる不協和音はぼんやりと夜に浮かぶおぼろげな精神を表しているかのようで、そのメロディにも萩原朔太郎の揺らぐ影が垣間見える。

本を開く時のように音楽に触れ、ページを捲るように音楽を聴く。新たな音楽体験の道を拓いたヨルシカの楽曲は、「日本語」の美しさを再認識するというJ-POPの真髄を呼び起こさせた。

(安藤エヌ)

パソコン音楽クラブ『See-Voice』

Label – Self Released
Release – 2021/10/13

毎度コンセプチュアルな作品を展開する彼らが今月リリースしたアルバム『See-Voice』は、これまでのように「他者との調和」を表現するのではなく、彼らがコロナ禍において自身を見つめる期間を経たうえで、1つの答えとして導き出した「自分自身への内省」が描かれている。

西山曰く「海の声」をコンセプトに掲げ制作したという全14曲は、ひとえに「海(または水)」といっても昼下がりの波打ち際のように穏やかな楽曲群だけで構成されているのではない。引いては満ちてを繰り返す水辺、気泡を作りながら纏うように包み込む水の中、両腕を使って掻き分けた際に起こる水飛沫。歌詞においても節々に「海」へ想いを馳せる繊細な描写が見受けられるものの、ミツメの川辺やunmo、猪爪東風らといったゲストヴォーカルの人選からポエティックなフレーズへの抵抗は薄れ、聴き手はただ身を委ねるように音と歌声に聴き入ることができる。

タイトルである『See-Voice』は「海の声」と「声を見る」のダブルミーニングであるという。この時代において確かな安寧を得る手段が、今作で強く提示されている。

(翳目)

gato『U+H』

Label – Self Released
Release – 2021/10/13

人力エレクトロニカ・バンド、gatoの2ndアルバム。前作までハウス、ダブなどのクラブ・ミュージックが主軸にあるイメージだったが、今作ではヒップホップやジャズ、ポップスなどの要素が加わり、もはやエレクトロニカという言葉では表現できない存在へ進化した。

今作ではage(Vo.)の「歌」に対する意識がはっきりと変わっているように思える。前作『BAECUL』では歌も楽器の一部という印象が強くクラブ・ミュージックの位置付けだったが、今作では「noname」「teenage club」「21」など歌がメインの曲が続く。特に「teenage club」はTurnoverなど海外のインディー・シーンの要素が盛り込まれ、今までで最もバンドらしいサウンドだ。

しかし筆者はこの変化に驚きはしなかった。そもそも彼らの前身はポストロックの要素を多く含んでおり、メンバーのルーツもジャズ、ソウル、ロック、ポップスなど様々で、これまでもその要素はあった。そのため、歌にフォーカスされた今作は路線変更というより「昇華」なのだ。

なお、歌と歌を繋ぐように挿入されたインスト曲は、むしろ以前よりもハウス〜クラブ・ジャズとして完成されており、今作を1枚のアルバムとして形作るための重要なエッセンスとなっている。こちらも注目していただきたい。

(Goseki)

King Gnu『BOY』(Single)

Label – Ariola Japan
Release – 2021/10/15

かつてKing Gnuは「Teenager Forever」で若さゆえの疾走を歌った。この場合の若さとは、大人が感じるモラトリアムの中で生まれる「こうでありたい」という憧れだ。「BOY」はそんな憧れの先へと跳躍し、若さをも通り越して「幼さ」が持つ前進のエネルギーをテーマとしている。

「Teenager Forever」のMVではヴォーカル・井口がタンクトップ一丁で全力疾走していたが、子供が歩くほどの心地良いテンポで歌われる本作からは、楽曲がOPに使用されているアニメ『王様ランキング』の主人公・ボッジが困難にぶつかりながらも邁進していく姿を彷彿とさせる。

歩く、走る。そう、King Gnuの応援歌とは「その足で前へと進むための歌」なのだ。

“声を枯らすまで 泣いていたんだよ
叶わないと判って尚 ”

