ヨルシカが挑む、音楽で「人間」を表現すること──コンセプトアルバム『盗作』への考察を交えて

ヨルシカが挑む、音楽で「人間」を表現すること──コンセプトアルバム『盗作』への考察を交えて

ヨルシカとは、音楽の中で物語を展開する「物語音楽」というジャンルを手掛けているアーティストだ。ボーカロイド(人工音声ソフト)を使った楽曲から人気に火が付き、後にメジャーデビューし、独創的な作品に注目が集まっている。

7月29日に発売された『盗作』は、他人の音楽を盗む「盗作家」の男を主人公としたコンセプト・アルバム。初回限定版は、「盗作家」の小説を添えた書籍型の装丁を施してある。小説はアルバムで描かれた要素を補完する形で物語が完結しており、異なる媒体でそれぞれの物語を味わえる仕様だ。

創作への確かな意欲を見せ、若い世代を中心に支持を得ているヨルシカ。オリジナリティが求められる現代に『盗作』という作品はどう届くのか。

広がりを見せる、感情的な音楽たち

ヨルシカの音楽は、時に人間の「醜さ」や「陰」の部分を浮き彫りにさせる。

‘‘最低だ 最低だ 僕の全部最低だ’’

‘‘わかってないよ あんたら人間も
本当も愛も世界も苦しさも 人生もどうでもいいよ’’

ヨルシカの音楽は本来、人間が生きていくために不可欠な感情を思い出させてくれる。日頃感じていることを思い切り言葉にしてぶつけることで浄化され、カタルシスを得る。彼らの作り出す楽曲は解放感を持ち、いつだって広がりを見せてきた。

「盗作」という行為から考える、ヨルシカの込めた意図

アルバム『盗作』を改めて聴く。アイデンティティが確立できない焦り、不安、怒りに翻弄され、他人の音楽をそっくり「盗作」して、埋まらない感情を処理しようとする男。

曲の合間には主人公である男の人生を年代ごとに区切り、「幼年期」「青年期」などをタイトルに冠したインストが挟みこまれ、実在する音楽をオマージュした旋律がこれらに登場することで「盗作」を表現している。

自分の醜さを、「盗作」することによって浄化させる--これは人生のカタルシスを、音楽で示した行為なのではないか。

アルバムの終盤になってくると流れ出す、男の中で常に流れ続けていた大切な音楽も、「盗作」によって生まれた他人の音楽も、忖度なく美しい。他人のものを盗んで得た個性と本当の自分が1本の線で繋がる、究極の皮肉だ。偽物に魂が宿り、唯一無二の旋律が形成されていき、犯罪者である主人公が「心を持った人間であること」を証明していく。

「盗作」という言葉に対し、言葉自体は毒々しいのに生み出されるものは純度が高い、という美しい副作用を生み出したアーティストはヨルシカが初めてなのではないか。人間は泥臭くも美しいということを、このアルバムから感じ取ることができるのだ。

感性に触れる音楽を放つヨルシカの魅力はどこにあるのか

「感情の疾走」や「情けなさと同居した愛おしさ」を彷彿とさせる音楽を作り続ける、コンポーザー・n-buna(ナブナ)とヴォーカル・suis(スイ)。

n-bunaの形作る音楽は、特有の浮遊感ないし抜け感があり、アップテンポの曲もあればバラードもある。感情を前面に出し、その輪郭に沿ったメロディを付ける。n-bunaが持つ感受性ありきの作品への向き合い方も、ヨルシカの魅力を殊更輝かせて見せている。

そして重要なのは、n-bunaの音楽に生身の声で感情のレイヤーを重ねているヴォーカル、suisの歌声だ。時に慟哭するような、時に囁くような表現がヨルシカの物語を生かしている。

ヨルシカの曲に感動を覚える時というのは、2人の持つ感性の集合体である音楽が、私たちの心を掴み、動かしているのだ。

『盗作』という作品から考える、現代のオリジナリティ

今、様々なシーンでオリジナリティが求められる時代にある。そんな社会に、ヨルシカの放った『盗作』とそこに内包される価値観はどのように受け止められるのだろうか。

「盗作」とはれっきとした犯罪行為だ。犯罪を犯してまで個性を確立しようとするのは異端であり、過ちであるとともに、強迫のように人々に自分らしさを求めようとする世間へのアンチテーゼなのではないか、と考えることもできる。

また、「偽物」は「本物」へ、「醜いもの」は「美しいもの」になり得るのか、という問いも、同時に投げかけてきているように思える。

オリジナリティについて、公式サイトのインタビューでn-bunaはこのように語っている。

「多くの人が作品に対して「オリジナリティがある」ということを、ひとつの大きなアイデンティティのように思っている。僕はそれが今の時代においては、すごく白々しいと思っているんです。そういうものに対してのカウンターパンチを、ヨルシカというものを巻き込んで放ちたかった。僕の価値観としては、犯罪というものをテーマにして、盗作家の男が作った作品集でさえも、それは一つの美しい作品集になると思った」

これは先述した、「盗作」をする男が無意識に抱いた美しさのこととも考えられる。自分の力で得たオリジナリティが尊重される社会で、盗んだものでも美しく存在できると歌っている、まさにカウンターパンチのような表現だ。

また、それぞれの楽曲が持つ力において、n-buna氏はこのようにも語っている。

「もはや全てのメロディは十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしている。それでも僕は表現方法までは出尽くしていないと思っていて。メロディの動きだけじゃなく、歌詞や楽器や構成のような複合的な要素が組み合わさった中で、偶発的な美しさがそこに生まれると僕は思っているんです。

それこそがいまだ芸術の神様が見つけ出していない、今の我々にしかできないオリジナリティとしての表現だと思います」

 

この考え方は先に記したヨルシカの2人による創意に繋がる。細部に宿る瞬間にしか表現できえなかったことが組み合わさって、オリジナリティは生まれる。

しばしば単一化したり群衆化したりする、現代のオリジナリティとは名ばかりの流行や傾向において、考えを今1度思い直させる鋭い視点だ。

 

十人十色の意見や考えが飛び交う中、真のオリジナリティとは、個性とは一体何なのか。

現代のテーマに一石を投じたヨルシカの、時代を鋭く穿つ今後の活躍に目が離せない。

 

安藤エヌ