人間的存在を一瞬のうちに変転させる批評性──Arctic Monkeys『The Car』
Arctic Monkeysのニュー・アルバム『The Car』が10月21日に発売された。デビュー作からこれまでのアルバムはどれもが全英1位を獲得し、今作も多くのファンの期待を背負ったうえでのドロップとなった。本作は2018年にリリースされた前作『Tranquility Base Hotel + Casino』と同様に、ゴリラズやフォールズの作品に携わるジェイムス・フォードがプロデュースを担当し、レコーディングもサフォークのスタジオ・Butley Priory、ロンドンのRAK Studios、パリのLa Fretteの3ヶ所で行われた。では、前作と同じような作品かといえば、これが全く違っているのだ。本アルバムは、Arctic Monkeysらしい果敢なチャレンジ精神の垣間見える傑作となっている。

「裏切りの達人」としてのArctic Monkeys
Arctic Monkeysにはいつも驚かされる。その驚きを彼らの存在に当て嵌めた時、具体的にどんなバンドとして形容することが可能になるだろう。例えば彼らを「裏切りの達人」と呼んでも差し支えないかもしれない。リスナーの予想を作品ごとに裏切っていく。もちろん、それらの言葉だけでは語り尽くせない訴求力が彼らの作品には炸裂しているのは言うまでもない。そういう意味で、遥かに過激で野蛮なバンドでもある。
だから今作も聴くと、彼らに襟元を掴まれて見事に空中に放り投げられてしまう感覚に陥る。しかしリスナーとは罪深いもので、私たちはそんな感覚を思わず愛してしまうし、それ故に彼らへの期待度もどんどん高まっていく。彼らのデビュー・シングル「I Bet You Look Good on the Dancefloor」のこれまでにない音楽の地平を乗り越えた景色を見せてくれると言えばいいのか……。あるいは大ヒット・アルバム『AM』(2013)のメタル的なギターとヒップホップの融合の先を提示してくれると言えばいいのか……。それ以上に前作『Tranquility Base Hotel + Casino』(2018)におけるスコット・ウォーカーを咀嚼し、彼らの音楽の哲学を突き詰めた抒情性の極限を提示した楽曲の向こう側を見せてくれると言えばいいのか……。私たちは彼らのような存在に見たことのない場所に連れて行ってほしいと願う。それこそがロックバンドの使命などというのはいささか時代遅れかもしれないが、それがリスナーにとっての偽らざる気持ちであると思う。
しかし、彼らのこれまでの活動を眺めていると、1stアルバムの『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』(2006)から今作に至るまで、「聴いたことのないサウンドを、どこにでもいる誰かに聴いたことのある音にして届ける」という思想はどの作品にも通底していることが分かる。だから、サウンド・ボキャブラリーは変わっているとはいえ、根底にあるサウンドや歌詞の在り方は全てが似通っている。同時にあらゆる作品はArctic Monkeysの資質でもあるリゴリズムの範疇に収まっている。つまり、作品を経るごとにArctic Monkeys自身がArctic Monkeysを模倣しているようにさえ思えるのだが、具体的な細部を突き合わせていけば己の出自を容赦なく裏切り続けているようにしか見えない。作品ごとに彼ら自身の強度が増していくのに、彼ら自身の存在証明が消えていく。その「ネジれ」にこそ彼らのいわく言い難い魅力と過激な批評性がある。
それは単に彼らの音楽を聴き、我々がイメージするArctic Monkeys像を打ち壊されるだけではない。同時にArctic Monkeys自身が自らの自己同一性をも揺るがしているとも言えるのだ。リスナーが変化すればするほど、彼らもまた分裂と統一の運動を繰り返し成長していくのである。そこに生来のアナーキストらしいArctic Monkeysの矜持があると思う。Arctic Monkeysは本質的に自分たちらしい音楽を信じていない。あれほど華麗な音楽を作りながら、なお且つ自らの音楽を否定してしまう逆説にこそArctic Monkeysの凄みがある。ポップ・ミュージックの醍醐味と変化は、実の所、そんな凄みから生まれるような気もする。
ロードムービー風ミュージカルの10の旅路
本作においても前作のようにギターが楽曲をリードしていくダイナミックなロックンロールは見当たらない。彼らのシグネチャーである音圧が一定の黒く塗り潰したようなギター・リフもほぼ皆無だ。前作のピアノを中心とする曲から弦楽器が主体となった優美な曲調が主になり、柔らかなバンド・サウンドと違和感なく絡み合い、メロディとコーラスが淀みなく流れる。ソウルやバロック・ポップも含むあらゆる音楽的ジャンルを取り込みながら、デジタルな質感よりもアナログ的な風情で、どこかささくれ立って、暴力の予感と諦念と来るべき希望の予兆を感じさせる。ロードムービー風のミュージカルと言っても良くて、10のマテリアルも巧みに配置されているので、物語性を芳醇にし、聴き飽きることはない。
音像は小説家のレイモンド・カーヴァーを中心とするニュー・アメリカン・リアリズムなテイストを思わせるし、コンセプチュアルなジャケットを含むビジュアルに至っては、ニュー・カラーを代表する写真家のウィリアム・エグルストンの風情もある。今作は70年代の終わりから80年代にかけて失われつつあり、また同時に新たに生まれつつあるアメリカのフューチャリズム的な心象風景を刻んだ様々な作品群のヨーロッパ的解釈とも言えそうだ。だから、アルバムは静かなトーンで淡々とした風景を切り取ったシーンが続いていく。大切な音楽が鳴っているのに、それは何者でもないという寂寞感に満ち、心の渇きさえも愛でることの大切さが歌われる。レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』のようにミニマムで、曲は唐突に始まり、終わりはアブストラクトだが切り詰め方は不自然ではないので、リスナーが思い浮かべる音像は遥かに多面的である。

