【インタビュー】ライブハウスの『未来』について考える Vol.2 北浦和KYARA(概念)

【インタビュー】ライブハウスの『未来』について考える Vol.2 北浦和KYARA(概念)

 

 

新型コロナの国内流行から約一年。今改めて、各ライブハウスがこの一年で起こった変化を振り返り、読者と共にこの先の<未来>について考える本企画。
第二回目は、感染症が流行する手前、昨年1月末に惜しまれつつも閉店した埼玉県屈指のライブハウス・北浦和KYARAで約10年間にわたり店長を務め、閉店後も新たな取り組みとして移動式ライブハウス・KYARA NEXT(北浦和KYARA(概念))の展開を進めている、安藤天佑氏。

00年代の国内メジャーバンドを数多く輩出。日本のライブハウス史に欠かせない伝説の箱、北浦和KYARA

都心部から電車でおよそ30-40分。高層ビルの立ち並ぶ景色から、段々と住宅地が占める割合が高くなり、東京西部育ちの私はそれとなく親近感を覚える。都内のライブハウスと異なり、埼玉及び東京周辺の箱には、いつでも迎え入れてくれるような‘‘地元感’’がある。どちらが良いとか悪いとか言うのではなく、両方存在するからこそ『ライブ』というエンターテイメントの文化が好きなのかもしれない。

かつて北浦和KYARAがその地で店を構えていた場所は、北浦和駅から徒歩二分という超好立地。最大キャパ約170名という比較的狭い規模の箱ながら、the telephonesやドミコ、キュウソネコカミなど、00年代の国内ロックシーンを牽引するメジャーバンドを数多く輩出してきた。

しかし、 昨年1月末に約20年間の店舗運営に幕を閉じ、その後は移動式ライブハウス『KYARA NEXT』として再建を図った。順風満帆に進むかと思えたビジョンだったが、舵を取ろうとした矢先にコロナウイルスの影響を受け、計画は難航。安藤氏本人も話を聞く中で度々「あのときは本当に大変だったんです」と、当時のことを振り返っていた。

だが、一方で「コロナ禍だからこそ見えたものもあった」と言う。キックボードで各地を走り回り(取材当日もキックボードで登場した)、あくまでも前進する姿勢を見せる安藤氏の姿を見、音楽のある未来に希望を持てた時間になった。

今回は特別に、北浦和KYARAの跡地からほど近い居酒屋『志げる』店内をお借りして取材を実施(安藤氏は現在『志げる』でも働いている)。埼玉屈指の名ライブハウスで長年店長を務めた安藤氏が、この一年間で何を思い、今後どこに向かっていくのか。詳しく話を伺った。

取材/執筆=翳目
写真=おすしたべいこ

* * *

KYARAが閉店して「なんかやりたいな」と思った矢先に…

--まずは、安藤さんが北浦和KYARAの店長を務めていた当時のこと、またこの箱が掲げるコンセプトについて教えてください。

この箱ができたのは1999年で、僕は当時高校二年生とかだったんですけど、その頃のKYARAって結構(ガラが)悪い印象だったんですよ。で、たまたまあるバンドのデモテープを聴いたときに「観に行きたい」と思ってKYARAに足を運んだんですけど、最初は想像を絶するぐらい治安の悪い印象しかなくて。笑

--いわゆるアングラ感というか。

そうです。笑 でもその日が偶然そんな印象の演者が多かったのか、ライブの後に当時のスタッフさんから「普通の高校生も出演してるよ」っていうのを聞いて。当時僕は軽音楽部に所属していたので、「じゃあここでやろう」と思ってそこから少しずつKYARAを使っていくようになったんですね。それが僕とKYARAとの出会いだったかな。

当時はとにかくジャパコアがめちゃくちゃ流行ってたんですよ。僕自身もハイスタ(Hi-STANDARD)のコピーとかやってて。その頃あたりからイベンターとしても活動していたので、高校生バンドを集めてイベント打ったり、そういうのをずっとやってたんです。そしたらKYARAのスタッフさんから「うちで働かないか」ってスカウトされて……大学生の頃だったかな? それで一回アルバイトとして採用してもらったんですけど、二週間連続で遅刻して即クビになって。笑

