戻れない「今」を過ごした君に向けて──BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」の文脈を解く

戻れない「今」を過ごした君に向けて──BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」の文脈を解く

心の奥深くに、届く言葉を歌うバンド──それがBUMP OF CHICKENだ。

彼らの音楽は聴く者の所在やアイデンティティを問わずどこまでも真っすぐに届く。「君」に宛てて綴られる歌詞の親近感と優しさは、結成当時からファンの心を強く掴んで離さない。

そんな彼らは昨年のライブハウスツアーに引き続き、本日より全国アリーナツアー『BUMP OF CHICKEN TOUR 2023 be there』を開催する。バンド結成日である2月11日(土)の東京・有明アリーナでの公演を皮切りに、11ヶ所20公演を回り、最終日は2018年に行われたツアー・ファイナル(『PATHFINDER』)以来のさいたまスーパーアリーナで締めくくる。

本稿では25枚目のシングル且つ、バンド初のトリプルA面シングルである「話がしたいよ/シリウス/Spica」より、時の移ろいと友情を歌い上げ、ファンからも「バンプらしい」と称賛されている「話がしたいよ」について、主に歌詞で語られる「僕」の心情にフォーカスしながら本楽曲を紐解いていく。

* * *

BUMP OF CHICKENの曲は、ちょうどいい距離を保って私たちのそばにいてくれる。磁石のように隙間なくぴったりと寄り添うのではなく、時には僅かに寂しくなるかもしれないような適切な間をとりながら、それでも私たちの姿を定点から見つめてくれる音楽なのだ。

そして必ず「弱さ」を忘れない。人は強い生き物じゃないことを、彼らは分かっている。

〈平気さ お薬貰ったし 飲まないし〉

「お薬」を貰っても、それを「飲まない」と言い張るほんの少しの意地を、メロディラインの終わりに取って付けたように歌う。

〈僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ〉(8th配信限定シングル「リボン」)

リボンは解けないものではない。端と端、別々の1本。解けてほしくはないけれど、それが本当。

自発的に絆を信じる。繋がりを作る。どのように他者と繋がり生きていくかは人間として生きるうえでの命題であるがゆえに、この曲は心の奥底に共感を呼ぶ。

「話がしたいよ」は、先に綴ったBUMP OF CHICKENの「適切な距離」を歌詞から感じ取れる曲だ。彼らの曲にはもう一つ特徴があり、それは「去る者は決して追わない」ということだ。これは去る側の人間を愛し、人として尊重しているからこそ歌われる姿勢である。

この曲は、主人公が何らかの出来事により友人との距離が離れてしまった状態を歌っている。「君」に関することを話す時に過去形であること、「他人同士」「どうやったって戻れない」という歌詞から、それは察することができる。

では、この曲は今はもう取り戻せない「君」との思い出を、ただ感傷的に歌うバラードなのか?と問われれば、そうではない。それは、ここでもBUMP OF CHICKENは「君」を追わない姿勢を貫いているからだ。「君」という人間を大事に思っているから、縋り付いて引き留めたりはしないのだ。

「君」という人間を構成するものが、「僕」が「君」を好ましいと思うように感化させたもの全てが愛おしい。だから、「君」はそのままで生きていてほしい。

だけど変わらず、「僕」が「僕」だからこそ愛おしく思った「君」の話をもっと聞きたいとも思う──「話がしたいよ」。本作はそんな真の友情を表現した曲なのだ。

もしかしたら、彼らは言葉にできない関係なのかもしれない。2人の間を定義するものは何も無いかもしれないし、それ自体はさして重要ではない。大事なのは、「僕」が思う「君」がどれだけ特別だったかということだ。

〈街が立てる生活の音に一人にされた ガムと二人になろう 君の苦手だった味〉
〈それの何がどうだというのか わからないけど急に 自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた〉

距離が離れた後も「君」を思い、バス停で1人ガムを噛み、歯切れの悪い感情ばかりがぽろぽろと零れ落ち、最後にバスが来て、ガムを紙にくるんで捨てる。「君」と一緒にいた時間の中で、「僕」はどんなに素晴らしい関係を共に築けたことだろうかと想像してしまう。

「君」は今、どうしているだろうか。ふとした心の抜けと、そこに染み込んでくる感情。周りの風景の他人行儀さが、「僕」の輪郭を浮かび上がらせる。

「僕」はちゃんと、寂しさを感じている。目頭の温度が、聴き手のスマートフォン、あるいは別の音楽媒体に触れる指先にまで伝わる。でも決して泣いたりはせず、ただ「話がしたいよ」と願うだけなのだ。「君」という人間が好きだったから。

〈抗いようもなく忘れながら生きているよ〉
今までのなんだかんだとか これからがどうとか 心からどうでもいいんだ そんな事は〉

いつか必ず「君」を忘れて生きていくことを受け入れ、空き缶を蹴るように、過去と未来を思い切り一蹴する。

〈いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも〉

そして思い留まる。これほどまでに「僕」は人間らしい。確かな弱さと強がりが、そこには垣間見える。

〈ガムを紙にぺってして バスが止まりドアが開く〉

曲の最後、一気に世界が収束し、バス停での物語は終わる。それは「僕」の中の「君」の物語が終わるという意味でもある。ガムは「君」の苦手だった味で、きっと「僕」はきつく紙にくるんだだろう。石つぶてみたいになったそれは、バスに乗った「僕」のポケットの中にまだ残っている。

「話がしたいよ」を聴いていると、「友情が長く続いていく」というのは奇跡的なことだと再認識すると同時に、それでもやっぱり、どこかしらで永遠の可能性をはらんでいる宇宙のような──しばしばBUMP OF CHICKENというバンドは宇宙をモチーフに音楽を作る──不思議な実感を得ることができる。

誰かを(人間として)好きだと思えて、その人との距離が空いてしまった時、「僕」のように思えるのかは定かではない。失望や落胆に襲われたり、憎んでしまうかもしれない。

それもまた、一種の人間臭さと言えるだろう。執着することはすなわち、人間であることの証明にもなる。大切な誰かの、私がいない今と未来がいつまでも幸せに保たれてほしいと心から願えるかは分からないけれど、「僕」のように人を愛してみたいとは思う。友達でも、恋人でも、家族でもいい。

君を愛しているから、もう一度話がしたいよ、と伝えてみたい。そんな風に思いながら、冬の冷たい空気を吸い込むのだった。

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RELEASE

BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ/シリウス/Spica」

リリース:2018/11/14
レーベル:トイズファクトリー

トラックリスト:
01. 話がしたいよ
02. シリウス
03. Spica

安藤エヌ