幾度となく感情を吐露するように歌ってきたKing Gnuが、ボッジ少年と出会った。これほどまでに喜ばしい邂逅はあるだろうか。ボッジの弱さではなく強さ、臆病ではなく優しさを掬いあげて、全身でふがいなさや悔しさを叫ぶ彼の姿を愛する大人たち。

“剥き出しで咲く君は 誰より素敵さ ”

1人の少年の勇気を尊重し称えた「BOY」。人生を紡ぐ名手であるKing Gnuが新たに創造した賛歌は、燦々と陽の光の下で鳴る。

(安藤エヌ)

Tomggg & Phritz『Love Ride (feat.Shelhiel)』(Single)

Label – UNLIRICE
Release – 2021/10/20

マレーシアで近頃注目を集めているシンガーソングライター・Shelhielを客演に迎え、ポップでキラキラしたサウンドを生み出すトラックメイカー・Tomgggとポーター・ロビンソンのSpotifyプレイリストに自身の楽曲「summit」が選出され話題を集めたphritzのコラボレートによって生まれた今作。アジア圏のカルチャーにフォーカスした雑誌『UNLIRICE』(ご飯おかわり無料、の意)の音楽部門として企画/実現したものであり、サポートにネットレーベル《Maltine Records》主宰・トマドも携わっている。

Tomgggの早くも春の訪れを感じさせるような高揚感の演出と、phritzが得意とする甘美な音の旋律が融和するメロディはタイトル通りに順風満帆な恋の進行を知らせるよう。Shelhielのピュアな歌声で紡がれる中文と英語が混在した歌詞とも親和性が高く、甘く弾けるポップ・ナンバーだ。

また、本作をもって今月4つの新曲をリリースしたphritz。2018年から現在の名義での活動を開始した彼の跳躍的な前進を見ると共に、彼の音楽性が既に多くのクリエイターを魅了しているのはとうに自明だ。そして、そのどれもが今後生み出す作品への期待を十二分に孕んだ会心作であることはここに明記しておきたい。

(翳目)

INORAN『ANY DAY NOW』

Label – キングレコード
Release – 2021/10/20

LUNA SEAのギタリスト・INORANによる15枚目のオリジナル・アルバム。カラッと乾いたパーカッシブなビート、キラッキラのシンセ、チル感溢れるリフレイン。ん、EDM? まさかのバレアリック・ハウスだ。

男女が抱き合うジャケットアートが象徴するように、本作では全編を通してハッピーな空気が漂っている。「See the Light」からラストの「Dancing in the Moonlight」へ。例えば茅ヶ崎とか、どこか海辺の街で暮らす彼らの日常を映したショートフィルムのようなアルバムだと感じた。

「flavor」は穏やかなギターのアルペジオにうっすらとシンセが乗る構成の、ギタリストならではの曲と言えるかもしれないが、本作で聴けるのは完全にハウス・ミュージックのトラックメイカー/ソングライターとしての仕事。でも私は驚かない。だってINORANの1stアルバムは、非常に純度が高いトリップ・ホップだったからだ。

とにかく1つ言えるのは、もしこのレビューを読んでも、LUNA SEAのパブリック・イメージを持って聴かないのであれば非常にもったいないということ。この輝きと多幸感に満ちたアルバムは、きっと『ANY DAY NOW』=いつの日にか、あなたの日常にも少し彩りを与えてくれるはずだ。

(仲川ドイツ)

Phew『New Decade』

Label – Mute Records
Release – 2021/10/22

2021年2枚目のアルバムとなる本作は、イギリスの電子音楽の名門《Mute Records》からのリリース。​​​​Muteには1992年に発売されたアルバム『Our Likeness』以来、29年ぶりの復帰。