--早い。笑

バンドやってたのもあって、28歳までずっとフリーターだったんです、僕。 うどん打ったりそば打ったり、機材レンタルのバイトだったりで生活してたんですけど……28のときにいよいよやりたいことが底を尽きてしまって。で、どうしようかなと思ったときにフラッとKYARAへ遊びに行ったら「改めて社員として働いてみない?」とお声掛けいただいて。それをきっかけにKYARAの店長になったんですね。

そもそもの話なんですけど、僕自身あまり‘‘ライブハウス’’という空間が好きではなくて。やっぱり当時の悪い印象が拭えなかったので…。だから自分がライブハウスの店長として働くってなったときに、真っ先に「もっと良い環境を提供できる空間にしたい」と思ったんです。


ライブハウスで悪い大人に巻き込まれて、若いバンドの夢が潰されてしまうのって多分一番しょうもなくて。月に何本も出演させたり、生産性のない話ばかりさせられたりっていうのを何度も目の当たりにしてきたので、自分が店長になった後はそういうのが一切ない環境にしたいなと。

あと、高校生のときの興味や関心って一番大事じゃないですか。軽音楽部の子たちを見てきて、‘‘地元の音楽を守る’’って‘‘その子たちの音楽活動を守ること’’なんじゃないかなって。だから僕が店長になってからは、高校生の卒業ライブとか、軽音楽部の定期公演を積極的に打っていく方針にしたんです。ライブハウスって演者に対してあまり親切じゃないイメージもあるので、初めてライブハウスに来る高校一年生の子とかにも親身になって教えたりとか…。KYARAでは自分があまり好きじゃなかったライブハウスという空間を、どうやったらもっと面白い空間にできるか試行錯誤しながら運営していましたね。

--演者に対しての愛に溢れた箱だったんですね…。

KYARAって約20年ぐらいの歴史があるんですけど、僕が店長になったタイミングがちょうど真ん中で分断されていて。とは言っても全てを塗り替えたのではなくて…上の世代の人たちの音楽人生も守りたかったので、各層のジャンルを明確に切り分けて、それぞれの層がライブハウスに居続けられる環境を作りたいなと思ったんです。
それでずっと運営を続けていたんですけど、7年前に一度移転をして。僕としては移転する分の費用を稼げるぐらいのペースで運営してきたつもりだったんですけど……なかなか上手くいかなかったというか。

--というと…?

移転した当時、僕はKYARAの店長として4年目だったんですけど、その頃にはメジャーバンドとかも呼べるようになってきてて、ライブハウスとしては割と順調だったんですよ。けど、移転後のKYARAは一階がライブハウス、二階がレストラン(※『Zagon Kitchen KYARA』)っていう形をとっていたので、レストラン目的のお客さんが入りにくいとか、そういう面での問題が発生するようになってしまって。それでも何とか運営を継続できてはいたんですけど、僕が店長歴10年目になる年にKYARAの閉店が決まってしまったんですよね。

--私も移転後のKYARAには訪れたことがありますが、ジャンルに囚われず自由な発想でイベントを打たれている印象がありました。

ありがとうございます。色んなレコード会社さんとしがらみなく付き合ってたので、「あそこのレーベルが使ってるから使わない」っていう物差しで考える人たちは排除しながら運営していたんですよね。ライブハウスも人と一緒で、色んなジャンルがひとつの空間にあるのが良いなと。それこそキュウソネコカミとかKANA-BOONとか、SUPER BEAVERとかも出演してくれたりしてて…。KYARAはそんなライブハウスでした。

--2019年の10月にKYARAの閉店を発表し、翌年の1月末、約20年間の歴史に幕を閉じました。そのときの心境について教えてください。

元々のビジョンとしては、2019年の10月に閉店のお知らせを出して、閉店するまでは自分がこの先もライブハウスの運営を続けたいかどうか考える時間にしよう、と思ってたんですよ。でもKYARAを閉店させてからもなかなかまとまらなくて…。結局後片付けも2月に入ってからになっちゃったし。
で、時間も経って体力も回復してきたっていうのもあって「あ、もう一回やりたいな」と。その気持ちをブログに書いたら「なんかやってよ!」って反響をもらえたので、じゃあやろう!と思った矢先にコロナとぶつかってしまって。

