誰もが待ち望んだ歓喜の祝祭で──『グラストンベリー・フェスティバル2022』

誰もが待ち望んだ歓喜の祝祭で──『グラストンベリー・フェスティバル2022』

『グラストンベリー・フェスティバル(Glastonbury Festival)』、それは音楽好きなら誰もが一度は耳にしたことのある名前だろう。洋楽にさほど興味がなかった学生時代、サークルの友人から初めてその名前を聞いた。単なるフェスだろうと思っていた僕は友人に「行きたいならいけばいいじゃんか」と軽く流していたが、「行たら人生の目標がなくなってしまう」と話す彼を見て、どれほど凄いフェスなのだろうかと気になったことを覚えている。その凄さに気づいたのは、まさに洋楽を聴き始めてからだった。

まだ渡英したばかりの3月、友人伝いにグラストンベリーのチケットのリセールがあることを聞きつけた。コロナウイルスの影響で3年振りの開催となった今年。延期になってしまった2020年時点で既にチケットは完売しており、チケットはそのまま翌年、翌年へと繰り越しになっていたので「リセールといっても雀の涙ほどしかないだろう」と聞いていたから、当日は寝ぼけながら繋がらないページをポチポチとリロードしていた。全く繋がらない。ほぼほぼ諦めていたその時、繋がったページが表示されると頭が真っ白になった。

そこからは正直、記憶がない。あれよあれよと画面には「Booking Complete」の文字が現れていた。何が起きたか分からない僕は思わずカスタマーサポートに「本当にチケットが取れたのでしょうか?」というアホみたいな質問を送ってしまう始末。親切なことに「安心して! あなたのチケットはちゃんと予約できてるよ!」というメールが返ってくると、そこで初めてチケットを手に入れたことを理解できた。

そしてフェスの開催を月末に控えた6月の初め。家にカラフルなチケットが届いた。まるで映画『チャーリーとチョコレート工場』に出てくる、世界に5枚だけのゴールデン・チケットのような存在感を放っている。それを手にしてもいまいちピンとこないのだから、前日になっても実感が湧くはずがない。調べる度にその規模感に圧倒され、5泊6日の荷造りを進めるごとに不安は増すばかり。そうして、いよいよ当日の朝を迎えた。

会場まで様々なアクセスの仕方がある中で僕は電車を選んだ。『くまのパディントン』でお馴染みのパディントン(Paddington)駅に着くと、既に大荷物を抱えた人たちで溢れている。自分の体の倍はあるであろう荷物を持つ人がゴロゴロといる。あまりの人の多さに予定の電車には乗れず、いきなり駅で立ち往生を食らった。周りが皆座り始めたので何事かと思ったら、「次の便が来るのは多分1時間後だよ」と隣にいたお兄さんが笑いながら教えてくれた。そんなアバウトなところも含め、何ともイギリスクオリティというか。夕方には落ち着けているだろうと呑気に思いながら、12時半の便に乗車した。

特急電車に揺られること約1時間半、キャッスル・ケリー(Castle Cary)駅に到着。本当に何もない。まるでWindowsの壁紙のような、緑の丘が目の前いっぱいに広がる駅だ。グラストンベリーという駅は存在しないので、最寄りのキャッスル・ケリー駅から出ているシャトルバスに乗り会場へ向かうことになる。最寄りといってもそこからバスに揺られて1時間ほどだろうか。ようやく会場に着いた。道中、遠目に見えていた町のような景色の全てがテントだったり、ステージだったりとこのフェスの何かしらであったことに気づく。想像以上に広大だ。

ロンドンを出て早4時間、ようやく会場のシャトルバスの降り口にたどり着いた。今回の拠点としていた『Sticklinch』という公式のテントサイトは降り口とは真逆に位置し、北から南へと大きく縦断する必要があった。それでも地図で見ると近そうに思えたが、実際に歩くと40分前後はかかり、いきなりグラストンベリーの広さを体感する。テントに荷を降ろした時には本当に夕方になっていた。

とはいえ初日は特にやることもないので、フラフラと会場周りを歩く。丘に登ってフェスの全体を見下ろせば、自然と口から「スゲ〜…」という引き気味な独り言が出てしまう。写真だけではこの広さを伝えられないことが悔しい。ただ言えることは、写っている人工物全てがこの『グラストンベリー・フェスティバル』なのだ。あまりのスケールに息を呑んだ。それはそのはず、このフェスの広さは約1100エーカー以上。日本を代表する大型フェス『FUJI ROCK FESTIVAL』、通称フジロックと比較してもなんと2倍以上の広さを誇るイギリス最大級の音楽フェスティバルなのだ。日本のフェスのような1日券というシステムはなく、5泊6日の通し券のみ。このフェスが行なわれるピルトン(Pilton)の人口は約1,000人なのに、この5日間だけは人口が約21万人にも膨れると考えると少し面白い。今これを書いている自分でさえ、想像がつかなくなってくる。

