ここが全てで、全てがここにある──The Big Moon at XOYO
今や時代を代表するUKロック・バンド、The 1975の2年振りの新譜『Being Funny in a Foreign Language』のリリースで、日本の洋楽シーンの話題は持ちきりだった10月。ロンドンのレコードショップではThe 1975に肩を並べるもう1枚のアルバムがあった。The Big Moonの3rdアルバム『Here Is Everything』だ。

The Big Moonは2017年にリリースした1stアルバム『Love In The 4th Dimension』が英マーキュリー賞にノミネートされ、華々しいデビューを飾ったロンドン出身の4人組ロック・バンド。あの日本の奇才音楽家、平沢進も彼女たちのファンのようで、度々Twitterにて名前を挙げている。
The Big Moonのアルバムをこうたった。
超長身のジュリエット・ジャクソンは、宇宙やマヨネーズや乳首などからインスピレーションを得ているのだそうだ。
思った通りの悪いヤツだ。
— Susumu Hirasawa (@hirasawa)April 8, 2018
閑話休題、2年振りのリリースとなる今作で、彼女たちはキャリア初の全英チャート・トップ10入りを果たした。アルバム自体はパンデミック前から制作に着手していたが、バンドはその出来に納得できず、ジュリエット・ジャクソン(Gt. Vo.)の産休を機にその方向性を考え直した。The Big Moonにとってパンデミックの期間は決して順風満帆とは言えなかっただろう。
ライブの延期はもちろん、その収入を補うために、セリア・アーチャー(Ba.)は農場で働き、ファーン・フォード(Dr.)とソフィ・ネイサン(Gt.)はデリバリーの仕事をしていたそうだ。その中でジュリエットは人生最大のイベントの一つである妊娠と出産を経験した。ロックダウンの最中に制作が始まり、その半分を妊娠6ヶ月の間にレコーディングし、最後には9ヶ月の赤ん坊を抱えながら完成したという力作だ。

『Here Is Everything』リリース当日の10月14日、Rough Trade主催のアウトストア・イベントとしてXOYOでリリースパーティーが行われた。赤のネオンが揺らめくXOYOは、ロンドンの都心部でビジネス街に近いオールドストリート(Old Street)に位置する。古い印刷工場を改築しており、フロアは横長で主にナイトクラブとして人気のあるヴェニューだ。開演ギリギリで着いたこともあり、フロアは既に人で溢れていた。

新譜のリード・トラック「Wide Eyes」でライブはスタート。ふつふつと燃えるようなバンドサウンドが、ざわついていた会場の雰囲気をすぐさま一体にさせた。ジュリエットは「Wide Eyes」を、出産を終え母になって必死に書いた幸せな曲と振り返っている。「慣れない育児でほとんど眠れず、泣きながら孤独を感じていたが、そんな中で燃えるような愛と新しい幸せに出会った」と。ポップソングのように見えて、その明るさの裏に複雑な感情や葛藤が垣間見える。しかしそれは後悔の念ではない。〈ここに全てがある。その全てが新しい〉という歌詞に何かが始まる期待感が溢れる。
続く「Day Dreaming」は揺らめくメロディがまるで蜃気楼のように感じるが、サビに入ると力強く存在感のあるメロディーが現れる。とにかくそのハーモニーが美しい。疲れ果てた悲しみから距離を置いたというこの曲で〈ベイビー どんな後悔を持って帰っても 家に帰ったらとにかく私を愛してね〉と歌うジュリエットの強かさには憧れすら覚える。
昨日はThe Big Moonを観ました。強度のあるメロディーに歌が乗ってスッと伸びていくような、本当に心地良いライブでした。1975で話題は持ちきりだけど彼女たちの新譜も最高なので是非とも。pic.twitter.com/Iq9APFLdnA
— (@_mam_e)October 15, 2022
多少の機材トラブルが起きても「新譜のリリースの前ではトラブルすら愛おしい」と話すメンバー。「テキーラを持ってきて!」と笑い飛ばすとフロアも湧いた。もちろん新譜以外の曲も忘れられない。2ndアルバム『Walking Like We Do』から続けざまに披露された「Don’t Think」と「Barcelona」はやはり屈指のダンス・ナンバーだ。彼女たちの底抜けのエネルギーに当てられて、会場の熱気は増していった。妊娠検査で陽性を確認した喜びを歌う「Two Lines」や、つわりで今にも死んでしまいそうだったことを題材にした「Satellites」と喜怒哀楽がはっきりと伝わる楽曲を通して、彼女たちが経験してきたことを追体験しているようなセットでライブは進む。

