失われた呼吸を取り戻すために──あらかじめ決められた恋人たちへ『燃えている』

失われた呼吸を取り戻すために──あらかじめ決められた恋人たちへ『燃えている』

1997年に産声を上げ、2022年に活動25周年を迎えたあらかじめ決められた恋人たちへ(以下、あら恋)が、アルバム『燃えている』を9月7日にリリースした。池永正二がソロ・ユニットとして音楽活動をスタートさせ、2008年以降からバンド編成となり、現在では池永正二(鍵盤ハーモニカ、プログラミングetc.)、劔樹人(Ba.)、クリテツ(テルミン、Per.tc.)、オータケコーハン(Gt.)、GOTO(Dr.)、ベントラーカオル(Key.)、石本聡(Dub)の7名に、PAを加えた8名がコアメンバーとなっている。

エレクトロニカやアンビエント、ポストパンクやポストクラシカルなどの要素を織り混ぜ、「あら恋」ならではのダブ的な解釈で音にして鳴らしつつ、今作では2022年の「風景論」として語られる音像を作り上げた。また、アルバムに合わせて、映画監督の柴田剛が参加したMV(=映像作品)が公開され、ブックレットには作家のシンテツによる書き下ろしの小説が収録されている。つまり本作は、音楽・映像・小説の3つの視点から物語を描いた「三位一体=トリニティ」をコンセプトにした素晴らしいアルバムなのだ。

本作がトリニティという構造をとった理由

なぜ本作は音楽・映像・小説という3つの視点からなり、それぞれの角度からアルバムの核心を紡ごうとしたのか。そこには「あら恋」の中心メンバー・池永が「今、この瞬間」の歪んだ社会と痛々しい時代の中で、もがきながらも必死に生きている人々へのエールを送ろうと抑えきれない己のファナティックな情熱を炸裂させたこと、何より世界を取り巻くあらゆる事象の生きる原則である「呼吸」を描こうとしたのではないかと推測する。

彼のパッションは、音楽活動25年を迎えてもなお衰えることはない。そこには慈愛と言うべき感覚さえ覚える。彼が訴えたかったのは「あらゆる生物は生きている」という至極単純なことだ。言い換えれば彼は、人を含む生物の呼吸、都市の呼吸、自然の呼吸などを圧倒的な筆致で描こうとした。なぜなら、我々に襲いかかってきたパンデミック(自然の呼吸は環境破壊によって歪められているが)は、生物の生きるという当然の行為を不幸にも蔑ろにしてしまった。だからこそ、今作は音・映像・言葉という多面的な形をとりながら、我々の五感に生きることの尊さや苛烈さを丁寧にダイレクトに訴えようとしたと推察できるし、それでこそ多様な感情を込めた傑作になり得たと思う。

呼吸を通して行う、生きるためのアクション

今作のコンセプトになったアルバム3曲のMVと合わせると、あら恋の意図したことがさらにクリアな輪郭となって見えてくる。例えば「東京」(M1)のMVを仔細に眺めれば、映っているのはどこかの路上で風に巻き上げられ螺旋を描く枯れ葉だとしても、その瞬間に都市の呼吸を丹念に感じられる。映像のリズミカルなカット割りを観ると柴田剛の力量に感嘆させられるが、それ以上にMVを通して、我々が呼吸するのと同じように都市も呼吸していることを知る。

呼吸」……それは何の変哲もない、どこといって変わったことのない行為だ。しかし、MVにおいては余計な事件が削ぎ落とされ、淡々と描かれる風景に合わせて鳴らされている音が我々の感情に起伏を与える──とすれば、それは都市の呼吸を感じることで我々は具体的な「アクション=生きること」に繋げているからだと推察できる。

都市そのものが人為的「生物」だとすれば、我々が作った都市でさえも呼吸をしていることを感じることで、互いに生きている実感を得るのだ。それらのループが、時間の変遷を、時代の変貌を、人生の輪転を描き続け生きることを感じさせてくれる。このアルバムは、パンデミックにおいて人間の──突き詰めれば生物の生の解体と再構築を促しているとさえ言えよう。それでいて、決して啓蒙的でない生々しい原則が息づいている。その原則は、リスナーもあら恋の一部であるという彼らならではの平等主義にあるし、それゆえに作品に現実に生きることのリアルさが過剰に込められているのだ。

自身の在処を探し求めて

その一方で小説は、輪河鈴という女性が駅のホームから転落し、一過性の全健忘という症状に見舞われ、青という女子高生と出会うことで自分自身の在処を見つけていく三部構成の物語だ。彼女は記憶喪失という過程を通して、これまで見てきた都市や自然の風景、人々の姿が全く変わってしまったことに驚く。

小説はコロナ禍で仕事をするという日常の風景から、徐々に人間の本質的な生き様に迫っていくが、この物語で特筆すべき点は「どこにでもある風景」が瞬時にして「どこにでもない景色」に変わることで主人公の感情が揺さぶられ、今作のモチーフである生の再構成に繋げていることだ。さらに本小説は、あらゆるものが変転する瞬間があろうとも我々は恐れることなく呼吸をし続けて生きているという行為自体を「奇跡」として描き上げている。

