無音の世界に鳴り響く優しい福音──MACKA-CHIN『muon』

無音の世界に鳴り響く優しい福音──MACKA-CHIN『muon』

MACKA-CHINのニュー・アルバム『muon』が12月14日にリリースされた。彼は、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのブレインとして多くの人に知られているが、肩書きはラッパー/ミュージシャン/ビートメイカー/プロデューサー/映像クリエイター/DJなど幅広く、ジャンルに捉われない活動を続けているマルチクリエイターだ。今作は、2016年にリリースされた前作『MARIRINCAFÉ BLUE』から変貌を遂げ、ゲストなし、自身で全曲をトラックメイク&プロデュースをした純然たるソロ・アルバムとなった。柔らかな情感を残すアンビエント且つチルなサウンドを中心に、ハウスやワールド・ミュージックなどの要素もミックスした全9曲約30分で構成されている。その内インストは2曲とコンパクトでありながら、他者に対する絶対的な優しさに満ちた楽曲が収録された今作は、彼の心象がきめ細かく反映された私的なアルバムとも言えるだろうし、同時にこれまで以上にリリカルな傑作となった。

全ての曲を聴き終えさえすれば、我々の心が撹拌され、人生は大きく変わったことに気づく

MACKA-CHINのアルバム・タイトル『muon』は、「無音」という単色な言葉以上に様々な意味が付与され、グラデーション豊かな表情を見せてくれる。まず、今作に収録された9つのマテリアルがリスナーの心の中に収まった時、我々は「今、この瞬間」を生きているという思いに駆られるはずだ。今作における「生」の再構築を促す効用は「能」に近いかもしれない。「死」という無音の彼岸にある「生」を手繰り寄せることで、生きているという実感を個人に内在させるという含意もタイトルにあるように感じる。

さらに今作は、MACKA-CHINの意志を超えた「どうしても表現したい何か」という感性がひたすら研ぎ澄まされた美しい結晶のようなアルバムでもある。その音楽に対する直向きな想いは、純然なヒップホップ・アルバムでもなく、テクノやワールド・ミュージックとも明示できない、彼のピュアな感情だけで編み込まれたアナーキーでパンキッシュであり、ジャンルレスな作品を作り上げることになった。いわば鋭い批評性に溢れており、世界に一瞬だけ亀裂を走らせ、人間存在の本質を露出せしめたとも思えるのだ。アルバム・タイトルの『muon(無音)』は、この時代における「生」の在処を探したいという彼の宣言にも捉えられると思う。突き詰めていけば、MACKA-CHINの生まれた東京という都市が、コロナ禍以降、機能不全に陥り、新しく変わろうとしていく様相を、彼の独自な視点で掬い上げ、来るべき未来の風景として描こうとする欲求があったと思うのだ。つまり、我々の住む世界は決定的に変わってしまい、新しい生を組み立て直さなければならないと彼自身の想いが発露した故に生まれたアルバムとも言えるだろう。

したがって今作は、鳴らされた音も発せられた言葉も全てが一瞬にして消滅する儚さも兼ね備えている。それはまさに「生」を感じる行為と同義語だからだと思う。我々は膨大な記憶の集積と体験の中から明日への生きる縁を掴んだ瞬間に、これまでの記憶や経験が過去のものになり消滅することを知っている。どんな人間も1回限りの「生=人生」において、現実が過去になってしまえば、あなたの体験した全ての出来事は記憶の中に沈澱し、やがて新たな経験に上書きされ、記憶はフィクションになっていく。人間の本質とは突き詰めれば現在進行形にあることであり、今作の全ての曲を聴き終えさえすれば、我々の心が撹拌され、人生は大きく変わったことに気づくだろう。そういう意味で今作は、我々の「生」に直結する生々しい原則が息づいた作品として、現代の音楽シーンにおいて群として輝きを放っているのだ。

MACKA-CHINは宣教師の如く今作で福音を鳴らそうとしている

「ホシトソラ」(M1)の歌詞に〈音楽はセラピー〉とあるが、今作は人間の生の在処を教えてくれるのと同時に、我々の心をも癒してくれる。彼の思惟から生み出された静謐な鏡のような音像に、人間の極めてナチュラルな内的世界を反映させることで「私はこの世界にいる」と安心できるのだ。心の穢れが洗われていくような浄化の感覚。このアルバムに通底するのは「あなたも自分自身でいること以外に何もする必要はない」といった老子の名言を引き合いに出したくなるほどのMACKA-CHINの人間存在のグロテスクさもピュアさも肯定するパワーだ。そんな透明な思想の発露にこそ彼の矜持が垣間見える。

アルバム全体を通して、内省をくぐり抜けたリリックは一定の重力を持ち、リスナーの心の底に留まっていくほど強靭である。サウンドの定位はクリアーで、ミックスもアレンジも含め見事な手腕を発揮している。アンビエントやチルが今作の基本的なサウンドデザインであるけれど、ハウスやバグパイプを使った楽曲、雅楽や能楽のような音楽もある。東京というあらゆる文化の坩堝に生まれた彼の出自でしか獲得できないミクスチャー的な感覚を存分に発揮させながら、彼の私的な言葉と音楽の嗜好を極限までに反映させた楽曲は、優しさを帯びて、我々を抱合し癒しを与えてくれる。MACKA-CHINは宣教師の如く今作で福音を鳴らそうとしているのだ。その決意が漲っている。さらに、彼1人に制作の全てが委ねられた作品だからこそ統一感のある構成も生まれ、リスナーを飽きさせることなく何度でも聴くことができる。  

