選ばれし者たちによる「ソフトヴィジュアル系」座談会【後編】

選ばれし者たちによる「ソフトヴィジュアル系」座談会【後編】

どこか「好きって正直には言いづらいかも…」という空気がある「ソフトヴィジュアル系」。そこで、世代の異なる3名のミュージシャンをコメンテーターに招き、各自のおすすめのCDや当時読み耽った雑誌などを持ち寄って、ソフトヴィジュアル系の聴きどころや思い出などを伺い、再評価へと繋げる──はずだったのだが。

ishikawa/Shinpei Mörishige/小森まなこ

【前編のあらすじ】LUNA SEAやD’ERLANGERを愛するあまり、ソフトヴィジュアル系を疎ましく感じた10代のishikawa。ヴィジュアル系という言葉自体が差別用語だと訴えるMörishige。司会者のSOPHIAへの愛は1/3も伝わらない。ソフトヴィジュアル系の再評価に繋げるはずの座談会は(主に司会者への)確執を残したまま後編へ。そして、これまで口数の少なかった小森が遂に覚醒する!

<全2回/後編>

※注意:各コメンテーターのファンとしてのテンションを伝えるため、ミュージシャン名が一部敬称略や愛称となっている箇所がありますので、あらかじめご了承ください。また、頻繁に「選民意識」という単語が出てきますが、少年期特有の屈折した孤独感の誇張表現であり、差別・区別意識を助長する意図はございません。

進行/文=仲川ドイツ(重度のSOPHIAフリーク)
写真/編集=對馬拓(ヴィジュアル系はPlastic Treeのみ)

1番売れたソフトヴィジュアル系は?

ishikawa:ところで、ソフトヴィジュアル系で一番売れたバンドってなんだろうね?

Mörishige:やっぱりSOPHIAかな。アルバム『ALIVE』(1998)はオリコン2位だし、「街」(1997)や「黒いブーツ 〜oh my friend〜」(1998)もヒットしたし(※1)。《獅子に翼》も3万人規模だったしね。あと、まっちゃん月9ドラマにも出てたし、今も俳優としても活躍してるよね。

ishikawa:SIAM SHADEを入れて良いなら、「1/3の純情な感情」(1997)が1番売れたんじゃないかな(※1)。

※1:「黒いブーツ 〜oh my friend〜」はオリコン週間2位で29.3万枚、「1/3の純情な感情」はオリコン週間3位で69.9万枚。

──CASCADEはどうでしょうね?

Mörishige:「FLOWERS OF ROMANCE」(1998)を出した時は『HEY!HEY!HEY!』とかにも出てたよね(※2)。今考えると、このタイトルってPublic Image Ltd.からの影響なのかな。

※2:オリコン最高位で5位、15.1万枚。

──アルバム『80*60=98』収録の「la narracion grande」で「Four Enclosed Walls」(Public Image Ltd.『Flowers of Romance』収録)のビートを大胆に引用してましたから、オマージュだと思いますよ。

──SOPHIAの話が出てきたところで、僕の好きなSOPHIAのデビュー・ミニ・アルバム『BOYS』(1995)収録の「kissing blue memories」を聴いていただきたいです。この頃の曲は黒夢からの影響も伺えます。

ishikawa:見た目はソフトヴィジュアル系だけど、曲は結構ヴィジュアル系寄りだね。

SOPHIA『BOYS』(1995)
写真提供:仲川

Mörishige:ビート感は初期のヴィジュアル系にも多く見られるアグレッシブさがあるよね。SOPHIAはメンバー全員が楽曲作れるのがすごいよね。

ishikawa:松お…まっちゃんも作れるもんね。

Mörishige:メンバーにキーボーディストがいて、サウンドの幅が広いのが良いよね。音色もそうだけど、アレンジ面でも裏メロを弾いてたりとか!