渋谷駅を中心とした比較図を見てもこの通り。しかもこの赤枠には、巨大な駐車場やフェスの柵外のテントサイトは含まれていないため、実際の範囲はこれよりも広い。普段は牧場として使われているこの場所が、夏至になると87個のパフォーマンス・ステージを持つフェスに変わる。エリアやステージごとにちゃんとTwitterのアカウントがあるのだから面白い。正式名称の『Glastonbury Festival of Contemporary Performing Arts』の名の通り、大道芸やサーカス、トークショーやダンスクラス、はたまた講義、講演など、演目は音楽だけに留まらない。道を歩けば常に何かをやっている光景に出くわす。

当初、公式のポスターを観た僕は、4日間に渡りフェスが行われるものだとすっかり勘違いしていた。しかしこのポスターに載っているように、アーティストのライブが始まるのは大体3日目で、それまで基本的にステージは設営中だ。ヘッドライナーはBillie Eilish、Paul McCartney、Kendrick Lamarの3組で、中でもDiana Rossは『Teatime Legend』という老若男女、誰が観ても楽しめる最終日の昼下がりレジェンド枠なのだ。それにしても枠の名前からイギリスという感じがして良い。

もちろんこのポスターに載っているアーティストはフェス全体のほんの一握りに過ぎない。記載がなくとも、デビュー・アルバムが全英チャート2位のYard Actだったり、Bring Me the Horizonの客演で話題となったNova Twinsなどの新人アーティストなども多数出演している。また前日や当日解禁のシークレット・アーティストもいるので、その規模感は終わった今でも掴める気がしない。今年のシークレットはJack WhiteやThe Chemical Brothersだった訳だが、これらのメンツがシークレットで出てくるフェスって何なんだ…(The Chemical Brothersは残念ながらコロナでキャンセルになってしまった)。

初日はまだ何も始まっていないとはいえ、夜になれば自然と開いているステージに人が集った。さながら前夜祭のような雰囲気がある。誰もが純粋に音を楽しむ光景に移動の疲れなどすっかり忘れていた。23時に花火が上がると、皆一目散にステージを抜け出して大きな歓声を上げた。いよいよグラストンベリーが始まる。

翌日の朝、高揚感から来るソワソワした気持ちのせいか、早くに目が覚めたので会場内を散歩していると、グラストンベリーで始まるそれぞれの生活を見つけた。ランニングをしている人だったり、コーヒーを片手に新聞を読んでいる人であったりと自由に各々の朝を過ごしている。どれも僕の知っているフェスでは見かけない光景。やはりフェスにいるというよりも、1つの「町」にいるような感覚だ。

その点で言えば、グラストンベリーにないものを探す方がむしろ難しいかもしれない。ご飯を売る屋台はもちろんだが、古着屋や雑貨屋、床屋、様々なワークショップにナイトシネマ、加えて24時間営業のスーパーマーケットもある。生鮮食品でさえ売っていることに感動した。牛乳を飲みながらライブが観られるなんて最高じゃないか。


「町」のようなフェスだからこそ、参加者の様々なライフスタイルがある。全体の約半分を占める40ステージは夜中から朝まで開いていることもあり、昼間がメインの人もいれば、夜が更けてからがメインの人もいるようだ。夜の1時半を過ぎても会場内はどこも賑わっていたことが新鮮だった。しかし必ずしも夜が寝なさいというフェスじゃないのは、多様性に溢れていて良いなと思う。夜中になっても、かなり端にあった拠点のテントサイトまで音が届いていたのには笑ってしまったが。

もちろん全てのステージを回るなんてことは不可能に近い。たまたま寄ったステージで新しい音楽に出会い、たまたま目に入った大道芸に心奪われて、たまたま通りがかった露店を覗いていると、あっという間に朝は夜に変わる。事前に組んだタイムテーブルの4割も消化できなかった。それぐらい見どころに溢れていて、何度体が2つあればと思ったことか。むしろ2つあっても足りないぐらいだ。グラストンベリーで過ごす日を重ねるごとに、時間が過ぎ去る早さも加速していくようだった。実感がないまま1日、また1日と終わっていく。

冷静に考えるとかなり過酷なフェスだと思う。あまりのステージ移動に6万歩以上歩いた日もある。下手すると移動に1時間以上を要するし、人が溢れると導線は全く動かなくなる。大多数のお手洗いは青空ボットン式で2日目にはかなりの異臭を放っているし、もちろんシャワーもないので、水汲み場で水浴びをすることがスタンダードになる。周りに何もないので、宿泊もテントでの野宿以外は現実的ではない。それでもこのフェスには「ずっとここにいられたら」と思う魅力がある。