--そうだったんですね…。

でもまだ何も準備していない段階だったから、まあ良かったのかなとも思いますけどね。笑 当時の僕の算段だとKYARAが閉店した流れでクラウドファンディングをやって、支援金を募るのが一番早いなと思ってたんですけど…一方で僕の持論として、ライブハウスってそれ以外にビジネスとして成り立っている後ろ盾があるからこそ箱として運営できる、っていうのがあって。
KYARAがあった時代も弱電(※)の仕事があったおかげで、多少売上がマイナスになってもある程度は補填できてたんですよ。だから、ライブハウス以外にも儲かる商売が他にないとダメだと思って、4月に入ってクラウドファンディングを中止しちゃったんですよね。

でもそれを止めた瞬間に「あ、終わったな」っていう喪失感から本当に落ち込んでしまって…。一年前のこの時期(※取材時5月)ぐらいが一番何したらいいか分からなかったなあ…。

※弱電:スピーカーやテレビ、オーディオなどの機械や設備を動かす電気工事。ライブハウス業界では、店舗運営の他に弱電をビジネスとして持っているケースが比較的多い。

外的刺激があるからこそ気持ちが安定するんだな、って

--その後はどのように回復されたのでしょう。

散々思い悩んで、挙句の果てに埼玉から富士山までキックボードで移動してました。

--えっ?

昨年の2月からYouTubeチャンネルを始めていて、その企画の一環だったんですけど。チャンネル自体は新しくライブハウスを作るためのドキュメントを一年ぐらいのスパンで作っていく、っていう主旨なんですけど、クラウドファンディングを中止してから(YouTubeの)担当と相談して、なんか面白いこともしたいよねってなって「よし、富士山行こう」と。笑

--とりあえず何かひとつ成せば見えるものがあるだろう、と。

そうですね。電動のキックボード乗って富士山まで行ったんですけど、その動画を出したあとに企画担当の子が飛んじゃって。笑 とりあえず直近の動画は自分で編集してたんですけど、「俺何やってるんだろう…」ってまた落ち込んでしまって。で、落ち込みすぎた結果、人力のキックボードで静岡から大阪の梅田まで行くっていう。

--奮い立たせ方が斬新すぎます。笑

奮い立たせるにもきっかけがあるじゃないですか。僕の場合はKYARAの時代にすごくお世話になったthe telephonesの(松本)誠治くんだったんですよ。誠治くんはコロナ禍中に大宮でまぜそば屋(※『大宮まぜそば 誠治』)をオープンさせて、一度僕も食べに行ったんです。そしたらお店の厨房で働いてたのが、KYARA時代にキッチンを回していたザーゴンで。それを見たときに「何かしなきゃ誰にも見てもらえないよな」っていう根本的なことに気付いて…。
結局人って何か行動を起こすから好かれたり、嫌われたりするわけじゃないですか? だから僕自身もなんでもいいからやってみようと思って。で、この『志げる』を休んでキックボード旅に出たんですよね。

自分でも何やってるかよく分かってなかったです。笑 でも、それでちょっと精神的に回復して気合い入って、「これは修行しなきゃダメだな」と。それで宮城の蔵王に行って、二ヶ月間ゲレンデの仕事をしながら雪山に篭って修行してました。それが今年の1月の話ですね。

--‘‘修行’’とは具体的にどのようなことをしていたんですか?

筋トレしたり、落語やったりしてましたね! 標高1500Mぐらいのところで。笑 あと、2月3月は原子力発電所に行ってて。

--それはどうしてですか?

