【20周年】スーパーカー『Futurama』が見せる、もてあますほどの未来

【20周年】スーパーカー『Futurama』が見せる、もてあますほどの未来

2000年11月22日。今から20年前、スーパーカーの3rdアルバム『Futurama』(フューチュラマ)がリリースされた。

『Futurama』ジャケット

1997年にデビューし、2005年に解散したスーパーカー。バンドとしては短命だったが、彼らが駆け抜けた時間は濃密なものだった。作品ごとにサウンドを変化させ、後続のバンドに与えた影響も計り知れない。

彼らの代表作と言えば、やはりセールス的にも成功を収めた『HIGHVISION』だろうか。あるいは、シューゲイザーの文脈で語られることの多い『スリーアウトチェンジ』を挙げる場合も多いかもしれない。そんな中で、『Futurama』はどちらかと言えば埋もれがちで、どうも過小評価気味のアルバムだという印象がある(実際は『JUMP UP』や『ANSWER』の方がその節があり、それについてはまた別の機会に触れたい)。

しかし、かねてより筆者は、『Futurama』こそがスーパーカーの最高傑作だ、と豪語してきた。そこで今回は、20周年の節目を迎えるにあたり、改めて『Futurama』がいかにして素晴らしいアルバムと言えるのか、この機会に是非伝えたい。

「ロック:エレクトロニカ」の黄金比

1997年にシングル「cream soda」でデビューしたスーパーカー。同時期にデビューしたナンバーガール、くるり、中村一義らと共に「97の世代」と呼ばれ、当時から注目された。翌年には1stアルバム『スリーアウトチェンジ』をリリース。デビュー前から存在していた何百というストックから選び抜いた19曲を収録し、ザ・ジーザス・アンド・メリーチェインなどを彷彿とさせるギター・サウンドでロングセラーを記録した。

しかし、1999年にリリースされた2ndアルバム『JUMP UP』では早くも作風を変化させ、エレクトロニカに接近。2002年の4thアルバム『HIGHVISION』では全編に渡って大胆に打ち込みを導入するに至った。『Futurama』はサウンド面ではちょうどその中間に位置しており、ロック・ミュージックとエレクトロニカが黄金比で溶け合うサウンド・メイキングを展開している。

ロック・バンドとしてのフォーマットに、シンセサイザーなどを駆使したエレクトロニカ/テクノ・ミュージックの方法論を組み合わせるという手法は、今となっては一般的なアプローチとして定着している。しかし、当時(特に国内シーンにおいて)はまだ馴染みのあるものではなかっただろう。

スーパーカーがエレクトロニカへ傾倒した影響源として、フロントマンの中村弘二はコーネリアスやROVOの名を挙げているが、そんな先駆者の手法を貪欲に取り入れ、しかも何の違和感もなく実に良い塩梅でやってのけたのだから、そのセンスの良さには心底驚かされる。また、ギター・ロックに関しては当時すでにやり尽くしてしまい、新しいものを求める実験精神が芽生えたという要因も大きかったのではないかと推測する。

この手法は、直接的な影響はさておき、同世代で言えばくるりの『THE WORLD IS MINE』(2002)、少し先を見ればAPOGEEやサカナクションといったバンドの作品群にも受け継がれているように感じる。また、レディオヘッドがバンドの形態を捨ててエレクトロニカに大きく舵を切った『Kid A』が『Futurama』と同じ2000年にリリースされているという事実も、単なる偶然とは思えない。

ストーリー性のある大作志向

全16曲/75分という長尺の『Futurama』。ストリーミング全盛期の今、アルバム自体の長さが30分台に収まることも珍しくない時代となったことを踏まえれば、かなりの大作という印象を持つかもしれない。

しかし、それでも決して中だるみすることはなく、一切飽きることもない。それは、多くの楽曲が前後でシームレスに繋がっており、アルバムの流れの中に大まかなストーリー性があることに起因している。

特に本作のハイライトとして挙げておきたいのは、M-10「Karma」からM-13「A.O.S.A.」までの一連の流れだ。打ち込みとギター・サウンドが絶妙に折り重なり高揚感を生み出す「Karma」。さて何がカルマ(=業)なのかと思えば、

“やさしさにいい加減でいて
むなしさにいい加減でいて
俺はこう言い続けるんだ
「何をどうも出来なくたって胸に愛とあつい想いを」
君にそう言い続けるんだ
俺はそう、いい加減なんだ ”

と言い放つ。そのアウトロからシームレスに繋がる「FAIRWAY」。イントロのギターがかき鳴らされる瞬間に、この作品は頂点を迎えると言っていいだろう。

“安心を買った
どうしてかココロを売って買った気がしてたら
“安心はどこか退屈と似てた ”
そんななぜに撃たれていた ”

