Beach Houseが集大成的大作『Once Twice Melody』で提示した、ネット消費とアナログ復興を融合する新時代のアルバム形態
先日ついにリリースされた『Once Twice Melody』はBeach Houseが妥協なく全ての物語を押し込んだ贅沢なアルバムである。2004年の結成以来、2人がキャリアを通じて成してきたのはドリームポップというジャンルの再定義であった。Cocteau Twinsの登場から、1990年代初頭のSlowdive、Lushといったシューゲイザーたちの活躍と共に形作られたジャンルであるドリームポップの歴史は、Beach Houseの登場によって新たにメインストリームの音楽ジャンルの一つへと昇華されたのだ。今や、2010年代以降のロック音楽を語るうえで欠かすことのできない存在となったBeach Houseだが、8枚目のアルバムとなる本作ではそんな彼らの集大成とも言える、とてつもなく巨大な世界が描き出されている。
ドリームポップにおける「絢爛さ」の成熟
まず、米ボルチモアでヴィクトリア・ルグラン(Vo. Key.)とアレックス・スカリー(Gt.)の2人により2004年に結成されたBeach Houseが如何にしてドリームポップの第一人者と呼ばれるようなバンドへとなったのかを話さずに、『Once Twice Melody』を語ることはできない。
結成以後、《Carpark Records》よりリリースされた初期の2作品『Beach House』(2006)、『Devotion』(2008)、そして転換期のアルバム『Teen Dream』(2010)を聴くと、この時点で既に彼らが後に提示することになる新たなドリームポップのルールを見出していたと言って良いことが分かるだろう。オルガンとスティール・ギターを中心としたミニマルな音作りで、スロー・テンポに展開していく様子は以後のキャリアの礎となっていく。しかしミニマルであることは必ずしもドリームポップネスとイコールではないはずだ。では、なぜ彼らの音楽がすぐにドリームポップだと分かるか、と言えばそこに一種の「絢爛さ」が生じているからである。そして、その絢爛さの成熟により、Beach Houseの音楽は世に見出されていった。
ドリームポップという音楽は、ラグジュアリーな抽象性を額に飾ったような音楽である。ドリームポップの音像にある豪華さも抽象性も、かつてシューゲイズとほぼ同義のジャンル、あるいはサブジャンルとしてこれが誕生したことを根源としていると見て良いだろう。ヴォーカルは賃貸でもレコーディングできる程度の声量、しかしギターは地下室でレコーディングをしても近所迷惑になり、そこで負けじと駆けねばならないドラムスの音量も立派かつ主張的というシューゲイズ。そのなかでもより空間的で、曖昧、そして主張が少なく、女性ヴォーカルが多いジャンル、という印象をドリームポップに対して持っているリスナーも多いはずだが、この感覚がBeach Houseによるドリームポップがなぜ新しいのかという理由に大きく関わっていることは間違いない。
彼らのキャリアをジャンルの定義を用いて説明するとなると、初期の3作『Beach House』『Devotion』『Teen Dream』と時を追うごとに彼らはドリームポップという枠に重なるようになり、『Bloom』(2012)と『Depression Cherry』(2015)でその枠を通過し外へ飛び出したという言い方が公平なのだろう。ミニマルでメロウな音楽は、2人の想像力の飛躍により豪華さを増したことで誰の耳にもドリームポップに聴こえるものへと進化したのだ。おそらく2人が持て余していた創造力を十二分に表現できたアルバムとも聴こえる『Bloom』からは、リファレンスが60年代はThe Velvet UndergroundやThe Beach Boysから始まり、80年代のシンセポップなど多岐にわたっていることに気付くことができる。
そして、次作『Depression Cherry』にて彼らは自らのヴォイスを分かりやすく提示する。要は名刺代わりになるアルバムであり、ラメ入りのゼリーを極限まで薄く押し延べたようなBeach Houseらしい作品だ。赤一色にバンド名とタイトルが白く刻まれたアルバムカバーも、白地に薄くシマウマの柄の入った初期作『Teen Dream』をより鮮やかで、自ら語らない芸術にしていることを意味するかのように象徴的だ。ドリームポップを「抽象性」と「絢爛さ」と仮定すると、彼らはシューゲイズから由来していた「絢爛さ」をすっかり異なる種類のもので置き換えてしまっているのである。実際のところがどうかは知らないが、作品を聴く限りでは彼らが元よりドリームポップ志向であったとは考えにくい。
『Depression Cherry』で新境地を拓いたBeach Houseは、やがてドリームポップの枠を通過していくのだが、そのままドリームポップという言葉だけがバンドに着いてきてしまっている、というのが再定義の現状なのではないだろうか。前作『7』(2018)はオルガンなど代名詞的なサウンドを捨て、バンド・サウンドを基にさらなる開拓を試みた作品であるが、本作『Once Twice Melody』はその延長ではない。本作でなされたのは、これまでの音の開拓から可能になった全ての空間を利用した、Beach Houseの世界観の拡張である。
