銀杏BOYZ『ねえみんな大好きだよ』レビュー 光なきこの世界だとしても

銀杏BOYZ『ねえみんな大好きだよ』レビュー 光なきこの世界だとしても

はじめに

2020年10月21日、銀杏BOYZが6年ぶりとなるアルバム『ねえみんな大好きだよ』をリリースした。

『ねえみんな大好きだよ』ジャケット

6年という歳月が流れる早さは、実に残酷なものだ。何もかもが変わったような気がするし、結局何も変わっていないような気もする。ただ一つ、今後の自分にとって、おそらく大きな存在となる作品だという不思議な、それでいて揺るがない確信めいたものが、僕にこの文章を書かせている。

 

最も遠い場所で鳴るべき音楽

アルバムは、けたたましいノイズが静寂を突き破るハードコア・ナンバー「DO YOU LIKE ME」で幕を開け、そのまま転げ回るように「SKOOL PILL」に雪崩れ込んでいく。かつての銀杏BOYZの4人がステージ上で暴れ回り、峯田和伸が客席にダイブする光景がありありと浮かんでくるようだ。

峯田は特設サイト上にある「覚書」で、こんなことを述べている。

聴衆との物理的な濃厚接触が多分にみられる銀杏BOYZライブにおいて、現時点で最も演奏不可能な曲であり、また逆説的にみれば2020年作品の1曲目に配されるにはこの曲の誕生は必然でした。今、僕が最も欲していて、最も遠い場所で鳴るべき音楽はハードコアパンクです。

最も遠い場所で鳴るべき音楽。それを象徴するのが、峯田自身が監督を務めた「DO YOU LIKE ME」のMVだ。

アクリル板越しに、ひたすら濃密なキスを交わす二人。未知のウイルスの登場により他者との接触を突如として拒絶された今、まさに峯田が理想とするハードコア・パンクはこの状況下に置かれてしまった。銀杏BOYZが爆音でかき鳴らす肉体的な音楽は、見えない壁の向こうでのたうち回る。サッドボーイはライオットガールを欲しているのだ。

音楽における「ライブ」というものは、演者と聴衆が直接的にコミュニケーションを取れる場だった(思えば、アーバンギャルドはライブを「セックス」と表現していたではないか)。現在ライブイベントは急速なオンライン化を強いられているが、それだけで僕らが満足できるはずがない。フィジカルな繋がりと、その快楽を知ってしまっているからだ。いつか銀杏BOYZの音楽と、またゼロ距離で濃厚接触できる日が来たとしたら、それは人間が人間らしい姿を取り戻すことに等しい。

 

承認欲求、誹謗中傷、大人全滅

あなたが子供の頃にイメージしていた「大人」が、どんな姿をしていたか思い出してみてほしい。経済的/精神的に自立し、他人の気持ちを考えることができる人間を、漠然と想像していた方が多いのではないだろうか。

ところが実際に「大人」になってみると、イメージしていたような立派な人間ばかりではないことに気づく(それは自分を含めて、だが)。社会に出れば、精神年齢の低い幼稚な大人で溢れている現実に驚く。そして、その度合いはSNSの登場でさらに加速している気がしてならない。

「いいね」をもらえると、誰だって嬉しい。しかしこのシステムが、承認欲求を肥大化させる。特に、子供の頃に周囲から認められた経験の少ない孤独な大人たちは、SNSを通して共感を得ることで自己を肯定する。逆に、気に食わないものは容赦なく叩き、誹謗中傷を繰り返す。しまいには死者を出すが、それでも何とも思わない。まるで、道端の虫を潰す無慈悲な子供のように…。

『ねえみんな大好きだよ』には、「大人全滅」という楽曲が収録されている。これは、銀杏BOYZの前身バンドであるGOING STEADYの楽曲「DON’T TRUST OVER THIRTY」のセルフ・カヴァーだ。

そうか、大人は、このままでは全滅するのだ。

ここで、収録曲「エンジェルベイビー」の冒頭の歌詞を引用してみる。

どうして僕 いつもひとりなんだろう
ここじゃないどこかへ行きたかった
自意識と自慰で息がつまる頃
ラジオからロックが流れた

銀杏BOYZの音楽において、「孤独感」は重要な要素だ。峯田にとってのロックは、きっと孤独を埋めるものだった。しかし、ロックはSNSにすり替わった。『ねえみんな大好きだよ』で鳴らされる音楽は、その現状に対する警笛のように聴こえてくる。