そんなフレーズから始まる「FAIRWAY」は、ダレた毎日に終止符を打とうとしている。「Karma」で見せた強い信念を持ったまま、甘い「青春」と決別するかのようだ。その勢いそのままに始まる「ReSTARTER」では、

“「リスタートして、運命を撃て!!!!」”

と、文字通り再スタートを切り、運命さえも変えてやろうという気概さえ感じるのだが…。「ReSTARTER」のアウトロを断ち切るドラムと共に始まる「A.O.S.A.」では、早くも

“もう、ひとりでやれる全ては終わった ”

と、あっけなく宣言する。しまいには、

“嗚呼、未来をふたり分くれないか
未来をもてあましてみたいんだ ”

“ストーリー分と
ゆとり分の、よそ見分の未来と運を ”

と、ないものねだりまでしてしまう始末である。

この4曲だけでも、人間の不甲斐なさ、そして決心の弱さを、サウンドとリンクさせて実に巧妙に表現していることがお分かりいただけるだろう。こういった仕掛けが、『Futurama』をコンセプチュアルでストーリー性のある作品として仕上げており、リスナーに退屈させる瞬間を与えないのだ。

両極端を行き来する歌詞

『Futurama』はサウンドだけでなく、歌詞においても過渡期を迎えていたと言える。全ての楽曲で作詞を手掛けていたいしわたり淳治は、『スリーアウトチェンジ』では深夜の青臭いポエムのような歌詞(それが良さだった)を連発していたが、作品を重ねるごとに意味性が削ぎ落とされていき、2004年のラストアルバム『ANSWER』ではサウンドと呼応するように歌詞もミニマルを極めた。

『Futurama』での詞作は、後の路線を伺わせるような、メッセージ性とナンセンスを行き来する両極端な作風が特徴と言えるだろう。かたや、

“気にとめないやさしさで
確かな今日を祝うのさ ”
--「White Surf style 5.」

“今以上を願ったって、もう
この寝顔を遠い向こうへ奪うだけ ”
--「Flava」

“行こう、手の鳴る方へ!
名曲から今日も自分らしくいようって、イタイくらい届いてるわ!”
--「FAIRWAY」

と歌われているのに対し、

“崇められた未来
ノアの最終ヘブン
それがプレイスターヴィスタ ”
--「PLAYSTAR VISTA」

“灰色クライムフルニューウェーヴ +MEEeEEEE.”
--「Blue Subrhyme」

とまあ、言葉遊びとも違うような、全く意味さえも分からない歌詞があったりもする。ここまでアルバムの中で歌詞の乖離があればまとまりがなくなりそうなものだが、1つのアルバムとして統一感を守り、全体の流れも違和感なく聴かせてしまう彼らの手腕には、やはり脱帽せざるを得ない。

『Futurama』が、高まるクリエイティビティを上手くコントロールし、絶妙なバランス感覚の上で成り立たせているアルバムだということが、ここまでで実感していただけただろうか。

もてあますほどの未来

『Futurama』の終盤では、後悔の念や絶望が歌われている。

“たぶん、もういい手はない
ない
ハハハハハ
ない ”
--「New Young City」

“余韻も酔いに溶けてストップ
永遠の遊泳はストップ ”
--「I’m Nothing」

リリースからちょうど20年経った2020年。これらの言葉はリアリティを帯びて目の前に立ち上ってくる。しかし、「I’m Nothing」では、こうも歌われている。

“イメージ変わるまでを無でいた
ため息枯れるまでを無でいた ”
--「I’m Nothing」

「無」は、すでに過去形として語られているのだ。

『Futurama』というタイトルは、「future(=未来)」と「panorama(=全景)」を組み合わせた造語。どんな時代でも、まるでパノラマ写真のように、未来は良くも悪くも全方位に広がっているということに、ここで気づかされる。ないものねだりだと思っていた「もてあますほどの未来」は、実は目の前にあるのではないだろうか?

そんな未来に希望を抱いたり失望したり、その両者が限りなくプラマイゼロでも、それでもなんとかプラスにほんの少し針が傾いているような、そんな危うさの中で生きている自分たちを、何とか肯定しようとする。『Futurama』は、そんな不思議なあたたかさに満ちている。

ジャケットのインク模様は、いわゆる「ロールシャッハ・テスト」。被験者にインクの染みを見せて、何を想像するか答える心理テストだ。これは「あなたには未来がどう見えるか?」という問いかけに他ならないだろう。塞ぎ込んでばかりの毎日でも少し顔を上げて、未来の可能性について考えてみるのもいいかもしれない。この節目に『Futurama』を聴く意義も、きっとそんなところにある気がするのだ。

對馬拓