【エッセイ】高校生だったあの頃、私はwowakaの「裏表ラバーズ」が上手く歌えなかった

【エッセイ】高校生だったあの頃、私はwowakaの「裏表ラバーズ」が上手く歌えなかった

「もーラブラブになっちゃってー、横隔膜突っ張っちゃってー、強烈な味にぶっ飛んでー、等身大の裏・表!」

「しんどい! 息続かないー!」

「音たっか! 無理!」

今から14年前、高校生の私。仲良しグループと、学校帰りに寄った激安のカラオケ。カルピスとメロンソーダを混ぜた特製ドリンクを豪快にぐい飲みし、逸る気持ちを抑えJOYSOUNDのボカロ曲一覧で真っ先に選曲したのは、wowakaの「裏表ラバーズ」。

早口でまくし立てられる歌詞の意味は、あの頃の私にはあまり分からなかったけれど、それでも歌うと頭の奥までキーンと何かが冴え渡って、歌い終わった時には体育の授業のあとみたいにぐったりして、全てのエネルギーを使い切ったかのようにソファに倒れ込んでいた。例え上手く歌えなくても、彼の曲を歌った時の私たちはみんな汗だくで笑顔になっていたのを、今でも鮮明に覚えている。

テンポが早くてキャッチ―なメロディの、よく分からないけどとてもかっこいい曲。そんな曲が私は大好きだった。彼のおかげで、学校だけじゃ飽き足らなかったエネルギーのぶつけどころを見つけられた。ほとばしる火花のような、若いころの衝動と何ものにも怯まない振り被りを、当時「現実逃避P」とも呼ばれていたwowakaは受け止めてくれた。

彼が「創ることへの苦しみ」を曲にしているのだ、と気づいたのは、3年前、彼の訃報接し、改めて数年振りに彼の作った楽曲を聴いた今になってのことだった。

〈もう一回 もう一回 私は今日も転がりますと
少女は言う 少女は言う 言葉に意味を奏でながら!〉

「ローリンガール」は、叫びながらひたすら坂道を転がり続ける少女の歌だ。

何度もあきらめずに転がる彼女は、一体どこに向かって転がり続けているのだろう。ニコニコ動画の再生画面をじっと見て、17歳の私は考えた。

転がり続け傷だらけになった少女──初音ミクを、まるで彼女の全てを肯定するように抱きしめる1人の人間。抱きしめられたミクが涙をひとすじ零すファンの作ったPVが印象的だった。

でもその時の私はまだ、「転がり続ける痛み」も「なぜ諦めずに〈もう一回、もう一回〉と叫ぶのか」も「肯定してくれる人の存在の大きさ」も何もかも実感がなくて、何かを創りだすことに夢中になれるような生き方をしていなかった。いや、できたはずなのにできなかった。

「ローリンガール」において、「転がる」とは「生きる」ことへのメタファーである。人生という坂道を歩くのでも走るのでもなく、転がりながら下っていく。勢いづいた心をそのままに身を投げ出し、止める術も知らないでエネルギーを放出し続ける。それは言い換えるのならば「創造」のスピードであり、wowakaはそのことを体現し、31歳という若さでこの世を去った。いわば「ローリンガール」は彼の人生を描いた曲なのだ。

当時の私には彼のように、何にも恐れず、傷つくのも厭わず転がり出すような度胸はなかったし、どうやって転がればいいのかも分からなかった。転がり出してしまえばどうなるのか、という不安のようなものもあった。スピードがついてしまえば永遠に転がり続けてしまうことへの恐怖が、足を竦めさせていた。

悔しい。なぜあの頃、「ローリンガール」がリアルに私と交わってくれた時、創る苦しみを、生きる実感を感じられなかったのだろうか。久しぶりに聴いたその曲に、あの時感じられなかった胸苦しさを覚えた。彼はこんなにも、生きることに真摯で、音楽に真摯で、一生懸命だった。そのことに、今更気づいた。もう彼はいないのに。

でももしかしたら、私みたいなリスナーも少なくはないのかもしれない。訃報に接し、改めて「ローリンガール」や「ワールズエンド・ダンスホール」を聴いた人──私たちの世代も、今この時を生きているティーンたちも──の中には、楽曲たちを通して彼が歌で表現したかった感情を、タイムラグを経てなお生の感情として受け取る人もいるだろう。

なぜwowakaが生み出す楽曲は、歌うとエネルギーを放出してぐったりしてしまうのだろう。どうして早口なのだろう。どうしてキーが高音なのだろう。

それはwowaka自身が「そういうふうに」生きてきた人だからではないだろうか。
早口じゃないと伝えきれないものがある。高音じゃないと思いの丈が伝わらない。エネルギーを使い切ることこそが、音楽なのだ。

一生懸命生きた人の、一生懸命な歌。それを私たちは、一生懸命に、一心不乱に、青春を走り抜ける瞬間に、確かに聴いていた。

あの時は高校生として生きるだけで精一杯だったけれど、今なら、創ることで命を燃やす気持ちが分かる。

今の私は、初音ミクと同じように「転がっている」。傷つくこともあるし、世の中に向けて叫びたいことがたくさんある。創造は愉しさとやるせなさの背反する行為だということも、大人になって知った。ただ楽しいだけでは、自分の内側からモノは生まれない。その苦しみを、日々実感しながら生きている。ならば私は今こそ、これからまた、wowakaの曲を聴こうと強く思う。

何度だって転がり続ける。「そんなのどうせつまらないわ!」と一蹴して、ホップステップ、世界のすみっこで踊り続ける。

「裏表ラバーズ」を歌う時に爆発する、泣きたくなるように幸せなエネルギーを、惜しみなく燃やし尽くして生きていきたい。

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安藤エヌ