友人に「原発の仕事あるよ」って声掛けてもらったのが最初のきっかけだったんですけど、‘‘ライブハウス’’と‘‘震災’’って僕の中では大きな繋がりがあると思ってて。東北大震災のときは「この先ライブハウスはどうなっちゃうんだろう」って感じだったじゃないですか。それをちょっとまた思い出して、「これは行かなきゃいけないな」と。

--安藤さんの行動力の根幹はどこにあるんでしょうか。

うーん……やっぱりこの状況下でも色んなバンドが前を向いて動いてるわけじゃないですか。なんとかワンマン成功させようとか、タイムテーブルが変更になったけどやり切ろうとか、世間から何か言われるかもしれないリスクを背負ってやってるんですよ。だからそういう人たちを見ちゃうと、「よし、俺もやるぞ!」って奮い立たずにはいられないんです。

あと、僕の中ではライブハウスって‘‘衣食住’’の‘‘住’’に近いものだと思っていて。地元のお祭りとかと一緒で、ガヤガヤした場所でちょっと火照って興奮状態になれる場所って、生きる上で絶対に必要なんですよ。それがないとみんな鬱になっちゃうから。笑 外的な刺激があるからこそ気持ちが安定する。そういう意味で考えると、やっぱりエンターテイメントって不要なものではないんですよね。

何がなんだか分からなかったところから、ライブハウスは強くなった

--北浦和KYARAとしての店舗運営はされていなかった昨年でしたが、他のライブハウスの状況を知る機会はありましたか?

よく見に行ってましたよ。というのも、キックボード旅もただ走るんじゃなくて、各地のライブハウスをチェックポイントにしながら回っていたので。それこそ静岡から大阪まで行ってたときは、大阪はまだ活気が残ってたけど静岡はもう街自体が鎮まり返っちゃってて…。閑散とした静岡で、ADAM atの玉田さんと呑みながら話した経験が自分の中では大きくて。

それと、あるライブハウスの店長さんと一度話したんですけど、その店長さんは「世間の目はマジで冷たい。けど、俺がこの先どんなに良い顔したって冷たい目で見てる奴らがうちに来るわけねえ」って振り切ってたんです。だからその箱は…もちろん感染対策を徹底した上でですけど、お客さん入れてイベントやってて。
京都GROWLYの恭平くん(※角田恭平。京都GROWLYの店長)とも連絡をとりました。恭平くんは「京都はこの三ヶ月で10組以上のバンドが解散してる」って言ってて…。バンドもコロナ禍になってコミュニケーションがとりにくくなって、結果解散、っていうのが増えてるんだなと。

(コロナが流行り始めた)当時はほとんどのライブハウスが何がなんだか分かってなかったと思うんですよ。でもこの一年間で色んな対策をして耐え抜いて、ライブハウスって強くなったなと。この世にある施設の中で一番感染防止に気を遣ってるのって、やっぱりライブハウスだと思っているので。

僕はひとつのライブハウスしか(店長として)経験しなかったから、コロナ禍になって色んなライブハウスの状況を見られたのはある意味良い経験でした。

--私自身も先日渋谷クアトロ(※『SHIBUYA CLUB QUATTRO』)へ行きましたが、クアトロはドリンク交換が無人になっていて「あ、確かにこんな対策の仕方もあるな」と感じました。

閃く人はいいんですけどね……どうしてもライブハウス業界って諦めちゃう人が多いので。でも、人間って根性があればなんでもできるけど、やっぱり気持ちが乗ってないと守れるものも守れないよな、と。大事にしたいと思えるバンドが来てくれないと、結局ライブハウスの店長って一人きりになっちゃうんですよ。

みんな真面目なんですよね……。僕はただのアホなんで。笑 「楽しい方がいいじゃないか」って感じでやってますけどね。

『KYARA NEXT』では自分の感性を頼りに。箱があるからこそ伝えられること

--それでは、今後安藤さんが予定されていることについてお聞きしようかと。まずは移動式ライブハウス『KYARA NEXT』を軌道に乗せるところからでしょうか?

いや、そっちはもうどんどん人に任せちゃってますね。僕自身あまりブッキングが得意ではないので。

--そうなんですか?