 

パンクとシューゲイザーの親和性

サウンド面についても触れておきたい。というのも、『ねえみんな大好きだよ』は、銀杏BOYZ史上最もシューゲイザー/ドリームポップに接近したアルバムだと感じているからだ。

気配は、すでに2014年リリースの前作『光のなかに立っていてね』のサウンドに潜んでいた。ノイズ・ロックに大きく傾倒した同アルバムは、リリースに至るまで実に9年もの期間を費やし、峯田の執拗なまでのこだわりの末に生み出された作品だった。リリースされる頃には峯田以外のメンバーが全員脱退しており、制作期間がいかに壮絶だったのか物語っている。

ここで、とある人物の名前が思い浮かぶ。My Bloody Valentineの頭脳、ケヴィン・シールズその人である。

My Bloody Valentineもまた、ケヴィンの完璧主義の上に成り立つバンドだ。特に1991年にリリースされた2ndアルバム『Loveless』はレーベルを倒産寸前まで追い込むほど巨額の資金を注ぎ込み、理想とするサウンドの構築を目指した。その姿が、『光のなかに立っていてね』の頃の峯田と少なからず重なってしまうのだ。

ただ、銀杏BOYZのサウンドの変化はごく自然なものだったのだろう。それこそ、My Bloody ValentineのEP『Sunny Sundae Smile』を「エンジェルベイビー」のリファレンスに挙げたりもしているが、例の「覚書」にもあるように、峯田は今回のアルバムが「精神の避難場所」として機能することを強く望んでいる。現実世界と隔絶させる、ある種のフィクションとしてのアルバムを目指した結果、浮世離れしたシューゲイザーやドリームポップといったサウンドに自然と接近したのではないだろうか。

また、今作のサウンド・メイキングにおいて特に重要な役割を担っているのが、モデルやデザイナーとしても活躍するエレクトロニカ・アーティスト、UCARY & THE VALENTINE(ユカリ・アンド・ザ・ヴァレンタイン)の存在だ。彼女は「骨」「エンジェルベイビー」「GOD SAVE THE わーるど」「アレックス」の4曲でプログラミングを担当している。

特に「GOD SAVE THE わーるど」は、彼女の打ち込みによるトラックが神秘的かつ宇宙的な雰囲気を醸し出すエレクトロ・シューゲイザーに仕上がっており、銀杏BOYZのサウンドに新たな風を吹き込んでいるのだ。

思い返せば、エモやハードコアといったパンクとシューゲイザーの親和性については、Swirlies、Amusement Parks On Fire、Nothing、Floral Tattoo、Sore Eyelidsなど、様々なバンドが立証している。ここに銀杏BOYZの名前を加えても、決しておかしくはないはずだ。

 

おわりに/光なきこの世界だとしても

「死」というものは、誰にでも訪れる平等な結末だ。2020年は、喪に服すいとまもなく、多くの人々が思いがけない形で死を迎えた。大丈夫、顔を上げよう、明日は良くなる、そう思っても、どこか心は空虚だ。

『ねえみんな大好きだよ』は、生への希求で溢れている。12分を超える大作「生きたい」は、自分の中に芽生えた罪の意識と対峙しながら、どこまでも生きたいと願う人間讃歌だ。

汗や唾液を撒き散らしながら歌い叫ぶ峯田の姿を思い浮かべてみてほしい。もしかすると銀杏BOYZの音楽は、「死」とは最も遠い所にあるのではないだろうか。うんざりするほどの生(あるいは性)への執着。現実から目を背けて逃げ込んできた場所がここだとしたら、これほど救われることはない。

収録曲「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」の中に、こんな一節がある。

ぼくが生きるまで きみは死なないで。
つないだ手も。こぼした永遠も。光なきこの世界も。

光なき世界。本当にそうだろうか?

『ねえみんな大好きだよ』の歌詞カードをめくると、収録曲それぞれに英題が付けられていることに気づく。そして、「生きたい」には、「There Is A Light」と名付けられているのだ。

 

おすしたべいこ