【レコメンド】スーパーカー『HIGHVISION』(2002)──高画質で映し出される夢の際、あるいは「目覚め」の予感【20周年】

【レコメンド】スーパーカー『HIGHVISION』(2002)──高画質で映し出される夢の際、あるいは「目覚め」の予感【20周年】

スーパーカー『HIGHVISION』

レーベル:Ki/oon Records(現:Ki/oon Music)
リリース:2002年4月24日

いつからだろう、不思議な、着地点のない心持ちで聴いている。ノイジーなギター・ロックと気取った言葉を引っ提げて青森から現れた4人が、やがてエレクトロニカと鮮烈な邂逅を果たし、バンド・サウンドは解体され、音も言葉も意味も削ぎ落とされていくという過程を、当時のリスナーはどう受け止めていたのだろうか。打ち込みを駆使し、未来の全景の続き、その夢の際を高画質で映し出したこのディスクから、やがて訪れる短い眠りからの目覚め、つまり「終わり」の予感を、いくらか嗅ぎ取っていたのだろうか。

ここではないどこか──あるいは、どこでもないどこか──へ連れ出される感覚。音楽作品にそうした聴取体験を求めるリスナーはきっと少なくなく、また作り手もそれを意識的/無意識的に志向するものであろう。例えば、Ride『Nowhere』はまさにタイトルの通り、青く染まる衝動や果てなき轟音による作用で「どこでもない場所」の景色を描いていたではないか。Maison book girl『yume』にしても、fMRIや環境音を多用し夢と現実の境界線を融解させる試みだった。そして、スーパーカーにとって4枚目のアルバム『HIGHVISION』もそうした、現の体験を飛び越えた感覚が呼び起こされる。

電子音がもたらす浮遊感と安寧、もしくはそこから描出される朧げな情景は、アートワークが端的に物語っているだろう。早朝なのか夕暮れなのか、どこかの湖畔のような場所。対岸に輝く陽の光は昇り切って視界をホワイトアウトさせるのか、あるいは沈んで闇が訪れるのか。そもそも最初から着地点なんてものはなかった、ということに、ここでようやく気が付く。高画質のはずなのに、どこにもピントが合わない。それなのに、とても居心地が良い。全てが分かり切っていれば良い、とは限らないからだ。

“夢際のラストボーイ 永遠なる無限 夢際のラストボーイ 触れていたい夢幻”

繰り返し放たれるこれらのフレーズに何かを見出そうとするのは、至極ナンセンスな行為なのかもしれない。しかし彼らはきっと理解していたのではないだろうか、永遠の無限も触れられる夢幻も存在しない、ということを。ラストボーイが覚醒の反対側へと滑り込んでいくフューチャー・ポップもたったの4分12秒で終わってしまう。ともすれば、「夢際」という言葉自体がスーパーカーという名の夢の終わりを、暗に示していたのかもしれない。

對馬拓