──あの頃のバンドは音源にシンセ・サウンドを導入しているのは当たり前でしたが、メンバーにシンセ担当がいるSOPHIAは新鮮でしたよね。

Mörishige:「No Synthesizer」っていうLUNA SEAの言葉も印象的だったね。

ishikawa:歌詞カードに書いてあったよね! 当時はバンドにキーボード・プレーヤーがいるなんてあり得ないと思ってたよ。そういう(時代の)空気もあった気がするし。DIE IN CRIESとかD’ERLANGERもキーボード・プレーヤーをステージ上に置かないでステージの脇にいたからね。今では信じられないし、全く違う考えだけどさ。

SOPHIA「OAR」(1999)

ishikawa:SOPHIAだと唯一、シングルの「OAR」(1999)はすごく好き。サイケなサウンドで、ヴォーカルをもう少し下げるとシューゲイザーになると思うんだよな。

──SOPHIAは当時、僕が住んでるド田舎のコンビニでもCDが売ってるくらい人気がありましたね。

小森:コンビニで売ってたんですか?!

ishikawa:当時は俺もコンビニでバイトしてたけど、D†SHADEとか、GLAYの「SOUL LOVE」(1998)、LUNA SEAの「SHINE」(1998)なんかも売ってたよ。

Mörishige:僕は《獅子に翼》に行ったとはいえ、この頃はDIR EN GREYやPIERROTのようなハードな世界観の方に闇を深めていってたから、今改めて聴く「OAR」はほぼ新曲みたいな感覚だな。攻めたサウンドだね。今聴いた方がピンとくる!

素直になれない10代の屈折した感情

──90年代後半のヴィジュアル系シーンを語るうえで、やっぱりテレビ朝日系の音楽番組『Break Out』は欠かせないですよね。

ishikawa:あの番組も初期はLUNA SEA、SIAM SHADE、CRAZEとかも出てたんだけど、途中から「Break Out系」って言われるような日本各地のインディーズのバンドを掘り起こして、《Break Out祭》っていうイベントをやるようになったよね。

小森:『Break Out』はYouTubeに上がってるSIAM SHADEが出演してる回しか観たことないんですけど、出演したくないバンドもいたり、番組を嫌ってる人もいたと聞いたりします。私は後からでも(いろんなバンドを)観れて嬉しいですけどね。

──Mörishige氏はどうでした?

Mörishige:僕はSWEET CHILD(※3)所属のバンドが好きだったから、番組もすごく好きだったよ。いろんなバンドとの出会いの場になってたし、PIERROTが出てきた時の「真打登場感」は半端なかったよね。僕は祭りがあれば乗っかるタイプだし、その時代ならではの雑多性があって好きだったけどな。

※3:SWEET CHILD = LUNA SEAが1992年〜2000年(終幕)まで所属していた事務所。系列にSHAZNAやPIERROTが所属したSWEET HEART、La’ryma Christiが所属したCHILD OF THE MOONがある。

ishikawa:でもさ、散々ヴィジュアル系とかソフトヴィジュアル系を出した後に、メロコアやスカコアのバンドを扱う番組になって。当時はそういうストリート系のバンドが好きだったけど、それがかつてのヴィジュアル系と同じようにお茶の間に浸透していくのがすごく嫌で。

──好きだったものが一般化していくことを素直に受け入れられない、10代特有の屈折した感情ですよね。分かる気がします。

ishikawa:そう思うと俺も選民意識バリバリだったんだな…。

小森:選民意識で言うと、私も小学生の頃からBUCK-TICKの『SEXY STREAM LINER』を聴いてたので、中学3年の時にクラスメイトの机に「Acid Black Cherry」って彫ってあるのを見つけた時は、なんかちょっと悔しかったですね。

Mörishige:机に彫る文化ってなんだったんだろうね。

──あ、僕も机にSOPHIAのロゴを彫ってましたよ。

Mörishige:僕は「Wake Up! Mother Fucker」(LUNA SEAのJが掲げている言葉)って彫ってたよ。その机で授業中居眠りしてるから、「お前がWake Upしろよ!」って話なんだけど。

一同:爆笑

ishikawa:俺は自分の中で流行りが移ろいでいくのが分かってたから、消せるように鉛筆で「LUNA SEA」とか「J」とか書いてた。

Mörishige:「一生これでいく」んじゃなかったのかよ…!

