声にならない声を聴くレッスン──七尾旅人『Long Voyage』

声にならない声を聴くレッスン──七尾旅人『Long Voyage』

七尾旅人の待望のニュー・アルバム『Long Voyage』が9月14日に発売された。今作はパンデミック期にコロナウイルスで困窮する人々の支援のために行ったYouTube配信『LIFE HOUSE』やコロナの感染者家庭に食料を届けるフードレスキューの活動などを通して、困難な現実と対峙しながら、彼が己の人生を生き、過ごしてきた時代を歌として表現し、優しい音色に満ちた17曲にして私たちにプレゼントしてくれた。アルバム全体を旅に見立て、「救済」を求めて旅する人々の魂を描きながら、なお且つ同時代において群として輝きを放つポップな曲で緻密に構成された七尾旅人にしか描けない、唯一無二のコンセプチュアルなアルバムとなった。

心の中に残り続ける健やかな感性が迸った音楽

このアルバムを一度でも聴き通せば、いつまでも心の中に残り続ける健やかな感性が迸った音楽が鳴っていることに気付く。メロディ、リズム、何より七尾旅人の余計な装飾を削ぎ落とした力強い歌声は、私たちにある種の希望と勇気を与えてくれる。それに加え、私たちの感情と親和性の高いポップな楽曲。だから私たちの心情は、次第にこのアルバムが奏でる音や歌声に同化し始め、アルバムに散りばめられた「声にならない声」を聴き始める。

今作の奥底には、生者の声、死者の声、赤子の声、子供たちの声、マイノリティの声、マジョリティの声、愛する人の声、嫌いな人の声、デモの声、叫び声、鳴き声、怒りの声、笑い声などが吹き込まれている。そんな声を感じることで、「今、ここ」で私たちが「あなた」と一緒に生きることの喜びと安心を実感させてくれる。アコースティック・ギターの優しいメロディーとストリングスが絶妙にマッチしたDisc 1の「未来のこと」(M3)で〈僕がすぐそばにいるから〉と歌われているように。

いわば、今作から私たちは、「声にならない声」を聴くためのレッスンを受けたことになる。七尾旅人や彼に協力してくれた人々から想いを受け取り、その体験を通して私たちの人生が変化する。もちろん、私たちは単に教育を受けたわけではない。私たちは耳を澄ませ七尾旅人の声を聴きながら己の人生に向き合っただけだ。そういう意味で、七尾旅人はデビュー当時からブレていない。七尾旅人は真摯に人々の営為の中に潜む「声にならない声」を探り続けてきた。だとすれば、七尾旅人は作品ごとに私たちにレッスンを施してくれていたとも言える。ガットギター1つで音楽を始め(彼の上京当時を歌った過去曲「ストリッパーのおねえさん」から彼の状況が窺える)、次第に好奇心の赴くままに音の素養を広げ、ソウルを中心としたブラック・ミュージックやシンセ・ポップ/ギター・ポップ/ジャズ/ヒップホップ/エレクトロニカ/ブルース/ダンス/童謡や民謡を通して、私たちの心や世界に潜む「声にならない声」を探り続け届けてくれた。

そうして、七尾旅人自身がキャリアを積み重ね、「歌う=声にならない声を届ける」という行為のありようの真実を探求し、それらを純粋に歌にした時に、今作ではこれまでにない「私たちの魂」を抱合するような美しい曲を作り上げることになった。つまり彼自身も私たちと同様に変貌したということだろう。飽くなき挑戦による成長と言えるかもしれない。七尾旅人にそれを促したのは、健全でない社会であり、歪んだ政治であり、果てのない経済格差であり、根も葉もない差別であり、そんな世界で負けずに生きている人々の姿であり、自らの生活……それは我々が目を背けたくなってしまうような、あるいは背けてきた「現実」でもある。 

