【エッセイ】『tick,tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』『ラ・ラ・ランド』──ミュージカルの名作が教えてくれた、人生を歌に乗せることへの渇望

【エッセイ】『tick,tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』『ラ・ラ・ランド』──ミュージカルの名作が教えてくれた、人生を歌に乗せることへの渇望

「歌うこと」に、どうしようもなく憧れてしまう時がある。

歌う人生というのは華やかで、些末なことでも歌にすると途端にドラマを帯びる。ミュージカル映画の登場人物たちは、そこがまるで自分のためだけに用意されたステージかのように歌いだす。雨の中でタップを踏み踊るのは『雨に唄えば』、群衆と共に拳を突き上げ、旗を翻すのは『レ・ミゼラブル』。劇的で、観る者の心を揺さぶりやまないミュージカル映画の名作たちを観ていると、「特別な何かになりたい」という、一種の承認欲求にも似た願望が心の奥底から湧き出てくるのを感じる。

▲『レ・ミゼラブル』(1985)

最近の映画でその願いがまだ私の中にあると感じたのは、『tick, tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』と『ラ・ラ・ランド』だった。前者は名作ミュージカル『RENT』を生み出した原作者、ジョナサン・ラーソンの自伝的映画で、後者は女優を目指すが売れないミアとジャズが好きなセブが出逢い、恋に落ちるラブストーリーだ。

中でも私の「歌いたい」という思いの火種を弾けさせたのは、『tick, tickBOOM!:チック、チック…ブーン!』でアンドリュー・ガーフィールドが披露する「Why」と、『ラ・ラ・ランド』でエマ・ストーンが歌う「Audition」だった。

〈9歳の時だった マイケルと俺は 子供かくし芸大会に出た〉

「Why」はアンドリュー演じる主人公・ジョナサンが、親友であるマイケルとの在りし日の思い出を語る曲だ。この時マイケルはエイズに罹かっており、ジョナサンはそのことを知っている。

〈そして思った こんな風に毎日過ごせたら〉

29歳になっても成功できない焦りから来る不安に苛まれながらも、彼と過ごした日々を思い出し、愛する親友に寄り添われて生きる人生にこそ意味がある、ということに気づく、エモーショナル且つ胸を打つナンバーだ。

一方、「Audition」は恋人・セブとの関係が拗れてしまったミアが、「最後のチャンス」とセブからの後押しを受けてエントリーしたオーディションで披露する曲。

〈どうか乾杯を 夢追い人に たとえ愚かに見えても
どうか乾杯を 心の痛みに どうか乾杯を 厄介な私たちに〉

叔母がセーヌ川に飛び込んだ話を語り始めるところから次第に旋律が生まれ、音楽へと変化していくこの曲は、「自分にしかない何か」を信じて挑戦し続ける全ての人に贈る、穏やかながらも激しい熱を持ったアンセムであり、エマの力強い歌声がストレートに感情を揺さぶる。

歌いたい。震えるようにそう思った。それは鼓動のようで、そして迸りでもある。昔から歌うことが好きで、歌に気持ちを乗せることに喜びを感じていた私は、大人になってもその情熱を忘れることができずにいた。

ミュージカル映画を観ると、思い出してしまうのだ。歌で自分を形作りたいという衝動が燻ぶっている自分のことを。今までの人生に点々とあった、取るに足らないけど、それでも私を突き動かす不思議な力が隠されていた出来事を、今、この声で、この言葉で歌いたい──。

 

「風の谷のナウシカ」を歌って、祖母から「歌が上手だね」と頭を撫でられた優しい記憶。「secret base~君がくれたもの~」を修学旅行のバスの中で歌い、先生に褒められたこそばゆい思い出。歌が感情を伝える手段だった私にとって、歌いたい(=物語りたい)過去はたくさんある。

「Why」も「Audition」も、個人的体験、いわば追憶を形にした歌だ。そしてその記憶が、映画に登場する2人を新しい人生へと導いていく。そのドラマチックさに心酔して、何度も映画のシーンを観た。とっくに歌は覚えてしまい、そらで歌えるようになっていた。私は映画を観ることで、少女時代に戻ったかのように「歌うこと」に恋焦がれる気持ちを増幅させていたのだ。 

しかし、現実では突然歌い出したり、自分の思いを歌にすることはできない。できたとしても相当の勇気が要るし、「才能」や「適性」を考えると怯んでしまう自分がいる。やろうと思えばSNSで自分の歌を投稿することはできるけど、個性が飽和するあまり、没個性になりつつある今の時代だ。私の歌は、ほかの数千人の声に掻き消されてしまうだろう。

悲しいけれど、これがリアルだ。映画じゃない。だけど、ジョナサンもミアも、歌いながら自身を取り巻く現実と向き合っていた。彼らも同じなのだ。届かない歌だってある。耳も貸されない歌が何百とあったかもしれないし、そう思うと誰かに歌が「届く」というのは、奇跡に近いことなのかもしれない。

私は今、懸命に「歌にならない自分の人生」を肯定しながら生きようとしている。自分という人間はこんな物語があって、こんな感情を覚えて生きてきたのだと、ノートに書き留めたフレーズの数々を歌に乗せたいと夢見てきた。けれど結果、私は「そういう側の人間」として生きることを選ばなかった。「夢」を「夢」として眺め続けることを選んだのだ。

世界でたった1つの歌を歌えなくてもいい。誰かの心を音楽で動かせない人生は無価値なんかじゃない。その代わり、私が生きているということの証明を、別の方法で伝えたい。誰かの心を動かすことを、私は諦めたくない。

そうして今、文章を書いている。今日もミュージカル映画を観て、歌う人を眺める。歌うことに対して抱いた粗っぽい、だけど冷めない熱を、鼓動に包み込んで映画の中の歌に耳を傾ける。

この思いが歌にならなくても、歌えなくても、私は私だ。

〈俺はこれから人生をこうやって過ごす〉

「Why」を歌ったジョナサンが気づいた、普通の幸せ。それはふとした瞬間に聴こえてくる歌であり、何ら特別なものではない。

私の中で聴こえている音楽も、いつもと変わらない場所でささやかに、これからも流れ続けるのだろう。

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安藤エヌ