【インタビュー】練馬ニ舞イ堕リシ貴族──Shinpei Mörishige(Palastleben)の過去と未来

【インタビュー】練馬ニ舞イ堕リシ貴族──Shinpei Mörishige(Palastleben)の過去と未来

キノコホテルのマリアンヌ東雲が新たに結成した注目のバンド、Palastleben(パラストレーベン)。そのバンドでギターを担当しているのがShinpei Mörishige(シンペイ・モリシゲ)だ。過去にキノコホテルとの対バン歴があるとはいえ、キノコホテルからPalastlebenを知ったリスナーは彼のことをよく知らない人も多いだろう。

Shinpei Mörishigeは、これまでPLASTICZOOMS、FOXPILL CULTなどニューウェーヴ周辺のバンドに所属。DEEPの八田敦を中心に結成され、​​​​渡部充一、ARIMATSU(特撮/VAMPS/OBLIVION DUST)などの凄腕ミュージシャンを擁したバンド、deadliesにもシンセサイザー担当として在籍していた、マルチに活躍するミュージシャンだ。

大根の名産地・練馬区で産声を上げた彼は、いかにしてTOKYOアンダーグラウンド・シーンで活躍するギタリストになったのか。

貴族は1日にして成らず。Shinpei Mörishigeのこれまでと現在、未来に迫ったインタビューを最新グラビアと共にどうぞ。

(注:インタビュアーがMörishige氏に対して少々馴れ馴れしい場面が見受けられますが、SLAVEの皆様は是非寛大な心でお読みください。)

インタビュー/文=仲川ドイツ
編集=對馬拓
写真=荒川れいこ(zoisite)

森重心平からShinpei Mörishigeへ

──久しぶりー! 今日はよろしくね!

Mörishige(以下、モリシゲ):久しぶり! 何年ぶりだっけね?

──君がFOXPILL CULTに入る前だから7年ぶりくらいかな。

編集部・對馬:そもそもモリシゲさんと仲川さん(筆者)ってどういう出会いなんですか?

モリシゲ:2011年くらいかな? 死んだ僕の彼女が主催の企画にPLASTICZOOMSで出演して、当時仲川くんがやってたバンド(*microscope*)とスリーマンで。

──そうそう。その頃のPLASTICZOOMSって今よりもっとクールな印象で、正直ちょっと話しかけづらかったんだよね。その中でモリシゲはとてもチャーミングでね!

モリシゲ:そのライブの打ち上げから結構喋ったよね。PLASTICZOOMSって当時はあまり打ち上げに参加することが少なかったけど、僕は打ち上げが大好きで「プラズの肝臓」とか呼ばれてて。笑 メンバーはみんな打ち上げの途中で帰るんだけど、僕だけは朝まで残ってて蛮勇を奮ってたよ。笑

──外交官的な役割でね。笑 じゃあまず初めに、今の活動について聞きたいんだけど。今は何のバンドに所属しているの?

モリシゲ:今はマリアンヌ様たちとやってるPalastlebenだけだよ。

──そうなんだね。八田敦さんとやってたdeadliesって解散したんだっけ? MUNIMUNIは脱退したんだよね?

モリシゲ:deadliesは自然消滅なのかな。解散したわけではないし、それぞれのメンバーは出先や現場で出会ったりするけどね。MUNIMUNIは10月5日のライブをもって脱退だったよ。

──なるほど。それと、以前は例えば「ニューウェーブアイドル」とか色々肩書きがあったけど、今は「貴族」でいいのかな?

モリシゲ:「ハイパーメディアクリエーター」だよ! ……いや、明確な肩書きはないんだけど、「貴族」としか言いようがないのかな。ゆくゆくは「実力派ミュージシャン」になる予定トモヤスだけど。

──いやいや、今でも実力派ミュージシャンだと思うんだけどね……。ところでモリシゲのことをPLASTICZOOMSから知った人は多いと思うんだけど、その前ってどんなバンドをやってたの?

モリシゲ:ゼロ(原点)っていうか、モリシゲのマイナス聞いちゃう?笑

──いやいや、マイナスじゃないでしょ。笑

モリシゲ:マイナスっていうか、僕の中の時系列ではPLASTICZOOMSが始まり、っていう印象で。その前はバンドをやってたわけじゃなかったんだよね。というか、やれてなかった。

──そうなんだ! じゃあ楽器を始めたきっかけを聞きたいんだけど、確か子供の頃からピアノをやってたって言ってたよね?