小森:私はあからさまなのは恥ずかしかったので、パスワードとかに入れてました。

ishikawa:会社の人でメアドに「happy swing」って入れてる人いたよ。「GLAY好きなんですか?」って聞いたら「なんで分かるんですか!?」って。

小森:メアドをそれにするって勝負に出てますね。

Mörishige:僕も一時期アドレスに「SLAVE」って入れてた! ネットかなんかを解約する時に、電話先のオペレーターの人に「S・L・A・V・E…」って伝えて、試されてるのかな?って。もしかしたら「あなたもですか?」って。

ishikawa:そんな感じの話だと、3年前くらいに朝の情報番組でLUNA SEAのライブが紹介された時に、MCの字幕が(SLAVE=スレイヴではなく)「セレブのみんなー!」になってて。お茶の間にはSLAVEって言葉はないんだなって。

Mörishige:あったね! ファンのことをSLAVE(奴隷)って言うとは思わないよね。世間的には分かりにくい感覚かもしれないけど、ファンに呼び名を付けてもらうことで、「もう一人のメンバー」として認めてもらえたような愛を感じるんだよ。

ishikawa:ファンクラブの名前にSLAVEって付けたSUGIZOってセンスあるよね! 確かに俺も奴隷のようにたくさんお金を貢いだけどさ。

Mörishige:LUNA SEAは終幕してる間もファンクラブが存続してて、僕は静かに年会費を払い続けたからね!俺が守り続けたようなもんだよ! SLAVE一人ひとりがそういう使命感を感じてたと思うし。SUGIZOさんもインタビューで言ってくれたもんね。「みんなが俺たちの城を守り続けてくれたと思ってる」って。その言葉に僕は本当に浄化された…。

小森:かっこいい! ファンも仁義を通してるんですね。

キッズの夢を詰め込んだようなバンド、DIR EN GREY

──ソフトヴィジュアル系がヒットする一方、97年には「ヴィジュアル系四天王」と呼ばれたLa’ryma Christi、SHAZNA、FANATIC◇CRISIS、MALICE MIZERがデビューしてヒットしました。特にSHAZNAはお茶の間的にも人気がありましたよね。そして翌年の98年にはPIERROT、99年初頭にはDIR EN GREYといった、90年代初頭のLUNA SEAやBUCK-TICK、デビュー前の黒夢を想起させるような見た目とサウンドを持ったバンドがメジャーに進出します。ある意味でヴィジュアル系の原点に戻ったような印象でしたが、みなさんは当時をどのように捉えてましたか?

DIR EN GREY「-I’ll-」(1998)ジャケット/PIERROT「クリアスカイ」(1998)ジャケット

ishikawa:「-I’ll-」(1998)を発売した頃のDIR EN GREYを初めてテレビで観た時に「めっちゃ90年代初頭みたいなバンドが出てきたな」って思ったよね。その後、YOSHIKIプロデュースでメジャー・デビューしてさ。YOSHIKIのプロデュースってことで遡ると、94年にGLAYをデビューさせてるけど、98年に「こんな90年代初頭みたいなバンドをプロデュースしてくれるんだ」って不思議な感覚だったし、ちょっと嬉しかったよね。その頃はもうヴィジュアル系以外の音楽を聴いてたけど。

Mörishige:今「-I’ll-」の話が出たけど、その曲をプロデュースしたのは、僕もとてもお世話になっている​​幸也さん(Kαin/​​当時はD≒SIRE)なんだよね。俺がこの文化を語る上で、幸也さん自身と、幸也さんが設立された《Kreis》レーベルは外せないよね。幸也さんは僕の知る限りでは、最も退廃的な歌詞を歌うヴォーカリストの一人で。だからDIR EN GREYをプロデュースしたのも、すごく納得のいく組み合わせだった。