今作における主題は、タイトルに「車」とあるように、「移動」になるだろう。レイモンド・カーヴァーも、ウィリアム・エグルストンも「移動」がモチーフだったと思う。あるいは移動への渇望かもしれない。「あちらからこちら」に垂直ではなく水平に移動することによって生まれるフラットな感情の位相の変貌、そこから僅かながらの人生の機微の揺らぎを仔細に描くことが重要だったのだと思う。それはコロナの影響による心の動きの停滞が影響したかもしれないし、前作がどこか内面化の果てに見つけた静けさに満ちた理想郷だったからこそ、彼らは今作においてそんな居場所から飛び去った。なぜなら、彼らは一箇所に止まることのない自己探究的な思考の持ち主だし、だからこそ「移動」という主題を選び取ったのだと思う。

ビター以上にスウィートで、スウィート以上にビターな楽曲
「There’d Better Be A Mirrorball」(M1)は、〈ミラーボールは俺のためにあるんだ〉と旅の始まりを歌う。その旅の始まりまで……つまりイントロだけで55秒もある。そこまで運動へのエネルギーを溜めて、弾けたと思った瞬間には「感情的になるな」とエモーションを否定し、自らを戒めるように旅を始める。思わずこの旅路の終わりは永遠に見えないような緊迫した気持ちになるし、「日暮れて道遠し」などという言葉も思い浮かんでしまう。「I Ain’t Quite Where I Think I Am」(M2)は歌い出しに入る前のコーラスが、リスナーの心を沸き上がらせたかと思うと平熱の情熱を持って〈自分の居場所を探したい〉と半ば諦めたように淡々と歌い感情の揺さぶりを最小限に抑える。
続く「Sculptures Of Anything Goes」(M3)は、重たいシンプルな短いギターが躍動し、ストリングスとダンス的な発想のリズムのあとに歌が入る。小気味良い鼓動の高鳴りを抑えきれない旅の途中のスケッチにも思える。「Jet Skis On The Moat」(M4)はワウを使ったギターがアレックスの声に絶妙に溶け合いながら、旅の空に他者への思慕を募らせる。前作にあった、孤独なバンドマンの内に向けられた目線は、ここでは他者への眼差しとなって外に開かれ、新たな世界を見つけようとする。
「Body Paint」(M5)では場末なバーでウイスキーグラスを傾けながら、音楽に合わせて誰かが踊るのを見ているハードボイルドで枯れ果てた心象が歌われる。既にスタイルと言っていいかもしれないが、彼らの人生の悲喜劇を歌う様は、ギリシャ悲劇みたいに壮大にすらなる。そしてタイトル・トラックである「The Car」(M6)は、車中に篭もったタバコの煙のようなギターと歌声が、車の中に置いておいた荷物を取りに戻る「あなた」を眺めながらその向こうを描写する。そこは記憶に澱のように残る煙でボンヤリとした何気なくどこにでもある風景だ。「Big Ideas」(M7)は〈通信終わり〉と歌い、どうやら旅の仲間との別れが窺われる。とにかく、様々なシチュエーションで歌われるアレックスの朗らかな声の芝居が見事としか言いようがない。それからアルバム全体を通して、アフォリズム的な歌詞の一節が効果的に使われている。