僕が得意なのは人と仲良くすることだけ。それに、ブッキングは僕じゃなくても多分できるので。ただ、人に任せる上で「それはKYARAじゃなくてもできそうじゃない?」っていうのはなしにしてもらってます。移動式ライブハウスでは、‘‘世間的評価はまだめっちゃ低いけど、この音楽ってなんか良いよね’’っていうのを大事にしたくて。爆発的に売れるかどうかは分からないけど、KYARA NEXTのバンドだって自信を持ってプッシュできるところまでは持っていけるだろう…みたいな、そういうバンドを地元バンドにできたらいいなと。そこに関しては僕は自分の感性に自信を持っていますし。

あと、これは僕の中ですごく重要にしてることなんですけど、ライブハウスってお客さんとスタッフ、バンド、イベンター、店舗、それから僕自身っていう6つの要素がないと成り立たないんですよ。というか、その考え方があればどのバンドがうちの箱に合ってるかどうかは一発で分かるんじゃないかと。もちろんライブを観て曲を聴いて、それから演者と接した上で、ですけど。だからそういうのって、やっぱり箱がないと伝えにくいような気がしますね。

それと今、夏頃を目処に居酒屋をオープンさせようと動いている最中なんですよ。日曜日限定で『KYARA(仮)』っていう店名でやろうかなと。でもそこはただの居酒屋ではなくて、お客さんとスタッフ同士を繋げられる空間にしたいなと思っていて。というのも、ライブハウスってスタッフとお客さんの関わりってまずないじゃないですか? 名物店長とかがいる以外は。だから、スタッフ一人ひとりが接客して、お客さんにそのスタッフのことを知ってもらって、「また会いに行きたいな」と思ってもらえる場所にするのが理想です。
うちのスタッフも今、移動式ライブハウスになって十何人いるんですけど、僕は仕事ができる・できないよりも面白そうだなって思った人を採用してて。その子たちの個性を嫌じゃないようにいじってあげて、その子が自分の個性を武器にしていけたら、スタッフとしてどんどん魅力的になっていくんじゃないかと。

それともちろん、スタッフ自身が金銭のやりとりをすることで、誰からお金をもらっているかとか、自分たちのためにお金を稼ぐということが自然と分かってくればいいなと。居酒屋に関しては、うちのスタッフが今後やりたいことを自由にやるための活動費を作っていきたいんです。

--オープンしたら是非私も伺いたいです。コロナ禍になり、人と繋がりにくい状況になった今だからこそ新たな繋がりの場所を作っていくのはある種の希望になり得る気がします。

社会がダメだって言われたらできないですけど……積極的に踏み込んでいかないと元通りにはならないような気もしますし。

あとは7、8月に都内進出イベントとして、下北沢を中心に開催する予定です。そのイベントは今YouTubeチャンネルで紹介してるバンドを中心にブッキングして、その子たちが北浦和KYARA NEXTを自分らのホームにしてくれたらいいなっていうコンセプトで進めていて。年齢もジャンルもレーベルも関係なく、ある意味まとまりのないイベントっていうのを実現させたいんですよね。それができるのもイベンターとしての強みだとも思っているので。楽しみにしていて欲しいです。

その後でもう少しコロナが落ち着いたら、埼玉と東京で月一本ずつイベント打てたらなと。いずれはKYARA NEXTとしてツアー回れたらいいな、とも考えています。

僕は割と「根は張っとけ」タイプなんですよ。だからスタッフにも「やりたいことがあったら言ってね」とはいつも言ってて。実際、今も埼玉のバンドを12組募集して毎日Twitterで紹介するっていう企画をやってるんですけど、それもハタチの子3人組で進めていますし。KYARAはあくまでも広告媒体としてあって、企画自体はスタッフが率先してやる。で、僕は手の届く範囲でそれを見守ってる。今のスタッフにはちょっと必死になることというか、それくらい貴重な経験を沢山して欲しい。その上で、将来的にはその子たちにライブシーンを引っ張ってもらいたいなと思っていますね。

 

北浦和KYARA(概念)

◯公式HP:http://kyaranext.com/
◯YouTube(『ライブハウスつくろうTV!!』):https://www.youtube.com/channel/UCZwngdxECRxvK13eSKr8xMA
◯Twitter
・北浦和KYARA(概念):https://twitter.com/livehouse_kyara
・安藤店長:https://twitter.com/Taka_shit_JPN

musit編集部