世界で最もタフなアーティストであることの証明──テイラー・スウィフト『Midnights』
テイラー・スウィフトの10作目のアルバム『Midnights』が10月21日にリリースされた。2020年に『Folklore』、『Evermore』という叙情的な連作を発表し、2021年に「Taylor’s Version」として『Fearless (Taylor’s Version)』、『Red (Taylor’s Version)』のリレコーディング作のドロップを経た本作は、「真夜中」をテーマにした13の曲から成り立つコンセプチュアルなアルバム。
その中で、「Snow On The Beach」(M4)では歌手のラナ・デル・レイとコラボし、「Lavender Haze」(M1)と「Karma」(M11)は女優であり歌手のゾーイ・クラヴィッツとの共作になっている。また、13曲のうち11曲はシンガー、プロデューサーのジャック・アントノフと制作したが、「Vigilante Shit」(M8)は彼女が1人で書き上げた。本作は、夜半に抱く様々な感情を優しく包み込む楽曲で構成された素晴らしい作品となった。

※著者はボーナス・トラックやサブスクリプションで聴くことのできる『3am Edition』で追加された7曲を除く、13曲をメインに論じていく。
サービス精神旺盛で開放的な作品
傑作である。そんな言葉が思わず口に出るほど美しくて優しいアルバムだ。大切なあなたのブランケットに包まれ素敵な匂いを感じながら眠りにつけるような楽曲に満ちている。言い換えれば、『Midnights』は贅沢な作品である。それは、聴き手に思いっきりわがままを許してくれるからだ。もちろん、その「わがまま」を完全に私たちが満たすにはそれなりの手順を踏む必要があるけれど(例えば今作をパッケージしたCDをコンプリートするには数形態集めなければならないし、サブスクリプションには『3am Edition』バージョンがある)、一度アルバムを聴き通して物語を知りさえすれば、あとはご随意に聴きたい曲を聴いて色々な解釈をしてくださいとなる。
彼女に内在する透明な宝石のように綺麗な抒情性が滲み出るほんのりシニカルで甘い歌詞と、幽玄的でボトムのしっかり効いたサウンド・テクスチャーが、夜の静寂から顔を覗かせる愛、憎悪、嫌悪、敵意、復讐心、慈しみ、淡い未来への希望、ほろ苦い絶望、といった人間の終わりなき感情の発露をキャプチャーして、人間存在をきちんと真正面から描き切っている。
「会話」という主題がもたらす今作のサウンド
彼女の場合は「会話」という主題が一貫していると思う。「会話」を通して自己を認識し他者の本質を理解する。だから彼女の世界には常に他者が存在し、それが大勢であれ、別れ際の恋人であれ、両親であれ、嫌いな人間であれ、彼らに一方的に語りかけることもありながら、対話をすることが人間のシグネチャーだと歌っている。
「ねえねえ、聞いて」という子供のように無垢な感情をぶつけて対話を始める時もあれば、大ヒット曲「We Are Never Ever Getting Back Together」のMVのように、電話口でしかお互いの本心を交換できないもどかしさや、『Folklore』(2020)、『Evermore』(2020)のようにひたすら自身の心に語りかけることで、己とあなたの違いを確認していくこともあり、自己と他者を繋げる方法をいくつも持ち合わせ、必要に応じてそれらを使い分けられるのが彼女の強みでもあるだろう。何をしても嫌味にならない所も彼女の生真面目さに由来するし、時として世間の期待からはみ出して孤立してしまう強烈な存在感に彼女の本質が窺える。言うなればまさにポップ・スターなのだけれど、それでいて誰の側にも留保なく寄り添う大切な友人や恋人だという人懐っこさも彼女の魅力だと思う。今作においては彼女の特質が最大限に垣間見える作品だと思うのだ。