もちろん音楽もそうだ。フルメンバーで来日することが難しいThe Libertinesを初めて生で観られたことだったり、最年少ヘッドライナー、Billie Eilishの裏で会心のライブをしていたLittle Simzの迫力だったり、Charli XCXのあまりのカリスマ性に吹き飛んでしまったりと、観たアーティストの感想を挙げればキリがないが、僕が一番印象に残っているのはやはりPaul McCartneyだった。

記憶がある範囲で初めて好きになった音楽はThe Beatlesだったような気がする。幼少期に父親の車で流れていた「Can’t Buy Me Love」からライブが始まれば「あ、ビートルズって本当に実在していたのか」などと素っ頓狂に思ってしまった。「ビートルズの曲で上がるスマホの明かりは銀河みたいだけど、僕のソロ曲の時はブラックホールみたいだね!」とジョークを飛ばしながらも、歌う姿はまさにレジェンド。日付を跨いで2時間半近く演奏していたポールが御年80歳だなんて信じられない。音楽に愛された人こそがたどり着ける境地のような気がする。

何より、湧き上がる大合唱と照明に照らされる無数の旗が印象的なこの光景は、何度も何度も動画で見てきたグラストンベリーそのものだった。「あの光景の中に本当にいるんだ」と実感した時、自然と涙がこぼれ落ちた。

楽しい毎日は一瞬で終わる。あっという間に最終日の夜を迎えた。翌朝には帰りの支度をしなくちゃいけない。日付が変わる頃には、荷物をまとめ出している人もちらほらと増え始めた。このまま朝まで踊るのもいいなと悩みながらも「グラストンベリーに来られるのはこれが最後かもしれない」と名残惜しさを胸に会場を散歩して、僕が最後に選んだ場所は日の出を待つ丘の上だった。

真っ暗な道を丘の上の焚き火の灯りだけを頼りに登っていく。たどり着いた時には既に多くの人が座り込んでいた。遠くに見えるステージの照明や聞こえてくる喧騒とは対照的に、焚き火の灯りだけが揺らめき神聖な空気が漂っている。誰もがただ静かに日の出を待っていた。

徐々に明るくなる空はフェスの終わりを告げているようだ。朝5時を迎え、皆が見つめる空の先に朝日が昇ると、自然と大きな拍手と歓声が起こった。しかしその時間はたった2分にも満たなかったと思う。燃えるような朝焼けはすぐさま曇って見えなくなってしまった。それでもグラストンベリーの日の出をこの目に焼き付けた。雨が降ると泥だらけになると聞いていたが、この5日間は雨が降ることもなく、幸運なことに最後の最後まで天気に恵まれた。

あれだけ賑わっていたテントサイトへの帰り道は祭りのあとのような静けさに包まれていた。すれ違う人たちは誰もが疲れ切っているが、皆満足げな顔で歩いている。日の出とともにどこか非日常だった空間は静かに眠り始め、日常に戻ろうとしているようだった。

少し仮眠をとり、身支度をして11時に拠点を発った。既に撤収している人も多く、沢山のテントが敷き詰められ、見ることが難しかった地面も芝の緑が目立つようになっていた。帰り支度をしている人たちを見る度に寂しさを感じる。果てしなく長いと思っていた5泊6日はあっという間に過ぎ去り、いつの間にか旅の始まりのロンドンはパディントン駅に帰ってきた。

ガラス張りの天窓に差しこむ夕日は優しく、長旅の疲れは妙に心地が良い。別の世界から帰ってきたかのような満足感さえもあったが、旅の終わりはやはり寂しい。月曜日のロンドンは帰宅ラッシュの時間帯で、大荷物を抱えた人たちが1人、また1人と家路を急ぐ人混みに紛れて見えなくなってしまった。非日常な空間で過ごした5日間から、またそれぞれの生活へと戻っていく。

* * *

グラストンベリーが終わって、2週間以上が経った今でも夢見心地だ。ここで書けなかったようなことも山ほどある。良い意味でも悪い意味でも何でもアリで、今までに体験したことのないフェスだった。いや、フェスではない。50年以上の歴史の中で培ってきたであろう矜恃がこの空間に宿っている、それはもはや祝祭だ。

「もしかしたら二度と来られないかもしれない」、そんな気持ちをどこかでずっと抱いていたからこそ、その一瞬一瞬を鮮明に覚えているのだろう。雨が多いこの国で、あの日の出を見ることができたことはこの先、一生忘れられないような気がする。もし機会があるのなら是非一度は足を運んでみてほしい。愛と音楽に溢れる、たった5日だけの祝祭に。

Kaede Hayashi