「Hello You」(M8)はハローと挨拶をするのに「長いお別れ」と歌われる。アメリカのハードボイルド作品の持つ禁欲的でシニカルな詩情が楽曲に自然と溶け込み、リスナーは記憶の底に沈んだセピアな風景を発見し自己の在処を認識する。決してノスタルジックではなく、人間の抱える根源的な悲しみを歌っているのだ。「Mr Schwartz」(M9)における〈キュートになる前にキスしてほしい〉といった詩句にはロマンティシズムが溢れているし、旅の終わりを迎える悲しみを微かに感じさせたまま、「Perfect Sense」(M10)では旅路の果てで「おやすみ」と呟いて「あなた」との旅の終わりを静かに迎える。今作の全ての楽曲の歌詞に出てくる人物たちは、どの時代にもどこの国にもいる誰かと同じであると感じさせてくれて、こういった曲の求心力が多くのリスナーを獲得する所以だろう。普遍性を持った曲を作らせたら彼らの右に出るものはないと感じさせてくれるし、それは幾多の経験を経て積み上げた賜物なのだろう。

このアルバムを聴き終わるとリスナーは己の人生の最果てを求めて旅をしたくなるはず。そこには人生を変転させる結末が待っているからだ。そうしてリスナーは未来へと移動し、己の在処そのものが変質する。もちろん、旅には悲劇らしい悲劇が付き物なのは(なぜなら究極的に「死」が待っているから)、無学な私でも知っているけれど、その先に何があろうとも人間はどこにでもない場所で生き続けるために旅をする。今作においてArctic Monkeysは、小賢しい解釈など抜きにして、自らの音楽が現代であるというロックらしい不遜な顔も見せつつ、余分なものは省いて、簡素且つ厳格に、ヤワな思い入れも排した徹底的にストイックな姿勢を貫いたまま10のマテリアルを歌い上げ、自己の再構築を促してくれた。どこか哲学者然としているかもしれないけれど、我々の旅の道行の先で歌っている彼らは清々しい風に吹かれて颯爽としている。少年から大人になっても失われない彼らの凜とした姿がなんとも言えず微笑ましくあり頼もしくもあるのだ。そんな彼らにこれからも期待し続けたい。
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Arctic Monkeys『The Car』

リリース:2022/10/21
レーベル:Domino
トラックリスト:
01. There’d Better Be A Mirrorball
02. I Ain’t Quite Where I Think I Am
03. Sculptures Of Anything Goes
04. Jet Skis On The Moat
05. Body Paint
06. The Car
07. Big Ideas
08. Hello You
09. Mr Schwartz
10. Perfect Sense
竹下 力
