日常という名のミュージカル──シンリズム『Música Popular Japonesa』

日常という名のミュージカル──シンリズム『Música Popular Japonesa』

シンリズムのニュー・アルバム『Música Popular Japonesa』が11月23日に発売された。待望の3rdアルバムは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の魅力が彼の感性によって解き放たれた名作となった。MPBとは、1950年代後半にブラジルで生まれたボサノヴァ以降、ロックといった西欧諸国の音楽の影響を受けたブラジルのポピュラー・ミュージックのこと。つまり今作は、シンリズムなりのブラジル音楽の解釈を自身のサウンド・ボキャブラリーに加え、新しいポップ・ミュージックの地平を切り開こうとした野心的な作品だ。

それはサンパウロ在住の音楽プロデューサー、Leandro Matosとの交歓の影響もあるのだろう。MPBのムードを感じさせながらも、シンリズムの内省を潜り抜けた曲調はバラエティに富み新鮮だし、鋭敏な感覚が歌詞に反映されたシンプルな言葉で、誰もが口ずさむことのできる普遍的な「シンリズム的音楽」と言える作品に仕上がっている。

今作の音楽の中にはリアルな人の魂が存在して人生を紡いでいる

今作は思わず「日常という名のミュージカル」と名付けてしまいたくなる欲望に駆られるほど素晴らしい作品だ。ミュージカルとは、人間の感情が肉体から意図せず溢れ出し、日常の境界を突き破った時、人知れず歌や芝居、ダンスなどになって表現される「物語」と解釈できれば、「日常」と「ミュージカル」を結び付けることは些か強引だし矛盾かも知れないけれど──今作にはそんな矛盾を緩やかに解体していく音楽的感性が迸っている。つまり、人はどんなシチュエーションでも様々な感情を発露させて、ピュアさをもって歌にしたり、踊ったりしながら個人の営為を通して人生を「物語」にしている。本アルバムは、そんな「日常」を生きること自体がミュージカルであるという「気付き」を与えてくれるのだ。

それでいて、様々な人々のグラデーション豊かな感情がそれぞれのマテリアルに色彩豊かなタペストリーのように緻密に編み込まれた全9曲約35分というシンプルな構成。前々作、前作からスリムになっているのに、物足りなさを全く感じさせない。まさに新感覚ミュージカルを観ているようだ。そしてきちんとした骨格の「物語」がある。今作の音楽の中にはリアルな人の魂が存在して人生を紡いでいるからだと思う。突き詰めれば、私たちは誰でもこのアルバムを聴けば、何気ない日常を生きながら特別な人生を送っていることを認識できる奇跡の体験を約束してくれる。

それにしても挑戦的な作品だと思う。それは今作のタイトルにも表れているだろう。既に記したように、「ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ」というブラジル音楽のモードをリファレンスしたアルバム名は、おそらくシンリズムの新しい試みという意味合いもあるだろうし、日本のポップ・ミュージックに対する価値観の変遷を促そうという野心も感じさせる。MPBを換骨奪胎して己の血肉にし、ラテンやフュージョンのエッセンスを巧みに取り入れ、そこに管楽器やストリングス、シンセ、ピアノが醸し出すエレガントで明るい雰囲気が絡み合い日本でしか生まれない独自のグルーヴがサウンドに内在している。そこに、優しく透明でリズミカルな声が合わさることで極めて完成度の高いポップスになっている。

そんな作品を作り出すシンリズムはデビュー当時から異端だった。作詞/作曲/編曲をこなし、楽器まで演奏する神戸の現役高校生だった彼は、シティポップやAOR、渋谷系、スムース・ジャズやボサノヴァなど、洗練された音楽のジャンルを貪欲に取り込み、彼らしいピュアで優しいポップスに変換してデビューした。10代とは思えない鋭い感性が横溢していて驚嘆したものだ。

1st、2ndから比べて、今作の彼の感性はさらに鋭くなり、様々な音楽的要素、ヴォーカルもサウンドの定位もクリアーだし、アレンジやプロダクションは緻密で、音色はこれまで以上にカラフルなので、作品は多面的な表情を持ち合わせている。創作の手腕と音楽的野心とシンリズムの持ち味が高いレベルでピタッと重なり合い気力が漲っている。プロデューサーのLeandro Matosだけでなく、周りのスタッフの力添えも大きかったのだろう。今作を聴き通すと、シンリズムを座長とする「シンリズム劇団」といった様相も浮かび上がる。まさに「皆で作り上げた聴いたことのない音楽」とも言えると思う。

「ウキウキ」という心の高揚が描かれている

 「MPJ」(M1)は、おそらくアルバムの頭文字を取ったものだろう。リズミカルな管楽器やオーケストラとスキットが物語の導入部となって、アルバムは幕を開ける。今作は彼なりのダダイズムが反映された作品と言うべきかもしれない。この1曲だけで、日本の現行のポップ・ミュージックシーンに穴を開ける。大切な人とのデートの始まりだ。彼の素養とした音楽ジャンルは、「ウキウキ」という人の心の瞬間的な高揚が描かれているし、それを卓抜に表現できるのが彼の強みだと感じさせる。

「LADY」(M2)は、メジャーなメロディラインが愛おしくて、恋人たちの出会いの心模様を描いているように感じる。〈足りない言葉を残して/僕たちは波に溶けていく〉と歌詞にあるけれど、雑踏の中で運命的な出会いを果たす恋人たちの瞬間が、写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン曰く「決定的瞬間」と言うべき、1秒たりとも1mmたりともズレない親密な姿として切り取ることに成功している。言い換えれば、この曲は今作の中でも群を抜いた構成力を持っているとも言えるだろう。