後半戦、フロントメンバーの3人が肩を寄せ合うと「Formidable」はアカペラで始まった。激動の2年間を乗り越えて、彼女たちの信頼感はより強固なものになったのかもしれない。それは一重にパンデミックという困難だけではなかっただろう。メンバーの妊娠・出産という人生における大きなターニングポイント、全員でその経験を分かち合ったからこその連帯を感じる。「母親とミュージシャンは共存できる」とインタビューにもあったが、それは妊娠後期であろうジュリエットがベッドの上にたたずむジャケットであったり、「ここに全てがある」というアルバムタイトルからも伝わるはずだ。今の彼女たちの姿は本当に大きく力強い。
記憶を捻じ曲げてしまうぐらいの苦労を歌った「Trouble」が終わると、思わずセリアの目から涙がこぼれた。今作のメイン・テーマになったジュリエットへの感謝と、ここまでたどり着いた彼女の才能を讃えて始まったラストナンバーは2nd屈指のポップ・チューン、「Your Light」だった。孤独や苦しみにもがいた末に見えてくる光は美しい。弾むエイトビートにそのメロディは輝きを増して、清々しい風のように会場を吹き抜けていった。

個人的に体調、メンタル、忙しさなど、様々なことが相俟ってしばらくライブへと足を運べていなかったが、彼女たちがその全てを吹き飛ばしてくれた。「ここ最近足りなかったものはこれか!」と、理由もない鬱屈はいつの間にか晴れていた。それは終始、笑顔で演奏し続ける彼女たちの底なしのエネルギーを感じる音楽のおかげなのだろう。
一度聴き始めたら、そのメロディの強度と美しさに耳を惹かれること間違いない。しかし彼女たちを以前から知っている人にとっては、良い意味で印象が変わる作品になるのかもしれない。「(妊娠・出産を通して)世界はまた無邪気になった」と話すジュリエットと、彼女たちが作り上げた『Here Is Everything』は強い信念に満ち溢れている。妊娠や出産を選ぶことは人それぞれだが、当事者になる人や、それを支える人たちの持つ連帯感をリスナーが感じ取れる作品になっているはずだ。それはファイトソングのようでもあり、頑張る自分を抱きしめてくれる音楽でもある。The Big Moonは今日も悩める人のそばで鳴っていることだろう。
‘‘I know that millions of people before me have grown humans in their bellies, but if you speak to the person its happening to, you’ll find it never stops being extraordinary. I hope this album tells that story, I tried to be as honest as I could. I dont think enough mothers have the time to tell their stories, especially during the wild ride of the first months of parenthood… so I hope that by adding mine to the pile, exhausted and lovesick mums might feel a little bit more seen ❤️ Jules x
(もちろん何百万人の人々が妊娠や出産を経験してきたことを知っています。でもその人たちに話を聞いてみれば、妊娠や出産が決して特別なストーリーではないことに気づくはずです。私はこのアルバムを通して、そのようなストーリーを伝えたかったし、できる限り正直でありたいと思いました。なぜなら多くの母親が自分のストーリーを話す時間があるとは思えないからです。特に子育ての最初の数ヶ月は、大変な時期だから…。だから疲れ果て孤独に悩むママたちが、私のストーリーを通して「自分のことをちゃんと見てくれている人がいるんだ」と少しでも感じてくれたらと思います❤️ Jules x)’’──Instagramの投稿より
Kaede Hayashi