陰湿な空気をも粉砕する透明な力

だからこそ、そのレッスンは楽しいものではないかもしれない。今作の各曲の背景を紐解けば、私たちにとって決してハッピーでない曲や、アコースティック・ギターとエレキギター、抒情的なストリングスが煌めきあいながら絡む、日本で起きている在留外国人に対する人権侵害のことを歌にしたと思しきDisc 1の「入管の歌」(M5)といった痛々しい曲だってある。それでも、このアルバムには現代に通底する陰湿な空気をも粉砕する透明な力がある。それはなぜなのか。そこには意味ありげな晦渋さとは無縁の明確な輪郭を持った、私たちのリアルな生き様を丁寧に歌にしているからだ。「音楽は言語表現を超えた何ものかの表現である」という七尾旅人の描き続けたテーゼが、彼の経験の蓄積と優れた感性によってこれまで以上に今作において解き放たれたのだ。 

Disc 1の『Long Voyage「流転」』(M1)は、アルバム『リトルメロディ』(2012)のオープニング・ナンバー「きみのそばへ」でガイガーカウンターのようなノイズが吹き荒れる音とは対極的な、穏やかなギターとピアノが混じり合い、七尾旅人の赤ん坊のようなスキットから始まる優しいインストだ。それを聴くと、私たちはまるで大切な人たちに背中を押されるように航海に出ることになる。

2020年の、コロナウイルスのアウトブレイクで話題になった大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号を素材にしたと思われる「crossing」(M2)は、彼らしいソウルフルな曲調で、たとえどんな不幸な出来事が起きようとも、他者を責めることなく、人の生きる尊厳の大切さを歌にしている。自殺志願者の行為を宥め、人生に疲れた女性の話をポエトリーリーディングのように語り、コーラスでは「Rollin’ Rollin’」のようなポップさを兼ね備えたシンセ・ポップ「Wonderful Life」(M4)で、人生の悲劇も喜劇も、あなたの一部であり、それをありのまま受け入れることの素晴らしさを歌い上げる。

『LIFE HOUSE』で既にその片鱗を披露していた、『911FANTASIA』(2007)をさらに深化させたような、黒人奴隷の歴史を辿っていくカントリー風の曲調から大胆なジャズ・アレンジになる七尾流の壮大なフォークロア・ソング「ソウルフードを君と」(M6)。そして七尾旅人が「『コロナで死にたい』と願う家出少女」のルポルタージュを読んだきっかけで作られたジャズナンバー「リトルガール、ロンリー」(M7)と、私たちの心根に彼の慈悲の想いが沁み渡る。 

七尾旅人の大切な楽器である口笛。そのフレーズから始まるファンキーなナンバー「フェスティバルの夜、君だけいない」(M8)では、彼に内在する永遠のテーマと思える「他者の不在と他者の発見」を歌う。今作は、打ち込みといった機械的な音よりも、ギター、ストリングス、ドラム、ベース、サックスなど生音が中心となっている。おそらくそんな音や装飾を削いだ透き通った声を通して、人々が生きることの生々しい原則に寄り添いながら緻密に表現しようとしているのではないだろうか。

私たちの歴史と向き合う勇気 

Disc 2の『Long Voyage「停泊」』(M1)では、スライドギターに合わせて、地球の歴史を横断しながら各地の悲喜劇を歌うシェイクスピア劇のような構成が圧巻だ。「荒れ地」(M2)も同様で、まるでロードムービーに出てくる旅の一団が道に迷い困り果てた顔が思い浮かぶ。諦念とそこから心機一転して新しい出発を讃え歌いながら歩き始める。まさにブルースの根幹をなすものだろう。Disc 2の冒頭から私たちは歴史に出会う。 

ピアノと管楽器が有機的に響く曲「ドンセイグッバイ」(M3)は、『FUJI ROCK FESTIVAL’22』でも披露されていたが、こちらは七尾旅人流の「あなた」との出会いの奇跡を描いた美しいソウルナンバー。「if you just smile(もし君が微笑んだら)」(M4)も既に『LIFE HOUSE』で披露されているが、筋ジストロフィーを患った詩人でシンガーソングライターでもある相羽崇巨氏との話し合いの中から生まれた歌だそうで、「笑う」という行為が、つまり人間の感情を素直に表現することが、人生においてどれだけ大切なのか教えてくれる。ルイ・アームストロングに通じるルーツ・ミュージック的な曲で、七尾旅人らしい感性に溢れ、リスナーのささくれた心を優しく慰撫する。 