モリシゲ:ピアノはちっちゃい頃から家にあったから触っていたけど、全く続かなかった。でもウチは両親や姉がクラシック音楽の仕事をしてたから、生まれた頃から音楽自体はすごく身近にあったんだよね。でも僕自身は例えば運動や勉強、踊りとか、もっと色んなことが好きで。でも親にピアノや音楽を強要されることもなく、「あ、いいよ別に」って辞めさせてもらえたんだよね。

だからピアノはそのあと、自分で弾きたくて練習して弾けるようになった。僕は今でもバッハやバロック音楽がすごく好きなんだけど、それは家に帰れば常にクラシック音楽が流れている環境があったからだと思うよ。環境が与えてくれたギフトだよね。

──なるほど。じゃあ最初にハマったロック・バンドって何?

モリシゲ:やっぱそうなるよねぇ、そりゃLUNA SEAだよねぇ!!

──それっていつくらい?

モリシゲ:小学5年生くらいかな。CDを集めるとかじゃなかったんだけど、TVで観た時に「この人たちなんだろう?」っていう。

──『ミュージックステーション』でね。

モリシゲ:そうそうそう! X JAPANと兄弟分なのは分かるんだけど、サウンドの方向性がまた全然違うと思って。すごく異質というか、刹那的で終末的だったり、退廃的だったり。それが多分、僕のニューウェーブ的なものの原体験なんだよね。LUNA SEAをはじめとする色んなバンドの影響で中学・高校時代はギターキッズだったんだけど、自分の曲をやりたいとか、オリジナルのバンドをやりたいって気持ちは特になかった。

──大学時代はバンドやってたんだっけ?

モリシゲ:音楽自体はやってたけど、その頃はバンドをやりたいっていうより学食とか校舎の片隅でフォークやってるようなタイプだったね。学食で演奏してよく怒られてた。その頃はフォークやアシッド・フォークが大好きで、ニール・ヤング、ニック・ドレイク、ボブ・ディラン、シド・バレットが四天王だったな。

PLASTICZOOMSでの華麗なる活躍

──そこから数年あってPLASTICZOOMSに入るわけだけど、ニューウェーブってジャンルにはどうやって出会ったの?

モリシゲ:2000年くらいかな。LUNA SEAが終幕して、僕の中で色々なモノが同時多発的に終わった。世紀末とともに中学3年間に夢中になったヴィジュアル系のサマー・オブ・ラブが終わった……みたいな。

そんな時に、それまで僕が好きだったバンド──LUNA SEAやL’Arc~en~Ciel、BUCK-TICK、そしてMALICE MIZER、彼らのルーツになった音楽を聴いてみようと思って。彼らがインタビューで名前を挙げてたデヴィッド・ボウイだったり、ニュー・ロマンティック、ニューウェーブのバンドだとか。あとリアルタイムじゃないけど、ニルヴァーナとかオアシス、レディオヘッドなんかの90’sロックも。

──あの頃って『HEY HEY HEY!』とかゴールデンタイムの音楽番組でも洋楽チャートを放送してたから、今より洋楽がもっと身近だった感覚はあるよね。

モリシゲ:それと、僕が高校生の時がちょうど「パンク25周年」だったらしくて、色んな雑誌が特集組んでて。音楽誌の表紙がセックス・ピストルズばかりで、すごくパンクに傾倒したんだよね。

──パンク/ニューウェーブはヴィジュアル系からの移行だったと。じゃあPLASTICZOOMSへの加入は自分からアプローチしたの?

モリシゲ:そうだよ。僕は元々彼らのファンだったの。「日本にも同世代でこんなバンドがいるんだ」って悔しかったけれど、すごく好きで。例えば、僕は「日本で音楽をやるなら日本語でやらなければならない」みたいな先入観があったんだけど、彼らは英語で歌ってて。好きなことを自然な形で表現している姿勢ににすごく影響を受けたんだよね。それで、いつかPLASTICZOOMSと対バンするために自分のバンドを始めたの。そしたら運命の巡り合わせで、早い段階でその夢は叶って。その時にヴォーカルのSHOくんがPLASTICZOOMSに誘ってくれた。彼には確固たる世界観と華があったから、すぐ僕の気持ちも決まって。

──加入したタイミング的にはシングル「BUG」リリース時からだよね? あそこで大胆にシンセ・サウンドを導入して、バンドのサウンドがガラッと変わったよね。

モリシゲ:そうだね。ちょうど僕が加入した時はバンドを再構築する時期で、SHOくんには「こういう方向性で今後やっていきたい」という構想があって。まるで同級生とバンドを始めるような感覚で、色々な音楽について語り合ったよ。

──鍵盤でバンドに参加したのはPLASTICZOOMSが初めてだったの?

