絶望に突き落とされた私たちを更生する「ここではないどこか」──syrup16g『Les Misé blue』
syrup16gがニュー・アルバム『Les Misé blue』を11月23日にリリースした。前作『delaidback』から5年振りとなる本作には、2021年11月に東京ガーデンシアターで行われたライブ『20210 extendead』で演奏した新曲12曲と、新たに書き下ろした2曲を加えた14曲が収録されている。
全曲で作詞/作曲を手掛ける五十嵐隆(Vo.)の制作欲は凄みを帯びて、彼の情熱を中畑大樹(Dr.)とキタダマキ(Ba.)が支えることで、これまで以上に押韻やダブル・ミーニングを縦横無尽に使い分けた歌詞が、コロナ禍の影響を受けた心情の曲、腹の底から叫ぶ曲、彼ら特有のアンニュイで軽快な曲、漣のように優しいメロディの曲などに存分に反映された彼らでしか作ることのできないバラエティに富んだ楽曲で構成され、まさに傑作と言うべきアルバムとなった。

syrup16gは我々の罪を贖わせてくれる
syrup16gの言葉にできないほどの素晴らしい音楽を聴きながら道を歩いていれば、道半ばで不意に「絶望」と書かれた標識にぶつかることがある。だが、標識には行き場所が示されていない。だから「絶望」が何を意味しているのか、どこを指しているのか分からない。その向こうには無数の道がある。本来は辿るべき道があったのにどうしていいのか困惑する。すると、戸惑っている「私」は道案内をしてくれる「他者」が来るのではと期待する。その「他者」は大切な「あなた」であるはずだ。固有の名前を持ち、「私」にとって意味のある存在。それでも「あなた」は永遠にやってこない。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のように。
そうして、我々にとってどこにも行き場所がないと気付いた時、「私」に内在した孤独感が浮かび上がり、「絶望」という外殻に覆われる。「絶望」とは個別の「他者」を見つけることができずに途方に暮れた「私」の煩悶の総和にほかならない。それ故に、私たちは「ずっと一人ぼっちがいいな。もう誰も必要ない。だけどあなたはここにやってくるかもしれない」と淡い期待と共にそこに静かに佇むことになる。それによって誰にも侵されない「私」になれる安心感が生まれる。彼らの音楽は「絶望」というフィルターを通して「孤独の愉悦」を教えてくれる。そして「私」が「私」でいることを許してくれる。もちろん、彼らの魅力はそれだけではない。
いつからだろう? 「98年世代」と呼ばれるくるり、NUMBER GIRL、SUPERCAR、中村一義といったアーティストたちと共にsyrup16gの最初のミニ・アルバム『Free Throw』(1999)を貪るように聴いたのは? 淡くて優しい楽曲に抗うような内面の痛みを活写する歌詞は明らかに「グランジ世代」以降だった。ひたすら内面化された救いのない想いを彼らは歌い続けた。「Sonic Disorder」(M2)では〈いつかは花も/枯れる様に/壊れちまったね〉と歌われ、そうして私たちに消芒の感覚を愛でることを許してくれた。最悪な日常は日々壊れ続けていく。さながら、Nine Inch Nailsの「Ripe(With Decay)」のように。どうにもならない感情が熟しながら腐っていく時代だった。それは今も変わらないのだろう。だから太陽の下で生きることが不浄に感じられる。陽の光は眩しすぎる。彼らの音楽を聴きながら、どんな最悪な出来事も私のせいじゃないと忘れ去ることができた。なのに心の疼きは止まらない。私は生きているのかな?
それこそ魔的な状態と言えるだろう。「魔」とは人を惑わす己の内的葛藤そのものだ。突き詰めれば、90年代の後半以降、人は誰でも犯罪者になれることを知った。罪を犯したい衝動があることは意識しているけれど、何故に自分が罪を犯したいのかについては知らないというパラドックスを抱えた犯罪の連続が生きる意味を教えてくれた。電車の優先席に座ってスマホをいじっている。目の前には杖をついた老婆がいる。席を譲るつもりはあるのに、席を譲る理由が分からない。おまけに席を譲るという行為に動機付けができない。「何が悪い?」という開き直り以上に、「皆そうじゃない?」という問いかけが生まれ自らを許そうとするのだ。私たちは罪深き人間だ。贖いは必ず贖われなければならないのに……。
そんな時に、syrup16gの音楽はメランコリックなサウンドと抑制の効いたビートと優しい歌声で、私たちを容赦なく断罪する。そのアクションに大きなカタルシスが生まれる。そうしてsyrup16gは我々の罪を贖わせてくれる。贖いは「やっぱり席を譲らなくちゃ」という思いと共に行為となって表出する。そして我々は安堵するのだ。彼らは毎日のように贖いを求める私たちにとって、ドラッグのように危険な音楽を奏でるアナーキーな集団であり、宣教師の如く優しき存在でもあるのだ。
現代が抱え込むことになった混沌や複雑さ、重さから解き放たれた開放的なアルバム
今作の14のマテリアルにおける五十嵐隆の歌詞の言葉遊びは更に巧みになっている。そこに織り込まれたメタファーは、類稀な宇宙的な感覚を獲得している。つまり、彼のパーソナルな視座は宇宙に位置して世界を俯瞰しており、そこから紡がれる言葉は、「子供たちの無垢な言葉遊びの魔力」を内包し、それを芳醇なイメージに変えて爆発的なエネルギーとして放出し、疾走感あふれるダイナミックなグルーヴを生み出す。
カラフルなサウンドは、サイケデリックであり、ヘヴィでありながら楽天的、ダークでありながらユーモアに溢れている。ポップス的なサウンド・プロダクションがこれまで以上に研ぎ澄まされ、五十嵐の歌詞と相まって、奇跡的な出来栄えの楽曲群が生み出された。現代が抱え込むことになった混沌や複雑さ、重さから解き放たれた開放的な見事なアルバムとも言える。彼らはバンドとして、これまでにも増して飛躍を遂げた。