今作はシーンに旋風を巻き起こした『1989』(2014)にあった彼女の喧騒が私小説風に描かれるのではなく、闇夜の中でリスナーの想像力の自由な羽ばたきを許してくれる温かさに溢れ、柔らかな感性に満ちている。『reputation』(2017)や『Lover』(2019)にあった彼女の自意識の高まりがもたらす硬くて高圧的な雰囲気や、他者に対する直截的でデスパレートな暴力性はあまり感じられない。リレコーディング作を経て内省もくぐり抜け、新たな「自己」を発見したのだろう。ただ目の前で起こったことをあるがままに受け入れる強さを、いわば、決定された運命を受容することの尊さを歌にしている。どちらかというと単色に塗り込められた夜にグラデーションをかけて複雑な色合いを持たせるような、遊び心に満ちた作品とも言えよう。
今作のサウンドは、『Folklore』や『Evermore』とは大きく違い、アコースティック・ギターの調べは少なく、打ち込みと時折混じる生ドラムとシンセが主導になっている。BPMは早すぎないが遅くもなく、リスナーの寝息のリズムに合わせるようにチューニングされ、ビートやベース、サブベースのローの部分が強調されている楽曲が多い。ボコーダーを巧みに織り交ぜた楽曲は、おそらく以前コラボレーションしたボン・イヴェールの影響もあるだろうし、極めて現代的なポップ・ミュージック集でもある。新鮮なアイデアの赴くままに作られた曲の中で「会話」が行われ、彼女は感情の起伏を丁寧に表出させてリスナーへとアクセスする。寝室でこのレコードをかけながら鼻歌まじりにシンガロングできる手軽さも彼女の意図であるはずだ。どの曲を愛でることも、時には突き放すことも許されている。彼女にとって夜とは、「歌う」という行為によって己のピュアな精神が解放される時間の象徴でもあるのだろう。
人間の存在の歪みも欠落も全てを肯定する力
「Lavender Haze」(M1)は、高いキーの歌声と、シンプルなビートと波打つようなシンセなどが夜に内在するセクシーさと恋人たちのロマンスを肉感的に表現している。現実の夜の営みをリスナーにリアルに感じさせる手腕が見事に発揮され、冒頭から作品世界にグイグイ引き込む。「Maroon」(M2)は深紅という色を様々なものに見立てる。恋人と飲んだワイン、血、空、ニューヨークでの一夜の心模様。今作はとてもイメージが豊かで様々な比喩が生き生きとしてリスナーの心とテイラー・スウィフトの心情をダイレクトに結びつける。
「Anti-Hero」(M3)は〈いつもアンチヒーローを応援するのは疲れる〉と彼女特有のやりきれない想いが緩やかなポップスに乗って表現されるけれど、殊更ポップさを強調する訳でもない。地平に沈んだ太陽のように、暗さの中に灯るほのかな光を繊細に楽曲に落とし込んでいる。特徴的なのは、地平に沈むように位置するサウンドに加え、ミキシングもそのように施され、キャラクターが突出して飛び出した曲よりも夜に包まれて胎動する人の営為を気張ることなく描いている曲が多い。いわば、自己と他者が違和感なく平等に同一化していくメディウムとしての曲として成立している。
「Snow On The Beach」(M4)でのラナ・デル・レイとの曲は、夏と冬という季節を同期し海岸に雪が降るというリリカルな換喩にして歌いながら、夜の世界で孤独に怯える人を慰める愛おしいナンバー。また、「You’re On Your Own, Kid」(M5)では〈あなたは子供だと認識すべき〉という断罪に近い曲だけれど、そこには母親のように優しくて戒めている感覚もあり、どこか茶化しているようで、ユニークにも感じるので思わず微笑んでしまうノリの良さがある。「Question…?」(M7)も優しいシンセパッドの音と打ち込みが前に出てくるけれど、サウンドの運動によって、彼女の温かい声が前面に押し出される。こちらも上手くいかない恋人たちの行く末を歌っているけれど、そんなことは誰にでも起こりうるという達観した気持ちが込められているようで、聴いているとアットホームな安心感さえ抱いてしまう。