モリシゲ:そう。僕の思うニューウェーブ感ってシンセサイザーだったから。それにギターが弾けるやつ、上手いやつっていっぱいいるけど、「ニューウェーブ感があるシンセサイザー」っていうアプローチは僕しかできないと思った。だから加入して1作目のアルバム(『STARBOW』)ではシンセっていう楽器をチョイスしたんだよね。2作目(『CRITICAL FACTOR』)ではギターを弾く方がメインになるんだけど。

「シンセサイザーってこんなにもスタイリッシュで華のある存在なんだ」って教えてくれた意味で、デペッシュ・モードのマーティン・ゴアとSOFT BALLETの森岡賢さんの存在は大きかった。あとは、当時出てきたばかりのレディー・ガガも新鮮な感動があったかな。

──うん、それはすごく分かる。レディー・ガガってヒットしてからはマドンナ系統のディーバ的なカテゴライズだけど、登場した時は80’sミュージック・リバイバルとかエレクトロの要素もあったよね。ゼロ年代初頭のザ・ラプチャーあたりから始まったニューウェーブ・リバイバルがあって、YouTubeがサービス開始したり、mixiとかSNSも増えてきて、海外の音楽シーンの情報がリアルタイムで入ってきた時期でもあった。

モリシゲ:Myspaceが盛り上がってたりとかね。でもPLASTICZOOMSに関して言えば、当時の海外のシーンに影響を受けて活動を始めたわけじゃなくて、海外の同世代のバンドと同時多発的に出てきた、って感じだったと思うよ。

──僕は初めてPLASTICZOOMSのライブを観た時、衝撃的だったんだよね。ファンがみんな黒い服で、とてもオシャレで。しかも激しい曲なのに踊らずに腕組んで聴いてる人ばかりで、「楠本まきの漫画に出てくるバンドみたいだ!」ってすごく感動したよ。

モリシゲ:幅広い層にアプローチしようというよりは「いかに突き放すか」ってことを考えてたから、お客さんとの距離感は大切だった。歌詞も英語でやってたし、ライブのMCもなかったし。

──とにかくクールな感じだったね。でも当時のニューウェーブのシーン自体が今よりもっと突き放した感じがあったよね。

モリシゲ:スノッブな感じというかね。自分たちの憧れるバンドは異質に映るものだったから、「ほかのバンドと違わなきゃいけない」って感じだった。当時は邦楽に満たされない思いだったり、憤りもあったし。

──その感じは凄く分かるな。

モリシゲ:PLASTICZOOMSとしてはフルアルバムを2枚出してツアーをやったところで僕は脱退することになるんだけど。でもさ、今も僕がこうして楽しく音楽がやれているのはPLASTICZOOMSがあったおかげなんだよね。だからPLASTICZOOMSが原点。そこで生まれたダークでモードなイメージを続けるも、打ち破るのも自由って状況を作ってくれたわけで。結果的に今はおちゃらけちゃったわけだけど。

(一同爆笑)

FOXPILL CULTでの変化と誤解

──FOXPILL CULTに入ってからのことを聞きたいんだけど、例えば「Aの葬列」を聴いた時に、モリシゲがいたからこそできた曲だよなと思ったんだよね。バウハウスとかAUTO-MODなんかの要素から始まって、サビでザ・スターリンになって、ラストでビートロックになるっていう展開なんか特に。

モリシゲ:FOXPILL CULTにビートロックを意識的に持ち込んだのは絶対に僕の影響だと思う! もちろんバンドにおける作曲者はケビンちゃん(西邑卓哲)だけど、「こういうのがやりたい!」ってせがんだんだよね。自分のギターのフレージングは特にこだわったよ。でも、元来ケビンちゃんにはビートロックのエッセンスが潜在的にある気がしてたから、それを引き出したかった。

──それはDEATHROからの影響もあった?

モリシゲ:確かに、「(ビートロックを)やって良いんだ!」って思わせてくれたのはDEATHROがいたからかな。僕はああだこうだ難しく考えがちなんだけど、彼の「好きなことを素直にやる」って姿勢に影響を受けた。しかもビートロックをプレーンタイプのまま。

──なるほどね。さっきも言ったとおり、PLASTICZOOMS時代はライブでもお客さんが敢えてノらないっていうのがあって、それはそれでカッコ良かったけど、FOXPILL CULTのライブではお客さんも熱いし、メンバーも盛り上げる。そういった変化はどうだった?