ここからは僕の自慢話でもあるから、よく聞いてほしいんだけど、光栄なことに2019年の赤坂BLITZ公演とその翌日の(手刀)ドーム公演で僕もKαinのゲストメンバーの一人として一緒にステージに立って演奏させてもらうご縁があって、僕なんかとも音楽の話もたくさんしてくれて。ビートロックもそうだけどU2とかBauhausのような80’sニューウェーブやゴスへの深い愛があってさ。ライブでの表現を見ると分かると思うんだけど、今やっていらっしゃるKαinでは更に深いところまで行っていて。

Mörishige氏の登場は5:50頃から。

──《Kreis》って、広告とかのイメージも毎回統一感があって、「あ、《Kreis》レーベルだ」って分かるような特徴があったよね。DIR EN GREYの「-I’ll-」のMVもあの世界観に近かった。

Mörishige:「上半身裸や黒カットソーの上に黒ジャケットを羽織る」っていう、ソフトヴィジュアル系特有のスタイルがあると思うんだけど、それを定着させたのって《Kreis》だったり、幸也さんだと思ってて。あれはソフトヴィジュアル系の正装の1つだよね。

──この、ひと目で《Kreis》だと分かるヴィジュアル・イメージですね。

『Vicious(月刊ヴィシャス)』1998年7月号(シンコー・ミュージック)

小森:シンプルで良いですね。

ishikawa:あと、DIR EN GREYはギタリストがCIPHER(瀧川一郎)の影響を受けてるってとこが良いよね。

──結局そこなんですね。笑 Mörishige氏はどうでした?

Mörishige:DIR EN GREYもPIERROTも、キッズの夢を具現化したようなバンドだよね! メンバーが全員かっこいい、ツインギターで華がある、クセが強くて聴く人を選んでくる。PIERROTはデビューしてすぐに西武ドームでライブしたり、DIR EN GREYはインディーズ時代から武道館でやったり。「俺たちの退廃細胞を再活性化させるバンドが遂に来たか!」って感じだったよね。提示する世界観も世紀末感とか悲壮感があって、日常性がないし。

Mörishige:どっちのバンドも、何とかの丘とかさ、どこの世界の話をしてるのか分からなかったし。ちなみに、僕も光ヶ丘っていう練馬では伝説の「丘」から来た選ばれし者なんだけど。で、ワードも「cage」「jealous」とか。「クリア・スカイ」「MAD SKY」「蜘蛛の意図」(いずれもPIERROTの曲名)とか、いちいちかっこよかったよね。全部実態のない話なんだけどさ。それで「これだ!」って思って、「やっぱハードじゃなきゃダメだ」ってなったのを覚えてる。

その頃、メイクしてマニキュアも塗って、弾きもしないギターを持って中学校に通ってて。でも「そろそろアイライン引くの辞めようかな…」って思ってた頃だったんだけど、(DIR EN GREYやPIERROTが登場して)「そんなんじゃダメだ!」って思い立って、上野にもう一度化粧品を集めに行ったよ。

ishikawa:実態なんてなくて良いんだよ! シャワーとかベランダの世界観より俺は好きかな。

Mörishige:それにさ、ヴィジュアル系って言われる人たちってデビューすると、だんだんと化粧を取ってポップな音楽性に変わっていくことが多い中、DIR EN GREYってデビュー当時の方はテレビ露出も多かったけど、その後どんどんディープな世界に進んでいって孤高の存在になって、オリジネイターとしての存在感を放っていくんだよね。

──でも、Mörishige氏はその後、一度はそこから離れちゃった訳だけど、その要因はなんだったの?