「不思議な関係」(M3)も甘美なオーケストレーションが素敵だけれど、間奏のエレキギターがわずかな苦味となっているおかげで、人間の心模様の機微が曲から感じられる。恋人たちの心の「ウキウキ」の共鳴を音だけでなく歌詞でも描いていて、〈今も何処かで誰かの笑い声が/日々を照らす〉という多幸感のある言葉は、皆の共通する感覚になっていき、誰もが幸せな気分になれるので、この曲にとてもマッチしている。「暮らしの半分は」(M4)は、ファンキーなギターが曲を先導していきながら人々の生活を歌う。このアルバムには人が生きていると書いたけれど、同時に生活がある。生活があるからこそ人は生きられるし、日常が存在するのだ。

「Salão de eventos」(M5)はインストで、このアルバムの分岐点になる。ミュージカルで言えば幕間の少し前、恋人たちの恋の行方と慌ただしさの予兆が描かれている気がするが、シンセのメロディがとにかくポップで、「MPJ」のリプライズ的な役割として物語を引き締めていく。

「Flavor of lie」(M6)は、ボサノヴァ的なイントロから、ジャズっぽくアレンジされている名曲。映画『ローマの休日』(1953)のように、恋人たちの秘密を暴こうとする第三者が登場して、ドタバタを喜劇的に描いているように感じる。まさにデートにおける狂想曲だ。〈この世界にそっと供えるは/人さじのFlavor of lie〉という歌詞が、嘘は人間の罪だけど、その嘘が時として世界の変転を促すというアンビバレンツな現実をきちんと活写している。

「あいつのLIFE」(M7)は、シティポップで80’sマナーの曲だけれど、物語は転調を迎え「ウキウキ」という感覚が少しずつ重みを帯びていく。〈曖昧な金言で潤っていくんだ/あいつのLIFE〉というラインはパンチが効いているし、人間とはそんなものだと頷かせる力があって、シンリズムは人間の内面の描き方がとても上手だ。間奏のピアノのソロが曲を引き締めて過度に感情的にならずに、感情のブレを静かに際立たせているのもポイントだろう。「晴れ舞台」(M8)は、ジャジーなオープニングに、〈どこにいてもいいさ/穢れを落とせよ/今剥き出しの刃を晒す〉というラインで、別れの予感、あるいはデートの終わりを感じさせるナンバーとなっている。ここでは「穢れ」という言葉が特徴で、彼の音楽、今作においても「無垢」の獲得が大切だと感じさせる。この汚れ切った世界で「無垢」で居続けることがどれだけ難しいかという証左でもある。だからこそ誰もが「無垢」な状態で繋がり合ってほしいという願いでもあるのだと思う。

「パレット」(M9)はついに離れ離れになった恋人たちのそれぞれの決意表明を感じさせる、短くて愛らしい感動的なバラード。ピアノのイントロから、夜の街灯の下で、別れ際の恋人たちが切々と歌い上げる姿が思い浮かぶ。〈いつも彷徨ってるんだ/過去の悔いを〉とあって後悔とそこからの出発が歌われる。いわば人間の再生を歌うのだが、曲調はまさにミュージカルの最後の曲のようで、大円団を迎える。もちろん、彼の歌詞やサウンドから恋人たちの物語を引用するのは妄想や妄言に近いかもしれない。でも、彼の言葉とサウンドには、個人(筆を執っている私)の音楽的知識の蓄積や体験から生まれる想像力に結び付く、親和性の高い力強い映像換起力があると思うのだ。

シンリズムなりの徹底した平等主義

テネシー・ウィリアムズの有名な戯曲「欲望という名の電車」には「弱い人間は強い人間の好意にすがって生きていかなければならない」といった名台詞が登場する。それはそれで時代を射抜いた名言だし、現代にだって通用するかもしれない。ただ、今作に描かれているのは、強い人間が弱い人間を助けるといった趣ではなく、シンリズムなりの徹底した平等主義が通底している。弱い人間も、強い人間もこの世界にはいないんだとアルバムでは高らかに歌われているようだ。だからこそ今作に登場する恋人たちは平等だし、ほかの誰でもない「あなた」とそっくりに見えるのだ。「私」と「あなた」はいつだってお互いを認め合い補完し呼吸を交わし人生を歩み続ける。それこそまさにミュージカルの持つ魅力でもありマジックだと思うのだ。 

私たちは日常を生きて生活している。時には失敗も、痛みも経験するけれど、そんな時にこそ最終曲の〈どこまででも描けるか/冷めない/人生を〉という歌詞を思い出して美しいピアノのサウンドと共に「ウキウキ」して歌って踊ってほしい。このアルバムは、堂々と肩で風を切って世知辛い世の中を歩いていってほしいというシンリズムの応援歌でもある。いつだって彼は、私たちの人生が描く「物語」を励ましてくれるのである。とてつもない力作の誕生だ。

シンリズム『Música Popular Japonesa』

レーベル:P-VINE
リリース:2022/11/23
トラックリスト:
01. MPJ
02. LADY
03. 不思議な関係
04. 暮らしの半分は
05.Salão de eventos
06.Flavor of lie
07. あいつのLIFE
08. 晴れ舞台
09. パレット

配信URL:https://p-vine.lnk.to/J2iZiN

竹下 力