非流行的なダブル・アルバムという選択
『Once Twice Melody』は時代に逆行するかのように1時間24分にも渡る長尺で描かれた、いわゆる「ダブル・アルバム」である。かの英の大ヒット・グループであるThe 1975が『A Brief Inquiry into Online Relationships』と『Notes on a Conditional Form』を短期間でリリースした際に、マシュー・ヒーリーが「元は1枚のアルバムとして制作していたものの、2枚に分ける決断となった。ダブル・アルバムはプログレ的で鬱陶しい。あれは自己満足だと思うので選択しなかった」(※1)と語っていることからも、20年代の今日、ダブル・アルバムをリリースすることがいかに時代錯誤か、ということが見て取れるだろう。
実はBeach House自身も、2015年に『Depression Cherry』リリース後、同時期にレコ―ディングした楽曲をThe 1975と同様、全く異なるアルバム『Thank Your Lucky Stars』(2015)として短期間でリリースしていた。一方で『Once Twice Melody』に関しても、デモ制作の段階で曲数が1枚のアルバムに収まりきらない分量になったことがインタビューで述べられているが(※2)、彼らは熟考した結果、The 1975とは対照的に非流行的なダブル・アルバムという形を選択。しかし、結果としてその形式が本作の大きさを質量的に証明することとなった。
まず、彼らはこのアルバムを今でしかできない特別な方法で公開することで、受け入れられにくい長さによる時代的ハンディを取り払うことに成功した。本作はレコードの盤面でA面/B面/C面/D面それぞれにテーマを持ったコンセプト・アルバムとして完成されているのだ。曲作りを終え、悩んだ末にダブル・アルバムを選択した時点から、既に完成している楽曲たちが生気を取り戻しそれぞれが結びつき始めたという事実と共に、クオリティ自体に不満はないものの出来上がるや否や死んだようにすら思えた曲たちが本来の姿を取り戻した、ということがインタビューで語られている(※2)。章ごとの物語とアルバムの始まりから終わりまでが明らかになり、章という区切りと共に明確な筋がついたことによって、本作は従来の1枚組アルバム以上にまとまり、さらにボリュームのある贅沢なアルバムとなった。
また、本作で採られた現代らしいリリース方法がその章ごとの物語性を更に際立たせることとなった。11月10日に本作のリリースを発表すると同時に、「CHAPTER ONE」をYouTubeとストリーミングで解禁。YouTubeに公開された21分45秒の映像は第1章全4曲のリリック・ビデオとなっており、それぞれの楽曲ごとに異なる映像クリエイターが手がけた映像作品のオムニバスとなっている。2月18日の全編リリースに向け、同じく月ごとに2章、3章のリリックビデオとストリーミングを解禁し、ついに先日、第4章で完結。フィジカル音源への愛情を示す形式ではあるものの、長すぎることが危惧されるダブル・アルバムのリスクを無にして、インターネットを駆使し視聴者も共に長い旅を楽しませるという素晴らしい試みとなった。
新時代における音楽形態の復興と再定義
もちろん、このようなリリース方法で発表された大作でなければ表現できなかった物語というものが本作では描かれている。全体を見渡すことの難しい長尺のアルバム『Once Twice Melody』は、Beach House曰く「人生とこれまでに起こった全てのクレイジーなことについて」のアルバム、すなわち限界がなく大きな起承転結で語られない大味な作品なのだ。週ごとに登場するヒット曲やプレイリストで偶然流れるようなインスタントな消費ではなく、折に触れてひもとくべきアルバム。本人らが「限りない世界に没入し楽しんでもらうことができる」と語っている通り、まさに「一度、二度、とメロディー」に浸りながら本作を聴いていきたいものだ。
この時代において長尺のアルバムをリリースする意味は確かにファッション的な文脈では存在しないだろう。しかし逆に言えば、これは彼らが突き進めてきた音楽がいつの時代においても流行に則ったものではなかったことの象徴とも言える。常にBeach Houseはエポックメイカーであったし、これから先も新しい形の音楽をつくっていくだろう。
ビクトリアは「音楽的な意味ではなく気分的に、《Sub Pop》に見出され『Teen Dream』を出そうとしていた頃に近いキラキラした感情に溢れていた」(※2)と本作の制作に関して語っていたが、それは彼らが『Teen Dream』以降ドリームポップというかつての素晴らしい文化を再び定義したのと同じように、本作がフィジカル文化を、今後の音楽形態の新たな形として復興させていくということに対する予兆だったのかもしれない。
* * *
Beach House『Once Twice Melody』

Label – Sub Pop / Bella Union
Release – 2022/02/18
出典
※1:The 1975 – “Give Yourself A Try” Video|Stereogum
※2:Talking to Beach House|YouTube
鈴木レイヤ