Mörishige:やっぱりね、そのトリガーを引いたのはLUNA SEAの終幕だったね。

ishikawa:それ、すごい分かる! スポーツ新聞にも載ってたし、確かに時代が終わった感があったね。その当時はもうLUNA SEAから気持ちが離れていたけど、すごく虚無感に襲われた。もう涙も出ないぐらい力がなくなって。

Mörishige:細胞がグゥーン…って力をなくしていくのが分かったよね。ベスト盤の『PERIOD』を聴きながら泣いたことを覚えてる。「あぁ、ここから先の世界ってLUNA SEAを失って回っていくんだ…僕はもう選ばれし者じゃないんだ…」って。

小森:話を聞いてるだけでめっちゃ悲しくなってきた…。

雑多な90年代後半/非日常的な美意識

ishikawa:こうやって聴き直しながら考えると、今やってる死んだ僕の彼女にも、知らず知らずだけど今日名前が挙がったようなバンドからの影響が出てる気はするね。

──それはどの辺りでしょうか?

ishikawa:死んだ僕の彼女は「ジャパニーズ・シューゲイザー」って言われるんだけど、その「ジャパニーズ」の部分。それって、サウンドはシューゲイザーなんだけど、メロディーの部分が「日本っぽい」ってことなんだと思うんだよね。その「日本っぽさ」ってのが、当時熱心に聴いてたヴィジュアル系だったり、ソフトヴィジュアル系だったり、あとはSpiral LifeやBlankey Jet Cityとか、そういうルーツから来てるんだろうなって思った。

──意図してはいないと思いますが、死んだ僕の彼女の「watashi no aishita manatsu no shinigami」(アルバム『ixtab』収録)はLUNA SEAの「gravity」にも通じるアプローチを感じましたよ。

編集部・對馬:個人的に、死んだ僕の彼女ってシューゲイザー・シーンの中では特殊な位置のバンドだなってずっと思ってて。僕はそうしたishikawaさんのバックボーンを知らなかったから、今回こうやって話を聞いて、「そういう要素が繋がってるんだな」って垣間見えた気がしますね。

ishikawa:もちろん、そういう音楽だけを聴いてた訳じゃないけどね。

──90年代終盤になると急速にLUNA SEAなどから離れていった、と仰ってましたけど、さっき挙げたBlankey Jet City以外だと、どんな音楽を聴いてたんですか?

ishikawa:当時はミクスチャー・ロックが流行ってたから、Rage Against the MachineとかKorn、日本だとDragon Ashとか宇頭巻とかを聴いてたね。その後、高校3年くらいになるとMy Bloody ValentineとかCOALTER OF THE DEEPERSを聴き始めて、今に近くなるかな。98年くらいからはヴィジュアル系を意識的に聴かないようにしてた。でも、2007年の《GOD BLESS YOU 〜One Night Déjàvu〜》(LUNA SEAの復活ライブ)くらいかな? また受け入れられるようになってきて、バンドを始めた頃に好きだった音楽が愛おしく思えてきたんだよね。

Mörishige:それ、分かるな。僕もほぼ同じ。2006〜2007年くらいに、細胞に眠ってた遺伝子を再び蘇らせた、みたいな。まさに「REBOOT」だよね!

ishikawa:きっとそういう人は多いよね。

Mörishige:小中学生くらいでDNAに刻み込まれたやつが時を経て同時再起動した…みたいな。

ishikawa:その頃にD’ERLANGERも再結成したしね(2007年)。当時はヴィジュアル系のシーンがお茶の間化したことが嫌で自分はヴィジュアル系から離れてしまったけれど、今思うとソフトヴィジュアル系も含めて90年代後半は雑多ですごく面白い時代だったんじゃないかと思えるようになったかな。雑多な分、例えばジャズだったり、ブルースだったり、ハード・ロックだったり様々な音楽性が含まれてて、その後いろんな音楽を聴くきっかけにもなった。

Mörishige:ニューウェーブもそうだよね。僕は完全にそのパターンだな。

──Mörishige氏は前回のインタビューでもそう言ってたよね。

Mörishige:LUNA SEA終幕後は完全に洋楽に傾倒して、邦楽は一切聴かなくなって。当時海外で新たな潮流を生み出していたThe Strokesとか、90’sのオルタナやブリットポップだったり、LUNA SEAのメンバーが影響を受けたニューウェーブだったり、ポジティブ・パンクだったりを聴いてた。のちに一緒にやらせていただくことになる幸也さんだったり、Koziさん(ZIZ/MALICE MIZER)や長谷川正さん(Plastic Tree)、AOIさん(SHAZNA)ともお話しさせてもらって再確認できたんだけど、当時から僕が憧れてた人たちが聴いてたのって、ニューウェーブやニューロマとかパンクだったと思うんだよね。うん、半分以上はまた僕の自慢話だったね!