モリシゲ:昔は邦楽的なものに嫌悪感もあったから、コール&レスポンスとかクソ喰らえって思ってたんだけど、ある時「楽しいことって1つの正義だよな」って気づいたんだよね。時間とお金を払って来てるんだからそれもライブの楽しみ方の1つだよなって。

だからFOXPILL CULTに加入して、「お客さんと一緒にライブを楽しむ」ってことを初めて意識した。「ここでみんな楽しんでくれるかな。声出してくれるかな。手を上げてくれるかな」って考えて曲を作ったり。もちろん楽しみ方の強制はしないし、後ろでポツンと見てるのも自由だけど。僕自身はポツンと見るのが一番好きだし。

それとケビンちゃん(西邑卓哲)も僕に「こうしてほしい、君はこうじゃなきゃ」ってイメージを要求するタイプじゃなかったから。「君は自由やっていいよ」ってスタンスだった彼の存在はでかいよ。彼は異形の才能があって、いつも何かのキッカケをもとに僕なんかじゃ想像もつかないような面白い作品に着地させてくるんだよね。

──FOXPILL CULTに加入したきっかけについて聞きたいんだけど、ここで1つ言いたいことがあって。とあるインタビューで「ケビンちゃんと会ったきっかけは13th MOONのナオヒロさん(nAo12xu)の紹介で……」って書かれてて、読んだ時に「紹介したの俺じゃねーか! 歴史から消された!?」って憤慨したんだよね。笑

モリシゲ:いやいや、それは本当にナオヒロさんなんだよ!!笑 仲川くんは高円寺HIGHのシューゲイザーイベント(JAPAN SHOEGAZER FESTIVAL 2011?)の時のことを言ってると思うんだけど、確かにケビンちゃんとまともに喋るのはあの時が初めてで。ただ実は、その前にナオヒロさんがMadame EdwardaのZINさんがDJをやってるイベントに連れてってくれた時にケビンちゃんも出演していて、その時のケビンちゃんと初対面した時の印象が最悪で、挨拶を交わした程度だったんだよ!! だから、ちゃんと喋ったのは仲川くんが紹介してくれた時だった。

(※Mörishige氏によると、私が読んだものとは別のインタビューで、僕が引き合わせたことについても話しているそうです。Mörishige氏&ケビンさん、勝手に憤慨して申し訳ございませんでした!)

──ちなみに、僕はlowtideが結構好きだったんだけど、あれはPLASTICZOOMSを辞めた直後だっけ?

モリシゲ:あれは一年くらいしてからかな。

──そうだったか、ごめん!

モリシゲ:lowtideは仲の良い友達と音を出すことが最優先って感覚で、僕にとっては初めてのんびりと音を出せたバンドだった。ほかのメンバーもセカンドキャリアだったから商業的な意図は強くなくて。

音源もメーカー流通からリリースだったし、協力してくれたスタッフには本当に感謝してるんだけど、正直聴いてくれる人に向けて……って感覚で音を出してたわけじゃない。化粧もしてなかったし。まあ、顔が良いからどうにでもなるんだけど。

──……。

モリシゲ:90’sロックとかUSインディーとか、ローファイ・フォークなんかの自分のルーツの一部分に立ち返って。あと最近流行ってるシティポップ的なアプローチも取り入れたりとか。仲間と「音楽を楽しもうよ」って感覚でなんとなく始めて、なんとなく終わって。今でも僕の中ではすごく良いバンドだったと思ってるよ。

Palastleben加入の経緯とバンドにおけるMörishigeの役割

──FOXPILL CULT時代にキノコホテルと対バンしてたけど、そこからPalastlebenはどういう経緯で加入したの?

モリシゲ:加入っていうか創設メンバーなんだよ。初めて創設時からいるバンド。マリアンヌさんがバンドを立ち上げる時から「一緒にここから作っていこう」って声をかけてくれて。

Palastleben

──そうなんだ! 曲を聴かせてもらったけど、PERSONZとかあの時代の雰囲気があって、キノコホテルのマリアンヌ様のイメージとは異なる意外な方向性だけど、モリシゲのギターが合ってるよね。

モリシゲ:あぁ、女性ヴォーカルのニューウェーブとか、ギターのアプローチとかも考えてPERSONZは聴いてみたから参考にはなってるかもね。最近のバンドはあまり知らないけれど、洋楽も邦楽もジャンルも分け隔てなく音楽を捉えるようになった。そういう部分も以前との意識の違いだよね。昔は洋楽になりたいって思ってたから。でも、やっぱりブロンディとかスージー・アンド・ザ・バンシーズも聴いたりしたよ。

──なるほどね。モリシゲはバンド内ではどういう役割なの?