映像、言葉が生み出す音像の芳醇さ

ならば音楽はどうだろう。「東京」(M1)の冒頭のピアノやテルミンを使った緩やかで優しいサウンドは、静と動を繰り返しながらバンド・サウンドに至りダイナミックになっていく。この曲が生み出す静かなるカオスは、我々に都市の呼吸と人々の呼吸は必ずしも一致しているわけではないことを教えてくれる。そこにはズレがあり、それこそが生きている実感を生み出すと曲が証明する。その論理を強固にしているのがMVであり小説である。

先にも触れたが、パンデミックがもたらしたものはあらゆる事象の呼吸の消失だった。それは「死」である。我々が日常的に行なっていた呼吸が無効化され、息苦しさや死への恐怖に怯えながらも、再び活気を取り戻そうとするフィーリングが入り乱れることで、この曲は後半になるとラディカルな音の構成になっていく。まさに都市と人々の呼吸のリズムのズレを顕在化させるわけだが、そうすることでこの曲は、我々に「私はほかの誰でもない私である」という真実も伝えてくれるのである。

『燃えている』リリース特設サイト

アルバムのブリッジとして機能する「青」(M2)は、ダウンテンポでサッドコアのようにミニマムな曲で、時折入るタメの効いたドラムの一音が心臓の鼓動に気づかせてくれる。荘厳なシンセに差し挟まるビートによって我々は「生」を感じるが、そのリズムから生み出される呼吸は静謐としている。つまり、この曲は眠っている我々の姿を活写しているのだ。「東京」が都市の中で人々の生きる個別の行為を示したのなら、「青」はMVでも描かれているような海の絶え間ぬ自然の呼吸を感じることで大いなる生命の活動との一体感を覚える。

呼吸のリズムのズレが生まれる都市(なぜなら様々な人が息をしているからだ)は、人々の多様な生き方を肯定すると同時に、「人はどんな時でも1人である」という生きることの余儀なさを教えてくれるが、「青」では「同時に我々はすべてが等しい存在である」という安心感を与えてくれる。シューゲイズ的なノイズの壁は、我々を眠りに誘い、眠り自体までも描く。あら恋は、眠っている時でさえも生きるという事実を抽出し、叙情的に描かれた音像は癒しとなって、我々にひとときの安らぎを与えてくれる。眠っている時には、我々の呼吸は重なり合い、巨大な生命体となって赤子のように揺籠の中にいるのだ。

「青」を受け継いだ「火花」(M3)は、人間という存在を生物として捉え、様々な生き物の心臓の鼓動とその摩擦で飛び散る火花を描いた、アグレッシヴで今作のモチーフをマキシマムに表現した曲だと思う。例えどこにいようとも、何をしていようとも、我々は呼吸をして生きているのだというシュプレヒコールのようだ。この曲はエモーショナルで、限りなくエッジが立っているが、決して攻撃的ではない。むしろ、飛び散る火花が酸素を失い消えていく儚さを感じさせながら、あらゆる生物の生と死のダイナミズムにフォーカスしたサウンドデザインになっている。メロディアスなギター・リフがひたすら疾走しながら、ハーモニカの旋律が、出会いと別れの中で起こる呼吸のズレや重なり合いを仔細に描いて、燃え上がる一瞬の生の煌めきを表現する。

この曲での「我々=生物」は走っている。呼吸をしながら時代を走っている。どこに辿り着くのかが重要ではない。その激しい呼吸をほとばしらせながらどこまでも走り続けることが生の真実なのだ。あら恋はこの3曲を通して、果てしない生物の縮図を描き出し、我々はその一部であり、同時に全部であるという、生きることの営為の素晴らしさに気付かされる。世界中のあらゆる生物が呼吸をして生きている。それこそが生きる喜びになるのだ。

音・映像・言葉で紡がれた呼吸の物語は、様々な角度から生きていることを検証する。映像で呼吸という生物の本質的な行為を思い出させることが始まりだとすれば、そのズレと同一化の反復の運動が生きることの本質であると音楽が教え、それこそがあらゆる生命の福音として与えられた奇跡であると小説が伝える。我々は心臓の鼓動と共に呼吸をし、あらゆる生物と生きていく。

パンデミックを経て、失われた呼吸を取り戻すために我々がしなければならないことは、あるがままにこの時代を受け入れて、自分自身も生物の一員であると認識して未来へ生きていくことだ。そこには絶えず痛みや苦しみが伴うかもしれないが、生きることは、それ以上に芳醇な体験だと教えてくれる。このアルバムは、2022年における「生きるためのバイブル」として我々に寄り添っている。

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あらかじめ決められた恋人たちへ『燃えている』

レーベル:KI-NO Sound Records
リリース:2022年9月7日

トラックリスト:
1. 東京
2. 青
3. 火花

竹下 力