BUCK-TICKもニューウェーブ~ゴスに留まらない広いバックボーンを感じて、重なる部分がある海外バンドは聴き漁ったよ。あとは、SUGIZOさんがお好きなジミヘンにドハマりしたり。完全に洋楽かぶれ。僕は何かにかぶれてないと自我を保てないんだよね。

一同:爆笑

──Mörishige氏は自身の演奏面やプレイスタイルで、90年代のヴィジュアル系バンドからどんな影響を受けてると思う?

Mörishige:まずは陶酔的なロング・トーンかな…† イントロからリード・ギターが単音フレーズをかましてるのはやっぱりブチ上がるよね。「TRUE BLUE」(LUNA SEA)、「MELTY LOVE」(SHAZNA)、「BELIEVE」(SOPHIA)なんかは、瞳を閉じて天を仰ぎながらギターをギュイーンて鳴かせる画が浮かんでくるじゃん? これは僕がキッズの頃、将来CDを出せるようになったらシングル曲でこういうのを絶対にやりたいって思ってたな。あと、BOØWYやBUCK-TICK、そこに影響を与えためんたいビートなんかで聴けるジャキジャキと歯切れの良いポストパンク然としたギターとか。ビートの効いたシャープなカッティングは練習したよ。

Mörishige:僕がやっていたバンドで、今は活動休止中のFOXPILL CULTの「PSYCHO FUTURE」って曲があるんだけど、ねっとりした単音ギター・フレーズとジャキジャキなカッティングの両方を1曲に詰め込んだ、キッズ時代の憧れが結実したギター・プレイができたと思う。作曲者のケビンちゃんはガレージやアヴァンギャルドがルーツで、ヴィジュアル系は通っていないんだけど、ニューウェーブが僕との共通項だからトータルでこういうサウンドになったんだよね。

──小森さんはkillmilkyの活動において、今回名前が挙がった90年代のバンドからの影響はありますか?

小森:現時点(2022年3月現在)でまだ2回しかライブをやってないのでなんとも…ですが、今までのライブではMCなしで、曲間も手紙を朗読したんです。今後も「こんにちは!」みたいなMCはせずに、非日常で生活に寄り添わない感じにしたいですね。

ishikawa:その精神性は大事だよね。

小森:4月に出す作品(EP)なんですけど、ミックスしてもらった曲をメンバーと聴いてた時に、吹雪の中に置き去りにされたような気持ちになって、「これだな!」と思って嬉しかったんです。私が90年代のバンドのCDを聴いて、遠くに連れていかれて不安な気持ちになっちゃうような感覚と同じだったんですよね。「どこに行っちゃうんだろう?」って引きずり込まれるような、生活に戻ってこれないような気持ちを体験してほしいし、そういうバンドでありたいです。

Mörishige:そういう美意識があるかないかの違いってサウンドに出るからね。言葉の選び方だったり、音色の選び方だったり、MCだったり、洋服にしてもそうだし。

小森:ステージに立ってる人って生活から遠ければ遠いほどかっこいいじゃないですか。私はどんなに小さなライブでも衣装を絶対着たいな、って意識があります。

音質の軽さはトリップ感覚──小森まなこが選ぶヴィジュアル系3選

──ここまでお話を伺って、小森さんがめちゃくちゃコアなリスナーだということが分かったんですが、これまでヴィジュアル系を聴いたことがない若い読者にもおすすめできる作品はありますか? ソフトヴィジュアル系に限定しなくても良いですよ。

SIAM SHADE『SIAM SHADE Ⅳ・Zero』(1998)