鋭敏な感覚によって鳴らされる日本の縮図の音楽 

「ホシトソラ」(M1)の〈さよならしてから/どれくらい/時間は過ぎても/会えてるかい〉という冒頭のリリックから、幼少期の無垢の消失による悲しみが、優しいR&Bな曲調と管楽器のリフレインによって慰撫される。「つなぐ風」(M2)はゆったりとしたBPMのアンビエントでディープなハウスだ。彼は言葉尻の「a」と「u」の母音を力強く繰り返しながら、地球の胎動を描いていく。〈変わらぬことは/明日へ進む/太陽が沈み夜空に変わる〉というリリックを含め、自然の美しさを前にした人間の純真さを煌びやかに描いていく。

「earthwind」(M3)は「つなぐ風」(M2)の「風=wind」と掛け、能楽や雅楽のような音楽に合わせて、風を自然の営為としてだけでなく、人々の「生」の営みの隠喩として荘厳に描こうとする。〈見えてる星はどこでも見える/サハラで旅するトゥアレグ達も/氷雪地帯のイヌイット達も/アマゾンで暮らすヤノマミ達も/チベットの民もジプシー達も〉という言葉にメタファーの奥深さを感じる。日本にいる我々も生きている限り、あらゆる世界の人々と繋がっているという、人種や性別を超えた共同体への理想がこの曲で(あるいは「つなぐ風」と共に)表現されていると思う。「NOTV」(M4)はハードテクノ風な曲で、〈一人でも仲間でも/いつまでも飲んでまだ踊る/踊る踊るまだまだ踊る/爆音で踊る/隣の家のテレビが聞こえねー/くらいに爆音で踊る〉という詩句が祝祭感をもたらし、中東のメロディーがスパイスとなって、雄大な自然の中で魅惑的なお祭りをしているような、このアルバムで最も生の躍動が感じられる曲となっている。

「ヨルノモリ」(M5)は「ホシトソラ」(M1)の対句的な修辞となって、ここでアルバムは転換を迎える。リリックのほとんどは〈夜の森/木は眠り/静けさに/包まれり/消えゆく光/街あかり/ひっそりと/月のぼり〉と連用形で終わっていくが、終止形に繋がって文節が切れるのではなく、全てが「夜の入り口へ」という言葉に収束することで世界の有り様を描き切ろうとする野心を感じさせる。あらゆる命が眠り、やがて目覚めていくことを示しているようで、絶え間ない生の循環を感じさせる。その行為の連続性の必然が生み出す奇跡を力強くラップしていく。「綺麗」(M6)はバグパイプの音色が印象的でそこに緩やかなビートが絡むワールド・ミュージック的なインストだが、風景の美しさに一瞬の残酷さが描かれている。我々は自然の中で生きているが、それが決して安逸なものではないと感じさせる。 

「マデイラ島」(M7)はその名の通り、アフリカ大陸のモロッコから西へ約650kmの大西洋に浮かぶ小さな島のことだと思うが、その島の成立の歴史と自然をきっちり描いている。この曲から明確に、人間の歴史も描かれるようになる。人類が為した罪と自然の尊さがハンマーのように振り下ろされるビートによって対比されていく。〈今は考え過ぎている/心破壊されてしまう/運命と戦う〉というリリックで、MACKA-CHINの私的な憧憬と想いを微分し敷衍させ、我々はどこにいても常に、残忍な歴史が達成した現実を生きていることを理解すべきだと教えてくれる。

アイガーというスイスの山を活写した「アイガーの夕陽」(M8)は、山頂に落ちていく美しき夕日を描いた短いインスト・ナンバーだ。原始的なコーラスを散りばめながら、自然の持つ「何もかもがいつか消滅し、そして新たな生として生まれ変わる」ことを示していく。「YUKIYAMA」(M9)は、オールドスクールなヒップホップ・ビートに、雪景色に吹く荒ぶ風の音がサンプリングされている。MACKA-CHINが敬愛する写真家・矢内絵奈のジャケットの写真からイメージを膨らませ、最大限にオマージュを捧げた曲だろう。銀世界の向こうに〈ぼくは/つきすすむ〉という言葉のメタファーが楽曲のイメージを超えて、我々の抱くべき強い決意に繋がっていく。例えどんな絶望が待っていようともその先へ。このアルバムを聴き終え旅を終えた時、私たちはいつの間にか、存在の有り様が変わったことを理解するのだ。

今作はある種の「気づき」を与えてくれる。音楽において重要なのは、かっこいい音を鳴らすことでも、鋭い言葉を吐き出すことでもなく、音楽において「人間そのもの」を表現することだ。このアルバムの音が風のように過ぎ去った後の無音の世界において、我々は目にしたことのない景色を見つけることができる。そんな景色を含んだ世界にいるのは「私」だけだ。そしてそれを己の意志で打ち破り、新たな「私」になって、同じように生まれ変わった「あなた」に出会うために生き続けるのだ。そうしていつか私たちは繋がり合い新たな「世界」を形成する。このアルバムは、普通に生きることさえ厄介で困難な時代において、自己存在の基盤をもう一度作り直す機会を与えてくれる福音として鳴っているだけでなく、世界の果てに待っている希望を描いている唯一無二のアルバムとして屹立している。

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RELEASE INFO

MACKA-CHIN『muon』

リリース:2022/12/14
レーベル:P-VINE
トラックリスト:

01. ホシトソラ
02. つなぐ風
03. earthwind
04. NOTV
05. ヨルノモリ
06. 綺麗 (INST)
07. マデイラ島
08. アイガーの夕陽
09. YUKIYAMA

配信URL:https://p-vine.lnk.to/pMA0wm

竹下 力