アナログシンセのシークエンスを主体とした作風は前作『Vertigo KO』から続く手法だが、今作においては音の隙間と響きが重視された印象を持つ。インダストリアルな音響をバックに、おどろしい童謡を想わせるメロディーから賛美歌のように移り変わる「Into the Stream」は彼女のキャリアを総括したような楽曲で、本作品の中では特に印象的だ。「Feedback Tuning」は聴力検査を思わせるオシレーターとギターの絡みが美しいが、子供や猫など耳が良すぎる奴らにはツライ周波数が使われているようのなので要注意。

アルバムタイトルを直訳するならば「新たな10年」。10年どころか3年前でさえ想像できなかった世界的パンデミックを経験した今、「10年後って言われても…」って思うし、実際僕はこの作品から希望の光や明るい未来を感じ取れない。とはいえ夜中にスピーカーから流れてくる蠢くマシンビートと彼女の息遣いを聴いていると「Phewだって表現方法を変えながら何十年もやってんだよなぁ」と、明日くらいは頑張れそうな気分になる、かも?

(仲川ドイツ)

Sóley『Mother Melancholia』

Label – ​​Lovitt Records
Release – 2021/10/22

白い衣装に身を包み、虚空を見つめ鎮座する骸。現世での栄華を打ち消す哀しみの累積に閉じ込められたかのような姿だ。

アイスランドのSSW、ソーレイ(Sóley)の新作は、キャリア史上最も深遠に位置し、野心的かつ重厚なアルバムである。「デヴィッド・リンチの監視下にある吸血鬼教会で『ノスフェラトゥ』と『テルマ&ルイーズ』が出会ったような作品」と自ら形容する本作は、ニュース中毒の彼女が耐え難いリアルと対峙することで生まれた。家父長制における女性への待遇と自然破壊を重ね合わせたエコフェミニズム的思想で「母なる大地」が蹂躙される現実を嘆き、傷を癒すための音楽としてカタルシスをもたらすのである。手法においても、作曲をアコーディオンで行い、メロトロン、モーグ・シンセ、チェロを導入するなど、キャリアに甘んじない実験精神を発揮した。

それにしても、『Mother Melancholia』というタイトルは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でセルマが辿る母親としての数奇な運命を想起させる──というのは蛇足が過ぎるだろうか。ソーレイの音楽性はビョークとの関連を指摘されることもあるが、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』4K版の公開を控えたタイミングで本作がリリースされた事実は、何か偶然以上の繋がりを感じてしまう。

(對馬拓)

Base Ball Bear『DIARY KEY』

Label – DGP RECORDS
Release – 2021/10/27

10年前、僕は札幌で孤独な浪人生活を送っていた。ネットを遮断し、少ない友人とは時々文通し、人との関わりを避けて、とにかく勉学に打ち込んだ。そんな僕の日々は音楽──もといBase Ball Bearと共にあった。その年にリリースされた『新呼吸』を聴くと、特撮のように押し流される街や、ポポポポーンに占拠されたCM、予備校の自習室の色彩、死んだ僕の目を思い出す。

正直、当時は模試の点数が何より重要で震災どころではなく、テレビに映る瓦礫の山もフィクションじみていた(あるいは逃避的にそう思い込もうとしていた)。しかし10年後、奇しくも社会は似た状況、いや、もっと酷いディストピアへと退化し、逃げ場のない東京の閉塞感に押し潰される僕は思う、10年前の自分は実にオメデタイ奴だった、と。

そんな今の僕にも、Base Ball Bearは共にあろうとしてくれている。彼らの音楽と出会った高校2年生の頃から現在に至るまで、自分の人生の節目になるよう音楽を絶妙なタイミングで投げかけてくれる存在。そういうバンドは他にいない。

“明日早い夜に限って こんなに楽しくなるのはなぜなんだろう ”

もうそんな感覚はずっと忘れていた。『DIARY KEY』の随所に散りばめられた、やけに真っ直ぐな歌詞。まだまだ僕は生きていける。

(對馬拓)

 

musit編集部