小森:SIAM SHADEが1番売れてる時に出たアルバムです。1曲目の「Dear…」はアニメの主題歌のような雰囲気の聴きやすい曲ですね。4曲目の「Bloody Train」はめっちゃ変拍子でヤバいテクニックのプログレ曲なんですが、「1/3の純情な感情」という大ヒット曲の次に入っていて、メンバーの「絶対に聴かせたい!」っていう心意気なんだと思います。​​7曲目には「Virtuoso」っていう超テク技巧インストも入っていて、「1/3〜」で知ったリスナーにSIAM SHADEを聴かせよう、っていうメンバーの想いを感じます。

でも彼らのアルバムの中では『SIAM SHADEⅡ』が一番好きですね。彼らの歴代アルバムの中ではとても暗い作品なんですけど、3曲目の「CALLING」がすごくかっこよくて一番好きな曲です。

GLAY『BELOVED』(1996)

小森:私はJIROくんのベースがとにかく好きで。GLAYで一番好きな曲が「SHUTTER SPEEDSのテーマ」なんですけど、YouTubeで聴いてすごい好きになって。でも当時は小学生だったから曲名をちゃんと調べたりしてなくて。そんな状態でブックオフに買いに行くんですけど、このアルバムって裏ジャケに曲名が書いてないんですよね。でもなんとなく「これじゃないか?」って買って帰ったら「SHUTTER SPEEDSのテーマ」が入ってて、すごく嬉しかったです。「春を愛する人」も好きな曲ですね。「Lovers change fighters, cool」もかっこいい。

私、今はギター/ヴォーカルなんですけど、最初はJIROくんに憧れてベースを始めたんです。でも​​BacchusのJIROモデルは買えないから、全然関係ないBacchusの別のベースを買いました。

ishikawa:水色っぽい感じ?

小森:全然違う白いのを。

Mörishige:あ、でもその感じ分かる! 同じメーカーのものを買いたくなるよね。

小森:弦はJIROくんと同じErnie Ballを使ってました。

Mörishige:弦とピックはアーティスト本人と同じものを使えるもんね。

BUCK-TICK『十三階は月光』(2005)

小森:これは90年代じゃなくて2005年なんですけど、ジャケットもかっこいいし、「ROMANCE」のMVもおすすめです。BUCK-TICKは初期のアルバムもすごく好きなんですけど、その頃の作品って音質がめちゃくちゃ軽くて、トリップ感が高いんですよね。その世界に連れていかれる感じ、というか。歌詞の世界観も(現実感がない)どこにもない話じゃないですか。音がペラペラしてるところも含めて、聴いてると現代からどんどん遠ざかっていくような、不安な気持ちになっていくんです。『SIAM SHADEⅡ』なんかもそうなんですけど。だからポルノグラフィティをたまに聴いて、現代に引き戻して自我を保ってました。笑

Mörishige:ポルノグラフィティは精神安定剤なんだね。笑 『十三階は月光』は名盤だよね!

小森:それと、今井さんの「寿記」っていうブログあるんですけど、今井寿という人間に憧れすぎて「この人の脳内を知りたい!」と思って、片っ端から読んでた時期があって。今井さんが好きな漫画を買ったりとか。今井さんがすすめてた『ムーたち』って漫画があるんですけど、それがいまだに1番好きな漫画です。

榎本俊二『ムーたち』
写真提供:仲川

小森:…こんな感じで良いですか?

──全然良いですよ。

Mörishige:そもそもこの手の音楽って孤独を深めるための音楽だから。共感とかすすめるとかじゃなくて、布教とか洗脳だから。選ばれし者でも、一人だけ選ばれなかった者だとしても、いずれにしても間違いなく「孤独」には選ばれることができたのだからね…†

ishikawa:選ばれし者…の音楽だからね。

Mörishige:君には聴く資格がある…みたいな。

──『ジョジョ』の第5部の、ポルポの試験みたいだね。笑

そんなのどうだって良いじゃん?

──最終的に本来のコンセプトからだいぶズレて、『VICIOUS』の白黒ページにあったコーナー(リレートーク FRIEND to FRIEND)みたいなカオスっぷりになっちゃいましたが…。最近少しずつヴィジュアル系を聴き始めた對馬さんはどうでしたか?