「Vigilante Shit」(M8)は彼女が1人で書いた曲で、今作では一番ダーク且つアグレッシヴかもしれない。シンプルなヒップホップ・マナーの曲で、〈私はついに復讐を纏った〉と彼女の復讐心が現れるが、それが行為として為されることはボカされている。全てが夢のように霧散していく脱力した感覚もあって、これまでの彼女とは違った他者に対する淑やかな視線が垣間見える。
「Bejeweled」(M9)は、このアルバムでは珍しくキックの音がリズミカルで、ナイトライフの楽しみを歌う『1989』的な曲だが、『Folklore』『Evermore』で内省を経た彼女の声は夜の喧騒をものともしない芯の通った声で、どんなにドレスで着飾っても自分の中に大切な宝石があるという人間讃歌のような曲だ。「Labyrinth」(M10)は、心臓の鼓動のようなキックに合わせて「恋に落ちてしまった」と歌い、リズムも次第に強くなって感情の昂りを表現するが、ボコーダーの声が気持ちの揺れを慈しむようで、恋をする人たちへの応援歌にも感じる。
「Karma」(M11)は、〈宿命こそが私のボーイ・フレンド〉とあって、こちらも恋人に対する厳しい断罪をする怒りの曲だけれど、人間はいつだって運命的な瞬間を生きているから、気持ちを落ち着かせて、どんな状況でも受け止める覚悟を身につけようと励ましているようにさえ思える。「Sweet Nothing」(M12)は、童謡のような可愛らしい歌い出しから徐々にシリアスになって、人と人との別れの必然性を歌う。後半になるとブラスが絶妙なバランスで入ってきて曲調が変わり、別れの悲しさよりもそれを強さに変えようと歌っているようだ。
「Mastermind」(M13)は、印象的なシンセとストリングスが絡んだ曲で、お互い恋に落ちて誘ってきたのはあなたのはずなのに、それを仕掛けたのは「私=首謀者」と歌う。つまり、どんな出来事の責任の所在も自分だと自己嫌悪めいた感覚を顕にするけれど、それでもそこには敵対する人との融和への希求がある気がする。全体を通して言えるのは、自己と他者のねじれた感情をゆっくりと解いて解き放つポジティブで伸びやかに歌われる曲が多くて、そこには健やかなカタルシスがあるし、リスナーの自己の変容と新たな確立を促してくれる、ということだ。
何より今作を聴き通して感じるテイラー・スウィフトの凄さは、夜の中に蠢く薄ぼんやりとした他者の輪郭をくっきり浮かび上がらせていることだ。我々は闇夜の中では他者を見ることはできない。彼女はどんなことがあっても、どんな状況に置かれても「あなた」を一人ぼっちにしない強さを身につけた。
おそらく彼女は、様々な葛藤をくぐり抜け、歌うことの意義を、己の存在の意味を見出した時、今作に登場する「あなた」に生き生きとした生命を吹き込んで歌にすることができるようになったのだと思う。そうすることで他者の普遍性を自らの内に取り込んだのだ。彼女が命を与えた人物たちはリスナーたちと対話をしながら同化し、現実の世界で苦闘している私たちの「生」を組み立てさせ始める。
そして夜から目覚めた時、新しい自分になっている。今作からは、生も死も、人間の存在の歪みも欠落も肯定する力に漲っている。それは自ら築き磨き上げた彼女の揺らぐことのない作家性であり、現在のポップ・シーンにおいて彼女が世界で最もタフなアーティストの1人の証明にもなっているのだ。
テイラー・スウィフト『Midnights』

リリース:2022/10/21
レーベル:Universal Music
トラックリスト:
01. Lavender Haze
02.Maroon
03. Anti-Hero
04.Snow On The Beach featuring Lana Del Rey
05. You’re On Your Own, Kid
06. Midnight Rain
07. Question…?
08. Vigilante Shit
09. Bejeweled
10. Labyrinth
11. Karma
12.Sweet Nothing
13. Mastermind
竹下 力