「I Will Come (before new dawn)」(M1)のシンプルでヘヴィなギターのオープニングから、宇宙から落下してきた機能不全な生物の理を暴き出す。露悪的だが悪意はない。今作はその感覚が通底している。「明かりを灯せ」(M2)は、ディレイのかかったメロディーに五十嵐の美しい声が絡み合う。「Everything With You」(M3)は冒頭で〈嘘は怖いゆえ/荒唐無稽で/ちょうどいいな/ある日/突然/本当になっちゃうから〉と歌い、他者へのコミュニケーションの希求が、『HELL-SEE』(2003)における「ex.人間」(M9)の最後の〈美味しいお蕎麦屋さん/見つけたから/今度行こう〉の対句になっているようだし、生活を営んでいけば生まれる普遍的な想いの丈を見事に描き切っている。
「Don’t Think Twice (It’s not over)」(M4)では、〈家族の写真が/思えばほとんどなかった〉と孤独な子供時代を過ごした我々を思い出させる詩句を織り込んでいるのに、ポップな曲調でなぜかハッピーになってしまう。なぜなら、人間は元来一人ぼっちだからだ。彼らのディスコグラフィーにあったシニカルな視点は、普遍的なユーモアを獲得することで独特の世界観を作り上げた。
「Alone In Lonely」(M5)では、「孤独なのに、一人ぼっち」という矛盾する言葉が自然と楽曲に溶け込み人間が抱える「もどかしさ」を闊達に表現。「診断書」(M6)は、人間のやけっぱちなアパシーをギターが掬い上げ、言葉がリスナーの心臓を撃ち抜いて、「死」を宣告するような攻撃的な曲。「Dinosaur」(M7)は、宙を浮くようなポップな楽曲と重力を感じさせる言葉との対比が描かれたバウンシーな楽曲で、その対比こそが個人の「絶望」を際立たせる。
「モンタージュ」(M8)の〈確かめられない/お互いの気持ちは/確かめられたら/壊れてしまうもの/多分〉という歌詞は、パーソナルでありながら、「私」と「あなた」という誰もが抱える絶対的な距離を的確に捉える。「うつして」(M9)は、透明感のあるギター・ストロークが私に内在した痛みを解放してくれるようだし、「In My Hurts Again」(M10)は、宇宙にいる私という壮大な広がりを持つ設定を私的な言葉で包み込むことで内圧をかけ、自己言及を促して自身の心の有り様と向き合わせてくれる。「In The Air, In The Error」(M11)は、くぐもったギターに、押韻を踏んだ五十嵐の叫びが、本質的に歪んだ人間の内面を余すことなくリズミカルに暴露する。
今作の中でも「Maybe Understood」(M12)はsyrup16gにおける屈指の名曲だと思う。〈ロックンロールの/成分は自己愛かい〉というバンドに対する皮肉を歌う今作の中で最もメロディアスかつリリシズム溢れる曲で、〈Maybe Understood/矛盾で絡まった線を/夢中で/巻き直すのが/ミッション〉という言葉で己の存在意義を歌い上げながら、リスナーにふくよかな音像を見せてくれる。「深緑の Morning glow」(M13)は、マシュー・スウィートのギター・ポップのように苦味と甘味があって、「外の世界と交信だけ」しかできない人間の生存の悲しみというべき感覚を浮かび上がらせる。
「Les Misé blue」(M14)では、アコギの軽快なストロークに、音圧の高いボーカルが、シンプルな歌を歌う。〈ひとりの世界は/ひとりじゃない〉というラインに、他者の顔が一瞬ちらついてアルバムは幕を下ろす。最後まで聴き通せば、個々が抱く葛藤の救いの予兆を感じさせる。ミュージカル『レ・ミゼラブル』で主人公のジャン・バルジャンが愛するコゼットと彼女の夫であるマリウスに看取られて、幸せな想いを抱いて死んでいくように……。
ならば、本作を聴き通せば「救い」は見つかるのだろうか? 実際の所、そんなものありはしないのだ。syrup16gが下す断罪とは、収まるべき場所に収まることのない自我を、「絶望」という現在地に突き落とすことにほかならない。そうであるからこそ、どんなに頑張ってもどこにも辿り着けないもどかしさをありのまま受け入れることの強さを淡々と歌う。その姿がとにかくかっこいい。
彼らの音楽を聴けば、未来のための具体的な行動を融通の利かない現実に引き剥がされた末に、己の内的な世界で苦しみながら更生を遂げるべく、あなたに巡り合う旅に出ようとする。「絶望」から一歩踏み出して。なぜなら、syrup16gは私が「ここではないどこか」にいるあなたを求め続ける限りずっと歌い続けて、このどうしようもない世界で、私を生き続けさせてくれるからだ。
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RELEASE INFO
syrup16g『Les Misé blue』

リリース:2022/11/23
レーベル:UK.PROJECT
トラックリスト:
01. I Will Come (before new dawn)
02. 明かりを灯せ
03. Everything With You
04. Don’t Think Twice (It’s not over)
05. Alone In Lonely
06. 診断書
07. Dinosaur
08. モンタージュ
09. うつして
10. In My Hurts Again
11. In The Air, In The Error
12. Maybe Understood
13. 深緑の Morning glow
14. Les Misé blue
竹下 力