モリシゲ:マリアンヌ様と作曲もしてるし、作詞の手伝いもしてるよ。彼女もまた才気に満ちた存在で、とにかくオーラっていうか存在感がすごいし、稀代のメロディメイカーでもあって一緒に音を出すようになって、その才能を肌で感じられて本当に刺激的だよ。とにかく天才肌で。あとドラムのShintaroはプレイもそうだけど、発想にもすごく独特の感性があって作曲には欠かせない存在だよ。

──作詞もしてるの!? モリシゲは楽器のプレイヤーだけじゃなくて作曲もするし、打ち込みもやっててマルチな才能があるけど、例えば自分起因のバンドをやりたいって気持ちはないのかな?

モリシゲ:それはないんだよね。強いて言えばPalastlebenがそれにあたるのかな。これまでもそうだけど、確固たるフロントマンがいて、その人のエッセンスをいかに伸ばすかに注力するというか、進んで脇役を買って出るというか。特にフロントマンを望んでるわけではなかったから。良いボーカリストに出会えた時に一緒にバンドをやりたくて歌ではなく楽器を弾くことを選んだのもあったし。

だから、SHOくんにしてもケビンちゃんにしても、マリアンヌ様やTHE DIDITITSで一緒だったハヤシさん(AFOK/PENPALS)、ゲストで弾かせてもらった藤田幸也さん(Kαin/ex. D≒SIRE/ex. JILLS)や摩天楼様(MUNIMUNI)やnAo12xuさんにしても、素晴らしいフロントマンの人たちとこうして一緒にステージに立てたんだから、その判断は間違ってなかった! 振り返ると我ながら華麗なるキャリアだね!

──でも、K’AwamuL’Arc〜en〜MoriCigelは結構前に出てるよね?

モリシゲ:あれはやらされてるだけだよ! 全部(MUNIMUNIの)摩天楼様が考えたんだよ!笑

──えっ!? そうだったの!?

モリシゲ:1回も自分からやりたいと思ったことないし、今でも嫌だし!笑 もうネタだから全部書いていいよ。笑 でもそれは「モリシゲ、もっと前出ろよ」っていう摩天楼様の計らいでもあったと思うんだよね。そうやって僕が若手芸人のような体当たり的なことができる人間であることを彼は見抜いてたと思うから。次から次へとそういうことが思いつく摩天楼様はすごいアイデアマンだと思う! 尊敬もしてるし。強く影響を受けてるよ。でも本心では「音楽だけに専念できたらどんなに良いだろう」って思ってる。笑

──MUNIMUNI脱退の理由も「生SEが嫌だったから」って書いてあったけど、それも本当?

モリシゲ:本当本当! 書いて良いよ! 生SEとか、バンド内の悪ノリによって生まれたものだから。でも心のどこかで「そういう快感もあるんだな」って気づいてる自分がいることも確かで。

(一同爆笑)

モリシゲ:実際はすごく感謝してるし、またいつか一緒にやらせてもらえる機会があったら嬉しいな。1度でも一緒に音を出したことがあるミュージシャンとはいつかまたどこかで運命が交わる日が来ると信じてる!

──と、このあたりからお酒の酔いも手伝って、掲載できない内容も増えてきた3時間半を超えるロングトークでした。

そう、今回はお酒を飲みながらのインタビュー。90年代の音楽誌、例えば「音楽と人」や「Visious」などのモノクロページにあった、飲みながらミュージシャンと本音トークする特集を再現してみた企画です。池袋 音処・手刀に程近いクラフトビールバーで行いました。

長時間拘束した上にインタビュアーが喋りすぎたり、インタビュアーの方が本音トークしすぎたり、Shinpei Mörishige氏及び関係者の皆様には謹んでお詫び申し上げます。

そんなShinpei Mörishige氏がギター、作詞・作曲を務めるバンド、Palastlebenは現在ファーストリリースの音源を誠意製作中とのこと。要チェックです!

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Shinpei Mörishige

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仲川ドイツ