未来になれなかったあの夜に──夢をあきらめた凡人は歌を聴く

未来になれなかったあの夜に──夢をあきらめた凡人は歌を聴く

芸大で文藝を学んだ私は、卒業後に1つの中編小説を書き、6万字のその小説を文学賞に出した。

仕事の合間にスケジュールを編み、毎日少しずつ書いた、子どものように愛おしい自作小説。当時の私はまだ夢を持っていて、いつか母校を出て活躍している作家のようになれたらと願っていた。書くことで生きることをまかなえたならどんなに理想的な人生だろうかと、それがどんなに難しく氷山の一角であることかを知らず、純粋に生きていた。

そう、あの時の私を一言で言い表すならばまさに「純粋」だ。今になって思えば、過去の自分をとてもうらやましく思う。もう一度あんな風に生きてみたいと、切望すら覚える。

しかし「純粋」なままでいられたのも束の間、私は現実を知ってしまった。自分が凡人であること、夢をあきらめなければいけないこと、自分には才能がなく、もがきあがいて生きていかなければならないことを知ってしまった。文学賞には一次審査で落ち、その後何度か別の賞にも応募しても結果は同じ。だんだんと自分の中の創作意欲がしぼんでいくのを痛ましいほどに感じた。

そして今、作家になる夢をあきらめ、ライターとして仕事をしている。同じ文章を書く仕事に就けたのは幸いなのかもしれないが、明確に「創作」と「仕事」の境界線が引かれていて、私は後者の側になってしまった。もうあの頃のように瞳をぎらつかせ、ただ夢を掴むために生き、獰猛に物語を書くということはないのかもしれないと思うと、寂寞とした思いで胸がつっかえる。

そんな日々に、ふと音楽を聴いて「これは私のことだ」と思うことがある。この歌は私のことを歌ってくれているんだ。そう思うと、少し気分が楽になれる。

これから紹介するのは、そんな歌たちだ。みっともなくて、無骨で、ほうぼうに向かって乱雑にかがやく私を肯定してくれる歌。中でも心に響いたフレーズとともに、思いを綴っていきたい。

* * *

Creepy Nuts「かつて天才だった俺たちへ」

“かつて天才だった俺たちへ 神童だった貴方へ
似たような形に整えられて 見る影も無い”

「かつて」「だった」と過去形の自分を礼賛する歌詞。そう、過去の自分は眩いほどにかがやいていた。唯一無二だった。少なくとも、そう信じていたかった。

誰しも自分のことを信じたいと思うのは自然なことだと思う。他人に自分の産み出したものたちを見定められるその瞬間まで、往生際悪く信じたくなる。もしかしたら本当に人より優れているんじゃないか? と思う瞬間があることが、若さの証拠のような気がしている。

その「(才能があると)信じる」ということ自体が、「そうじゃなかった」と知ってしまった時の自分を苛烈に痛めつける。その傷の深さと痛み、そして「まだ信じていたい」という願いの切なさを、この曲は思い出させてくれた。

確かに私は才能があった。神童になれた。摘み取られたのはなぜか。消え去ったのはどうしてか。

私はまだ「書ける」。いつか見返してやる──今でも青臭く未練がましく、そう思っている。

amazarashi「未来になれなかったあの夜に」

”まさかお前、生き別れたはずの 青臭い夢か? 恐れ知らずの”

私自身と、私が抱いた夢とはまさに‘‘生き別れ’’の双子だったのだと思う。だからこの歌詞には、まるで秘密を暴かれたようなうしろめたさを感じた。

引き離されたはずの双子にふたたび出逢い、豹変して何ものも厭わず理想めがけて突進する獣になった。おとぎ話のようだと思う。私を苦しませたのは彼だ。けれどやはり、血を分けたきょうだいであるがゆえに、私に創作することの快感と喜びを教えてくれたのも彼だった。

甘く苦い過去の記憶を思い返して、積み重ねた時間が目の前で埃かぶっているのを見る。膨大な時間と、産み出した文字と、そこに内包された光景を憎むことができないのは、彼のことを──夢を愛していたからなのだと思う。夢とは甘美で、美しく、それでいて残酷だ。時が経ちさよならを言わなければならなかったことを寂しく思うと同時に、今までの感謝を伝えたい。

夢を見させてくれてありがとう、と、あてもない蜃気楼の中にいる私は静かに呟く。

ヨルシカ「八月、某、月明かり」

“そうだ、きっとそうだ あの世ではロックンロールが流れてるんだ
讃美歌とか流行らない 神様がいないんだから
罪も過ちも犯罪も自殺も戦争もマイノリティも全部知らない”

先日、使い古された小説の構想ノートを久しぶりにめくってみた。客観的に見て──今こそ客観視できるが当時の私はできなかった──「文壇界は前衛的な思考のできる若人を求めている」「難しいことをこの歳で考えられる自分は逸材だ」といった自惚れがそこに透けて見えることに恥ずかしくなった。

若いなぁ──心の底からそう思った。うらやましさと、気恥ずかしさが同時に押し寄せた。難しいことを考えて自分は他人と違う、と懸命にアピールしていたけれど、夜中になるとすべてを投げ出して、原稿用紙をびりびりにやぶいて宙に放り投げたくなったこともあった。この曲は、そういった一過性の嗜虐をエモーショナルに歌い、投げ出したくても投げ出せない臆病な私の代弁者になってくれた。

外側だけ美しく、均されたものに不快感を覚える。
内側にある暴力的で汚いものをさらけ出したくなる。
「本当の自分」を、誰かに知ってほしい。見つけてもらいたい。

そんな風に思っていた若かりし頃の自分がフラッシュバックして、懐かしさがこみ上げる。

自分が凡人であることに気づくのは、決して不幸ではない。むしろそこから見えてくるものがあるし、一度真っ白な場所に戻ってまた出発してもいい。人生の可能性は無限にある。

美しくはないかもしれない。されどとある凡人の人生は、これからも続いていく。

安藤エヌ