編集部・對馬:情報量が多すぎて整理できてないですね…。

小森:私も情報が多すぎて頭の左が痛いです。それと、LUNA SEA終幕の絶望感が伝わってきて悲しい気持ちになりました…。

ishikawa:俺は好きなことについて、精神性とかその時の気持ちまで踏み込んでこんなに話したのは初めてかもな。LUNA SEAの終幕はさ、悲しいともまた違うんだよね。虚無感というか。

Mörishige:「Empty」だよね。そして、今日の座談会が俺たちの「〜One Night Déjàvu〜」ってこと。今までさ…俺たち一人ひとりどんなに凄いか…どこまで行けるかってさ…それを試したくてやってきたんだけどさ。

ishikawa:すげぇ! 終幕ライブのRYUICHIのMCだ!!

Mörishige:そんなのどうだって良いじゃん? 今夜最っ高のTHE DANKAI-座談会-を届けられた気がする…。(と、貴族タイムのまま終了…†)

貴族が通った所には、無数の黒い羽が遺されていたのであった…

* * *

前後編に渡ってお送りしました、選ばれし者たちによる「ソフトヴィジュアル系」座談会、いかがでしたか? ワタクシ、仲川ドイツのSOPHIA再評価に繋げたい気持ちが空回りした感も否めませんが…。

ishikawaさんが仰った「90年代後半は雑多だった」という言葉、本当に同感です。あの頃のソフトヴィジュアル系バンドは、それまでのダークさや耽美な世界観から脱皮して、新たな可能性を模索していく上で様々なジャンルを貪欲に融合していた一面もありました。そういう部分では、SOPHIA『little circus』、CASCADE『APOLLO EXERCISER』はおすすめです。あ、ちなみにCASCADEは「ソフトヴィジュアル系ではない」と言われましたがどうなんでしょう? TAMAさんはex.妖花だし、『Cry-Max Pleasure』(オムニバス)にも収録されていたし…。

Mörishige氏の「小室ファミリーを好きな人たちが遜色なく聴ける世界観だった」という発言は目から鱗でした。特にGLAYやビートロックに影響を受けたソフトヴィジュアル系のバンドはその傾向がありましたね。余談ですが、スキーのCMで[Alexandros]の「SNOW SOUND」が流れるたびに、90年代後半のあの空気を思い出すのは僕だけでしょうか(そして目から鱗というと、THE YELLOW MONKEY「メカラウロコ」を思い出します)。

そして、小森さんの「音質が軽いからトリップ感が高い」という感想! その場にいた全員が「え、そんな聴き方あったんだ!?」と、良い意味で衝撃を受けました。私は『COSMOS』からのBUCK-TICKリスナーですが、初めてデビュー期のCDを聴いた時は音がライトで驚いたものです。でも「トリップ感が高い」を意識して聴くと「確かにそうかも!」と納得しました(ある意味Canの『Future Days』と似たような効果でしょうか)。

最後に、今回この記事を書いていて驚いたのが、当時のヴィジュアル系/ソフトヴィジュアル系の曲がストリーミングでかなり配信されていること! 昔聴いていた方は今改めて聴くと、キッズの頃には分からなかった新たな魅力を発見できるかもしれませんし、聴いてこなかった方も、小森さんみたいにトリップするような世界に引き込まれるかも。

「あのバンドが出てない」「記事として不十分だ」という声も多いでしょう。実際にはもっとたくさんのバンドの名前が挙がってましたし、例えばTHE COOL CHIC CHILDへの渋谷系からの影響など、もっと広げたい話もありましたが、資料が少ないこともあって難しい部分もありました。私個人としては、tatsuoさん(Missing Tear)や鳴瀬シュウヘイさん(DEVELOP=FRAME)など、ニチアサとソフトヴィジュアル系との関係性について深堀りできなかったのが心残りだったりします(ishikawaさんから一瞬出ましたが…)。なので、いつか何かの機会に記事にしたいと考えていたりします。では。

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