「Dogs & Bread」(M5)は、彼の友達である犬たちとのじゃれあいを歌った曲で、「これぞ七尾旅人」というべきファニーなミュージカル・ナンバーだ。無垢を感じさせるアコースティック・ギターの調べが心の襞を揺らす「『パン屋の倉庫で』」(M6)では、彼の幼き日が短編小説のように描かれる。ここでは彼の両親の若さゆえの無垢さが少しずつ現実という足枷によって色褪せていく予兆を歌う。彼らの結末は私たちの想像力に任せられているが、しかし、七尾旅人の歌による凄まじい映像喚起力によって、リスナーはどこか暗くなっていく人生の日々を理解することができるし、梅津和時の爽やかなサックスがそれを雄弁に際立たせることで私たちは人生の機微を知ることになる。ここには稀有なストーリーテラーとしての七尾旅人がいる。

「ダンス・ウィズ・ミー」(M7)はスローなファンクナンバーでグルーヴィー、描かれているのは親しい2人の心の振幅と共振だが、それが波紋のようにリスナーに伝わって心を震わせて音楽のダイナミズムを感じさせる感動的な曲。미화(ミファ)」(M8)は音韻を音階に、在日の女の子の名前をタイトルに見立てながら、その子の悲劇を、シンプルなシンセとギターでしとやかに綴っていく。このアルバムを通して感じるのは、どの曲も全て、歌われるのは政治や経済ではなく、それらの圧力のかかった現実でもがきながらも必死で生きている「救済を求め航海を続ける魂」を抱く私たちの姿にほかならないのだ。

そして最終曲『Long Voyage「筏」』(M9)のアフリカンなリズムのジャズに乗せたインストでアルバムは終わりを告げる。アルバムを聴き通すことで、過去から現在を旅し、結果として私たちが辿り着いたのは、「未来」という名の新しい土地の海岸線だということを知るかもしれない。それは地図のどこにも描かれていない場所だ。私たちはこうしてレッスンを終え、気付いた時には、ほかの誰でもない新しい「私」になっている。私たちの「魂」は新たな色合いに染められている。

ここ数年の大きな時代の変転は「私とあなた」という存在と関係性の基盤を大きく揺るがしてきた。そして未だに揺れ動いたまま、私たちは戸惑い続けている。七尾旅人が私たちの前に現れる時は、そんな時代の大きな変転が多いが、だからこそ私たちに安堵を与えてくれるシャーマンになり、名も知れぬ人たち(それこそが私たち自身なのだ!)を困難から救うヒーローにもなる。

あなたが自分の居場所を見失った時、あなたが生きる意味を忘れた時、そこにはこのアルバムがあることを思い出してほしい。七尾旅人が歌い紡ぐ秘蹟のように眠る「声にならない声」が救ってくれるはずだ。あるいはまた新たな痛みが訪れた時、彼はやってくるだろう。マイ・ヒーローはあなたのそばにいる。七尾旅人は大きな海原を漂流しながら、困難を乗り越えて帰ってくる。ちょっとした小さな筏に愛犬を乗せながら。そこには七尾旅人が信頼を寄せる楽団だっている。彼らはいつだって音楽を奏でている。そして私たちは彼らの音楽と七尾旅人と共に生きていく。

RELEASE

七尾旅人『Long Voyage』

レーベル:SPACE SHOWER MUSIC
リリース:2022年9月14日

トラックリスト:
[Disc 1]

1. Long Voyage「流転」
2. crossing
3. 未来のこと
4. Wonderful Life
5. 入管の歌
6. ソウルフードを君と
7. リトルガール、ロンリー
8. フェスティバルの夜、君だけいない

[Disc 2]

1. Long Voyage「停泊」
2. 荒れ地
3. ドンセイグッバイ
4. if you just smile(もし君が微笑んだら)
5. Dogs & Bread
6. 『パン屋の倉庫で』
7.  ダンス・ウィズ・ミー
8. 미화(ミファ)
9. Long Voyage「筏」

配信リンク:https://tavitonanao.lnk.to/LongVoyage

竹下 力